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青春

作者: 宮島ミツル

 それは、少年が高校に入学して間もないころの話であった。少年は、勉強が得意であった。が、それは比較的得意であるだけで、特段秀でているわけではなかった。彼は、運動や芸術に才が見いだせなかったので、(ただ)、無理矢理特筆するならば、勉学に秀でていた訳である。又、彼には克己心(こっきしん)が欠けていることも自明の理であった。従って、夜な夜な目を凝らし、脳を叱咤し、スタンドライトに照らされながら、勉強することは稀であった。その為、彼は凡庸にも、地元の偏差値のそれほど高くない進学校へ入学した。


 少年は、登校初日、淡い期待を胸に秘め、今後の同級生との交わりを期待した。が、彼は、彼の自尊心のため、或いは、勇気の欠けたることが原因で、自らは級友に話しかけることは無かった。故に、彼はクラスで孤立することになった。少年自身がその原因を推察するには、彼等が畏怖しているからだと踏んだ。しかし、真実とはそう簡単には、少年の自尊心を満たす気はなかった。少年がクラスで孤立したのは恐らく、彼の顔面に尊大な態度が露わになっていたことが原因であろう。彼らは、そういった彼の面倒さを利巧にも、値踏みし、彼に話し掛けようとは思わなかったのだ。


 少年は、彼らが築いた障壁を感知できるほど多感でも、思慮深いわけでもなかった。よって、尊大な羞恥心(しゅうちしん)が遂に、彼に自発的行動を促した。彼は、()(かく)誰でも良いから、級友に話しかけ、親睦を深めようと目論んだ。そこで目についたのは、クラス一の美貌を持つ藤川成美であった。少年は自覚的でないにせよ、この女性のことを好ましく思っていた。この好ましさとは、読者にとっては意外かも知れぬが、決して下賤(げせん)な性欲によるものではなく、彼の持ち合わせていた幼い価値観故の、純粋なる恋慕(れんぼ)であったことは、彼を弁護するつもりではないが、留意していただきたい。


 (しか)るに、少年は藤川さんに声を掛けた。


「藤川さん」


少年は、勇気を振り絞り、名を呼んだが、何を話せば良いか分からなかった。が、それは、要らぬ杞憂となった。


「○○君…、だよね。どんな用事か知らないけれど、話しかけられるのは、ちょっと困るな」


少年はこれ以上、藤川さんに話しかけることはできなかったし、する気も失せてしまった。斯様(かよう)にして、彼の初恋は、彼の気づかぬところで、潰えたのである。ここで言わなければならないのは、藤川さんは何も冷淡でないことである。原因は(むし)ろ少年にある。彼は、この出来事が起こる前に、クラスですでに腫物(はれもの)扱いをされていたのである。その理由はやはり、彼自身の性格に問題がある為であった。が、少年はこのことに対して、勿論自覚的でなかった。故に、この出来事(まで)、何ら処方を施さなかったのは言うまでもないであろう。


 又、()ることながら、少年とクラスメイトとの間の障壁は、この出来事以降、ますます険しくなった。それは、もはや不可逆的であった。彼らは、少年の無垢な恋慕を悟らぬまま、彼の行為に侮蔑の念を抱いた。



 数年後、少年は青年になっていた。彼はあの出来事以降、内的世界と向き合い、己を恥じることを知った。また、研鑽を積んだ。そして、背丈に合った関東の国立大に進学した。彼は、あれ以来、他者と接することを恐れるようになった。が、性格は、内面を恥じたことで、自愛の精神を忘却した代わり、他者に対して、卑屈ながらも、不遜(ふそん)な態度をとる心構えをしなくなった。


 彼の心の傷は、青年となった今も(なお)()えることは無い。が、彼はこの傷心を消し去りたいとは思っていなかった。青年は時々、あの頃を回想し、ノスタルジアに浸ることで、傷心を更に、自らの手で(えぐ)っている。それは、彼が見出した唯一の贖罪(しょくざい)であると、彼自身は考えていた。しかし、青年は気づかない。この行為は単なる贖罪でないことを。彼は、自らの傷を抉ることで、愁傷(しょうしゅう)を美化し、己を護っているのだ。そうでなければ、彼は自我を保つことができないほど、脆弱(ぜいじゃく)な心の持ち主であった。




 彼は、今日幾つかの講義を受けた後、斜陽を受けながら、橙色に染まった帰路を、思索に(ふけ)りながら、漫然とした足取りで踏んでいた。今の彼には当時のような無垢な心は無かった。しかし、無垢でないにも関わらず、幼稚な価値観を捨てることはできていなかった。青年、もとい少年は、再び贖罪の(てい)を装い、自身に憐憫(れんびん)を覚えながら、過去を詩的に形容することに酔っていた。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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