第六話 盗賊
不死者はいずれ心を失って、人を襲う化け物となる。
だから人は不死者を恐れ、拒絶し、排除することを望むのだ。
俺はそんな不死者と相対していた。
服も着ておらず肉が腐れ落ちて、肋骨が見えているような醜悪なモンスターだ。動きも怠慢だ。正常な思考など感じられず、下をだらんとたらし黙々と進む姿は歩く屍に等しく、見るだけで言いようのない恐怖が心の中に生まれそうになる。
だけど、こうして不死者と遭遇すると言いようのない感慨深さを覚えてしまう。
――いずれは俺もああなるのだろうか、と。
そんな不安は頭から消し去って、俺は半身になって顔の前で両手を構えた。
そして目の前の不死者が築かないうちに高速で駆け寄って、飛ぶこむように右ストレートを顔に当てた。
「しっ!」
俺の右手は見事に不死者の顔を打ち抜いた。
不死者は地面に激しく転がった。
でも、
「これだと駄目だ」
俺は手首から先が折れて、腕が通常の位置よりずれた右腕を見つめながら言った。
ある程度の力の制御は出来ているが、ここまで肉体を破壊する力だと使えない。せめて見た目に変化がないほどの威力にしないと。
俺は不死者から次の魔物はいないかと目を外そうとすると――不死者は俺に顔を打ち砕かれたのにも関わらず、まるでその攻撃が無かったかのように立ち上がった。
ああ、そうだ。
忘れていたよ。
彼は俺と一緒だ。
――不死者は死なない。
当たり前の事だが殺せないのだ。
不死者は、神官らのみが操る不死殺しの妙を使わなければ殺せないのだ。
だからきっと見る人が見れば、この戦いは酷く無意味なものなのだと思う。
俺は不死者で、相手も不死者だ。
決着など着くはずもない。
だけど、その不死者は確かに俺を敵視していた。こちらを向きながら怒っている。
俺へとゆっくりと近づいてくる。足並みは遅かった。片足を引きずっているからだろう。
両手を上げて、呻きながらこちらに近づいてくる。
俺はそんな不死者を相手に何度か強化した拳を殴りつけて、やがて息が切れると踵を返して逃げだした。
俺は不死者が見えなくなった時にようやくほっと一息をついて、大きな木の幹を背もたれにして休む余裕が生まれた。
きっと俺は彼に敗北したのだ。
どれだけ弱くても、不死者には勝てない。
こんなにも不毛な戦いをしたことはあっただろうか。
勝ち目がなく、相手の反応は変わらない。
最も戦いたくない敵だ。
だが、俺は自分が彼と一緒だとしても、それに頼り切るような気にはなれない。死なないというのは絶対的なアドバンテージであるが、世の中には“例外”が存在する。
――不死殺し。
そう呼ばれる秘術がこの世にはあるという。
殺せない不死者を殺す術だ。
どんな工程を踏めば不死者が死ぬのかは知らない。それは神官の一部、もしくは不死狩りを自称している団体が保有しているらしい。
彼らに出会ったら俺は情け無用で殺されるのだ。
それに抵抗するぐらいの力は付けないと。
「よし!」
そう思うと、自然に体に力が入る。
「『戦士よ、獣のように戦え(スヴァートル)』」
俺はもう一度体に付与術をかけた。
また何度も木の幹を殴り、森の中を走る修行を始める。
単純だが、扱いきれない付与術を使うには、やっぱりこの方法が一番早いのだ。
◆◆◆
そんな風に森の中で修業をしていると、やがて俺は15パーセントまでなら負荷なく体に付与術を掛ける事ができるようになった。
これまではきっと体にかけられる力は三パーセントほどだったのだろう。
そう考えると大した進歩である。
死ぬ前と比べて、いきなり五倍ほど強くなったのだ。
勿論これ以上の力も出せるが、不死者がばれるので使いたくない。
俺は生者に戻りたいのだ。
不死者と言う現実は消し去りたい。
そんな事を考えながら修業が終わり、そろそろ町へ戻ろうかと思った頃だった。
俺は修行の為に手と足を強化して暗闇の中木に登り、自分の背丈よりも遥かに高い木から目を凝らして黒い森全体を見てみると、遠くの方に煙が上っているのが見えた。
こんな危険な森で野宿をしている者などいるのだろうか。
ふとした疑問が生まれたので、俺は今の体でどこまで動けるのか試すために体に“常時15パーセント”の身体強化の付与術を掛けながら木の枝の上を猿のように飛び動いた。
そうして俺は野宿をしている者達のところまで到着した。
そしてしばらく彼らを観察しているうちに、彼らが盗賊だというのが分かった。なるほど。ご機嫌で宴会をしているようだ。
よくよく周りを見てみると、彼らには不釣り合いな豪華な馬車があった。おそらくあれが獲物だろう。
耳に付与術をかけて聴力を強化して聞いてみると、どうやらどこかの宗教団体の荷車を襲ったらしく、いい身の入りがあったようだ。
俺は咄嗟の判断で、ポケットの中に入れていた手拭いで口元を隠すように巻いた。木からそっと下りて、根っこのところにある泥で髪をオールバックに固める。
怪しい格好だが、正体がばれないのならこれでいいと思ったのだ。
「よし、襲おう――」
修行の成果を見せるのだ。
確かに俺は木を殴って身体強化のこつを覚え、不死者を殴って実際にそれが使える事を示した。
だが、まだ人相手には使った事がない。
彼らにはその実験になってもらおう、と思った。
ちょうどいい
本来なら彼らのような犯罪者は騎士に突き出さないといけないのだが、そんな余裕はないし、なにより俺が連れて行くわけにもいかない。
だが、彼らを放っておいてはいけない。
だから、俺は小声で呟いた。
「――『戦士よ、獣のように戦え(スヴァートル)』」
それから俺は“目を瞑りながら”全速力で盗賊たちに突っ込んだ。最初にすることは決まっている。
彼らの突けている焚火、それを蹴って消すのだ。
火は薪を蹴り払うだけで小さくなり、虫の程の大きさしかつかなくなる。そこで俺は目を見開いた。
「な、なんだ! 何が起こった!!」
「や、夜襲だあああああ!」
男たちは叫んだ。
そんな中、俺がすることは一つだった。
誰かが手から放し、床に置いてあるバスターソードを手に取って抜いた。
そのまま一番近くにいる者の心臓を突き刺す。
「ぐ、ぐふっ!」
「て、敵が、いるぞおぉおお、ぐはっ」
俺は叫んだ敵の首を跳ね飛ばした。
彼がどんな戦士なのかは分からないが、ほとんど見えないような暗闇で叫び声を上げれば一番に狙うのは言うまでもないだろう。
それからも俺は暗闇に乗じて盗賊を切り続けた。
勿論、無言で。
盗賊たちは様々に叫んでいるが、風のようになった俺の前には成すすべもなさない。そもそも彼らとは身体強化の練度が違う。俺のほうが圧倒的に強いのだ。
そんな風に調子に乗って倒していると、やがて相手が一人になった。
「誰だか知らねえが、なかなかやるじゃねえか」
それはどうやらこの盗賊の長だろうか。
他の盗賊よりも体がバンプアップしているように思える。
「……」
俺は言葉一つ漏らさなかった。
相手が誰だとしても、例えそれが死ぬ行く相手だとしても、正体は出来る限り隠しておきたい。
「だが、俺はそいつらとは違うぞ。何故ならリュビ流を治めているからな」
盗賊の長は右手で持っている剣の刃を左手でなぞると、刃に炎が宿った。それは赤くキラキラと輝き、長の顔を照らす。
あれの正体を俺は知っている。
――エンチャントだ。
武器にかける付与術の一種だ。
かつて剣士たちは身体強化術を極めようとした。だが、自分に肉体強化術に限界があることを知り、新たなる活路を目指して次に魔力を流したのが剣であった。雷や炎など魔力を様々な形に変えて剣に込める。そうすると本来なら切れなかったはずの鉄が切れ、岩を砕き、固いモンスターの鱗でさえ切れるようになった。
リュビ流はそんな剣術の一種だと、話には聞いたことがある。
確か魔力を炎の波長に変えて、剣に流す付与術だったと思う。そう大きな違いはない。
まあ、俺は使えないんだけど。
だけど関係がないと言わないばかりに、俺は持っていた剣で長に斬りかかった。
「そんなのはなあ、無駄なんだよ! てめえの動きも見えているんだよっ!! 『炎爆』!!」
長の剣に宿っている炎が膨れ上がった。
真っすぐ突っ込んでいた俺は避けきれない。
それをもろに食らってしまった。
地面に転がりながら倒れる。あまりの激痛に立つことが出来なかったのだ。きっと俺の前の部分は顔を含めて醜くこんがりと焼けているだろう。
「へへっ、ど、どうだ俺の実力はよ。見たか! この糞野郎がっ!!」
――普通の人間なら、ここで終わっているだろう。
長の渾身のエンチャントを受けた。それも一朝一夕の威力ではなく、ちゃんとした剣士の技だった。人を一撃で殺す技だ。きっと長もこのエンチャントを使って数多くの敵を倒してきたのだろう。
だが、俺は不死者だ。
「――いい攻撃だね。ちょっとびっくりしたよ」
俺は膝に手をついて、顔がひりひりと痛むまま立ち上がった。
きっと顔の皮膚がケロイド状になっているのだろう。
「て、てめえ、まさか!!」
きっと長は俺の顔を見ている。
ゆっくりと元の姿に戻る姿を見ている。
「ああ、そのまさかだよ――」
俺は長が言い切る前に突っ込んだ。
もはや剣は持っていない。おそらく先ほどの攻撃を受けた時の衝撃で手放したのだろう。
だが、もうすでに戦いはそんな次元ではない。
俺はリミッターを解除した。
誰もいないここなら使う事ができる
倒すことが出来る。
もう誰にも見られることもない。
「く、くそがあ! どうしてこんなところに!! 『炎爆』!!
長はもう一度同じエンチャントを使おうとするが、それよりも限界まで高めた俺の身体能力の方が高い。
俺は右腕に意識を集中した。
「――百パーセント」
素手による俺の一撃は、長の鎧ごと胸を貫いて背中を突き破った。
「どうして……こんなところに“不死者”がいるんだ……!!」
男は血を吐きながら必死に声を出して、やがて動かなくなった。
俺はそれからすぐに腕を抜いて腕から血を滴らせた。
「ひいっ!」
その声は俺のものでもなければ、今殺した長の声でもなかった。
可愛らしい女性の声だ。
そこで――初めて気が付いた。
遠くにある既に火が消えそうになっている焚火の傍に、腕と足をロープで縛られている金髪の少女がいる事に。
彼女は怯えながらも恐ろしいことを言った。
「ふ、不死人!!」
どうやら先ほどの場面も見ていたらしい。




