お嬢様、悪役が板についておられます。
「両者揃ったな。さあ、これで双方言い逃れはできないぞ! 公平なるジャッジを下す観客も用意した。ここで真実をつまびらかにするがいい!」
あなたは言いました。
私はため息を吐きました。
「つまびらかにすべき真実というのは、先日イレーネ様のネックレスがなくなったという件についてでしょうか」
本当にあなたはロクに考えもせず行動ばかり先走って、どうしようもないお方です。
イレーネが上目遣いでおどおどと周囲を見回してばかりで口火を切るつもりがないようなので、仕方なく私が口を開くと、あなたは尊大な態度を崩さずに言いました。
「それ以外に何がある」
そうでしょうね。
私が昨日、真実を見極めた上でなら婚約破棄を了承すると言いましたものね。
ですからあなたなりに調査しようとしたのでしょう。
でも思うようにいかなかったのでしょう。
だってあなた、どうせ本人から話を聞いただけなんでしょう? それで以前聞いたのと同じことしか聞き出せず、にっちもさっちもいかなくなって、直接目の前で私とイレーネをぶつけあって真実がどちらか見極めようという暴挙に出たのでしょうね。
最初に言っておくべきでしたね。
ここは舞踏会の場ですよ?
あなたの周囲を取り巻く貴族たちが集まる社交の場です。
そんなところでこのようなことをおっぱじめるなんて、まあ、本当にかわいらしいとしか言いようのないお方です。
まあ、こんなことになるだろうとは思ってお祭りの準備は万端に整っているのですけれど、今はまだそのことには触れないでおきます。
この場であなたを愚かな君主としてしまわないことが先決ですから。
「わかりました。優しき殿下は、イレーネ様から私が盗んだのを見たと聞いたそうですから心穏やかではいられなかったことでしょう。私とイレーネ様、どちらの意見を聞いてもいずれかに偏ってしまうことを恐れて、こうして公平性を期そうとしてくださったこと、感謝いたします。さすが次期国王と申し上げる他ありません」
これくらい上げておけばいいでしょうか。
あなたはこれ以上ふんぞり返ると地に頭がつきますよというくらい興奮してらっしゃいますけど、どうか周囲の冷めた目線やおろおろする空気にも気がついておいてほしいところでしたね。
まあこれで賢王の愚息虫などというあだ名ももう少しぬるいものに変わってくれるといいのですがそこまでは無理でしょうね。華麗にパスをスルーされてしまうのでアシストが非常に難しいお方です。
さて。イレーネを放置してみましたけれど、彼女はどこまでもおろおろした演技を崩すつもりはないようです。どうやら、先制はせず後から揚げ足をとるタイプのようですね。
では私から始めさせていただきましょう。
「それではこの場をお借りして、イレーネ様の失くしたネックレスにまつわる疑義について、早期な解決をはかるためにも皆さんにもご協力いただきたく思います。貴重な楽しい時間を頂戴して申し訳ありませんので、簡潔にいきます。私はイレーネ様が自分でネックレスを外し、私の荷物に紛れ込ませるのを見ました」
ここで周囲がざわつきます。
盗まれた、という主張と、盗まれたように仕掛けられた、という主張は真っ向から相反しております。
数を見ても一対一でどちらが正しいか判断のつけようはありません。
ですが、こういう場合にどちらが被害者か、というのは、大抵空気で決まります。
そう。この場合はイレーネが被害者ですね。
弱々しい子ウサギのように周囲をおどおどと見回すことしかできないイレーネに、私を盗人に仕立てるなんてまるで悪役のようなことはできるわけがない、と見えるでしょう。
だからあなたも私に婚約破棄を言い渡したのですものね。
「と、この状況ではどちらが正しいのか公平にジャッジする要素が足りておりません。事実としてイレーネ様のネックレスは私の荷物に入っておりましたが、それを入れたのが誰なのか、見ていたと主張するのは私とイレーネ様の二人で、その主張が相反しているのですから。どちらも主観のみで、客観がございません。ですので、何故そのようなことが起きたのか、ということに焦点を移したいと思います」
周囲は多少ひそひそとしながらも、静かに私の続きを待ってくれています。
「あの!」
と、ここでようやっとイレーネが口を開きます。
「もういいんです。あなたは殿下の婚約者ですもの。本当のことなどここでつまびらかにしなくとも、いいのです。私は、あなたを貶めたいわけではありません。ただ、あのネックレスは大事な形見ですので返していただければそれでいいのです」
おずおずと喋り始めたかと思ったら、長い台詞も流暢に言い切ります。
俯き、目の端に涙を浮かべ、最後は慈愛の微笑みを浮かべながら。いいえ、彼女の場合は自愛、が正しいですけれども。
「お気遣いありがとうございます、イレーネ様。その形見のネックレスというのは、あなたが教室で騒ぎ、全員の荷物を調べられた際に見つかり、すぐにお渡ししましたよね。大事な物ですからよもや忘れようもありませんわね。ところで、どなたの形見でしたかしら」
「はい、亡くなったおばあちゃんの」
イレーネは目を涙で潤ませ、指先でそっと拭います。まだ視界の邪魔になるほども溜まってませんけれどね。
「父方の? 母方の? どちらもご存命でしたよね」
「いえ、叔母の! おばちゃんの、です」
「ああ、そうでしたか。それはそれは、叔母様の遺品を肌身離さず持ち歩くなど、さぞ生前かわいがられておいでだったことでしょう」
「ええ、とても。ですから、あれがなくなったと思ったときにはとてもとても居ても立ってもいられず……」
ぐすり、とイレーネがしゃくりあげるように肩を震わせます。涙はさっき拭い終わってしまったので、目はかぴかぴに渇いておられましたけれど。
「そうですか、では茶番が続くと皆さんの時間が至極勿体ないので、この後は口を挟まず黙っていてもらえますか? 勿論最後にイレーネ様からもご意見をお聞かせいただきたく思っておりますので、少々お待ちいただいてもいいでしょうか」
イレーネの眉がぴくり、と痙攣したようにも見えましたけれども、一瞬のことでしたからどなたも気に留めてはおられないでしょう。
ただ、これくらいで動揺しておられる小物で、よく私を相手にしようなどと考えたものだとほとほと呆れます。これは手加減を覚えなければならないかもしれません。
「ではまず、みなさんにこちらを見ていただきたく思います。先日、私の机にこのような手紙が入っておりました。ノートを破って書いたメモ書きのようなものです」
さりげなく傍に呼んでおいた家令のサハーから封書を受け取り、広げて見せる。それから近くのご婦人に渡し、みなさんにも一人一人手に取ってみていただけるよう順に隣へと回していただきます。
「ここには『王子と婚約破棄しろ。お前には相応しくない』と書かれています。乱雑な字で書かれていますが、そこには多分な憎しみが込められているように見受けられました。それで次に、こちらを見ていただきたく思います。これはイレーネ様からいただいたガーデンパーティの招待状です」
こちらも皆さんの前に掲げた後、お隣のご婦人に渡し、回してみてもらうようにします。
受け取ったご婦人は、訝し気に眉を寄せ、私を見上げました。
私は疑問に答えるように、大きく頷きます。
「ええ、そうです。先のメモ書きと招待状は筆跡がまるで違います。招待状はイレーネ様自らが一枚一枚したためたものとのことでした」
「はい、確かにその招待状は私が心を込めて書いたものに違いありません」
「学園でも、そう言って手ずからお配りになっていましたね」
イレーネは困ったように眉を寄せながら、こくりと頷きました。
あなたは状況が掴み切れていないことが苛立たしいというように、腕組みをしたまま、苛々と指をトントンさせはじめました。
「なんなんだ? イレーネが書いたものではないのなら、他に犯人がいるということなのか? だったらネックレスの話とズレるじゃないか。お前は、イレーネが脅迫してきた証拠を見せつけ、今回のこともイレーネがお前を貶めようと企んだことだと話をもっていくつもりなんじゃなかったのか? そう思って聞いておれば、まったく話の終着が見えんぞ!」
あなたは黙ってそこで暇つぶしに指でビートを刻んでいていただければ結構なのです。
「もう少々お待ちください。次が最後ですから。ではこちらを」
サハーに手を差し出すと、その上に一冊のノートが置かれました。
そちらをみなさんに見えるように掲げます。
表紙にはイレーネ様の名が記されていることが、前の方にいるみなさんにも見えたかと思います。
「それは……!」
焦ったようなイレーネの声が静寂に響きます。
はっとして口を噤んだものの、イレーネは忌々し気に私を睨んでいました。上目遣いの仮面の下から。
「こちらは、先日先生がノートを返した際に間違えて私に渡してしまった、イレーネ様のノートです。お返ししなければ、と思っていたところなのですが、昨日、こちらの字に見覚えがあることに気が付いてしまいまして。失礼ながら少々中を拝見させていただいたのです」
そう言って、ノートのあるページを開いて見せました。
「こちらになんだかノートを破ったような跡もあり気になりました。もしかしたら、筆跡と一緒にこちらの破れ目も見比べていただきましたら、先程のメモ書きとくっついてしまうかもしれませんわね」
そう言ってまた隣のご婦人にノートを手渡します。
ノートはメモ書きを持っていた方のところまで順に渡されていき、メモ書きとノートが同じ一人の人の手に持たされました。
受け取った紳士は「ふむ」と手にしたメモ書きを破られたノートに合わせて置きます。
「おお、一緒ですな。どうやらそちらの脅迫めいたメモ書きは、このノートから破られたもののようです」
紳士のその一言に、イレーネが歯噛みをしたのがわかりました。
一気に周りがざわつきます。
「招待状をわざわざご令嬢が一枚ずつ手書きで書く可能性は低く、大抵は誰か家の者が代行しているかと思いますが、ノートはご自身で書くほかないかと思われます。家令が傍について授業を受けているわけではありませんので。ということから、イレーネ様は私の婚約破棄を望んでおられ、私を陥れる動機がおありになるようです。かつ、平気で嘘を仰ることができる人柄だということもおわかりになったかと思います」
ここまで聞いてもあなたはイレーネ様を見たり私を見たり、どちらの言葉を信じたらいいか迷っているようです。
いい加減ため息を吐きたくなりましたが、我慢します。
「今回のことを証明する手立ては残念ながらありません。ですが、私はイレーネ様の物を盗む必要性は一切ないことを申し述べておきます。金銭や物に困るほど我が家は困窮しておりませんし、ただのクラスメイトのイレーネ様に意地悪をしたくなるような理由もありません。イレーネ様はまだ転校してきたばかりで、特に親しく話した覚えもなければ、彼女がどんな人なのかもよく存じないくらいですので。誤解を恐れずに言えば、彼女は私にとっては取るに足らない存在なのでございます」
毒にも薬にもならぬ。いてもいなくても関係のないただのクラスメイトでしかないのです。
そう言って、私はイレーネの方をくるりと振り向きました。
「ご清聴ありがとうございました。ではイレーネ様、言いたいことがおありでしたらどうぞ」
「全部あなたが仕組んだのではないですか? そんな都合よく証拠が揃うなんてあるわけない。私を嵌めるつもりなんでしょう? ひどいです……」
ここまで来てもまだ打開策を練っているようで、イレーネ様は顔を覆って肩を震わせながら、必死に次の手立てを考えていらっしゃるようです。声に涙が混じっておりません。かすかすに乾いておられます。
「イレーネ様がそこまで言うのであれば、証人の方にも来ていただいておりますのでお呼びいたしましょう」
そう言って目配せをすると、サハーはパンパンと手を叩き、家の者が扉を開いて証人たちを招き入れます。
やってきたのは同じ年ごろの三人の男女。
「あ……」
イレーネの目がこれでもかというほどに見開かれます。
もうこれだけで十分だと思うのですが、イレーネ様は堅く口を噤んでおしまいなので、仕方なく続けて説明させていただきます。
「こちらはイレーネ様が転校していらっしゃる前のご学友の方々です」
彼らは憎々し気な目をイレーネに向けました。
「あ、ああ……」
イレーネは、彼らの口から紡がれる過去を呆然と聞くほかありませんでした。
彼女は、これまでも同じことをしてきたのです。
見目麗しく位の高い貴族を落とすため、婚約相手を貶め、婚約破棄させる。それでも時が経つと悲劇のヒロインの色は薄れ、次第にイレーネ自身のつまらなさ、魅力のなさが露見し、殿方は自然と離れていってしまい、元のサヤに戻ってしまったそうです。そして同じ学園に居づらくなったイレーネ様は此度私と殿下のおられる学園に転校なさったという顛末のようです。
いらしていただいたのはその被害者の婚約者たちと、イレーネの幼馴染です。
幼馴染の方からは、イレーネが幼少の頃より他人の物がよく見えて奪い続けてきたという悪癖が語られました。
彼はどうにかイレーネに心を入れ替えてもらいたいと思っているのでしょう。縋るようにイレーネを見ていましたが、彼女は「よくもバラしたな」という顔で睨めつけるばかりでした。
イレーネが清い道に導かれる日はまだまだ遠そうです。
さあ、私の役目は終えました。
後はあなたの出番ですよ。
どんな采配をしてくれるでしょうか。
そう思ってわくわくしていたのですけれど、あなたはこう言ってその場を収められました。
「イレーネ。二度とこのような真似はするな。では皆の者、舞踏会を続けるように」
本当にどうしようもないお方。
ここぞというときに格好よく締められないんですから。
殿下を騙したとなれば牢にぶちこまれても仕方のないことですのに、あなたはイレーネ様をこの場から追い出す真似をし、さっさと逃がしてやるばかりです。
ご自分のイメージ回復よりも、イレーネのその後にばかり心を砕いてしまう。
そういう非情になりきれない優しさは王の器ではないと言われるかもしれません。
ですから冷たさが必要な時は、私が担ってさしあげたいと思うのです。
私は優しいあなたが大好きですから。
優柔不断で物事をうまく采配することができないところも、私がフォローして差し上げます。
そんなこと、あのイレーネにはとても務まるわけがないのです。
音楽が鳴りだし、再び舞踏会の雰囲気を取り戻そうと人々が踊りに興じ始めます。
あなたはつかつかと私に歩み寄ってきて、ただ一言いいました。
「すまなかった」
そうしてそのままつかつかと歩み去って行きました。
私は思わず頬を膨らませたくなりました。
もっと何かあってもいいものじゃありませんこと?
あれほどまでに私を罵っておきながら、婚約破棄を突きつけておきながら、たった一言だなんて。
本当にどうしようもないお方。
でも、かわいらしいお方。
だから傍にいて支えて守ってさしあげたいと思うのです。
「ざまあ」をくらわした後は、悪女に篭絡された王子もろとも捨て去るのがテンプレですけれども、私はテンプレが大嫌いですので、そうはいたしません。
どこまでもあなたを愛でて差し上げたいと思います。
家に帰り、今日の礼をサハーに伝えました。
サハーはいつものように慇懃におじぎをしただけでした。
「それにしても、イレーネはやはり小物すぎて大したお祭りにもなりませんでしたね。私に楯突く覚悟があるなら、もうちょっと頭を捻ってからおいでになればいいのに。あんなんで私が潰れるとでもお思いだったのかしら。潰れたのはみなさんの貴重な時間だけでしたわよ」
私が思い出して、くくくくっと笑うと、サハーは言いました。
「お嬢様、どんどん悪役が板についておられます」