MOTOKARE
彼女は何もわかっていない。最初から何もわかっていなかったのだ。
荷を抱えた瞳で怯え、青白く骨ばった両手を擦る様は、ひどくあはれだ。
許さない、許されない、それが一体どれだけのものを生むというのか、彼女は何一つとして理解していなかったのだ。
冷蔵庫の隅で転がる未開封のマスタードの小袋も、期限切れのゼラチンも、古本屋で購入したくたびれた袋とじの惚けた本も、乱雑に捨てられたテイッシュペーパーも、夢を歌ったインディーズバンドのCDも、全部まとめて可燃ゴミのビニル袋に捨ててはいるが、彼女はそれが何を意味していたのか、わかろうともしなかったのだ。
それが証であること以外を。
それだけがわかっていた。あとは何もない。
ヤニの匂いが取れないカーディガンを羽織り、しもやけた手にハアと息を吹く。
かきむしった頭皮から剥がれ落ちる死細胞も、彼の名残がついているのかと思うと、床にぱらぱら落ちる様にせいせいした。
なんて酷い惨状。
解っていないのは彼の方だ、彼女ではない、では何故こうして今泣いているのもゴミを捨てているのも睡眠薬を口にしているのも彼女の方なのだろうか。
くたびれたアパートの茶色い壁に、タバコを押し付けてぐじゅぐじゅにする。
もしかしたら悪いのは、自分なのだろうか、とさえ思えてきた。頭が冷えていく感覚。
五日前、彼が出ていった。
たったそれだけのことを、五時の鐘が鳴ったことで、思い出したように瞳から滴を溢れ返したのだ。
有線から流れる失恋ソングに腹をたて、ラジカセを蹴っ飛ばした。ねじが吹っ飛ぶ様を見て、彼の骨も砕ければいいのに、と思った。
高い寿司が食べたい気分になった。
昨日のまんまのよれたジーンズとヤニ香るカーディガンに袖を通し、便所サンダルを履いてよたよたと玄関のドアノブに手をかける。ギチギチと音を立てながらもたつく扉に身体を押し付け、開け、閉じる。
外は夕暮れの橙が眩しくて、頭が酷く痛んだ。涙を通ったあとの頬がパリパリと砂漠の地表の様に思える。なんて綺麗な空なんだ。超ウザいな。
ファミマでセブンスターと唐揚げ買って帰った。
元彼の軟骨に見立てて食ってやるのだ。