3-34 逃亡者
「父さんはお前との友情を大切にしてくれてたんじゃないのか。言え、どうしてこんな裏切り方をしたんだ」
「僕が全面的に悪かったんだ。それを断った上で、この話をさせてほしい。……もともと、正太郎さんと妹の衣知佳が付き合っていて、衣知佳の紹介で、僕と美里さんが付き合うことになった。衣知佳は僕ら四人の輪の中心で、みんな衣知佳の事が好きで、感謝していた。
けれど、高校生の時、正太郎さんと二人でいった海水浴で、衣知佳が離岸流にのまれて死んだんだ。正太郎さんに責任はなかった。でも僕は正太郎さんに当たることでしか、悲しみとやりきれなさを抑えられなくなってしまったんだ。
それから僕は三人でいることも辛くて、自棄になった。正太郎さんと美里さんの友情にまでヒビを入れたくないと思って距離を取ろうとしたけど、上手くいかなくて、無理矢理美里さんに当たり散らして別れる形になってしまった。高校受験を終え、大学生になって二年ほどたったか。ふとしたことで二人と再会した。その時には、正太郎さんと美里さんはすでに恋仲になっていた」
「……」
「彼女と僕の仲が終わってたのは分かってる。でも、僕は正太郎さんが、あの笑顔の裏で僕から大事なものをすべて奪ってしまうんだと、逆恨みしてしまう自分の気持ちを抑えられなかった。僕は二人とまた仲のいい振りをしながら、二人の仲を応援するよと言って、二人の写真を撮ってた。正太郎さんが警察大学校の過程を終えて、配属されると決まった時、二人の結婚の話が持ち上がった。それで、将来の末長い幸を祈るために、神社にお参りにいったんだ。
幸せになろうとする美里さんを前に、僕は酔った勢いで死んだ衣知佳への想いと、正太郎さんへのぬぐえぬ憎しみを白状してしまった。そして、自棄を起こして美里さんに辛く当たってしまったことと、そして……ずっと愛していたことを、伝えてしまったんだ。美里さんは悪くないんだ」
俺は、大学生の頃にとられたであろう二人の写真を見つめていた。母さんの悲痛な表情。それはきっと、井岡の別れ話が本意ではないことを知っていたのだ。心のどこかで、井岡をどうにかして救いたいという願いもあったのかもしれない。
「続けろ」
「正太郎さんへの復讐の気持ちがなかったかと言われたら、否定は出来ない……本当に申し訳ない。僕たちはそれをなかったことにしよう、と約束した。君がその時に出来た子供だったことを、僕はつい最近になって知ったんだ。美里さんも正太郎さんへの罪悪感をずっと持ち続けてる」
「最近知ったんなら何で逃げてた」
「正太郎さんは、衣知佳の事を忘れてなかった。衣知佳の事を本気で愛してくれてたんだと分かったからさ。美里さんが君を妊娠したのが分かった後、改めて三人で中谷浜神社にお参りをしたんだ。そしたら正太郎さんが、『もし、産まれる子が女の子だったら、その子に衣知佳の名前をあげよう。俺たちみんなが好きだった、あの子の名前を。そしたら死んだ衣知佳も、俺たちは衣知佳の事を忘れていない、今でも俺たちは四人で一つなんだって、寂しい思いをしなくて済むだろう?』って。
そんな正太郎さんを僕は憎み続け、こんな形で裏切ってしまったんだ。いや、僕はみんなを裏切ったんだ。美里さんも、衣知佳も。自分はもうここにはいられない。これ以上迷惑をかけちゃいけないと思って、消えることにしたんだ」
「それでヤクザになったのか」
「そうすれば二人とも僕に気づく事があっても絶望して、いない者扱いにして忘れてくれると思ったんだ。ひょっとしたら、誰かが僕を殺してくれるかもしれない。そんなことも考えた」
井岡は自嘲気味に笑う。そこに、涙の気配があった。
「上手くいくわけないよな。入った後しばらくしたら、悪い事を一つもしたことのないカタギにヤクザなんかつとまらねぇだろ、ってぶん殴られて事務所追い出されたよ。それからは、出来るだけこの辺に立ち入らないように、寮付きの遠い工場の仕事や、その日暮らしでネットカフェなんかのずっと空いているところで眠ったり。……死にたいと思ったことも何度かあったけど、死ねなかった。死ぬことからも逃げたんだ」
「俺がそれで同情するとでも思ったのか」
その言葉とは裏腹に、井岡の痛々しい姿を見つめる俺の心は疑問と、哀れな男を痛めつけた後悔のような思いが生まれていた。分からない。井岡典史は心底から父さんを裏切ったことを悔いている。取り返しのつかない事とはいえ井岡のこの姿を見れば、俺の知っている父さんなら彼を殺すまでの怒りには駆られることなんてないはずだ。それがどうして、あんなことになるのだ。
あの時に見た事件記事。母さんに対する死後暴行は、井岡のものだと断定されていた。この井岡の態度から見て、とてもそんなことをする男には見えない。
しかし。俺はこの男を殺すしかないのだ。もう戻らないと口で言ってはいる。だが思い出欲しさにこうして戻ってきたのだ。保証はない。井岡が生きている限り、父さんと母さんが死んでしまう恐れは残ったままなのだ。
行き場のない問いが頭の中で繰り返される中で、今まで聞こえなかった異音を脳が認識していることに、はたと気がついた。
「凛にいー!」
衣知佳の声だ。
首を向けると、母さんの車と、その窓から顔を出している衣知佳の姿。
そして、その後を追うようにして一台のパトカーが現れた。




