2-14 グラジオラスの花言葉
「ええっ」
衣知佳が悲鳴にも似た声を上げる。
「どういう事? 二人の自作自演だったって言う事?」
衣知佳は腕を組み、しきりに首をかしげている。遠崎と草野が俯き、お互いの顔を上目遣いに確認したのを見て、俺は飯倉の仮説が近からずとも遠からずの意を抱いて話を進める。
「まず、最初におかしいと思ったのは遠崎の言葉だ。犯人から問題が『来る』といった。『来た』ならそれが今回こっきりの事だと解釈できるが、『来る』となればそれは以前にも同じことがあったと解釈できる。給食費は5千円。中学生のお小遣いじゃ決して馬鹿にならない額だ。
年齢身分上、金策の手段も限られる。親から金をくすねでもするか? と聞いた時にそんなことは出来ない、と彼女は強く否定した。モラル意識は高い、となれば援助交際説もそこで消える。とすれば、複数の月に渡ってどうやって給食費の問題を発覚せずに回避したか。――そもそも問題化しなかった。それが答えだ。給食費は、期限までには先生のもとに渡っていたんだ」
「先生もグルって事?」
衣知佳の言葉に俺は首を横に振る。
「犯人は最初から戻すつもりで毎月遠崎から給食費の袋をくすね、問題を出していたんだ。それが解けようが解けまいが、納付日にはきちんと戻しておいた。遠崎がそれを黙認していれば、実質的には誰も損害を受けないし、問題も顕在化しない。
そもそも、何故給食費という、定期的に納付日が決まっているものに手をつける? もし被害者が本気で窃盗犯を取り締まろうと思えば、毎月被害届を出して警察に動かざるを得ない状況を作ることだってできるし、窃盗防止の観点からいっても給食費だけならスカートのポケットにでも折りたたんで入れておけばそれで守れる。犯人側にしたってわざわざ給食費という、リスクだけが高いものを狙う必要はないはずだ。本当に相手を困らせるのが目的であればね」
「どうしてそんな意味のないことをしたの? いたずらにしてはくだらないと思うけど」
「その前に、俺は質問したい。草野さん。君は俺が好きなクラシック曲は、と聞いた時、全然知らない、きらきら星? と答えたね」
「うん」
「どうしてきらきら星?」
「どうしてって……それじゃまずいの?」
「クラシックを全く知らない人間がクラシックをあげてと言われてあがる曲じゃない。俺も最初それを聞いた時、何で童謡なんだよ、と思ったんだ。作曲もフランス民謡、と音楽の教科書に書いてあるしね。ただしこの曲をクラシックとしてとらえるとすればどうなる。きらきら星変奏曲。作曲者モーツァルト。K265。ピアノの演奏曲目や練習曲という観点からすれば、メジャーな曲なんだ」
「……」
「飯倉に調べてもらったんだが、今年の学年ピアノ担当は遠崎奏絵になっている。でも、去年までは違った。山西先生に確かめてみると、すぐにわかる。草野杏子。君が弾いてたんだろ。君はピアノ教室を営んでいた家庭に生まれ、このI市で幼少の頃からピアノコンクールに出場し、難度のとても高い曲を色々弾いてたらしいじゃないか。来年は音高に通うはずだったが、突然、ぱたとピアノを弾くのをやめた。両親はだいぶ悲しんでいたそうだ。何不自由なく育てたのが良くなかったのかとか、私たちのせいだったのか、と、色々ね。山西から聞いた。そして、遠崎奏絵は君と同じピアノ教室に通っていた」
草野は俯いて爪を噛んでいる。ピアノを弾く人間は爪を鍵盤に挟まないように深爪になるくらいにとても短くする、という話を俺もきいたことがある。
「このテープ。小フーガト短調だが、ピアノで弾かれている。これは君が音楽室で弾いたものだと思っている。それは君が音楽室の鍵を以前借りた日付と時間を確認して、その場所を通った可能性の高いクラスの人間の証言を聞けばはっきりすると思う。幸い、職員室には過去の分まで鍵を借りた人間の名前が残っている。
が、そこで一つの疑問が生まれる。何故、ピアノ教室のある自分の家で録音しなかったのか、だ。何か、そこで弾けない事情があったんじゃないか。例えば、そう、君と遠崎との間に、何らかの問題が生じて、教室を去らざるを得なくなった理由とか」
「関係ないし、飛躍しすぎでしょ。遠崎が言わなかったっけ? クラスには音楽をやってる子が何人かいるって。その子たちがやったんじゃないの」
「それはない。吹奏楽部はピアノを扱わないんだ。勿論、小さい頃からピアノを習っていて、両立しようか、という人間もいるだろう。作品目録番号も知ってるかもしれない。だが、そのテープに入っていた演奏はかなりレベルが高いものだ。小フーガト短調の原曲は本来、足鍵盤のあるオルガンで弾かれるものだ。これをピアノで全て弾ききるとしたら、小さい頃から習っていた人間でも難しいと言われているレベルになる。それをこの中学生の演奏者は難なく弾いている。下手に何かと両立させるより、音高音大コース進学を勧められるレベルだ」
「連弾かもしれないじゃない。二人で弾けばそうは難しくないわ」
「連弾なんて言葉、良く知っているな。クラシックは知らないで通してるんじゃなかったか? 知らない設定で言えばもう一つ」
俺は先ほどの問題用紙を手に掲げる。
「事情の知らなかった君が最初にここに来てこういった。手紙とテープ、と。どうして手紙だと思った?」
「どうして? 実際、遠崎への手紙だったんでしょ。何がおかしいの」
「裸の便箋二つ折りを一目見てそれが手紙だと即断できる根拠がない。これとテープが一緒にあるのを誰かが見かけたとしよう。人がそれを見て思いつく単語は、普通こうじゃないか。メモ、だと」
草野からの反駁はない。眉根にしわを寄せて、こみ上げる一つの感情に頬を引きつらせている。俺を見つめる瞳の黒さが、暗い感情に焦げているような何かを感じさせた。
そんな草野の怒りをよそに、俺は推理をつづける。
「考えてほしい。仮にその吹奏楽の人間がこのいたずらをしたとしよう。夏の吹奏楽コンクールに向けて練習が詰まってる。みんなピリピリしてる。そんな時期に意味のないいたずらをするメリットは? そしていつこれを録音する時間がある? 万が一部内の人間が知ったら、どう思うだろう。この大変な時に、何遊んでるんだ、とね。自分にリスクしかない意味のない行動を、そいつらが行うメリットがない。
……話を戻そう。遠崎と草野の関係の話だ。これは飛躍してるわけじゃない。その事こそが、この盗難事案の原因だと俺たちは思ってる」
「何言ってるのか分かんない。給食費はきちんと納められてたんでしょ。じゃあいいじゃない。何の権利があって、私とかなえの事を詮索するのよ!」
最後は金切り声に近い怒鳴り声だ。が、俺は物怖じも動じもしない。
「安心しろ。君を罰したくてこんなことを言ってるわけじゃない。話を聞いてくれ」
息巻いていた草野が落ち着くのを待って、言葉をつづける。
「その何がしかのことがあって、君たちは疎遠になった。が、完全に縁を切る、とまではいかなかった。そこにやはり別の何らかの原因があって、お互いの仲を断ちがたいものがあったのだと思う。それで、表面的には完全に何でもないが、内面では繋がっている、というアンビバレントな形が出来上がった。それが、あの問題文だ。
俺はあの問題のA~Fの各解答の数字は『給食費のある場所においては』意味がないものだ、といった。実はこれは、それ以外に意味があるんだ。この解答は、すべてバッハの曲目に対応してある。衣知佳、スマホでAとDとFの答えをBWVで検索してくれ。どんなタイトルが出てくる」
「えーと……、『今ぞ喜べ、愛するキリストのともがらよ』、『シャコンヌ』、『G線上のアリア』」
「俺が遠崎に好きなクラシック曲を聞いた時、彼女は何て答えた?」
あっ、とそこで衣知佳が口を手で抑える。
「そう。犯人は、遠崎の好きな音楽をよく知っていることになる。そして、件の無事に納められた給食費だ。飯倉」
俺が合図すると、飯倉は鞄から遠崎の封筒を取り出した。遠崎の表情が、電撃が走ったようにこわばる。
「この茶封筒はやはり、職員室に置いてあったものだ。無事であることから、この盗難や問題はそもそも相手を困らせる意味ではないことがわかる。無事であることを繰り返す意味はないからな。そして、この封筒の裏には」
裏返すと、端に小さく可愛らしい字で476、とあった。
「遠崎。君の筆跡を調べさせてくれ。おそらく、これは君の字だ。君たち二人は、確信犯でこういうやりとりを続けていたんだろう。仲良し同士で秘密の共有をする、みたいな形でね」




