2-13 サクリファイス
「おい! 待て!」
俺たちと反対方向の廊下の先はそもそも階段がなく、行き止まりだった。俺は追いつくと、草野の腕をつかむ。男声になっていたのを思い出したが、今はどうでもよかった。
「やっぱりお前か!」
「……だったらどうなの。警察にでもさっさと言えば」
「ああ、突き出してやるよ。飯倉、こいつのポケットと鞄を探れ。絶対給食費を持ってるぞ」
「いえ。嘉手島さん、草野さんは給食費を持ってません。給食費の問題は、既に解決しています」
は?
「……」
「ですが、まだ二人の問題が残っています」
「二人の? 誰のどんな問題だ」
俺が問うと、飯倉は面を伏せた。しばらくうつむいたまま、二度おおきな呼吸をし、目をつぶって胸に手を当てる。そして、
「猫わんわん」
突然、例の謎の言葉をつぶやく。それは、これまでの楽しそうな勢いはなく、膨らんで薄くなった風船のように、危なげに張り詰めたようなものをはらんでいた。
飯倉は目を開け、顔を上げる。その瞳に宿る、涼しげだがどこまでも悲しさを秘めたその光は、隣の草野に向かって放たれていた。
「遠崎さんを待ちましょう。……きっと、彼女は大事な話をすると思います。草野さんは、分かっているんだと思います」
消え入りそうなその言葉は、草野の心の奥のどこかを掴みあげるのに十分なようだった。身体が一瞬震え、飯倉の顔を見つめたまま硬直する。
「嘉手島さん。この件の顛末について私の分かっていることをお話しますので、代わりに皆さんに話していただけないでしょうか」
「? ……別にかまわないけど」
「お願いします。私、職員室にもう一度行ってきます」
俺が耳を傾けると、飯倉は両手でメガホンを作って語り出した。俺はその突拍子もない内容に耳を疑った。反射的に、視線を草野に送る。
うつむいた草野の目が、濡れててらてらと光っていた。
三時間目が終わり、本日最後の休憩時間。役者が全員そろったところで、こほん、と俺は咳払いをした。
「まず、遠崎が給食費盗難に遭い、そこで犯人から送られた便箋とテープの謎について言及したいと思う」
そう言って、俺は机の上に便箋を広げてその上にテープを置き、話し始めた。
「まず、この問題は、給食費の居場所について言えば、途中の答えに意味はない。A~Fのどれにもだ。あくまでも、最後の答えを導くためのものでしかない。そしてこのWAM=Kと小フーガト短調のテープは、バッハの作品目録番号がかかわっているというヒントなんだ」
「作品目録番号?」
衣知佳の言葉に俺は黙ってうなずき、続ける。
「WAMはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの略で、彼の作品には、ケッヘル番号という作品番号が付けられている。それと同じように、バッハにも番号がついてあるんだ。BWVという番号が。このA~Fの答えと最終回答で導かれる数字が、バッハの作品と対応している。そしてそれは、この音楽室のCDラックに収められてあるCDに対応している。
それを踏まえて計算してみると、最終解答の476はBWV476で『宗教的歌曲』を指す。ラックの中のコラール集という、その曲が収められたCDが、分厚いケースの中にある」
俺が指さした先を追うように、衣知佳がラックのCD群に向かって空に指を滑らせ、目当てのCDを探し当てた。
「あれ? でも見当たらないよ」
「そこにあったんだよ。草野がそこに入れた後、抜き取られたんだ」
「という事は、草野さんの他に、共犯がいるって事ね」
「そうだ。遠崎奏絵が共犯だ」




