河童神
俺の長年の心霊体験によると、霊的に本当に強い奴は殆ど動かないし、
(Mさんの"アレ"は珍しい例外だとしても)
以前話した"球体"のように、自分からは滅多に手を出さない。
わが町にある小学校の、旧館西校舎3階の東端階段の4段目には、
河童のような化け物が座っている。
目の部分には真っ黒な穴が二つ開いていて、背丈は推定170cm前後、
硬そうな緑色の皮膚でできた体躯は、今で言う細マッチョだ。
黒のライダースジャケットっぽいものを着て、未開住民が使うような飾り槍を腕に抱え
何をするでもなく、頬杖をついたまま、でかい口でニヤニヤしている。
霊感のある子は低学年の頃に1回は、3階で泣くのが儀式のようになっていて、
俺も2年生のときに、図書館に行くために、ワクワクしながら初めての3階に上がり、
異様な風体の河童神を見つけ、驚いて泣きまくって大変なことになったようだ。
現役高校生の(心霊系)バイト仲間に聞いてみたことがあるが、
彼のときも居たようで、彼の小学生の弟くんによると、未だにまったく同じ姿で居るらしい。
5年生の頃、授業参観に来たおかんに、この河童もどきについて訊くと
「多分、この一帯の土地神が変化した御仁だろう。"祟り神"と"神"の中間のような存在だわね。
戦争での爆弾投下や、その後の宅地造成で川を汚したり、
お墓を平らにして小学校を作ったりもしたから、住処を追われなすったんだろうねぇ。
自分の神域を人間に掻き乱され破壊され、相当の憎しみもあるんだろう、
だけど、それまで何百年も敬ってもらった愛おしさも、同時にお持ちだろうから、
どちらに為るかずっと、態度を決めかねていらっしゃるんだろうね」
ということを長々と話した後、
「私が生まれる前から悩んでいるんだよ。悲しいお方さ」とボソッと呟いた。
小学生には難しい内容だったので殆ど脳内スルーしつつ、一番の疑問を尋ねてみた。
「なんでこの学校に居るの?」
「元々子供が好きな御仁だったらしいから、今は守るべきものも住む場所もないし、
悩むついでにここに来て、あんた達を見守っているんだろうねぇ」
「感謝しなよ。だからこの学校では創立以来、人死も大怪我もないのよ」
そう言えば、この学校に救急車が来たことも無いし、
勤めている教職員の事件や、不審者が入り込んだという話すら、
俺が大人になった未だに聞かない。
土地神でなくなってまで人間を気にかけるとは、
元々はとても慕われた穏やかな神様だったようだ。
河童もどきでは何か失礼なので、"河童神"とでも呼ぼうか。
そういう事情で、今では先輩及び"アレ"には、
絶対に近寄られたくない&知られたくない心霊スポットナンバーワンだ。
と俺が考えていると、大抵の場合どっかから聞きつけてくるのが、うちの先輩である。
おかんは仕事で明日の朝まで居ないし、
俺が悠々と自室のベットに寝転がって漫画を読んでいると、先輩が入ってきた。
「チャイムぐらい押してくださいよ…ゲッ、ってかまた清めてねぇよ……
高い霊水をいつも玄関に用意してあるんだから、せめて2、3滴かけるぐらいはしてください」
先輩が持ち前の暗黒霊気で家を穢したことによる、
おかんの連帯責任制裁に怯える俺とは対称的に
なぜか凄く幸せそうな先輩が、気色悪く擦り寄ってくる。
「なぁなぁ、Aくぅ~ん」
「何すか、その聞いたことのない猫なで声。キモイすよ」
「ぼくぅ~"河童の神様"見たいなぁ~みぃ~たぁ~いぃ~な~」
この時ばかりは流石に、この人の凶行癖に呆れてつい口が滑る。
「……お前はアホか」
「ちょwwwww年上に向かってアホとはなんじゃい」
「うっさ……(挑発に乗るな。落ち着け)……
こないだの"球体"で懲りてくださいよ。そんなに妖怪大戦争がしたいんですか」
「いいもんねー。ガイドしてくれないなら一人で行くもんねー。場所はもう分かってんだ。西○小だろ」
「げっ……」心霊関係の場所を知って一度"行く"といったら、間違いなくこの人はそこに行く。
しかも少しでも興味を持ったら自重しない。とことん対象を調べつくすのだ。
だが今回は本当にヤバイ。一人で行かせた場合、いくら気をつけていても
まず間違いなく"アレ"が発動して、河童神か先輩のどちらかが酷いことになりそうだ。
この際先輩はどうでもいいが、河童神に何事かあったら大変だ。
俺の町で育っていく子供たちの未来を、如いてはこの町の平和を守らねば。
しかし何よりも今重要なのはあれだ。何とか被害を軽減しないと……
「分かりました。でも代わりにおかんの説教は俺と一緒に受けるように。
先輩が居れば半分以下で済みますから」
おかんは基本的に先輩の境遇に同情しているので、この人が居れば説教はいつもヌルいのだ。
「よっしゃ計算どおり!了解した。じゃあ明日の午前1時半に西○小の正門前に集合な!」
「嵌められた…」愕然とする俺を尻目に先輩はドタドタと階段を駆け下りて出て行く。
わざと清めてなかったのかよ……。
いつも天然で忘れているのに、それって何か意味が有るのだろうか……。
今更とんでもない黒い邪気を感知した、玄関インテリア兼警備用のトーテムポールが
ヴォヴォヴォと揺れ唸る音だけが我が家に響き渡っていた。
目覚ましがうまく鳴らなかったので、約束の時間に10分遅れでたどり着いた。
先輩は校門前で、霊除けの煙草を吹かし、周辺にちょっとした結界を作って待っていた。
この人なりに"アレ"が"河童神"に見つからないように気を使っているのかな、
と思ったのもつかの間、俺を見かけると眼をキラキラさせて、走りながら近寄ってくる。
「これなーんだ」
どう見てもこの学校の鍵束です。本当にありがとうございました。
「A待つついでに、グラウンド内をブラブラしてたら、
用務員のおっちゃんが窓開けっ放しで爆睡してたから、ちょっと借りてみた」
どう見ても立派な窃盗と不法侵入です。本当にありがとうございました。
「少しだけ学校の敷地内に入っちゃったけど、煙草も吹かしてたし、大丈夫だよな!
今のところ強力なものは感じないし!」
"神霊"というのは、霊除けの煙草ごときでは、
気休めにしかならない相手なのは知っているはずだが…。
どう見ても迂闊です。本当に(ry
しかしなんで、今回はそんなにテンション高いのかこの人は?
と訊くまでも無く、先輩が喋りだした。
「俺さ、記憶に無い3歳のとき以来なんだ。神とか仏が居る所に行くの。
ほら神域には"アレ"が居るから、近寄れなかったり、自重したりするだろ。
どんなものなのか他人から聞かされたり、書物で見たり読んだことがあるだけ。
だから憧れなんだよ。神様仏様ってどんな御姿をしてるんだろうな。
ああ、きっと神々しくて、御姿を見られたら天にも昇るに違いないはずだ…」
神と言っても"元"神で、しかも半分近く祟り神なのだが、
今のこの人の幸せな脳みそは、その辺のことを上手くスルーしているのだろう。
とりあえず、遅れたことの侘びを入れてから、気になったことを訊いてみる。
「ところで、その右肩から出ている邪悪な霊気は何ですか?既に漏れてませんか?」
先輩の肩から10cmほど、"アレ"の黒くてデカイ指先らしきものが見える。
幸いにして河童神は"アレ"を見つけなかったようだが、
"アレ"の方は早くも獲物を見つけたらしい。
「しまった、もう出ていたのか…気付かなかった。
見もせずに、Aの母さんの所に行くのだけは嫌だな……」
「……それだけ強力な"神霊"なんですよ。
ハイ、こういう事態も想定して、おかんの仕事道具借りてきましたよ」
俺は、ナップサックから、霊を封じ込めるための呪文が描かれた、正方形の"お札シール"の束と、
透明な水溶液が入った青白いガラスボトルを取り出す。もちろん全て無断借用だ。
「まずは、この霊水を頭から身体にぶっ掛けてください。大丈夫、数秒で揮発するので乾きます。
それからこのシールを右肩に5枚。残りの28枚は体中に均等に貼ってください」
ぶーぶー言っている先輩の頭に水溶液をぶっ掛け、
それから二人で手早く体中にシールを貼っていく。
全て終わったら先輩の身体がわずかに光沢を浴び、肩付近からギュウウウウウウウという、
小さな嫌な音がして、少しだけ出ていた"アレ"の指先が消えた。
「これで"アレ"が完全封印されると同時に、Mさんの霊質は一時的に一般人並になります。
これなら河童神に近づいても大丈夫なはずです」
「おっ、確かに強力な封呪だな。もしかして毎回これ使えば、
便所スリッパから逃れられるんじゃないか?」
「あくまで応急処置なので…多分1時間弱で効果は切れます。
便所スリッパはどちらにしても避けられないですよ。
「それに、今の一式で大体5万ほどです…今回だけでもやばいのに、
毎回やっていたら俺がおかんから殺されます。早めに行って、見たらすぐに帰りましょう」
足早に西校舎の正面玄関に向かい、鍵を使って忍び込む。これで俺も立派な犯罪者だ。
薄暗くてかなり怖いが、校舎内に怪しい気配はまったく無い。
多分河童神が他の霊を寄せ付けないためだろう。
俺のガキの頃のおぼろげな記憶を頼りに2人で素早く、目の前にある中央階段を上がっていく。
3階に着いたので、河童神が居る東端の階段に急ぐ。
居た。一応用心のために2メートルほど手前で立ち止まる。
俺の小学校時代6年間不動だった河童神は、
人の居ないこの時間帯も、階段の4段目に腰掛けたまま、正面を向いてニヤニヤしていた。
正直俺はかなり感動していた。そこに居た神霊は俺が子供の頃に見ていた姿形そのままだった。
霊体とは言え、こんなにも変わらないものがあっていいのだろうか、とさえ思った。
「すげぇ…」と、思わず漏らしてしまった俺の隣で、先輩はガックリと肩を落としていた。
「えっ、なんだ、ただの河童じゃん。河童の化け物だろこんなの。
この程度なら山ほど見たことあるぞ。えっ、あれ神様は?俺の仏様はどこなのA君」
錯乱気味の先輩はほっとくことにしよう。自業自得だ。
俺は一通り感動した後に、気持ちが落ち着くと、何かいきなり帰りたくなった。
やはりこの歳になっても、夜中の校舎というものは不気味なものだ。
今夜の満月に照らされた微妙な明るさに、コンクリートのひんやりとした無機質さも相待って、
ご加護で心霊現象が一切ないとしても、あまりいい感じはしない。
さらに雰囲気がどこか妙なのだ、ごく僅かだが、
周囲の空気にピリピリとした緊張感が含まれている気がする。
「Mさんもう帰りますよー。封呪のタイムリミットもあるし、俺明日早いんすから。
さっさと、見つからないように鍵を返して出ましょう」
「…分かった…帰ろう」
かなりむくれてしまった先輩を連れて、立ち去ろうとしたその時だった。
周囲の空気が殺気立ったものにガラッと変わる。二人同時に河童神の方向を振り返る。
河童神の顔の二つの空洞に、目玉がグリグリと競りあがってきて「ブチャッ」と嵌り、
その血走った眼球で俺たちを睨みつける。
そして何十年もニヤニヤしていた口が、瞬時に固く結び直されるや否や
ドンッ!と槍をコンクリの廊下に突き立てて、ゆっくりと立ち上がっていく。
明らかに憤怒の様相である。
これが元土地神の怒りなのか。立っているだけでヒリヒリして痛い。
「おいA、あれ、なんかヤバクないか…。こっち来るぞ。逃げよう!」
河童神は眼を合わせただけで殺されるような怒気を放ち、静かにこちらに近づいてくる
「やばいっすね…、Mさん走りましょう!」
俺の長年の心霊体験によると、霊的に本当に強い奴は殆ど動かないし、
(Mさんの"アレ"は珍しい例外だとしても)
以前話した"球体"のように、自分からは滅多に手を出さない。
攻撃されてもいないのに自分から動く場合は、
相手がとにかく生理的に気に入らないので、跡形もなく捻り潰したい時だけだ。
不意の天災と同じように、そこに理知的な意志は無い。
とりあえず中央階段まで、二人で全力疾走する。
半ば飛ぶように、階段を滑り降りていく。
1階の正面玄関が見えたときだった。
河童神の大きく伸びたシルエットが靴箱の前に浮かぶ。
「ここは駄目だ!!2階に上がり直して、別の階段から降りるぞ!!」先輩が叫ぶ。
封呪があるので、調子に乗って先輩を近づけすぎたのかもしれない。
相手は"元"とは言え聖なる神様。
先輩の中に眠る、どう考えても良いものではない"アレ"に気付き、
やはりとても癇に障ったのだろう。
今回はお札シールと霊水ぶっかけによって、
かなり奥深くに"アレ"が封じ込められているとは言え、
この状態の河童神に、あまり近づかれると本格的に発現する可能性がある。
今日初めて神霊の怒りを眼にしたが、ここにさらに"アレ"が加わるとなると
火に油が注がれるのは間違いなく、先輩がヤバイ、というか俺もヤバイ。
ついでに敷地内に居る用務員さんもヤバイかもしれない。
2階に上がると、廊下に河童神のシルエットがまた見える。
ユラユラとしたその影が次々に分身分裂して、2階の廊下を埋め尽くしていく。
「ここも駄目だ、上がりましょう!!」
3階の廊下を大の大人が二人して、必死こいて、走る走る。
俺はおかんを手伝えるように日頃から身体を鍛えているが、
運動不足の先輩は息が切れてもうヒーヒー言っている。
たまたま鍵の開いていた西端の図書室に滑り込む。
先輩と共に、窓際の机の下に滑り込むのと同時に、河童神が入ってくる足音が聞こえた。
近づいてくる河童神をどうするか、俺は考えを巡らせていた。
"こうなったら残った霊水をぶっ掛けるか…いや…殆ど効かない可能性が高い…どうする…"
先輩から「おい、A」と声をかけられ、振り向こうとすると、
不意に机の外に蹴り出される。
何がなんだか分からず、絶句して顔を上げると
目ざとく俺を発見したらしい河童神が、もう目の前に立っていた。
"先輩が裏切ったのか?いや、そんなはずはない…でもなんで?"混乱した考えが次々とよぎる。
そんな思考を遮るかのように、河童神が"ドンッ"と槍を床に当て
ヌッと、俺の顔の前に憤怒の表情を突き出してきた。
「もう駄目だ…」と思った、まさにそのときだった。
「A!!!!!」俺を囮にして、自分は窓を開けていたらしい先輩が、
俺の手を掴んで引っ張り、そのままベランダから飛び降りる。
グラウンドに真っ逆さまに落ちる二人、「死んだ…」と思ったのもつかの間
先輩が俺の下にうまく身体を入れ、フワッと地面に着地した。
「こいつが少しでも出現しているときは、俺の身体は完全に守られているみたいなんだ」
怒りの河童神に接近されすぎた影響で、どうやらまた"アレ"が少し漏れていたらしい。
仰向けになっている先輩の肩から、15cmほどのデカイ指先が3本見えた。
「理科室に河童もどきが入ってきていた時には既に漏れていたし、
今回はそいつを利用したわけよ(キリッ」
「ナイス判断です!!助かりましたよ。」
いつもならムカつく先輩のドヤ顔も、今だけは無茶苦茶頼もしく見える。
立ち上がってグラウンドの砂を払った先輩が
「じゃあ、さっさとこんなやばい所は立ち去ろうぜ」と提案し、
俺も「そうしま………」と言いかけた時だった。
砂埃を上げながら、前方の小学校正門前に河童神が降り立った。
どうやら逃がしてはくれないらしい。
「畜生!まだ追って来てんのか!!
あの変態河童野郎!!!こうなりゃヤケだ!やってやんよ!!!!」
自暴自棄になった先輩が、お札シールをまとめて身体から剥がしかけた時だった。
河童神は数センチ宙に浮きながら、グラウンド端の苔むした一角に、
その長いひとさし指を、静かに指した。
そして驚くことに、とても楽しそうに「ケタケタケタ」と笑い、
そのまま消えた。
「………」
「……あそこに何か作れって言ってるみたいですね」
「……わかりやしーなー……どうせ小さなやしろとかが欲しいんだろう……。
……クソッ……無駄に脅かしやがって、あのストーカーハゲ河童は全部分かった上で、
俺たちで遊んでいたんだろうな!!」
憤懣やるかたない先輩が蹴り上げたグラウンドの砂が、満月の夜空に舞った。
鍵は俺が帰り際にこっそり用務員室に返してきた。
用務員のおっちゃんはまだ深く眠り込んでいたが
もしかしたら、最初から河童神に寝かされていたのかもしれない。
家に帰って、連絡を聞き仕事を早めに切り上げてきたおかんに平謝りしつつ、
今回の事情を詳しく話したら、
なぜか一切説教は無かった。逆に気持ち悪いほどニコニコして、
先輩の"アレ"をすぐに封じてくれた。
先輩は便所スリッパで叩かれまくられ、結局涙目だったが。
その後、おかん率いる町内会と、おかんの魔の手によって洗脳された西○小PTAが
「○○地区の土地神様の復権と地域振興を願って」とか謎の理由で
グラウンドの隅に小さな鳥居と小さな神社を作った。というか市議会に無理矢理作らせた。
河童神は、神社と校舎三階を気まぐれに行ったり来たりしているようだ。
前述の弟くんによると、相変わらず頬杖をついたままニヤニヤしているが
最近何か、とても幸せそうらしい。
それと神社を作ることによってご加護が広がったらしく、
ここ数ヶ月、小学校とグラウンド周辺の町内では、交通事故が一軒も無い。
「あんた、あの神様に気に入られたみたいだよ、良かったわねぇ」
とおかんにこないだ言われた。気に入ってくれるのは嬉しいが、
たまにニヤニヤしながら、人の夢に出てくるのはやめて欲しい。
っていうかこっち見んな。
時にはなんか喋れ。いいから早く帰れ。