闇
こいつはH。年齢は32歳。殺しをはじめ幾つもの重犯罪の容疑で、この取調室に居る。
罪を認めるでも否定するでも無く、脅しも宥めすかしも通じない。
何時間もかけた取調べにも、ヘラヘラして一つも動じた様子はない。
「私は社会経験殆どないですけど、
刑事さんたちは職業柄色々と社会の怖いものを見て来たわけですよね」
前髪で眼が隠れたそいつは唐突に、うつむいたまま机に語るように喋りだした。
「いや、私のような道を外れた奴でもよく思いますよ。
本当に怖いのはその辺に転がっている"平凡"です。
でも私みたいな何も無い人間でもね、少しは面白い話を持っているんですよ」
小5の時にコックリさんもどきに嵌りましてね。"天子様"って言うんですけど、
なんのことはないやつです、呪文の"コックリさん"の所を"天子様"に置き換えただけってやつです。
あれって最後に十円玉から手を離しちゃいけないんですけど
私、その日は一瞬だけ指を離してしまいましてねぇ。
勿論他の子たちには黙って十円玉に指が付いたふりをしてたんですが
帰らなかったんですよ。その"天子様"。しかも私に憑いちゃいました。
いやいや、からかってなんかいませんよぉ。ホントの事です。
その後は、常に"天子様"は私の頭上に漂っていました。
お姿は、聖母マリア様に良く似ていたかなぁ。そうそう有名な宗教画で描かれているような。
で、その天子様に憑かれたわけなんですが、"天子様"はなんと願いを叶えてくれるんです。
頭の中で願えばいいんですよ。"こうしてくれ"って。もし今居たら、
そうだなぁ。残念ですが既に起こった事は変えられないので
"目の前に居る刑事二人を殺して、それから安全に逃走できるようにしてくれ"って頼みますかねぇ。
ちょっとぉ、襟を掴まないでくださいよ。ゴホンゴホン。
大丈夫ですよ。その"天子様"も今はもう居ないんですから
天子様を使った、最初の願い事なんですが
当時恥ずかしい事に、いじめられてたんですけど、そのいじめっ子の一人を自殺させました。
放課後、いつものごとく数人に囲まれて雑巾を投げられて、箒でぶん殴られてたんですけど、
頭の中で"だれでもいいからこいつらを殺してください"と願ったんですよ。
そしたらそいつが…そいつらのボスというか、まぁクラスのジャイアン的な奴だったんですけど
いきなり虚ろな目になって、そのまま3階の教室から飛び降りました。
その時は重症を負っただけで死ななかったんですが、
入院先で自ら酸素吸入装置を引き抜いて死にました。
その後はトントン拍子ですね。
いつだって"天子様"にお願いすれば私の人生は上手くいきました。
高校や大学受験も楽勝でした。彼女だって作り放題。
私は中高合わせて約三十人の女と付き合いました。
ずっと二股でしたが、ばれる事は無いですよ。"天子様"のおかげで。
好奇心から言えないような事も沢山しました。外で裸にして鎖に繋いで犬の格好させたりとかね。
女の子が拒否したら"天子様"で操ってでもやらせました。
でもそれほど楽しくはなかったんですよ。たぶん私はノーマルだったんでしょうね。
大学に入ってからはもっとです。常時三股くらいはかけてましたかねぇ。
何しろ刑事さんもよく知っているような名門です。政治家も多数排出してる所です。
今はこんなですけど、昔は顔も上の中くらいはあったもんで、あ、それは元々です。すいませんねぇ。
合コンでは、大学名を言えばホイホイ女が食いついてきました。
刑事さん、そんな顔をしないでくださいよ。
私も昔は、自分で言うのも何ですが、付き合いも良くて友達も多かったんですよ。
最近の言葉で言えばイケメンでリア充ってやつです。知ってます?
あんまり女にもてるんで、男もどうかな。とか思って試したこともありました。
まぁ、確かにあまり良くは無かったですね。言うほど悪くも無かったですけど。
ハイハイ、自慢話はいいので天子様に関してもっと聴きたいですか。そうですねぇ。
こういう話にはペナルティもありがちなんですけど、そういうものは無かったですねぇ。
強いて言えば、小学校時代に私と"天子様"をやった同級生が、
高校生の時に次々自殺したんですけど、まぁ関係はないでしょ。たぶん。
そんなわけで随分楽しくやっていたんですが、
だけど、あの日でした。あの日を境に私の人生は変わってしまったんです。
今から11年前の11月9日でしたか、友達と楽しく飲みに行って別れた帰りでした。
ほろ酔い気分で、明日の講義のうざったさに辟易しながら、
当時三年で就活中だったんですが、どこの会社に入るか、
どこが一番見栄えがいいかとか考えてたんですよ。
……何しろ天子様が居るんです。選り取り見取りですよ。
入ってからのことも"天子様"に頼めば、全て上手くいくので心配はしていませんでした。
まぁ、そんなわけで、タラタラと自宅に帰ろうとしてたんですが、
忘れもしない、前からやたら背の高い、細身の若い男が歩いてきたんです。
何の変哲も無い野郎だったんで、普通に横を通り過ぎて行ったんですが
驚きましたよ。すれ違いざまにその男の肩から、
私の頭上へと黒い影が伸びると、何かを掴みました。
そこまでは「気のせいだろ、飲みすぎたな」って思って、そのまま通り過ぎようとしたんですが
背後でゴギャボリボリって骨が砕けるような嫌な音がしたので、私は振り返りました。
そこで私は見たんですよ。私の上に漂っていたはずの"天子様"を
そいつの肩口から出ている、何かが喰うのを。
……それからは私の人生、転落真っ逆さまでね。
父がいきなりリストラされ、母も長年のギャンブル癖で借金があることが分かったんで
大学は授業料が払えずに休学し、そのまま何年か経ってから退学しました。
まぁ、今まで上手く行き過ぎてた分、軋みが着たんでしょうね。
木造の家からいきなり大黒柱が引き抜かれたようなもんです。
で、その後、まともな努力もしないで、行き着いた先が今の私です。
その間の家族の不幸とかもありますが、
皆さんも連日のワイドショーや捜査で良くご存知だろうから、割愛しますね。
私自身は"貧すれば鈍す"というかその後の人生と、
やったこと自体は、つまんない割と良くある話ですよ。
言われるまでも無く自業自得ですよね。
"天子様"に頼り切って努力の仕方なんて知らなかったんですから。
ところで刑事さん、私はね。
長い時間後悔をして悟ったんですよ。この世は無機質で無常だって。
ははは、まぁ有りがちですかね。
大学であれほど居た友達彼女は、辞めてからは蜘蛛の子を散らすように居なくなり、
今は一人も残っていません。
"天子様"によって普通の青春の数倍の、奇跡のような濃い経験をしたはずなのに
なんてことない"平凡"な不幸が私の全てを奪い去ってしまったんですよ。
いやいや違います、得体の知れないものに天子様を奪われたことだけじゃありません。
その後の私の人生の過ごし方もですよ。
虹色の奇跡で溢れていたそれまでの私の人生を、
少しずつ、冷たいコンクリートで塗り固めるようにやってきた"平凡"のことです。
でも、私にも言い分があるんです。何をやっても自信がつかなかったんですよ。
ええ、そこに書いてある一通りの犯罪をしてもです。あ、これゲロッちゃったことになるんですよね。
しまったなぁ。話もあと少しなのに。まぁとにかく、その暗澹たる経歴も
人には出来ないような面白いことやろうとしたんだけど、やっぱり上手くいかなかった結果ですかねぇ。
以前の人生があまりに眩し過ぎたが故に、何を見たって薄暗くて虚しかったんです。
ふぅ……喋りたいことも喋ったし、もういいかな…刑事さん、では、改めまして……ゴホン。
その調書に書いていることは全部真実です。
私は、罪を認めます。反省もしています。これで良いでしょうか?
"平凡"に抗ってきましたが、もう独りで生きるのに疲れました。
私も平凡の一部になりたいと思います。
誰かの真似事ができるなら、囚人だって別にいいじゃないですか。
その後Hは、医療刑務所に送られてしばらく後に回復したとみなされ、今は模範囚として服役中だ。
後日談……
「なーA、今さあ、昔"アレ"が喰ったやつのこと思い出した。
今まで沢山いるんだけど、あいつのは特にやばかったなあ…」
「へー」
「浅黒いマッチョでスキン親父の天使モドキが頭上に浮んでいるわけよ、なんか怖かったわ」
「それは少し見たいwwwww」