球体
登場人物
A→俺。一応主役。
Mさん→俺の霊能的な先輩。"アレ"に憑かれている。
俺の心の声では先輩。会話では(恥ずかしいので)Mさんと呼んでいる
おかん→俺のおかん。つよい。便所スリッパで悪霊を祓う。
"アレ"→先輩に憑いてる怖い何か
わが町内の西端にある踏切には、俗に言う化け物が居る。
直径1メートル半くらいの人間の手足を纏めてできている濃い紫の球体状のもので、
踏切から2メートルほど上をフワフワと浮いている。
人を引き込んだりと害は無いと思うのだが、時々その球体が大きくなることがある。
おかんも「あの球は何か分からん」と言って、いつも不思議がっている。
先輩は基本的にこの踏切を通りたがらない。
近づくと否応無しに例の"アレ"が出てくるからだ。
一度見たことがあるが、準備動作なしでいきなり黒い腕を長く伸ばし、
球体の左半分をもぎ取ると、それをモシャモシャと食べていた。
「これ以上こいつに成長されてもたまらんからなぁ」とは先輩の言葉である。
半月のようにもがれたそれは、すぐに球状に再構成されて
一回り小さくなったが、またフワフワと浮んでいた。
話は変わるが、轢死体は時々身体のパーツがどんなに捜しても足りないことがあるらしい。
それは大体、手や足などのもげやすく飛びやすい、細く軽い部分だが
時々、首から上が無いものがある。
どんなに周囲を捜しても頭が丸ごと無いのである。
その日はやることもないので、ダラダラと夕方のニュースを見ていたら、
午後六時頃にわが町の駅で、OLが列車に飛び込んだというニュースが流れた。
名前を見てビックリした、古くからの知り合いだったからである。
彼女はIちゃんと言って、俺の2~3才上、
首都圏の有名大学をストレートで卒業してから
家の事情で地元に帰ってきて、この町の近隣都市の商社に勤めていた。
うちの家とは遠縁であり、お姉さんということて、俺は子供の頃遊んでもらった思い出も多い。
霊的な素質も高かったらしく、生前はおかんとも良く気があっていた。
かなりの長身美人で有能で、性格は爽やかで気風が良いパーフェクトリア充。
どう考えても自殺するような人ではない。
葬式では、遺体を見せてもらえなかった。
何でも「損傷が激しいから」ということだったが、
Iちゃんの親戚の一人がおかんに語ったところによると
「首から上が丸ごと無かった」から見せられなかったらしいのだ。
それにおかんによると、Iちゃんの魂がどこにも見つからないらしい。
通常死者の魂は実家や葬式場の周辺を漂っているのだが、どちらにもまったく気配すらないらしい。
心配したおかんが、葬式が終わった後に友達の"捜し屋"さんに占ってもらったところ、
Iちゃんの魂はどうやら件の"球体"の中に居るようなのだ。
これには捜し屋さんも首を傾げていた。
うちの親族は、基本的にとても強い守護霊に守られている。
俺が、怨念の塊のような霊気の先輩と普通に付き合えるのもそのおかげだ。
もちろん遠縁のIちゃんにも、仏や神とまではいかないがそれに近いくらいの守護がついている。
肉体を失ったとは言え、魂がああいうものに取り込まれることはまず無い。
とにかくこれはいかん、ということで俺が様子見をしにいくことになった。
仕事の都合で、しばらく家から離れられないおかんから
「いいかい。決して無理をしちゃだめだよ。もし面倒なことだったら、私がやるからね」
と、いつもより強い口調で言われた。
どっから聞きつけたのかは知らないが、先輩も「面白そうだ」と言ってついてきた。
先輩によると10メートル以内に近づかなければ、"アレ"が自動発動することはないらしい。
なにぶんいい加減な人なので、できるだけ遠ざけておこうと思った。
踏切に到着した。
時間は一般人に迷惑をかけないように、午前2時にしたのだが
人も電車すら滅多に通らないこの時間でも、"球体"は相も変わらずフワフワと浮んでいた。
以前ほどではないが、"アレ"に食べられたときより大きさは回復していた。
先輩は近づいたらやっぱり"アレ"の自動発動が怖くなったのか
俺が言うまでも無く15メートル以上は離れたうえに、電信柱の影から見守っていた。
俺は"球体"と同時に先輩の様子も見られるように、線路を渡って先輩の対角線上に立ってから、
遮断機の上に浮んでいるそれに話しかけた。
「Iちゃん居るんだろ。出てこいよ」
不意に周囲の宵闇が一段と落ちていき、
人の手足の肉で出来た球体からズブズブと人間の頭が出てくる。Iちゃんだ。
遠くで見ている先輩の首が、いきなりガクッと下に落ちた。
"しまった。まだ距離が足りなかったか"と思ったのもつかの間
そのまま吸い寄せられるよう、踏み切りの近くまで足早に歩いてきた。
当然のように先輩の肩から黒い腕が出現する、さらに空中に上下唇のセットも出てきた。
腕は獲物を下見するようにウネウネと気持ち悪く動き
唇の方はブツブツと何かを呟いている。
「マ…マエヨリモ…ウ…ウ…マソウデスネ…」
球体に頭がくっ付いた形になったIちゃんが口を開く。
「A君久しぶり、私は葬式には居なかったから…最後の挨拶を言えなくてごめんね」
その口調は以前と同じ穏やかなものだった。俺は精一杯平然を取り繕って会話する。
「いやいや、いいよーIちゃん。それよりどうしたのよ。取り込まれた?除霊しようか(おかんが)」
「カ…オ…カオガ…タ…ベタイ」
「ダメよー、私はここに呼ばれたんだから、今はまだダメ」
長い髪を振り乱し、両目が別々の方向に向いたまま、生前と同じ爽やかな笑顔を向けられた。
「ふ……ふーん。ならいいけど、この町に害を為すことがあったら、(おかんが)除霊するからね」
「それは怖いなー、気をつけるわー」
なんだこの爽やかな悪霊(?)と、思った時だった。
"アレ"がとうとうキレた。
「ガ…マンデ…キマセン…カオタベ…マス…カカカカカカオオオオタタタタタタタタベ…マススススス」
よっぽど旨そうだったのだろう。今までに無い物凄い勢いで黒い腕が球体に迫る。
その瞬間だった。
「駄目だって言ってるやろぉぉぉぅぅぅぅうううがぁあぁああぁあああああああ!!!!」
Iちゃんがいきなり般若のような形相になり、首が伸び、黒い手に噛み付いた。
「まじぃいぃいぃいいぃいんじゃぐらぁあぁあああ!!!うううぅううううげぇぇぇぇぇ!!!!!」
薬指と小指を噛み千切り、線路の近くの林に吐き捨てる。
それに当たった何本かの常葉樹がジュジュジュと嫌な音を立てて黒くなり、溶けていく。
Iちゃんも青筋を立て口から酸が溶けたような泡を吹き、黄色い液体を垂らしている。
十秒ほど睨みあった二体の化け物だったが
どうやら"アレ"の方が気迫負けしたらしく、伸ばしていた手を
シュルシュルと先輩の肩付近まで戻してから、沈黙した。
それを受けて、Iちゃんも首の長さを元に戻した。
俺は呆気に取られて、何がなんだか分からなかった。
「………」
元の表情に戻ったIちゃんが俺に向けて静かに口を開く。
「というわけだから、そいつをここに近づけないでね。困るから」
「……分かった。でも一般人に変なことしたら祓うからね(おかんが……いや、おかんでも……)」
Iちゃんはフッと少しだけ、寂しそうに笑うと、ズブズブと"球体"の中に引っ込んでいった。
俺はなんとか精一杯の強がりをしつつ、"アレ"が出っ放しの先輩を肩に背負って立ち去った。
帰り道、相当機嫌が悪かったらしい"アレ"は
自販機の裏に潜む弱々しい自爆霊やら何やらを、
俺に担がれたまま、長い腕を伸ばして手当たり次第喰いまくっていた。
なんとか我が家にたどり着いて、おかんに簡単に事情を説明すると
すぐに履いていた便所スリッパを脱いで先輩を叩きまくってくれた。
100発ほど叩かれたところで先輩はやっと目を覚ました。
「Mさん大丈夫でしたか」
「全身が痛ぇ畜生…おぉ…Aか…あ、お母さんもお世話様です…アレの中で一部始終を見させられていたよ。
あの球体が何を意味しているのかは知らんけど、
首がついたということは、知能をつけるということでもあるから
今日のうちのアレみたいな、他の捕食者から身を守る必要性が出てきたんだろうな…」
「"球体"も進化してるってことですか」
「そう……とも言うな……すまんが……少し寝かしてくれないか、なんかいきなりきつくな……った……」
そのまま先輩は気絶したように眠り込んでしまった。
おかんが家では寝かしたがらなかったので、
二人でおかんのでかい黒塗りの仕事用RV車の中に、結界や寝床を作り、先輩を寝かした。
おかんは霊水で清められた布巾で先輩の汗を拭きながら
「"アレ"が千切れた指の分だけ、M君の生命力を吸い取ってるんだろうねぇ」と言っていた。
自爆霊数体では全然足りなかったらしい。
先輩はその後も、おかんの車の中で3日ほど、時々目を覚ましての食事以外は寝続けていた。
おかんは先輩の心配をしつつも「仕事で車が使えない」と言って、少しご立腹だったが。
治った後の先輩は体重が7キロほど減っていた。
「最近少し太ってきてたから逆に良かったぜ!」とか余裕かましていたが
見た目は以前とまったく変わっていないから恐ろしい。
俺たちはあれから、例の踏切に近づくことは無くなったが、
おかんによると、相変わらず"球体"はフワフワと浮いているらしい。
Iちゃんの頭は先輩の"アレ"以来強烈な捕食者に出会っていないせいか、
ずっと引っ込んだままでてこないそうだ。
おかんからも親族の魂を取り込んだのは腹立つが
とりあえず害はないようだから、今はほっとくように言われている。