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staring

作者: 一富士 ゆら

“秘密”が事件を真相に近づける。

(喫茶店のハシゴですか…)


「ミカ…ごめん!」

待ち合わせに遅れること20分、寒さで白い息を切らしつつ謝る彼を見ながら、思わず口に出しそうになった。



遅れてきた上に何故か笑顔だ。しかし、私が気になるのはそこではない…。



何度目かの転職の後に出会った何人目かの彼【高嶺ユウキ】は、真に理想の彼だ。

交際して1年、過去の恋愛において最長記録だ。同じ年の彼は優しくて可愛い所もあって、見た目も良い。


嘘をつかない真面目で誠実な人…だと思っていた。


むしろ誠実ならそれだけでも良かった。





待ち合わせ場所の駅前は人が多すぎる。

なるべく誰とも目が合わないように、彼の目だけを見て言った。


「ココジェリに行こうか!」


【ココジェリ】とは、ここから徒歩5分ほどの所にあるパンケーキ専門のカフェだ。


「そうする?気分的にはボナールだったけど」


(知ってる…パンケーキはさっき食べたもんね)


どす黒い自分の胸の内を悟られないように、

少し早足でココジェリに向かった。


人気店のココジェリは週末ということもあり、やはり混んではいたが並んで待つことは無かった。

彼と対面して窓際のソファー席に座る。


私の機嫌を彼はいつも敏感に察知する。


「何かあった?」


こちらとしては大有りだけど、それは言えない。

言ってしまったら、彼と別れなくてはいけなくなりそうだから。



「お腹すいちゃったからさぁ(笑)今日は何してた?」

話題を変えようとしたのに、全く変わってないことに気づいたが遅かった。


「家で寝ちゃってたよ。待ち合わせに遅れてごめんね。」


(ハイハイ…もういいですよ…)


ハッキリと嘘をつかれて頭の中がグラグラした。

彼の真意は解らないが【あの女性】はともかく、私との交際を終わらせたい訳ではないようだ。


こんな探り合いみたいな会話は息が詰まる…

彼はそう感じてはないだろうけれど。


彼はいつも通りの笑顔だ。

笑うと目が細くなって【見え辛くなる】ところも好きなのかもしれない。


「はい、コレ!」

彼がリボンのかかった手の平サイズの水色の小箱を渡す。




「1年記念日は少し先だけど、似合うと思うから買っちゃった。つけてみて」


「うん。」


中身はオープンハートデザインのピアスだった。

可愛い。


「ありがとう!」


素直に彼の気持ちは嬉しい。なのに、先刻の【映像】が頭から離れない。

ぎこちなくピアスをつけた。


注文したパンケーキが届く。

チョコとフルーツがのったパンケーキと、明太子パンケーキ。


明太子……彼は味を変えるためにパンケーキらしくないものを選んだのだろう。正直美味しいのだろうか…。

というかこんなメニューがあったのか…。



「ねぇ」

彼が私の顔を覗き込んで目を見つめる。

濃い茶色の綺麗な瞳だ。

好きな人相手ならドキドキする行為なのかもしれないが

時たまするその仕草だけ、好きじゃない。



「何か隠し事してない?」



心臓が大きく波打った。


隠し事してない、と言ったら私も嘘をつくことになるけれど

(世の中には言わなくていいこともある!)とこれまで自分に言い聞かせてきた。


「何もないよ」

そう、これで良いのだ。


「そっか」

彼はいつものように目を細めて微笑んだ。




確信的な事は言い出せないまま、その日のデートのことはあまり覚えていない。

一人の帰路は信じていた彼に裏切られた気持ちで一杯だった。


殺風景なワンルームに帰り着きベッドに俯せになって背伸びをした。


彼はわたしの事を「運命の人だ」なんて冗談っぽく言っていたけれど、そうだったら良いのにと思っていた。


お互いに結婚適齢期ではあるし、このまま交際が続くなら結婚もと意識しただけに、彼と離れるなどとは考えたくない。



「ヒロちゃんに電話しよ」


一人暮らしが長くなると独り言が多くなるものだ。


【ヒロちゃん】は私が唯一隠し事がないと言いきれる学生時代からの友人だ。姉御肌で、20代前半で結婚し今では一児の母となっている。


遅い時間だったが、数コールでヒロちゃんは電話に出た。


『え?他の女と居た?』


改めて口に出すと胸が苦しい。

しかしこのまま放っておくわけにはいかない。


「うん。実は私がたまたま居合わせてて見ちゃった、って事にしたらどうだろう?」


『…それは気持ち悪いでしょ…事実をありのまま話した方が良いんじゃない?浮気相手とも限らないんだし。結婚考えるんならさ、ミカも隠し続けるのは辛いと思うよ』



電話を切ったあとも思考はグルグルしたままだった。


結論としてヒロちゃんの言う事はもっともだ。

いつかは話さなくてはいけない。しかし過去の経験から躊躇してしまう。


話した所で、また気味悪がられて終わってしまうのではないか。

むしろ此方が浮気相手なのではないか…




私には秘密がある。





私の秘密。



私は所謂【見える人】なのだ。

見えてしまうのは幽霊の類ではない。

同じくらい奇妙なものかもしれないが


目が合った相手の過去が見えてしまう。


自分の頭の中に鮮明に、カラーの無音映像が出てくるのだ。


その映像は相手目線の映像であり【瞳の記憶】なのかもしれない。


過去といっても、会う直前~長くても半日以内のランダムな過去である。


目が合う度に見え続ける訳ではなく、同じ相手なら少なくとも3時間の間隔は開く。


内容に優位性はないらしく、見える時間も一瞬から数分で一定ではない。



直接対面していない場合…例えばテレビ越しに目を合わせても見えない。


裸眼、コンタクトの相手の過去は見えてしまうが、眼鏡をかけている相手は見えない。



上記がこれまでの経験で認識した事だ。



能力とは呼べない、非常に厄介な体質。

これが起因して職歴はともかくこれまでの恋愛歴を短くしていると思っている。



この体質が上手く働いたことなど一度もない。



過去に一人だけ、秘密を打ち明けた彼は居た。

冗談だと思っていたようだけれど、次第に気味悪がって離れていった。職場内恋愛だった為、仕事も辞めた。



ユウキと出会ったのはそれから程なくしての事だった。

転職先の会社の先輩と取引先の忘年会に同席した際、何故か隣に座っていたのがユウキだった。

当時眼鏡をかけていて、変わらず優しい笑顔の彼だったので、警戒することなく話すことができた。

どこか懐かしい感じもして居心地も良かった。




酔が回った彼が眼鏡を外した時、つい目を合わせないようにしてしまったけれど

彼は私の顔をのぞきこむようにして具合が悪いのか気遣ってくれた。

目が合った瞬間見えたのは、飲み会に備えてか「ウコンの力の蓋を開ける映像」だった。

何となく拍子抜けして笑いそうになるのをこらえつつ、帰り際に連絡先を交換した。


ユウキは付き合い当初は眼鏡をかけることが多かったけれど、ここ半年近くいつもコンタクトだ。



眼鏡をかけた男性が好きというわけではないが、メガネを勧めても彼は頑なにコンタクトのままだった。



結果、彼から今日の【過去】を見ることになってしまうとは…



どこかの喫茶店でパンケーキを挟み、対面している女性は真剣な表情をしていた。黒髪をきっちりと纏めており、品のある雰囲気の綺麗な女性。



件の映像は最近でも長編の部類だ。実際1分にも満たないけれど、嫌になるほど鮮明に感じた。




部屋の置時計は既に0時を回っていた。


いつもならどちらかの部屋に泊まって日曜日もデートをしていただろう。

体調が悪いということにして早々にデートも切り上げてしまった。



もしかして今頃【あの女性】と居るのかも、と勘ぐってしまう。



やはり、明日ユウキのマンションに行こう。

会いに行って本当の事を話そう。



眠れる気がしなかったが、頭まで毛布を覆った。









ユウキのマンションは快速なら1駅先の住宅街にある。


結局一睡もできなかったため、朝早く行くことに決めた。

ユウキに電話をすると

「おいでおいで」

と、まだ寝惚けているようだ。


気分を盛り上げようと久しぶりにネイルをしてみたが、一向に変わらない。

降り出した雨で、益々気分は下がってしまう。


始発から数本目の普通電車に乗込んだ。

普段は混み合う路線だが、週末の早朝ということもあり車両にはわたし一人だった。



頭の中では二つのことがせめぎ合う。

一つは昨日見えた彼の映像の中の女性は誰だったのか。彼とはどういう関係で、何を話していたのか。



二つ目は、この体質を彼に理解してもらうにはどうしたら良いか。

そして理解しても受け入れてくれるのかどうか。



悶々としながら電車を降り、駅前のコンビニエンスストアでビニール傘を買った。


マンション付近の大きな公園を通り過ぎようとした時



「来ないで!!!!!!」


まだ薄暗い静かな住宅街に響く女性の叫び声。


公園の方からだ。

直後悲鳴が響き、激しい動悸を覚えた。



どうしよう、彼を呼ぼうかと一瞬迷ったが事は一刻を争うかもしれない。


木々に囲まれた公園の中へ足を進めた。



雨が少し激しくなった。

湿度と変な汗で額に前髪が張り付く。

傘に打ち付ける雨の音が余計に恐怖と不安を煽る。



公園中央程には花壇に囲まれた噴水があった。

白い花の咲く花壇にもたれ掛かるように、傘も刺さず座り込む人影が見える。



駆け寄ってみたその姿に対峙して凍りついた。


そこには刃物で腹部を刺され、血を流したジャージ姿の【あの女性】。



全身の血の気が引くのを感じた。

立って居られず膝立ちで、絞り出すように声をかけたが、反応がない。

開いた目を見た瞬間、頭の中に映像が流れ込んで来る…。





薄暗い見知らぬ部屋。

目の前には激昂している体格のいい男性。

男性の手には光る物が握られている。突如無表情になったかと思うと、刃物を女性に向かって振りかざす。



衝撃的な映像に思わず目を閉じた。




再び彼女の目を見つめると、瞬きをしていないことに気づいた。


同じく悲鳴を聞きつけて近所の住人らしき人が数人近寄って来る。


とにかくキュウキュウシャ?ケイサツ?ドッチモ???レンラクしなくては…


震える手でなんとか緊急ダイヤルをする。

やはり女性は動く気配がない。



救急車と警察車両の到着を待つ間、ユウキに連絡をして事情を話した。

「今から行くから」



部屋着のまま駆け寄ってくるユウキの姿を見つけた瞬間、緊張の糸が解けて涙腺が緩む。



「ユウキ、あの人…」

女性に目をやったユウキは、やはり驚愕していた。


「柴崎さん…!」




柴崎という【あの女性】基、この女性はユウキの担当するクライアントのようだった。


「…大変な事になっちゃったね」

少し変な言い方になってしまったかもしれない。

甚だ不謹慎だが、只の仕事の相手だろうかという気持ちが入り交じってしまった。

この事態に加えて、あまりの偶然に混乱してしまう。



ジャージ姿の柴崎さん。

もう直視することはできないが、素人目にも既に亡くなっているのは明らかだった。



私が彼女の映像を見たときには、もう既に…


しかし先程の【映像】は何だったのだろう。

(私の見たものに間違いがなければ、彼女は既にあの部屋で【体格の良い男】に危害を加えられたはず…)



思いつめたような表情をしてしまったのだろうか。

気がつくと、ユウキが私の顔を覗き込んでいた。


「…大丈夫?じゃないよね。何か暖かいもの買ってくるよ。」



笑顔はないけれど、こんな時にもユウキは優しい。

内心はきっと彼の方が動揺しているのだろうと思いながら彼の後ろ姿を見送った。




柴崎さんの映像は私の正義感に訴えている様な気がする。

しかしながら、奇異なこの体質から見えた映像に、何の説得力もないだろう…



遠くからサイレンの音が近づいてきた。




公園にパトカー数台が到着したとき、周囲には人だかりができていた。



黒いロングコートを着た警察官が近寄ってくる。

「第一発見者の方は?」


「わたしです…」

後ろめたいことは無いはずなのに、【第一発見者】という言葉に改めて身が竦む。

ビニール傘に落ちる雨音の方が、私の声よりも随分大きい。



刑事ドラマに出てくる勝手なイメージ通りの中年男性が、警察手帳を見せた。

「河津署の小宮です。状況のご説明お願いします」

口調は丁寧だが、ややぶっきら棒な印象を受ける人だ。


目を合わせないようにしながら、なるべく詳細に伝えた。


メモをとり終えた小宮刑事は何かを考えるように質問をしてきた。

「悲鳴が聞こえた、と?通報はすぐにされましたか?」


「はい…いえ、広い公園なので10分くらい経っていたかもしれません」


「被害者の女性は既に亡くなられて数時間は経過しているようです」

小宮刑事の横でアシスタントのように立っていた若い警察官が耳打ちするように言った。



「悲鳴の時刻と合致しませんね」

「雨の中で傘もなくジャージ姿というのも奇妙だな」

疑うような視線を感じたが、近くにいた住人からも悲鳴を聞いたという証言があったため深い追求はなかった。



小宮刑事はメモを取っていた手帳を閉じながら言った。

「通り魔の可能性もありますので、近くにお住まいの方はくれぐれも注意してください。早急に捜査をします。」


「…あの!!」


私の急な大声に刑事達は驚いたようだった。


やはり話さずにはいられない。


「被害に遭われた女性、柴崎さんていうそうです。犯人は体格の良い男性です。顔も、見ました。公園ではない別の場所で…」



「ちょっと待ってください」

小宮刑事が口を挟んだ。


「悲鳴を聞いただけじゃなく、犯行時に居合わせた、ということですか?」



私は自分の特異な体質について、説明をした。


二人の警察官は訝しそうな表情でお互いに目を合わせ、俯きながら聞いていたが、やがて一言「お疲れなのでしょう」

と小宮刑事があしらう様に言った。


「いえ、証明できます!」引っ込みがつかないと感じて黒いコートから視線を外し刑事と初めて目を合わせる。



出てきた映像は【小宮刑事が車でアンパンを食べている映像】


…恐らくここへ向かう道中なのだろうが、まさかこんなベタな映像が見えてしまうとは。


……


「今日アンパン、、食べましたよね」



しばしの沈黙の後、小宮刑事が呆れたように口を開いた。

「面白おかしく捜査を混乱させるような事をしないでください。もちろん色んな可能性を考慮して事件を捜査しますので、ご心配は無用です」


気まずい空気が流れる。

「では、また何かありましたらお話伺うこともあると思いますので」


刑事たちが柴崎さんの方へ向かった頃、ユウキが戻ってきた。

ただ飲み物を買いに行ったにしては遅い戻りだ。


「ごめん、自販機になくてさ、コンビニまで行ってた」

わたしの好きなホットミルクティーを差し出す。


珈琲派の彼は一口飲むと、「話さないといけないことがあるから」と刑事たちの方へ歩いていった。


被害者を知っている…どころかむしろ親密な間柄の可能性もあるのだし、話すべきだと彼も考えていたのだろう。



彼と刑事たちの話は私の時よりも長かった。



戻ってきた彼が言うには、

「柴崎さん、ストーカー被害に遭ってたらしくてそのことでちょっとね」

との事だった。


ストーカーとは【体格のいい男】の事だろうか。


気づくと私達の所へ小宮刑事が来ていた。

「お二人はお知り合いですか?」



「彼女は交際相手ですけれど…」とユウキが答えた瞬間、


「先程のあなたの証言は大変参考になりました。またご連絡させていただきますが…お連れ様には捜査を混乱させないよう十分注意しておいてください」

小宮刑事は余計な釘をさして離れていった。



「はぁ…」

ユウキは何のことだか解らないようで気の抜けた返事をしたが、深くは聞かれなかった。



お昼を回っていたが、

異常事態のため食欲など勿論ない。



「帰ろうか…」ユウキにつられて歩き出した。



彼のマンションに近い公園の出入り口には自動販売機が設置してある。



そこには、先程の珈琲とミルクティーが販売中で並んでいた。





ユウキの部屋は相変わらず雑然としていた。

白い壁紙には彼の好きなSF映画のポスターが貼ってある。



事件現場に遭遇したはずなのに、現実離れしすぎているからかもしれない。

どこか自分とは関わりのない世界で起こっている気もして、私の頭の中は二人の問題について集中していた。



ユウキは、ユウキも何かを隠してる気がする。

自宅近くの自動販売機に気づかないとは思えないし、コンビニだとしても時間がかかり過ぎてた。

何をしていたんだろう。



隠しているのは、もしかしたら柴崎さんとの関係性だけじゃないかもしれない。



ユウキの方も何かを考えているようだった。

知人、まして昨日会っていた女性が被害者なのだから当然だろう。



元々自分の体質について打ち明けようと思って来たものの、とてもそんな空気ではない。


早く金曜日までの平穏な日常を取り戻したい。



「俺さ…ミカに隠してることがある」


ユウキが口を開いた。

聞きたくない気もする。


自分の生唾を飲む音が聞こえた気がした。


「昨日、柴咲さんと会ってた」

(知ってる…)



けれど、彼の口から語られたのはわたしの予想していたものではなかった。



彼は昨日、社用携帯に未登録番号から電話が掛かってきたらしい。

相手は柴崎さんで“相談したい事がある”と連絡がありカフェで会うことになったそうだ。


例のストーカーについて相談を受けた彼は、

犯人が彼の勤める会社の誰かではないかという事を聞かされた。


ストーカー行為が始まったのは、奇しくも昨年私も同席していた忘年会直後の事だったそうだ。



「あの席に居たんだね」

口を挟んだ。

大人数だったし、あまり人の顔を見ないようにしていたので全く覚えていなかった。



「クライアントだからさ。確かにこっちは情報がわかるわけだけど、時期的に偶然かぶってしまったっていうのもあるんじゃないかと思うんだよね」


「そうだよね…でもさ、なんでユウキに相談してきたの?」



「ストーカーでは無いって意味では信用されてたと思うよ。」



(本当にそれだけかな…)

口には出さなかったが、女性が二人きりで男性に相談するという事にはなんとなく下心を感じてしまう。

被害者相手に、また不謹慎なことを思ってしまった。


「それよりさ…ミカも何か俺に話したいことあって来たんでしょ?」


そうだった。

来る途中の電車で何度も打ち明けるシミュレーションしていたが、忘れてしまっていた。



しかしながらこの状況でこの話は、精神的にパニック状態になっていると誤解されるだけなのではないか。


ユウキは昨日の真相をきちんと話してくれた。はずだ。


「俺解るんだ、ミカが思っていること」


(多分違うけど言わなきゃ)…



口を開いた瞬間、部屋のチャイムが鳴った。



ドアホンに写っているのは小宮刑事だった。



玄関先で対応するユウキを、部屋のドアを少し開けて覗いた。


「今朝の事件の件で、おうかがいしたいことがあります。署までご同行願えますでしょうか。」


第一発見者のわたしではない、ユウキに向かって小宮刑事が言った。


驚きつつもユウキは「解りました」と答える。


「ちょっと待ってください」

よくある事情聴取なのだろうか。もしかしてユウキは疑われている?


「昨日被害者と会っていた事はおうかがいしました。どうも最後に接触したのが高嶺さんだったようで。」



小宮刑事の視線は、明らかに犯人に対するそれだと感じた。


引き止めなくては…


「彼とはその後わたしも一緒にいました。ここで話をしたらどうでしょうか。良ければ珈琲でもどうぞ。」


「いえ、結構です」

わたしの言葉を遮るように小宮刑事が話し出した。



「あくまで参考人として、署でお話をうかがいたいのです。勿論任意ではありますが…被害者が何故自宅から離れたこのマンション近くで発見されたのか、何か思い当たることは無いかと思いまして」



やはり、ユウキは疑われている?


「ミカ…」

普段落ち着いている彼も動揺していた。


「大丈夫、すぐ帰るから待っていて」

私の肩に軽く手を置くと、連れ立って出て行った。



胸騒ぎを覚えつつ、彼が犯人じゃない事はわたししか知らない。

裏付けがあるはずも無いのだから、すぐに帰ってこられるだろう。

解ってはいるが落ち着いては居られない。



事件現場に集まった野次馬たちは既に解散していた。


刑事二人に連れられてパトカーに乗る重要参考人の姿を、灰色のレインコートの男が見ていた。






一人取り残された部屋で待つ時間は長く感じる。


ユウキが警察署へ向かってから、まだ1時間も経過していない。

わたしはじっとベッドに腰掛けたままだ。



ユウキは大丈夫だろうか。

わたしの体質さえなければ、昨日からずっと一緒に過ごしただろう。近しい者の証言とはいえこの状況は回避できたのではないか。


だけど、体質がもし無かったら…

わたしは刑事達を前に彼を信じきることが出来ただろうか。

客観的に見て疑われても仕方がない状況なのは間違いない。


いや、それでもわたしは…




壁掛け時計の音をぼんやり聞きながら、室内を見回した。


対面キッチンの1LDK。

ほとんど使われていないキッチンスペース以外は相変わらず散らかっている。


ガラスのはめ込みテーブルには雑誌やカップラーメンのゴミがそのままになっていた。

前回来たのが2週間前、その時に片付けはしたが、またこの有様である。


締め切っていたカーテンを開けて外を見ると、雨は止んでいるようだった。


不意にドアノブがガチャガチャと鳴った。



誰かが開けようとしている!



ドアホンのモニターを見ると、レインコート姿の人物が中腰になっているのが映っていた。


慌ててドアチェーンを閉めると、金属音が聞こえたのか男は走り去った。



はっきりとは言いきれないが、このタイミングであの不審な行動。

そして一瞬見えた背格好。


柴崎さんの映像に出てきた【体格の良い男】ではないかと、直感した。



でも、どうしてここに?



とにかく通報を、と河津署に連絡をし小宮刑事に取次ぎをお願いした。


不審人物の来訪を伝えると「パトロールを要請しておきます」とあっさり切られてしまった。



「狼少年になった気分…」



今朝の事情聴取の事があったせいか、もしくは恋人を庇うための自演ではないかと煙たがられた可能性もあるかもしれない。



頼みの綱が切られたようで目眩がした。



しかし。

レインコートの人物=犯人ならば、思っている以上に事態は切迫しているのかもしれない。


何をしにこの部屋を訪ねたのか。


頭の中は混乱するが、なるべく冷静になって考えるしかない。



柴咲さんは発見の数時間前までは生きていたはず。

警察の方で確かな時刻は解るだろう。


しかし、あの映像で見た部屋。

あの部屋が凶行の現場だとしたら、公園で聞いた悲鳴は何だったのだろう。


場所を特定したい所だが、何か室内に特徴があっただろうか。



思い出せない。

ただ

偏見が多いに入ってしまうけれど、女性の一人住まいの部屋ではないような気がした。


だとしたら犯人の部屋…?


なぜわざわざ彼女を公園に連れてきたのか…。


不可思議なあの悲鳴が無ければ、あの時間に私、もしくは近隣の人が彼女を見つける事は無かっただろう。


犯人は犯行現場を偽造する理由…


考えていると背筋が凍った。



もしかして、罪を着せようとしている…??


その標的はユウキなのかもしれない。


ユウキと柴崎さんがプライベートで会ったのは昨日が初めてのはず。

個人的な連絡先も知らない間柄だ。


なぜユウキが標的になったのか…。



柴崎さんはストーカー被害に合っていたと言っていたし、犯人は二人が会っている姿を見ていたのだろうか。

最後に柴崎さんと会っていたのがユウキだったから?

それとも何か別の理由で?



飛躍しすぎな気もするが、現に疑いの目はユウキに向けられている。



ストーカーが犯人だとしたら、柴崎さんはユウキの会社の人を疑っていたはずだ。


この憶測がもし正しかったら…




私は再び河津署に連絡を入れた。


携帯電話に出ないユウキに取り次いでもらうため。


電話口に出たのは小宮刑事だった。

『任意とはいえ現在お話を伺っているところです。私事は自重頂きたいんですがねぇ』

明らかに怒っている口調だった。

どうしても急ぎの要件で、の一点張りでようやく繋いでもらえた。


『ミカ、心配かけてごめん』

ユウキの声はやや疲れていた。

離れて半日も経たないのに、声がとても懐かしく感じた。


「大丈夫?」と自分で聞いておいて悲しくなってしまったが、感傷に浸っている場合ではない。


「ユウキの会社の人が写っている写真、どこかにない?」早口で聞いた。



『机の上か、パソコン横の本棚のどっかに社員旅行の写真があるはずだけど』


何故と聞き返されるかと思ったが、意外にもすんなり教えてくれた。



「わかったありがとう。それから…くれぐれも気をつけてね!」


『もう今日は帰れそうだから大丈夫だよ』


名残惜しかったが電話は直ぐに切った。

あの様子だと不審者の来訪については聞かされていないのかもしれない。彼がどうにも出来ない状況で、心配をかける必要はないだろう。



彼の帰りを待ってからでも良かっただろうが、何かに急かされるように写真を探した。


本棚も部屋同然に雑然としている。


車、映画…仕事関係の雑誌は一冊くらいしかない。

上段から探していくと、雑誌と雑誌の隙間から白い封筒が出てきた。



封筒の中身は写真の束。

1枚目はスーツを着た男女の集合写真。

恐らく社員旅行の写真だ。全員写っていそうだが小さすぎて顔の確認は難しい。



写真の束を捲っていくと一枚の写真に目が止まった。

「あっ」

思わず声が出る。



彼と【体格の良い男】が肩を組んでいる2ショット写真。


柴崎さんの映像が蘇って恐怖を感じた。


間違いない、この人だ。

随分親しそうに見える。



顔は解ったけれど、名前までは理解らない。

逸る気持ちが優って何も考えずにユウキの携帯に着信を入れた。



やはり出ない。


冷静に考えると、電話で話せるような内容ではない。

私の推測は体質在ってのものに過ぎないのだ。

体質を隠していたからこそ、この写真への到達まで遅れてしまっていたのだから。



結果論ではあるが、やはり早々に打ち明けるべきだったのかもしれない。



私は河津署に彼を迎えに行くことにした。


レインブーツを片足履いたとき、携帯が鳴った。


ユウキの携帯からだ。

「ユウキ?」

慌てて電話をとる。


しかし、聞こえてきたのは彼の声ではなかった。



聞いたことのない不気味で電子的な声。




『余計ナコトハシナクテイインダヨ、狼少年』





思わず携帯を投げ落とした。


耳に残る、不気味で無機質な声。


携帯を拾い上げると、すでに電話は切れていた。


着信履歴を見ると間違いなくユウキの携帯からだ。



悪ふざけでも彼はこんな事はしない。

ユウキじゃない、今のは誰?

…ユウキは…?



完全にパニック状態だった。

取り調べはもう終わっていたのだろうか。

あの声の主はどうしてユウキの携帯を持っているのか。


嫌な予感しか無い。


しばらく放心した後、とにかく河津署に連絡を入れようと思った瞬間、

再度着信があった。


未登録番号からだった。



恐る恐る通話ボタンを押す。

『河津署の小宮です』

刑事の声はいつもより重々しく感じた。

『落ち着いて聞いてください、高嶺さんが歩道橋の階段から落ちて搬送されました。親御さんにはこちらから連絡します。搬送された病院は…』



途中から一切の音が耳に入らなくなっていた。


『病院は……聞こえていますか?』


我に帰って、駅前からタクシーに乗り搬送先の市立病院へ向かった。


-----『余計ナコトハシナクテイインダヨ狼少年』----



頭で反芻する声に、恐怖よりも怒りが湧いてくる。


間違いない、ユウキは声の主に故意に突き落とされたのだ。


そして、恐らく脅迫紛いのことをしてきたのは【写真の男】。


---『狼少年』----



どうして私が狼少年…?

確かにそう感じている真っ最中だけれど。


でもそれは私の体質のせいで…

「あっ」

ユウキの部屋で自分が呟いたことを思い出した。


盗聴されていたのだろうか。

だとすると、電話で話した他のことも筒抜けの可能性がある。



やはり、犯人は予めこの件にユウキを巻き込むつもりだったのだろう。



盗聴しているはずなのに、私が室内に居た事には気づかなかったのだろうか。

それともわざと恐怖を煽るために来たのか…。



今もどこかで監視しているのではないか…

嫌な汗が出たが、恐怖に屈すれば犯人の思う壺だと思い直した。



部屋から持ち出した男の写真を見つめる。


犯人は携帯電話から私の名前も既に知っているだろう。




病院には、既に小宮刑事が居た。

目もくれず看護師に案内されながら病室の引き戸を開ける。


「ユウキ…」


ベッドの上には呼吸器をつけた彼が眠っていた。

頭に包帯が巻かれ布団から出た右腕はギプスで固定されている。



命に別状は無い、ということでひとまず安心したのだが意識が回復するには少し時間がかかるかもしれない、との事だった。



ベッド横の椅子に腰掛け、彼の右手を両手で包むように握る。

頭の中は、彼の事、事件の事で混乱していた。

暖か過ぎる空調で、握った手は汗ばんでいた。



いつの間にか背後に小宮刑事が立っている。


「ご自宅までお送りする予定でしたが、断られたもので…すみませんでした」

声だけでも心から謝罪している、という気持ちが伝わった。


私は眠っている彼から目を離さず、背中越しで聞いていた。

仕方が無いです、とはとても言えない。



一言が精一杯だった。「早く犯人を捕まえて下さい」


「はい?」


「彼の携帯から私宛に、加工された声で脅迫まがいの電話がありました。彼は、犯人に突き落とされたんです!」



「きっと犯人は彼の会社の、この男です。」

小宮刑事の方へ向き直り、鞄から出した写真を差し出す。



刑事は黙って聞いていたが、【男】の写真には数秒間目を落とすだけだった。


「根拠は、あるんですか?」



「根拠は……言えないけれどあります」



小宮刑事の表情が一瞬険しくなったようだ。


しばらく沈黙が続いたが、刑事が口を開いた。

「確かに、只の事故で済ませるには引っかかるものがあります。早急な調査の必要がありますし、病室には警護をつけます…しかし」



言葉を選ぶように、刑事は続けた。

「誰かを犯人だと特定するには、それなりの確信ある根拠を持たなくてはいけない。解りますか。」



責めるわけではないが、窘めているのだと察した。



刑事の言葉に何の反論もない。私の推測に“それなりの根拠がある”とは説明も証明できない。


「はい」


「我々は高嶺さんが犯人だと疑っているわけではないのです。し彼は、事件と何かしらの関わりがある可能性が高いと判断しました。真相究明のためには多くの情報が必要です。パトロールに向かわせた署員からマンション付近で不審者の報告はあがっていませんが、貴方もくれぐれも気をつけて頂きたい」



私は勘違いしていたのかもしれない。

てっきりユウキが犯人扱いされているものだと思っていた。

小宮刑事は通報後速やかにパトロール要請をしてくれていたのだ。


これまで刑事に対しての信用を持ち合わせていなかった事に申し訳なさを感じる。



けれど、あの男が捜査線上に浮かぶのは、いつになるのか。

知っているのに伝えられない事がもどかしい。



ユウキの方に視線を戻そうとした時、病室の引き戸が開き、50代くらいの女性が入ってきた。





私の隣、彼の枕元に近寄って女性が慌てた表情で声をかける。



「ユウ!」



女性の横顔は、どことなく彼に似ていた。



「ユウキ…さんのお母様ですか?」



女性がハッとしたようにこちらに向き直った。

目が合った瞬間見えたのは、庭の草取りをしている映像だった。


綺麗な目の色は彼と同じだ。



「貴女がミカさんね…取り乱してしまってごめんなさい」


女性の表情が和らいだ。


小宮刑事は改めて彼の母親にも謝罪と状況の説明を始めた。


彼女は、刑事と向き合って黙って聞いていたが、穏やかな口調で

「お気になさらないでください、この子なら大丈夫です」と応えた。


小宮刑事は頭を下げると、こちらにも会釈をして去っていった。




彼の母親とは初対面という感じがしなかった。


彼が幼少時代は大人しかった事。これまでの話など、面白おかしく話してくれた。

話しているうちに彼を案じて重かった心も軽くなっていくような気がした。



夜の10時半を回った頃だった。

「そろそろ帰るわね。ユウの事、これからも仲良くしてね」


わたしもそうしたい、けれど…



優しい彼女の微笑みに、思わず自分の抱えている秘密を打ち明けようかとも思った。


「私、彼に隠していることがあるんです」


彼女は少し驚いたようだったが、すぐに笑顔に戻って

「二人は大丈夫よ、貴女の目を見れば解るわ」

と応えて帰り支度を始めた。



内心打ち明けてしまいたかったので肩透かしをくらった気分だ。

「大丈夫」は彼女の口癖だろうか。

そんな事を考えながら、病室から出ていく小柄な背中を見送った。





月曜日。



本来なら出社する時間帯だが、わたしは大事をとって一週間の有給をもらった。



目を覚まさないユウキの病室を後にして、スーツに着替えて彼の会社へ向かう。

出社時間に張り込みをする為だ。


ユウキは目を覚ますのだろうか。

朝には再び不安な気持ちが蘇っていた。


ユウキの会社はオフィス街にある。マジックミラー貼りの高層ビルで、大手メーカーや何社もの企業が入っている。



コンビニエンスストアでアンパンとミルクティーを買った。

気を引き締める為。


会社はビルの中階程にある。出入りはICカードで認証管理されるようだ。さすがに部外者がフロアに入り込む訳にはいかない。


ビルのエントランス付近に立ち、準備は万端のはずだった。


しかし通勤してくる社員は多過ぎて、一人一人確認するのは困難だ。



それでも、とにかく見逃さないように必死だった。


時折こちらを一瞥する人がいるが、傍からみたら不審者はわたしの方だ。




人の波が無くなり腕時計を見ると、9時半前。

気がつけばチラホラと入っていく人すらも居なくなった。


犯人は出社していないのだろうか。見逃したのか…時間帯が違うのか、出入り口が他にもあったのか…。



正味3時間程ではあったが、体は冷えヒールを履いた足は少し浮腫んでいた。



ビルのエントランス前は、ちょっとした広場になっており、休憩所としても使われているのだろう。

寒空の下、見つけたウッドベンチに腰をかけた。



アンパンに齧り付き、ミルクティーを飲む。




ミルクティーの缶を見つめて、ユウキが寒空の下買ってくれた事を思い出した。



そういえば、ユウキは飲み物を買って戻ってくるのが遅かった。

あの時自販機では販売中だった。補充が前後したとしても、コンビニだって近いのに。



考えていると、既に見慣れた黒いコートの男が近寄ってきた。

「何をしてるんですか…」


「はぁ」

何となく気まずくて間抜けな声が出る。



小宮刑事は不快感を顕にした。

「アンパンなんか食べて…ふざけるのもいい加減にしてください!大体…」



「ふざけてません!」

小宮刑事を睨みつけて、言葉を遮った。



その目から見えた映像は益々わたしを不快にさせる。

「刑事さんだって、呑気に銭湯行ってる場合じゃないでしょうが!」



驚いた刑事の顔をもう一度睨みつけて足早に立ち去る。


意気込んで張り込んだものの、不甲斐なさに八つ当たりが入ってしまった。



しかし、小宮刑事にあの場で遭遇したということは会社にも調査が入るのだろう。ユウキの身辺だけではなく、社内の人も隈なく調べてくれると良いのだが。

そしてあの男を早く捕まえて欲しい。



そして、私も【それなりの根拠】を早く得たいと改めて思った。




花屋に立ち寄ってお見舞い用の花束を買った。

花にも詳しくないが、なるべく明るくて華やかな色合いの花束になるように店員さんに見繕ってもらった。


電車とタクシーを乗り継いで市立病院へ向かう。



病院に着く頃には、お昼を回っていた。



ナースステーションで花束を渡し病室を訪ねると、相変わらずユウキは眠ったままのようだ。



ユウキの所持品は枕元の棚に入れてあった。

「携帯…見るね、ごめん」



鞄の中には2台とも携帯が入っていた。

社用携帯は画面ロックがかかっていて見られない。

ロックを解除できても、闇雲に連絡する事はユウキにとっても迷惑な話だろう。



それに、写真の男とは親しそうだったし個人携帯の方に連絡先が入っている可能性もある。


携帯の電話帳を確認しようとした時



「勝手に見ないで…」



ユウキは天井を向いたまま目を閉じていたが、口元が笑っている。



「起きたの?!良かった!!」

思わず彼にしがみついた。


「痛たたた!」

酷く痛がられたので、すぐに体を離す。



彼は首をこちらにむけ、久しぶりに目を合わせた。



ほっとした瞬間、また映像。

場所はどうやら、歩道橋の階段を上がっていくところのようだ。

個人携帯の画面を操作する。名前は…【橘主任】


これって…





映像はここまでだった。



「…ミカ?」

彼に呼ばれて我に還った。



聞かなくてはいけない。

「橘主任って、誰?」


「…会社の先輩だよ」


「それって、この人?」

【男】の写真を見せた。



「そう」

ユウキの返答はあっさりしていた。



「なんで事情聴取の帰りに電話したの?」



ユウキは一瞬黙っていたが、伏し目がちに答えた。

「ちょっと、会って確認したいことがあって。でももう必要はないみたい。ミカのおかげ。」



返答の意味が理解できなかった。



それよりも…


わたしが【彼が橘主任に電話したことを知っている】という不可思議さを追求しないのはなぜ???





わたしは混乱した。



沈黙が続く。




彼が上半身を起こした。

擦れたシーツの音がやけに響いて聞こえる。




沈黙を破ったのは、花瓶に活けた花を持って来た看護師さんだった。


「高嶺さん!目を覚まされたんですね!先生を呼んできます!」


明るいハキハキとした声だった。



「お母さんにも…連絡入れた方が良いんじゃないかな」

敢えて平凡な言葉を選んで言った。



「そうだね」



電話をしている間、病室を出た。

とりあえず…わたしも小宮刑事に電話をしよう。



念の為に警護もつけてくれた訳だし、目を覚ました報告も早めに入れておこう。

それに…わたしの体質をきっぱり否定する人となんだか話したい。

それが【普通】なんだ。



未登録のままの小宮刑事に電話をした。

彼もユウキの意識が戻ったことで安心したようだった。

『先程は、言い過ぎてしまいすみませんでした』

思いもよらぬ言葉だ。

『いろんな可能性を考慮して捜査を勧めます。それではお大事に』



いろんな可能性か。

ユウキを殺人犯と決めつけることはしていないようだった。



病室に戻ると、ユウキが話しかけてきた。

「ミカも危ない目に合わせる所だった、ごめん」


(危ない目…突き落としたあとの脅迫電話のこと?盗聴のこと?)


ということはもしかして

「ユウキさ、殺人犯が誰か気づいてたんじゃないの?」



彼はまた伏し目がちになって小さく頷いた。


だったらなんで…



「でも根拠がなかったんだ。突き落とされた時も、顔は見てない。」



根拠、か。

わたしがここ2、3日で重ねて聞かされた言葉だ。



返答に迷っていると、担当医と看護師が入ってきた。



「お加減良さそうですね」

わたしから見ると彼の表情は明らかに暗いのだが、医師はそう話しかける。



「大変でしたね。落ち着かれましたか。」



医師は彼の怪我の状態について説明を始めた。

数カ所の骨折と打撲。全治3ヶ月。

脳検査は明日行うそうだ。



改めて聞くと、彼の怪我は酷い。

でも助かって良かった、心からそう思った。



医師たちが去ると、再び二人きりになった。



携帯を操作する彼の方に向き直り、気まずいが彼のベッドの横に腰掛けた。

(今は彼を労って、明日また張り込みでもしようかな)



「ミカ」


彼は携帯を操作しながら言った。

「もう危ないことはしなくて良いんだよ。俺がちゃんと話すから」



言葉の意味が解らないうちに、彼は携帯電話をかけ始める。



「小宮刑事…高嶺です。歩道橋で僕を突き落としたのは、会社の上司の【橘】です」





え?



電話を切った彼は無表情だった。私の方を見ようとはしない。



「ユウキ、突き落とされた時、顔見てないって言ってたよね…?」



彼の言葉を思い出す。

根拠がないから、彼は犯人に気がつきつつも警察には言わなかったわけで…



「顔は見てないけど根拠はあるから。殺人事件に関連すると解ったら自宅捜査入るだろうし物的な証拠も何か出てくるんじゃないかな。

……入社した時から良くしてくれた先輩だったんだけどね」



彼の言うことは理解できるが、わたしが聞きたいのはそこではない。



「根拠って…」


「ミカだよ」



益々頭が混乱する。

わたしが根拠…?



「ミカに黙ってたことがある。…俺も、解るんだ」



解ると言われても益々こっちは解らない。



「ずっと言えなかったんだ。ミカみたいに見えるわけじゃないけれど、相手の目を見ると考えている事が解るんだよ」



彼の言葉は正直信じられなかった。

ただ、わたし自身の体質を考えると可能性は否定できない。

むしろ高度な読心術と考えれば、もっとリアルな気もする。



突然の告白で考えがまとまらない。



思い返すと、彼は人の気持ちを察するのが上手い。

言葉に出さなくても会話が成り立つこともあった気がする。特にこの数日は。



「だから、ミカに見えるものがどういうものなのか、大体は知ってた。」



何と言えばいいのか解らない。

肩の力が抜けたような、モヤモヤするような。



彼の体質も幼少期からのものだそうだ。


私と違うのは中学に上がる頃には、相手の目を見ても自分の知りたいという意思さえなければ解らないように調節できるようになったという事。



彼は喫茶店で柴崎さんと会っていた時、彼女の目から橘さんがストーカーではないかと疑っていることを察したそうだ。


彼女の憶測に過ぎない為、週明けに対面して確かめようとは思っていたらしい。

しかし、事件が起きてしまい映像を見たわたしから、【体格の良い男】という情報を知り、まさかと思って橘さんに連絡を入れたようだった。


それが飲み物を買い出しに行った時のこと。


なかなか連絡がつかなかったようで、事情聴取の帰りに再度連絡を入れたところ、歩道橋での事件が起こった。



目が覚めて私が橘さんの写真を見せた時に確信したそうだ。



そして、脅迫電話がかかってきた事と彼の橘主任への発信履歴が消されていたことで、突き落としたのも彼だと考えたらしい。


事件に関するモヤモヤは、彼の言葉で大方晴れていた。




しかしこの気まずさはなんだろう。

「私もなかなか話せなくて、ごめん」



わたしは幾度となく彼の過去を見てきた。彼は考えている事を敢えて聞かないようにすることもできると言ったけれど…



彼は私の考えを、顔色をうかがうようにして付き合ってきたのではないか。

一瞬そんな考えが過ぎった。



この事件が無かったら、お互いに秘密を抱えたまま付き合っていくことになっていたのだろうか。





「ミカが謝ることは何もないよ。俺たちはただ、こういう…体質なだけで。でもこの事件があってから、ミカの心を覗いて利用してた。ごめん。」



誰にでも隠し事の一つや二つある。



私の体質を知っても彼は付き合いを辞めるという選択はしなかった。


心の中を見られていたとしてもわたしは、これまで私が【目で】見てきた彼の事が好きだ。

それに、心を見られて困る付き合い方なんてしたくない。


ユウキと目を合わせた。



「そういえば、付き合い始めた頃は眼鏡だったよね」


「あぁ、それは…」



彼が答えようとした時に、先程の看護師が入ってきた。

「高嶺さん!犯人捕まったみたいですよ!!」



急いで備え付けのテレビをつけると、

警察署に連行されていく橘氏の姿が映っていた。



テロップによると、容疑は「ストーカー行為と殺人」及び「殺人未遂」。

家宅捜査の結果、血液反応も出たらしい。

犯行を偽造するなど計画的な犯行で、諸罪にも問われそうだ。




ユウキの証言から、事件は急速に解決に向かった。



どっと力が抜ける。



「俺が主任を止められたら良かったのに」

ユウキが呟いた。



いや、違う。

彼は意図的に巻き込まれただけだ。



「柴崎さんの心の憶測だけでストーカーかも、なんて言えないじゃん。ユウキの部屋には盗聴器が仕掛けてあったんだし…それに公園での悲鳴も、やっぱり録音か何かで偽造してたんだよ。最初からユウキを巻き込むために。」



自責の念を感じさせないよう、推測も交えて話した。


「私だってそうだよ。隠していたせいでユウキがこんな目にあって…もっと早く話せばよかった」



ユウキが顔を上げた。

「本当は、柴崎さんにあった日さ…」



携帯電話が鳴る。

未登録番号、小宮刑事からだった。

『度々、どうも』

「どうも…こんなに早く犯人を捕まえてくださったみたいで、ありがとうございました」


『いえ…高嶺さんが犯人に狙われいたとなると、お二人とも危険な状態でしたので。色々な可能性から捜査し、確かな証拠を見つけ検挙に至りました。ご協力ありがとうございました』


小宮刑事からの電話は、言い切るようにして切られてしまった。



協力……?

ありがとうございました…?

初めて言われた気がする。

不思議な気分だ。



ユウキの方に向き直る。


「それで…なんだっけ」

ユウキは何か言いかけていたような気がする。



「いや、もういいんだ。」

ユウキは微笑んでいる。



事件の解決とともに、わたしたちの関係も新しく変わりそうな気がする。

後ろめたい気持ちも全くない。



窓辺に近寄って病室から夕陽を眺める。

そのうち逆プロポーズでもしようかな…と考えていると


「俺が退院したらさ、ウチに引っ越さない?毎日味噌汁作るから」



早速心の中を見られたか、と

わたしは振り返りながら思わず吹き出してしまう。



これからはもっと長いこと見るであろう、綺麗な瞳を見つめる。





ユウキが嬉しそうに笑った。

読んで頂き本当にありがとうございました。


読み苦しい所も多々あったかと思います。


【彼】の秘密がわかった上でもう一度読み返していただくと嬉しいです。

ジャンル分けが微妙な話ですが、最後は恋人同士の以心伝心オチなので恋愛?かもしれないです。


私はほとんど毎日夢を見るのですが、この話は高校生の頃に見た夢を軸に作りました。


私が夢から受けた印象そのままに、言葉で伝達することは難しく、「こんな夢見ました」と只聞かされる側は詰まらないだろうとは思います。


ざっくりと内容を話しているうちに、こちらも段々「仕様もない夢だったなぁ」という気になってくるのですが

夢を見ている時は、臨場感に溢れていて怖い、とか面白い、と大真面目に感じていたはずなので、それがちょっとでも伝わると良いなぁと思いました。

※ちなみに夢の中では脅迫電話が掛かってくる所が一番怖かったです。当時何か後ろめたいことでもあったのか、謎です。


文字にしてもどこまで伝わるか解らないのですが

…映像を文字にするのって難しいですね(^_^;)




現在本筋以外の部分を推敲中なので、アドバイスや御指摘ありましたら是非お願いいたします。

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