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第61話 女中頭マーサ

「マコト、馬車を停めて」


 ソフィが御者側の小窓を空けると乾いた冬の冷気が流れ込んできた。

 馬車の手綱を取っているマコトちゃんが窓越しに頷く。

 馬が歩みを緩めるのに合わせて俺も荷台を浮かせ続けていた魔力を少しずつ絞る。

 振動を起こさないように慎重に下ろした。


「どう?アリス」


「あんまり良くない。何処か暖かい場所でしっかり休ませないと・・・、できれば腕の良い薬師に看て貰えれば良いんだけれど・・・」


 馬車の中には俺とソフィとアリス、そしてアリスの膝の上に頭を乗せて横になっているラビニア領ミーア男爵。

 ラビニアの街でミーアさんを救い出した俺達は北へ進路を取った。


 シグナス達に乱暴はされていなかったが、長い虜囚生活と心労でミーアさんの体は痩せ細っていた。

 馬車の窓からラビニアの街並が見える辺りまでは気丈に振る舞っていたが、景色が農村地帯に移り農場もまばらになるほど離れると、糸が切れるように崩れ落ちた。

 俺も最大限に集中し馬車が揺れないように魔力で馬車を浮かせ続けたが、それでも地面の起伏に合わせて浮き沈みする。

 食事がのどを通らない。

 本人も食べなければ体調は回復しないし、これからの為にも食べなくてはならないと思っている。

 思ってはいるが、胃が受け付けず食べた端から吐いてしまう。

 よって、干した果物を湯で戻して溶いたものを小さじ一杯程度に時間をおいて小分けにして食べさせるしかなかった。


 肌は病的に青白く乾燥して張りが無い。

 素人目にも暖かい部屋と食べ物が必要だと分かった。

 マラガの聖女とも呼ばれるアリスの回復魔法も効き目が無かった。

 そもそも、一般的に回復魔法と呼ばれるものは、外科的な治療法らしい。

 アリスの説明によれば、切り傷など体の外側にあって損傷具合が分かり易いものほど、治療効果があるそうだ。

 それが内側になると、魔力で損傷部分を探ってそこに回復魔法を流し込むそうだが、奥へ行くほど、薄く広がるほど難しくなるらしい。

 疲労や慢性的な虚弱、多臓器疾患など、生命力の枯渇を魔力で埋める事は出来ないそうだ。

 ふと思い出すと、薔薇組のユカリも傷が治った後は、寝て体力を回復するしかなかった。

 そこで薬師と呼ばれる職業が登場する。

 薬草や木の実、乾物に詳しく、それらを魔力と一緒に調合して患者の容態に合わせた完全オーダーメイドの滋養強壮剤を作る。

 異世界版の漢方の調合師のようなものだろう。

 つまり、回復師は外科で薬師は内科という事である。


「カズヤ・・・」


「薬師はともかく、どこか休める場所を探そうか。まだ追手は見えないけれど、ひとまず街道からは離れよう」


 騎乗して先行するエリカ達を呼び戻し、わき道に逸れた。

 空き地へ馬車を乗り入れ、焚き火を起こす。

 揺れる火を見ながら悩む。

 困った。

 想像以上にお嬢様の健康状態が悪い。

 俺はいっその事、馬の代わりにシリウスに荷台を高速で引かせて勝ち逃げしようかと思っていたのだが、そう上手くはいかなかなかった。

 魔力で荷台を浮かせても、道に従って曲がれば遠心力で大きく振られるし、馬車の中に隙間風では済まない量の冷えた風が流れ込んでくる。


「カズヤ、火を焚いて大丈夫かな?見つかり易くならない?」


 馬を立ち木に繋ぎ終えたエリカが近づいてきた。


「もちろんそうだけれども、仕方がないよ。ミーアさんにも俺達にも火が必要だ。ソフィ、ミーアさんは?」


 馬車の中から降りてきたソフィに尋ねる。


「今は寝てるわ。しばらくそっとしておきましょう。どうする?」


「正直、迷っている。考えがまとまらない。何処か山奥の樵小屋か猟師小屋があれば一番良いんだろうけど、土地勘の無い俺達があても無く冬山をさまよっても都合良く見つからないだろうし・・・。木の葉を隠すなら森の中って言うし、あえて人の多いどこかの街に入って堂々と宿を取ったほうが良いのかもしれないし・・・」


「カズヤも少し休んだほうが良さそうね」


「俺達みんなそうさ、ちょっと忙しかったからな。でも、今はもうちょっと頑張らなくちゃだな。ソフィ、一番近い町ってどこかな?」


「町と呼べるほどのものはこの近くに無いわね。せいぜい街道沿いに村があるくらいかしら。このまま街道裏を進めば、小さな集落が見つかるかもしれないけれど、そこまで私もこの辺に詳しくないし・・・」


「そうか・・・、シグナス達にどのくらい差を開けられたかな?」


「多くて三日、最短なら一日くらいでしょうね」


「そんなもんか・・・。やっぱり、どさくさに紛れて殺しておけば良かったかな・・・。それなら殺ったのは俺達じゃなく領民の反乱のせいにできたし・・・。それでも、本領に知らせが入れば追手はかかるだろうし・・・。生かしておいたほうが、何かに使えるか・・・」


「カズヤ、ちょっと休んだら?考えが乱暴になってるわよ」


 ソフィが両手で俺の顔を挟んで見つめてくる。


「そうかな」


「そうよ、殺すだの生かすだのなんて・・・、まだ気持ちが引っ張られているんじゃないの?」


「そんなつもりは無いケド、そう見えるのかな・・・、サナエさん!」


「はい」


「悪いけど、馬でひとっ走りして一番近い村に行ってくれないか。そこで野鴨や野兎なんかの獣肉を扱ってる人がいないか探して欲しい。もし居るなら、普段使っている狩場の近くに休憩小屋か何かが有るはずだ。冬季の間使ってないなら、場所を聞き出して・・・」


「あの・・・」


「ミーア、起きて大丈夫なの?」


 振り返るとミーアさんがアリスに支えられながら馬車を下りてきた。

 腰まで届く長いストレートの金髪。

 健康を取り戻せば顎の線がすっきりした美人タイプだろう。

 背丈は百六十センチ程度でアリスと同じくらい。

 年齢も確か十六歳と聞いたので、やはりアリスと同じくらい。

 十六歳か・・・。

 元の世界なら高校一年生、放課後の教室で友達とポッキー齧りながら笑っている頃か・・・。

 それが領主様で、貴族様で、金鉱をめぐるイザコザに巻き込まれて死にそうになってるんだもんなあ。


「うん、火にあたりながら何か食べたほうがいいし、気分転換にもなるから」


 ミーアさんを火の傍に座らせながらアリスが答える。


「はい、ご心配かけてすいません。少しは良くなりましたので」


 そう言いながらも、よろめくミーアの体をアリスが受け止める。

 まだ足元が覚束ないが、カラ元気を装える分だけマシにはなったようだ。


「それよりも今の話ですが、街道に戻ってもうしばらく馬を進めた先に街道から逸れて山あいに入って行く道があります。その先のかなり奥深い場所に山から切り出した木材で家具などを作っている小さな集落があります。以前、館の女中頭として働いていた女性が暇を取って戻った実家がそこにあると聞いています。事情を話せば匿っていただけるのではないでしょうか」


 ソフィをちらりと伺うと頷いている。

 他の皆も異存はないようだ。


「よし、そこへ行ってみようか」


 休憩もそこそこに再び馬車を走らせる。

 村を一つ通り過ぎ、空を飛ぶ雁の群れ追いかけながら道を進む。

 相変わらずの曇り空だが、まだ雪は降って来ない。

 その代り、馬車の隙間から忍び込む風の冷たさが身体の芯に染みる。

 街道を逸れて深い森の中へ入る。

 葉の落ちた広葉樹に両脇を挟まれた馬車一台がギリギリ通れる森の小道。

 森に木霊する規則的な蹄鉄の音が眠りに誘うが、狙い澄ましたかの様に、横から張り出した小枝が荷台を擦って立てる甲高い音に引き戻される。

 深い谷底を流れる渓流の上に掛けられた橋を渡る。

 やがて陽の光が樹木に遮られ、影が地面を塗りつぶすようになった頃、森を切り開いて作った小さな集落に辿り着いた。













「おめぇ達、誰だ?何しに来た?こんな小さな村、何にもねえど」


 説明する間もなく、物騒なブツを手に持った男達が家から飛び出して来て囲まれた。

 剣、斧、鉈は分かるが、異臭を放つ桶と柄杓・・・。

 桶の中にはいったいナニが?


「落ち着きなさい。あなた達を襲いに来たんじゃないわ。以前、領主館で働いていたマーサという女性はいる?」


「マーサ?マーサに何の用だ?」


 突如集落に現れた美人エルフの堂々とした態度に怯むが、まだ警戒心は解けない。

 それはそれとして、茶色い液体がピチャピチャ音を立てるやっかいな桶は下に置こうぜ。

 比較的、俺の近くにいるのだ。


「ラビニアのミーアです。マーサ、女中頭のマーサはいませんか?」


 馬車から降りてきたミーアさんが前に出て叫ぶ。


「お嬢様、ミーアお嬢様!」


 男達が作る円の外側からエプロン姿のおばさんが飛び出して来た。


「ああ、マーサ!」


「お嬢様、いったいどうしてこんな所に・・・」


 倒れるように腕の中へ飛び込んできたミーアさんを抱きとめる。


「突然ごめんなさい。マーサにお願いがあって・・・」


「邪魔して悪いけど積もる話は後にして、何処か暖かい場所を貸してもらえないかしら?ミーアを休ませたいの」


 話が長くなりそうな二人の間にソフィが割って入る。


「あ、ああ・・・。それじゃあ、わたすの家に、さあ、どうぞ、こっちへ」


 荒事ではないと分かり、男達がほっとした表情で警戒の輪を広げる。

 桶を持った男が一歩下がった際に、液体が波打って俺の足元に落ちてきたが、脊髄反射で避けることができた。

 ふざけんな、無頓着すぎるぞ。









「はあ、そうだったんですか、そんな事が・・・。いえね、こんな山奥でしょ、御領地にタチの良くねぇのが入って来て、街が荒れてるとか、戦争になるかも知れねぇだとか、そんな噂が流れて来るばっかりで・・・。いつも出来上がった家具を買い取りに来てくれる商人も姿を見せなくなって、みんな不安に思っていたんですよ。そしたら、馬に乗った強そうな人達が村に入って来るじゃありませんか。まさか、こんな小さな村まで襲いに来たのかと思って・・・」


「突然やって来て驚かせてしまったのは謝るわ。他に頼れそうな所がなかったの。それで、しばらくミーアを休ませてあげたいんだけど、どうかしら?」


 ミーアさんを奥の部屋で寝かせ、元女官長のマーサさんの家の中でこれまでの経緯を説明する。

 村の男達も暇なのか下界の噂話に飢えているのか、そのままゾロゾロ付いて来て鮨詰めの部屋の中でソフィの話を聞いている。


「もちろんです。うちでえぇならばいつまでも使ってください。ソフィア様の事は覚えております。お嬢様がまだ小さい頃、館に来てなさったね。すぐに気づかないで失礼しました。それにしても、私がお暇を貰ってから幾らも経たねぇのに、こんなに痩せてしまって・・・」


「それから、近隣の村に薬師はいないかしら?ミーアを看て貰いたいんだけれど」


「薬師様ですか、聞いた事はないですねぇ、なにせ、こんな田舎だから、たまーに教会の回復師の方が廻って来てくれるだけで・・・」


「そう・・・、仕方ないわね。ともかく休める場所が見つかって良かったわ」


 ソフィが金髪をかき上げて首を逸らすと、男達から感嘆の声が上がる。

 ソフィを囲む輪がだんだん小さくなってるから離れろ。


「でもミーアさまに栄養つけてもらわねば・・・」


 街のゴシップをねだる男達の声の中、元女中頭のマーサは何かを呟きながら家の奥へと引っ込んで行った。


「あのぅ、わしらに出来る事あっかね?ミーア様の為なら何でもするじ。追手が来るなら谷の橋を落としちまえばいいじ」


 山の男は極端だな。

 自分でたった一本しかない集落に通じる橋をぶっ壊すとか言い始めるし。


「いやいや、そこまでやらなくてもいいから。第一そんな事したらおじさん達が村から出られなくなるでしょ。もし誰か来てミーアさんの事を聞かれたら、山の奥に入って行った妙な連中がいた、とか適当に嘘ついてくれるだけで良いから」


 顔を見合わせて頷きながら腰を上げようとしたので慌てて止めた。


「だけど、わし達もミーア様になんぞしてあげたいのう。来た連中を皆殺しにしてはいかんかね?死体は山の中に埋めちまえばいいじ」


 ミーア様の為なのか、それとも普段からこんなんなのか、生かす殺す以外に選択肢を持っていないのか。


「ダメダメ、斧はしまって、それからその桶を家の中に持ち込まないでくれよ。殺して良いならとっくにやってるから。それよりここへ来るまでの馬の足跡とか消してごまかしたいから、そっちを手伝ってくれ」


 斧と桶を片手に外に飛び出そうとするおじさん達をなんとかなだめている所に。


「鍋だ!」


「は?」


 後ろから突然聞こえてきた脈絡のない言葉に、口を大きく開けて素で聞き返した。


「マーサ、いきなりナニを言っておる。それに、そのカッコは何だ?」


 弓と矢筒を背負い、左手に斧、右手に鉈をもった完全武装のマーサが戸口に立っていた。

 こういう格好どっかで見た事あるなあ・・・、何処だっけ?


「もみじ鍋だ。いつも木の若芽を食っちまう鹿達が裏山に来てる。いい加減腹に据えかねていたところだ。わたすがそいつら取っ捕まえて旨いもみじ鍋こさえてやる!」


 ああ、おばさんが頭に巻いている布を見て思い出した。

 須田ローンが激怒のアフ頑でしてたカッコと同じだ。

 まさに一人だけの軍隊、鼻息の荒さはシルベ巣太を越えている。


「マーサ、それでそのカッコしてきたんか。だども、手におえんヤツが混じっとるだろ。ほら、あの角のでっかいヤツが」


「いつまでも、そげな事言うて放ったらかしとるから、あいつら調子にのるんだ」


「ケガするから、やめぇ言うてるじ。まったく・・・」


「だらしねぇ事ばっかり、わたす一人だけで行ってくる」


 男達が揃って諌めるも、まったく言う事を聞かない。


「いや、おばさんちょっと待って、見てのとおり胃が弱ってるから、いきなりこってりした鹿鍋は・・・」


「そんなこた分かっとる。汁だ!鹿のモツも肉も全部煮込んだとっておきの鍋汁だ!これでウチの爺さんも二度生き返らせただ・・・、ところで、おめぇ誰だ?ソフィアさんのお付きか?それともお嬢様の下男か?さっきから姿勢がだらけとるし、顔つきがスケベだ。お付きはお付きらしく後ろに控えて、もっとしゃきっとせねば」


「ぷっ」


 ソフィのお付きだとか下男だとか、そんな事は今更慣れっこだが、薔薇組女子四人が揃って吹き出すなよ。


「彼はカズヤ、私達のリーダー。ミーアを無事に助け出せたのは彼のおかげよ」


 いつもいつもフォローをありがとう、ソフィ。


「そ、そうでしたか、そりゃ失礼しました。しばらく田舎に引っ込んでた間に、随分世の中も変わったもんだ。こんなのが隊長さんだなんて」


 おい、おばはん、聞こえているぞ。


「こんなので悪かったな」


「そんならちょうど良い、おめぇも手伝え。さあ、行くじ!」


 やれやれ、年寄りは言い出したら引かないんだから・・・。















「ほら、ここ見ろ。角でこすった後がある」


 結局、元女中頭マーサの鹿狩りに付き合う事になってしまった。


「まだ新しいな」


 雪こそ積もっていないが、足場の悪い冬山を先頭に立ってグイグイ登って行く。

 元気なおばさんだ。

 いったい歳は幾つなんだろう?

 太ってもいないし、痩せても居ない。

 四十台?五十台には見えないな、まさか三十台って事はないだろう。

 動作がきびきびしていて威勢がいいので実年齢よりは若く見えていると思う。


「このでっかい鹿クソ、まだ温かかくて湯気が立ってる」


 全体的に沼色で、耳あての付いた厚手の帽子と屋外作業用コート。

 冬季軍装の露西亜兵に連行されているようだ。


「どわぁ!突いた枝をこっちに向けんなよ!」


 地面にこんもりしているブツを掻き回した枝をひょいと目の前に持ってくるので飛び退いた。


「ところで、おめぇさん、ほんとに男かね?ちゃんとついとるか?」


「わあっ!おばさん、やめてください!」


「ナニしてんだ、このクソババア!マコトちゃんのぞうさん、ナチュラルに握ってるんじゃねぇよ!」


 マーサに股間を鷲掴みにされたマコトちゃんが悶えている。

 身をよじりながら払い除けようとするが、その手は張り付いたようにビクともしない。


「そんなに怒るな。ちょっと確かめただけだ。どれ、おめぇのもみてやっから」


「あはぁっ!だから握るなっつてるだろうが!おほぉっ!揉むんじゃねぇ!」


 左手でマコトちゃんのお母さん象を握ったまま、右手で下からお稲荷さんごと包み込むように握ってきた。


「二人ともちゃんと食ってるか?男ならもっと筋肉つけねば」


「だから俺のチンコから手を放せ!ちょっと気持ちの良い触り方してんじゃねーよっ!」


 この、かなり、手慣れた感じがががが・・・。


「おめぇ、まさかミーアお嬢様にヘンなことしてねぇだろうな?」


「ババア、ソフィが言ってただろ、俺が助けたって!」


「目つきが気に入らん。卵を狙う蛇のように狡猾な目つきをしておる。今は痩せておられるが、健康に戻った時の肌の艶や張り、胸のふくらみを想像しなかったか?助けた褒美に御厚意以上のものを望んでんじゃねぇか?あ?」


「し・・・、しねぇって!他人の妄想、ねつ造してんじゃねぇぞ!」


「即答できなかったでねぇか、実は狙ってただろ。ゾロゾロと女の子ばっかり引き連れてるのに、まだ足りねぇだか?」


「あのなぁ、普通の男は可愛い女の子見りゃそのくらい自然に思うんだよ!それとな、わざわざ女子だけ選んで仲間にしたんじゃねーよ!うひぃ!手を放せ!」


「ほれみろ、やっぱりおめぇはスケベだ。信用できん。さっきからわたしの胸元をちらちら見とるし、年上のお姉さんもいけるクチか?」


「見てねーし!自分で年上のお姉さんとか言ってんなよ!ババアだろーがっ!」


「若ぇ頃、父ちゃんから馬小屋に連れ込まれて藁束の上に押し倒された時を思い出すわ。スカートが腰の上まで捲れあがって、大きな手が腿の内側から・・・」


「だから、やめろっつーの!想像しちまうじゃねーかっ!ふざけんな!巾着袋をもみもみするなっ!」


「しかたねぇ、お嬢様には手を出すな。その代り、わたすがおめぇの欲望のはけ口になってやっから」


「ヒトの話を聞けよ!」


「どうだ、この立派なおっぱい。うちの父ちゃん、谷間に顔を埋めるのが好きなんだぁ。ほれ、試しに揉んでみっか?」


「揉まねーし!自分家の夜の性活、赤裸々に語ってんじゃねーよ!」


「わたすの部屋の窓を開けといてやっから、夜になったら皆に気付かれねぇようにコッソリ来い。相手してやっから」


「誰が行くか!いい加減、俺のチンコから手を放せ!」


「そっちの女の子みてぇなのも来い。二人まとめて面倒みてやっから。うちの父ちゃんも歳とってごぶさただから楽しみだわ」


「行かねーっつってるだろ!俺のハナシを聞けーーーっ!」


「すごい、カズヤ君が押されっぱなしだ・・・」
















「ほれ、いたぞ。そーっと覗いてみろ」


 山の斜面に突き出た岩場の陰から下を見下ろす。

 谷底を流れる沢の浅瀬で鹿の群れが水を飲んでいる。


「おい、おばはん。あれホントに鹿か?」


 おそらく生物学的な分類はヘラ鹿だが、大きさと凶悪さがハンパない。

 G1レースの大型馬を軽く凌駕し、薄く大きく広がった角を含めると体高は三メートル近くある。

 角は前方に向かって急角度で迫り出しており、獲物を仕留めてきたばかりなのか生乾きの血糊がべったり張り付いている。

 口からは鋭く尖った牙がはみ出している。

 牙?鹿に牙ってあったか?

 共謀な野生の獣ってよりは、魔物じゃないか?

 この異世界の謎進化はワケワカラン。


「そんだ、この辺の山のヌシだ。周りにいる雌は全部あいつの嫁だ」


「二十匹以上のハーレムか。それにしてもゴツイ角だな」


「あの角で突っ込んでくるから手を焼いておっただ。腹にくらうと真っ二つだぞ。おめぇ、ソフィアさんが腕の良い冒険者だっつってたから期待しとるぞ。上手くいったら、今夜いろいろ気持ちええ事してやっから」


「だから、それは、いいっつーの!マコトちゃん、大きく迂回して向こう側の斜面に行ってくれ。俺が槍を投げ・・・」


「もう遅い。見つかっちまった」


「え?」


「来るじ!」


「どわあっ!」


 相当な距離があったはずなのに、俺達を見つけたヌシ鹿は逃げる事もせずにこちらへ駆けてきた。

 幾重にも重なる茂みと立木の間を縫うように、信じられない速度で迫ってくる。

 とっさに木の影に逃げ込んだが、盾代わりにした木が角の一振りで粉微塵に破壊された。

 枝分かれの少ない槍のような日本鹿の角とは違い、両手を前方に向かって大きく広げた範囲攻撃力の高そうな角。

 はく製にしてもあくが強すぎて、似合うのは機械伯爵の城の壁だけだろう。

 それが頭の上をギリギリで掠めていく。

 木片が集中豪雨のように降り注いだ。


「ババア!こいつやべーぞ!」


「んだ!コイツのせいで村の男達が何人もやられただ!わたすの父ちゃんも・・・」


「そうか、かたき討ちだな・・・」


「何を縁起の悪いこと言うとるか、まだピンピンしとるわい」


「クソババア!こういう状況で思わせぶりな事言うんじゃねーよ!」


 山の中を高速で走り、一撃離脱を繰り返すヌシ鹿。

 会敵時に一撃を試みるも、横に大きく広がった角に邪魔されて有効打にならないし、立木を利用しようとしても易々と粉砕される。


「マコトちゃん!」


「ダメ!木が邪魔で射線が通らない!」


「地の利が悪すぎる。下の沢に降りるぞ!」


 転げるように山を駆け下りる。

 突然現れた俺達に川の水を飲んでいた雌達が驚いて逃げ散って行った。

 水飛沫を上げ真正面から一直線に突っ込んで来るヌシ鹿狙って槍を投擲するが、一振りした頭の角に弾かれた。

 高台に陣取ったマコトちゃんの連射を不規則蛇行で避けたヌシ鹿が眼前に迫る。

 覚悟を決めて正面からぶつかり合う・・・、ワケないし。

 俺、そういうキャラじゃないから。

 下から突きあげる角を横っ飛びで躱し体を捻り、そのままの勢いでヤツの尻のど真ん中目がけて槍を投擲する。


「よっしゃ!」


 若干狙いが外れてど真ん中にクリティカルとはいかなかったが、足の付け根付近に刺さってヤツの速度が落ちた。

 足を引き摺りながらも執拗に突進からの一撃離脱を繰り返すヌシ鹿の攻撃を躱し、俺の槍とマコトちゃんの弓でダメージを与え続ける。

 いい感じにヌシ鹿が弱って来たので、槍から剣に持ち替えて接近戦に・・・。


「え?」


「嘘だろ?」


 そこには元女中頭のマーサが両手でヌシ鹿の角を掴み力で抑え込んでいた。

 元女中頭と巨大鹿が、がっぷり四つに組んで睨み合っているではありませんか。

 いくら体中から血を流しダウン寸前とは言ってもやはり山のヌシ。

 その目には生への執着がみなぎっていて、まだまだ油断できないのに・・・。


「観念せい!ミーアお嬢様の血と肉になるのだ!」


 この謎異世界の女中さんってのは特殊部隊出身なのかな。


「あは、あはは・・・」


 マコトちゃんは口元を引きつらせて笑っている。

 考える事を放棄したようだ。

 奥深い山を流れる川の中、超大型ヌシ鹿と元女中頭のおばさんが、押せば退く、退けば押し返すのガチンコ勝負。

 膝下に当たった水が白い波を立てる。


「ふんっ!」


 マーサおばさんが気合いを入れた瞬間、コートの第一と第二ボタンが吹っ飛んで胸元の白い肌が露わになった。

 たわわな双丘の間に刻まれた深い谷。

 二つのこんもりしたナニかがしっとりと汗ばんでほんのり桜色。

 俺の目が吸い寄せられて・・・。


「異世界で 山の谷間の 胸の谷。一句出来上がりました」


「カズヤ君、ナニ言ってるの?しっかりして!鼻からエクトプラズム的なナニかが漏れてるよ!戻して、戻して!」


 山の谷間で見る胸の谷間・・・。

 桃源郷に実る大振りの桃は瑞々しく、一口かじれば三千世界を一望しししし・・・。


「こりゃ、おめぇさん達、なにをボサっと見ておるだ!手伝わんか!」


「流れ落ちる汗が実り豊かな山を流れ落ち、渓流の如く腹をつたい全ての始まりたる下半身へとととと・・・、おべべべべ、ぼびびびび・・・」


「カズヤ君が壊れちゃった!自我に目覚めたロボットの禅門答のようなエンドレスループに!正気に戻ってよ!ああっ、どうしよう!?」


「しゃんと仕事せんと、夜のご褒美は無しだぞ!」


「いらーねーっつってるだろーがっ!」


「あ、復活した」


 いったい俺の身にナニが起こったのか?

 忘我の境地を彷徨っていたような気がする。

 全身を伝う冷や汗が思い出してはいけないナニかが在ったのだと物語る。


「カズヤ君、助けないと!」


「そういや、俺達、ヌシ鹿と戦っていたんだっけ・・・」


「しっかりしてよ!」


「しょーがねーなー」


 鹿の脇腹に剣を突き刺そうとして思い止まる。

 必要以上に内臓傷つけたらモツ鍋にできなくなるので、後ろに回り両足の付け根に刃を入れた。

 後ろ足の筋肉の筋を切られたヌシ鹿は力を失って横倒しに崩れ落ちる。

 立ち上がろうと水の流れの中しばらくもがき続けたが、切られた動脈から大量の血液が流れだし、やがてこと切れた。


「ようやった。このまま血抜きして解体するじ」


 マーサおばさんが斧と鉈を器用に使いヌシの巨体を切り裂いていく。

 川の水で血合いを落とし、あっという間に臓物を選り分けてしまった。

 田舎のオバサンのバイタリティーは底知れない。


「ああっ!カズヤ君、僕のお尻を撫でないでよ!」


「いや・・・、なんか、記憶の上書きをしておかなきゃいけないような気がして・・・」













「おいしい、ありがとう」


「無理せん程度にたんと召し上がってください。お嬢様の為にうんと煮込んでおりますから」


 ミーアさんはやっと安心できたようで俺達が鹿狩りから帰り夕食の準備が整うまでぐっすり眠っていた。

 まだフラフラしているが、顔色はずっと良くなった。

 貴族的な高慢ちきさは微塵も無く、鹿汁を一掬いして口に入れる毎に、にっこり微笑んでお礼を言う。

 すごいぞ、この優しい系お姫様感、ソフィとアリスがいなかったら、衝動的に跪いて騎士の誓いを立てていたに違いない。

 痩身の儚さと相まって、守ってあげたい女の子ナンバーワンだ。

 記憶の断絶があるような気がするが、苦労して狩ってきたかいがあった。


「カズヤ、村の人達に手伝ってもらって馬の足跡は消して来たわ。カズヤの言う通りできるだけ遠くの村に馬車を捨ててきちゃったけど、ホントに良かったの?」


 別働隊で仕事を頼んでおいたエリカが隣に座ってきた。


「うん、あの馬車は目立ち過ぎるよ。なにしろ貴族様の家紋入りなんだから、見つかったら誤魔化しようがない。馬車は改めて調達するさ」


 馬車を用意してもらって文句を言うのもナンだが、逃走に使うんだから家宰のヒトももうちょっと考えてくれよ。


「上手くいくかな?」


「希望を言うなら一週間だけど、最低三日は稼ぎたいな」


「そうね。ところでこれ美味しいわね。体が温まるわ」


「うん、美味しいだけにやっぱり味噌が欲しくなるな。どうしても玉ねぎベースのシチューか、塩ベースのスープになっちゃうんだよな。美味しいけどさ」


「坊主、お嬢様の笑顔が見れてほっとしたじ、街での話も聞かせてもらった。おめぇさん、なかなかやるでねぇか」


 マーサおばさんが鍋を持ってお替りをよそいに来た。


「はじめっからそう言ってるだろうが」


「しゃんとお礼をせねばな。裏に回って一番左の窓だからな、間違えるでねぇぞ」


「ババア、しつけーぞ!思い出しちまったじゃねーか!」


「カズヤ、ナンの話?」


「うっ」


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