第60話 怠け者の羊
≪街外れ≫
バルト王国の北西部に位置するラビニア領。
季節は冬、建物の屋根の上に白い雪がうっすらと乗っている。
時折、北から吹く乾いた風が表面の雪を削るように吹き散らしている。
街の広場の一角では、旅の音楽団が聞き慣れない異国の曲を演奏している。
艶やかな音色と演奏者の容姿に魅かれて集まって来た見物客で賑わっている。
旅芸人と屋台、新年を祝う人々、年明けのバルト王国では当たり前の風景。
そんな冬のある日、町はずれの鍛冶場に見慣れない女が朝早くから現れた。
「なんだね。新年祭の最中だ。仕事はまだやっとらんよ」
昨日は夜遅くまで仲間達と酒瓶を傾けていて、まだ身体がフラフラする。
奥の部屋では酔いつぶれてそのまま床の上で寝てしまった男達がいる。
年明けの早朝に現れた非常識な訪問者。
当然、居留守を決め込んで無視するつもりだったが、自宅を兼ねた鍛冶場の扉をいつまでも激しく叩き続けるものだから、たまらずに戸を開けた。
「あ、あの、すいません。で、でも、お、夫が、夫が・・・」
相当慌てて走って来た様子で、顔には埃と汗が張り付き、後ろでまとめた髪の毛はほつれ、衣服も乱れている。
どこにでもいる労働者階級の人妻のようだが、妙な色気が漂っている。
はて、誰の嫁だろう?
この辺の鉱夫仲間の嫁なら大概知っているつもりだったが覚えがない。
不思議に思ったが、早口でまくしたてる女の声が二日酔いの頭に響いて考えるのをやめた。
「まあ、落ち着いて、こんな朝早くからどうなさったかね」
そう言いながらも、迷惑そうな表情を思い切り作った。
欠伸をしながら脇の下に手を突っ込んでボリボリ掻く。
はた迷惑な訪問客なのだと察して帰って欲しい。
「三本杉の奥にある坑道から帰ってきた夫が、こ、こ、こんな物を・・・」
「三本杉?三本杉って言やあ、たしか落盤で立ち入り禁止になっとったはずだが・・・」
「お、お願いです。見てください。は、早く、これを・・・」
「わかったから、大声を出さんでくれ。頭が痛くて何が何だか・・・」
女が肩に掛けたカバンを外し、作業台の上に置く。
ゴトリと何か硬くて重い物が当たる音がした。
適当にあしらって追い返し、もう一度飲み直そうと思いながらカバンの中に手を入れた。指の先に割れた岩の破片や砂利が当たる。
たまに珍しい物が掘れたと言ってゴミやガラクタの類を持ち込む者が現れる。
またかと思い、ため息をつきながら一掴み取り出した。
「どうですか?」
石ころを手の中で転がし調べるフリだけしてさっさと終わらせようと思ったが、戸口から差し込んだ光が岩の破片に反射して薄暗い部屋の中に拡散した。
驚いて目の近くまで持ち上げ凝視する。
まさかと思い、もう一掴みカバンの中から取り出す。
信じられずに中身を全て掻き出した。
石を摘まんだ指先が震えるのは二日酔いのせいではなくなっていた。
「あんた、こりゃあ・・・、何処で?いや、三本杉って言っとったな・・・」
「はい」
詳しく調べなきゃ分からんと答えて女を追い返した工場主は、大急ぎで奥の部屋で鼾をかいて寝ている仲間を叩き起こした。
「さて、もう二、三軒回ってから戻りましょうか」
家の中からバタバタと慌てて走る音が聞こえてくる。
外に出た女が満足げに呟いて口の端に笑みを浮かべる。
踵を返し鉱山労働者が集まるという居酒屋に向かって歩き出した。
乾いた枯草の上に投げ込まれた火種が燃え広がるように、金鉱の噂はあっという間にラビニアの街に広がっていった。
≪某所≫
「おい、どういう事だ!金鉱のハナシが広がっているぞ!何処から漏れた!」
部屋の戸を開け放ち、足音を鳴らしながらシグナスが入って来た。
「お前の子飼いが町娘相手にペラペラと自慢気に喋ったんだろ。クズが足を引っ張りやがって」
椅子の上で居眠りしていた傭兵が、半目を開け面倒くさそうに答える。
「なんだと!どういう意味だ!そっちの連中こそ街に入ってから、飲むか女を追いかけるしかしてなかっただろ!」
激高したシグナスが眼を充血させ、唾を飛ばしながら詰め寄る。
払い飛ばした酒瓶が壁に当たって床に転がる。
酒瓶から流れ出した果実酒が床の敷物に大きな染みを作った。
「大声で喚くな。お前の腰巾着達がココに着くなりやったのが略奪と強姦だ。いずれこの街を管理して住民を働かせ、税金を取るのが目的なんだぞ。俺の部隊が乱暴する。お前の部隊がそれを諌める。綺麗さっぱり忘れているようだが、お前の親父から、そう言われなかったか?さぞかし領民から慕われる領主様になるだろうな。一応説明しておくが、これは褒めてるんじゃないからな、それも分からんか?まあ、俺が街を去った後、街が荒れ放題に荒れて廃墟同然になろうが俺には関係ないから好きにすればいい」
気怠そうに話しながら、床に倒れた酒瓶を拾い上げ机の上に戻す。
「いいか、俺はへっぴり腰のオヤジとは違う。平民ってのはな、黙って貴族のいう事聞いて生きてりゃいいんだ。余計な気を使って下手にでるから勘違いしてつけあがるんだ」
「ほう、義務なんて言葉がお前の口から出てくるとは驚きだ。意外と学があるんだな。それじゃあ、こういのも知ってるか?義務を果たさず権利を主張する。お前みたいな奴の事らしいが」
「バカにするな!お前がその平民だって言っているんだ!俺がオヤジに言えばお前の首なんてどうにでもなるんだぞ!」
再び机の上の酒瓶を取り上げ、壁に叩きつけた。
「やれやれ、さっきオヤジを貶したくせに、今度はオヤジ頼みか。言ってる事が支離滅裂だな。自分で分かってるか?すまない、分かって無いし、理解出来ないからそう言っているんだよな。ふう・・・、壁を相手に説教してるようなもんだ。犬の方がまだマシだよ。しっぽを振ってくれるからな」
冷笑を浮かべた傭兵が、割れずに足元に転がってきた酒瓶を再度拾い上げて机に置く。
「貴様っ!」
「おっと、貴族の御子息様は自制が効かないな」
掴みかかって来た手を軽く払いのける。
「お、お前こそ、俺が誰だか分かってんのか!コートニー家だぞ、貴族だぞ、口のきき方を知らねえのか!その目をやめろ、言う通りにしろよ!命令してんだ!ちっ、これだから礼儀を知らない金目当ての傭兵はあてになら・・・、お、おい、ふざけんな・・・、剣をどけろ・・・」
いつの間にか、首筋に男が抜いた剣先が当たっていた。
男が剣を軽く引くと赤い線が浮き上がり、玉になった雫が胸元に流れ落ちた。
薄く開いた瞼から覗く黒い瞳が冷たく見つめる。
「あのな、この一件はお前の命よりはるかに重いんだ。言っとくが、片田舎の借金だらけの貧乏貴族なんぞどうでも良いんだよ。いいか、この茶番の観客席にはな、お前が会ったことも無いし、これから会うことも無いお金持ちや偉い人が座ってるんだ。出資者様ってやつだ。お前の肩の上に乗ってるのが豚の頭だろうが犬の頭だろうがどうだって良いんだよ。いつまでも我が儘言うようなら、そこの壁に飾ってある鹿の首と付け替えるぞ。分かったか?あ?分かったら暇そうにしているお前の兵隊を連れて坑道を封鎖してこい」
「今の事は絶対忘れないからな、覚えてろよ!」
怒りと恐怖、両方の感情に体を震わせて逃げるように部屋から飛び出して行った。
「お前こそ覚えておけ。その時は、怠け者が羊の皮を脱いで獣に変わるぞ」
≪カズヤ≫
「盟主様、一通り餌は撒き終わりました」
「お疲れさん」
戻って来たサナエさんが顔に塗った泥と埃を拭っている。
俺は擦りこぎ棒を擦り鉢の中に突っ込んでゴリゴリ音を立てながら回している。
「でも、宜しかったのですか?」
「何が?」
すり鉢の中で赤い実を潰す手を止め一息つく。
肩を回してコリをほぐす。
「金鉱の事を公にしてしまって」
「かまわないさ。一度に大勢押しかけたって、たいして掘れやしないよ。鉱山ってのは地層の違いや地下水に気を付けて慎重に掘らなきゃいけないんだ。いちいち木枠や凝固剤で補強しながら穴を広げていく必要がある。それこそ無計画に掘りまくったら本当の落盤事故が起こってしまう。そんな事は普段から仕事してる作業員が良く知ってるよ。今は周辺の川底をさらって、砂金を探すくらいしか出来ないだろう。今回の件がラビニア家にとってうまく運べば、改めて警備隊を常駐させて計画的に掘れば良い。反対に失敗したら金鉱はコートニー家のモノだ。この後どうなろうが俺の知ったこっちゃない。つまり、いずれはバレるワケだから、それが早いか遅いかだけのハナシさ」
ゴリゴリと赤い実をすり潰す作業を再開し、時々指の先で出来具合を確かめる。
ん~、本物感に欠ける。
やっぱり豚の血も混ぜておくか。
「今頃、街の中は大騒ぎでしょうね。シグナス達はさぞかし慌てているでしょう」
「だといいね。さて、俺も火に油をぶっかけてくるから、後は打ち合わせ通りソフィ達との合流場所に先行して警戒待機していてくれ」
「はい」
「おい、コジロウ、行くぞ!」
「えー、マジでやるの?」
コジロウがすり鉢の中の赤い液体を嫌そうに見る。
「ぐだぐだ言わんとはよ来い!」
≪街の広場≫
ちょうど冬の太陽が真南に昇り切った頃。
街の広場では音楽団が朝から演奏を続けている。
それを兵隊達が囲んで見物している。
立ったまま手と足で拍子を取る者。
木箱を持ち出して椅子代わりにする者。
地面に敷いたゴザの上に車座になり酒盛りをする者。
それぞれに楽しんでいるが、誰が先導したわけでも無いのに二つの集団に分かれていた。
お互いの存在を無視し合いながらもコソコソと目の隅で様子を伺うような奇妙な緊張感。
友人の結婚式で分かれた妻と同席したような気まずい雰囲気。
縄張りをめぐって、静かな唸り声で威嚇する猫のような一触即発の状態があった。
「誰か!誰か助けてください!」
演奏の邪魔をする不協和音。
後ろの方で男の叫び声がした。
(なあカズヤ、今更、セカチュー?)
(うるさい、黙ってろ)
「しっかりしろ、チューバッカ!諦めるな、チューバッカ!」
(チューバッカ?せめてハンソロにしてくんない?)
(贅沢言うな、ジャバザハットにするぞ)
田舎の従軍兵に配られるような安物の革の胸当てと使い古された革の帽子を目深にかぶった兵隊が血まみれの男を抱きかかえて叫んでいる。
「みんな聞いてくれ!俺の友達があいつ等にやられた!シグナスが余所から連れてきた傭兵達に切られた!奴等の乱暴から小さな女の子を守ろうとしただけなのに!」
水面に投げ込まれた小石が作った波紋のように、見物客の間にざわめきが広がっていった。
皆の注意が若い兵隊の上に集まる。
「たったそれだけなのに、こんな目に会うなんてひどすぎる!目を開けてくれチューバッカ!チューバーッカーッ!」
(カズヤ、あまり揺らさないで、血糊が臭くてマジで吐きそう)
徴兵組と傭兵部隊が一斉に立ち上がり睨み合う。
「俺達は何でこんな所にいるんだ!ここで困っている人達を助ける為に来たんじゃないのか!ラビニアの人達を助ける為に家族も宵越し祭りも放り出してここまで来たんじゃないのか!それなのに!それなのに、やってる事は街の占領の手伝いじゃないか!」
二つの集団の距離がジリジリと縮まる。
話し声が大きくなり、所々で賛同の声が上がり出す。
「見てくれ!父と母を亡くし、たった一人の妹を家に残してここまで来たのに、こいつは血まみれだ!冬が終われば菜の花が咲く畑を耕して、妹とささやかな収穫を祝うはずだったのに!チューバッカ!返事をしてくれ!チューバッカー!」
(うう、なんて可愛そうなんだ。カズヤ、その妹って可愛い?)
(お前の妹が可愛いわけあるか)
(ひでぇ)
「もう嫌だ!俺達が助けなきゃいけない人は誰だ!俺達が戦う相手は誰だ!シグナスを倒し、ラビニアに平安を取り戻し、胸を張って家に帰ろう!」
ざわめきは既に怒号と罵声に変わっていた。
もう一押しで感情が行動に変わる。
さて、練習通りにやれるかな?
「聞け!戦士達よ!」
今まで音楽団のいた舞台上から声が響いた。
「汝らの敵は何処にいる!ここだ!目の前だ!今こそ隣人を助ける時だ!」
騒ぎの間に戦闘装備を整えた薔薇組が並んで立っている。
中央で剣を掲げたユキコがボブカットの髪を揺らし叫ぶ。
堂々とした姿にいささかの迷いも照れもない。
これぞ異世界宝塚のトップスター。
「戦士達よ!剣を取れ、槍を振れ!弓を引け!今、ここで倒しておかねば次は君達の家族が襲われるぞ!」
戦女神から道を示された徴兵組の顔からは、困惑も躊躇いも消えていた。
揺るぎない決意だけがあった。
うーん、徴兵組の目つきが危ない。
ほとんど集団催眠だな、こりゃ。
「臆する事は無い!私達は君達を手助けする為に身をやつしここに来た!敵はシグナスと傭兵部隊だ!戦女神は君達と共にある!いざ行かん!敵は領主館にあり!囚われたミーア様を救い出せ!」
ユキコが高く掲げた剣の先に陽の光が集まる。
眩しく反射した輝きが兵士たちの顔を照らした。
「応っ!」
故郷から連れて来られた徴兵組が雄叫びを上げる。
徴兵組と傭兵部隊が決壊する堰から溢れ出した濁流のごとく衝突した。
≪エリカ≫
私の目の前で波のように人がぶつかって渦を巻く。
そこには秩序も道徳も無く、剥き出しの激しい感情だけが在った。
双方、溜め込んだ負の感情が破裂して辺り構わず飛び散った。
仕掛けたのはカズヤ、煽ったのは私達。
今朝、打ち合わせをしていた時、カズヤに聞かれた。
『薔薇組はどうする?』
『やるわよ、いちいち聞かないでよ』
『いや、もうちょっと考えようぜ。殺らなきゃ殺られるとか、生き残る為に仕方ないとか、自分に言い聞かせる必要はないんだ。他の手もあるしな』
『無理してるつもりはないケド、カズヤはどうなの?』
『俺か?俺は・・・、そうだなあ・・・、優先順位と相手次第で自業自得って思えるかな』
『優先順位?』
『うん、俺にとって大事なのはアリスとソフィ、もちろんエリカ達、そしてマラガの屋敷で暮らす皆なんだ。極端なハナシ、それさえ無事なら後は死のうが生きようがどうなったって良いんだ。いや、教会の司教とか子供達も入れとこうかな、それと、マラガの俺の知り合いも・・・』
『カズヤも自分で言うほど割り切れてないじゃない』
『まあ、ヘンに意気込んで余裕が無くなるよりも、こんなぼんやりした感じで良いんじゃないかな?それと、剣を振り上げて切りつけてくるヤツは返り討ちにあっても仕方ないと思うし、その覚悟はしておくべきだと思う。これはもちろん俺自身も含んでいる。繰り返すけど、自分を騙して納得させる必要は無いんだ。人を殺す事に対する抵抗感とか忌避感はあって当然だと思うし、無くしちゃいけないと思う。んーと、その、つまりだな、ナニ言ってんだろ俺、結局、上手く言えないけれど・・・、エリカに死んで欲しくないって事さ』
『ありがと・・・、カズヤ。でも、この異世界で剣を握って生きていく以上、これは避けられない道だと思う。それに・・・、カズヤがいつも言ってるじゃない。いざとなったら全部放り出して逃げるからさ』
『その通り、いざとなったら逃げりゃいいのさ。ざっと見た感じだと、剣の腕はエリカ達のほうが数段上だと思う。だけど、あいつ等は人を相手にする事に慣れてる。いつも俺とエリカ達で摸擬戦やってるけど、自然に急所は避けるし、強打の寸前で力を抜くだろ?俺も偉そうな事言えないけど、感覚がかなり違うと思うから気を付けろよな』
『分かった。油断しない。躊躇わない。ダメなら逃げる』
『よし、それじゃあ任せた』
カズヤが照れくさそうに言った、死んで欲しくない、が胸の底に落ちた。
もちろん、他の仲間にもそう思っている事は分かっているけれど、それでも頭の中でいつまでも反響している。
ああ、恋に落ちるってこういう事なんだなあ。
私の優先順位ははっきりしている。
一番最初にカズヤ、疑問の余地は無い。
暴徒と化した兵隊達が指揮も戦術もなく、押し合い圧し合いしている。
数は徴兵組の方が上だけれども、切り合いを職業にしている傭兵達に押されている。
人波を掻き分けて先頭に出て押し返す。
盾で受け、足で胴を蹴り、鎧の隙間に剣を突き刺す。
剣が筋肉の繊維を引き千切る感触と、何かを突き破った手応えにほんの僅かだけ震えたけれどそのまま押し込んだ。
ヒト型の魔物はたくさん相手にしてきたけど、やっぱり勝手が違う。
常に隙を伺ってくるし、死んだフリをしていた男が、足に腕を絡ませて倒そうとしてくる。
頭から血を流して助けを求めに来た男が背中に隠した短剣で切りつけてきた。
とっさに剣を振って男の腕を切り落とす。
混戦すぎてワケが分からない。
「ナオミ、ユキコ!鏃で中央突破、いったん外に出て立て直すよ!」
斜め後ろにナオミとユキコを従えて突き進む。
≪ソフィア≫
路地裏の陰から領主館を伺う。
正門から騒ぎ声が聞こえる。
門が開くと同時に騎乗したおよそ二十人の男達が飛び出して来た。
先頭を走っているのはシグナスだ。
相当に苛立っている様子で、馬に鞭を仲間に罵声を浴びせながら駆けて行く。
いつも傍にいるお目付け役の姿は見えない。
「ソフィ、始まったよ!」
「待って、カズヤの計画通りならもっと大騒ぎになるはずよ」
走り出そうとするアリスと唸るシリウスを抑える。
待つ間にも陽は昇り続ける。
シグナスとその取り巻きは出て行った。
今、領主館の中に残っているのは傭兵部隊だけ。
おそらく三十数人程度だと思われる。
裏門をこじ開け、私とアリスとシリウスで、出てきた傭兵を片端から倒す。
私達だけなら出来なくもないが、ミーアを守りながらの突破は難しい。
ましてや、邸内にまだあの傭兵部隊の転生者がいるなら、ミーアを盾にしてくるのは間違いない。
でも、このまま待ち続けていてシグナス達が帰ってきてしまったら好機は消えてしまう。
今なら邸内の人数は減っている。
一か八かで打って出てみるべきか、それとも・・・。
『まあ、なんとかなるんじゃないかな』
不意にカズヤの声が頭の中に木霊した。
やる気が有るのか無いのか、ちょっと投げやりな、突き放したような言い方。
どういうわけか頭の中のモヤモヤは霧散し迷いは消えた。
「だめなら、カズヤがなんとかするでしょ」
「え?ソフィ、ナンか言った?」
「ううん、只の独り言。もう少し待ちましょう」
浮いた腰を落として、物陰に身を沈める。
足音が聞こえる。
数人の男達が領主館に向かって走って来た。
まさか、もうシグナス達が引き返してきたの?
そう思ったが様子が違う。
誰も彼もが傷を負っている。
まともに歩けず、肩で支えられながら運ばれてくる男もいた。
男達が門を入ってしばらくすると、あのお目付け役の傭兵が手下を従えて出てきた。
馬の蹄に蹴られた雪交じりの土が跳ね上がる。
歯ぎしりが聞こえそうなほど怒りで顔が歪んでいた。
「ソフィ!」
「ええ、行くわよ!」
路地から飛び出して、領主館の裏門に駆け寄る。
「門を開けなさい!」
当然、返事は無く、門も開かない。
魔力で極薄の刃を作る。
門の裏側、かんぬきが掛かっている場所を狙い、気合いと共に剣を一閃して風の刃を打ち出す。
表面に細い線が走った。
「シリウス!」
アリスが叫ぶと、シリウスが門に体当たりする。
落雷のような轟音が空気を揺さぶり、木の破片をまき散らしながら門が開く。
右側で棒立ちのまま固まっていた男にシリウスが襲い掛かる。
左側には開く門に跳ね飛ばされた男が尻もちをついている。
身体の上に乗った木片を払いのけ、槍を支えに体を起こそうとした男の胸にアリスが氷弾を打ち込む。
後ろを振り返らず裏庭を駆け抜け、使用人が使う裏口の扉を粉砕し邸内に入った。
未だ残って雑事をこなしている使用人が驚いて目を丸くしている。
廊下の端で洗い物が入ったカゴを抱いたまま呆けている中年女性に声を掛ける。
「大丈夫、ミーアを助けに来たの。あなた達には何もしないわ。ミーアは何処?」
「お、お嬢様はいつものお部屋に・・・、たぶん・・・」
「そう、ありがと」
通路の陰から降って来た剣を交わし、体を捻って襲撃者の胸に細剣を突き刺す。
シリウスが扉の閉まった部屋の前で動きを止めて、伺うように見上げてきた。
アリスがシリウスの示した扉に向かって氷の杭を打ち込むと、部屋の中で何かが倒れる音がした。
部屋の内側に構わず先へ進む。
「あなた達はいったい何をやっているんですか!」
曲がり角からお使いの男が飛び出して来た。
「予定通りミーアを助けに来たのよ」
「余計な事を・・・、私が脱出の手筈を整えたと言ったじゃありませんか!これじゃあだいなしですよ!ひっ!な、なにを・・・」
男の喉に細剣の切っ先を押し当てる。
「あのね、あなたがシグナスの手先だって事は分かってるの」
「手先だなんて・・・、いったい何の事なのか・・・」
手が震え、逃げ道を探すように目が泳いでいる。
「嘘の言い訳は聞きたくないわ。馬車は何処に置いてあるの?まだ用意はしてなくても、敷地の中には有るんでしょ?」
「み、南側の厩のそばに・・・」
「そう。馬を繋いでいつでも出せるように準備しておきなさい。逃げたら、この怖い狼がどこまでも追いかけて殺すわよ。分かった?」
シリウスが低く唸りながらお使いの男に近づく。
「は、はい・・・」
「分かったなら行きなさい」
足をもつれさせて転び、廊下の向こうへ這って行く。
最後まで見届けずにミーアの私室へ向かう。
部屋の前には武装を整えた二人の傭兵が剣を抜いて、行く先を塞いでいた。
「ここを何処だと思っている!領主の館だぞ!今すぐ剣を置いて・・・」
つまらない口上を気長に聞いている暇は無い。
言い終える前に、私とアリスで黙らせた。
部屋の中で忍んでいる傭兵を警戒しながら扉をゆっくり開ける。
いつも通り、正面の椅子にミーアが座っていた。
私と目が合うとミーアの目が何かを示すように右に動いた。
扉を蹴って中に転がり込む。
私が通り過ぎた床を隠れていた傭兵の剣が叩く。
剣を持ち直し、私に向き直った傭兵の背中にシリウスがのしかかる。
もがく男の背中を前足で押さえ、そのまま首の後ろに噛みついた。
「ミーア、待たせたわね、行くわよ!」
「はい、すべてお任せします」
ミーアの手を引いて館の外に出る。
厩舎の前には、老家宰が立って待っていた。
「あの男は言いつけを守らず逃げて行きましたので、私が馬車を用意いたしました。宜しければ私が手綱を握りますが?」
「ありがとう。でも、あなたはミーアが留守にする間ここに残って、街を守ってちょうだい。コートニー領から来た徴兵組はこっちの味方だから、上手く使いなさい。彼らは反逆者扱いになるだろうから、しばらく匿ってあげて。コートニー家から何か言ってきても、向こうにまともな戦力は残ってないから、実力行使はできないわ。無視するなりごまかすなり時間を稼いで。うまく行けば、全部丸く収まるはずだから。ダメな時は・・・、その時は・・・、お互い腹を括りましょう」
「畏まりました。お嬢様をよろしくお願い致します」
駆け寄ったミーアが家宰の首に手を回して胸に顔を埋める。
身体を引いた家宰が両の目に涙を滲ませるミーアの手を取って馬車に乗せた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
走り去る馬車が見えなくなるまで腰を折って礼をしていた。
≪傭兵≫
「くそっ、今更反乱だと?ふざけるな!自分達が何をやっているのか分かっているのか!自領に戻れば縛り首だぞ!どいつもこいつも足を引っ張りやがって!」
領主館の正門から街の広場に向かって駆け下りる。
あちこちで人と金を使い、念入りに事を進めてきた。
計画通りに事が運べば息のかかった商人がラビニア領から金を吸い上げる。
そして方々を経由し分散しながら最終的に組織が傀儡として使っているシルチスの貴族に流れて行く事になっていた。
いずれシグナスは切り捨てるつもりであった。
コートニー家とラビニア家の婚姻が成立したら、組織が用意した傍系を養子に迎えさせる。
シグナスとミーアは不幸な事故に遭い、操り人形の養子が家督を継ぐ。
必要なのは安定して金を産み出す適切な管理運営能力だ。
シグナスの圧政から程良い統治者に代替わりする。
領民は喜んで受け入れるだろう。
怠け者の羊達が表に出る事は無い。
しかしながら、シグナスが予想以上に愚か者過ぎた。
あまりにも図々しく身勝手で、平民は肉体と魂の全てを貴族に差し出して当然だと思っている。
自分の領地から連れてきた兵隊をまともに統率できないし、その必要性を理解できない。
平民は貴族を敬い、どんな過酷な労働でも疑問を抱かず全うし、その成果を喜んで差し出さなければならない。
こんな事を嘘偽りなく信じているのだから正気を疑う。
おかげでこの有様だ。
領民は抑え過ぎると反発するし、殺してしまえば元も子もない。
より純粋に貴族であればこそ、利益を産み出す為に労働力が必要なのだと心得ているものだ。
シグナスには輝く金塊と自分に媚びへつらう者の姿しか目に入らない。
コートニー家もこんな奴を自信満々で送り込んで来るあたり事の重大さが分かっていない。
どいつもこいつもバカばっかりだ。
今までもコートニー領から連れてきた数合わせの連中が暴発しそうになった事はあった。
そんな時はただ喚き散らすばかりのシグナスの代わりに、先頭の二、三人を、有無を言わせず叩き切った。
いくら強がっても臨時徴収兵だ。
そうすれば、後の連中はすごすごと引き下がった。
今回はいつもと様子が違うようだが、先頭に立って騒いでいる連中の首を撥ねれば大人しくなるだろう。
計画は既に後半戦だ。
さっさと終わらせ・・・・・・・・・。
突然の浮遊感。
視界の白濁。
頭を揺さぶる轟音。
全身を覆う激痛。
天地の逆転。
気が付いたら地面に倒れていた。
痛みに耐えて体を起こす。
周囲は一面の白煙で満たされている。
破裂音が絶え間なく鳴り、飛び散る火花が見える。
「くそっ!」
起き上がろうとしたら眩暈で体が揺れた。
頭を振って視界を邪魔するチカチカを追い払う。
息を深く吸ったら肺に侵入した煙で激しくむせた。
上体を起こして辺りを見回す。
目の前に煙を吹き出している玉が転がっている。
煙玉と鳥おどしだった。
仲間は全て馬から振り落とされていた。
馬の下敷きになって動かない者もいる。
子供の悪戯に等しい行為でこの有様。
余計に腹が立つ。
「おいっ、大丈夫か!返事をしろ!」
駆け寄って来た仲間が不意に崩れ落ちる。
胸から棒が生えていた。
弓矢?違う、投擲用の短槍・・・。
その向こう側にも槍を受けた者が倒れている。
「散開して伏せろ!狙われてるぞ!」
叫んでから上着の袖で口元を覆い、煙の下を這って物陰に隠れた。
次から次へと投げ込まれる煙玉と鳥おどし。
煙の切れ間に人影が浮かんでは消える。
前方から悲鳴が聞こえた。
煙をかき混ぜながら何かが横切った。
後ろから人が倒れ鎧の金属が土を打つ音が聞こえた。
振り返っても目に入るのはかき乱された煙だけ。
深く澱んだ白い煙の中から音だけが聞こえてくる。
囲まれている?
十人?二十人?
いったい何人で襲ってきたのか。
まさか、あの手紙に書いてあった他家からの傭兵部隊?
鳥おどしの破裂音の合間を縫って咳き込む音と呻き声が聞こえてくる。
揺れた右側の煙の中に人影が浮かぶ。
とっさに立ち上がり剣を振った。
その軌道上にいたのは俺の部下だった。
「おい、チューイ。いっぺんに投げ過ぎだってば!ゲホ、ゲホ、ゲホホ」
「全部投げろって言ったじゃん。それに、そっちがルークで俺がチューイってどうなの?改善を要求する」
「時と場合を考えろよ!俺に向かって破裂玉投げんな!け、煙が目に染みる。ゲホホホホ」
辺りに立ち込める煙が風に流される。
仲間は全て倒され地に伏していた。
襲撃者の交わす緊張感の無い会話が神経を逆なでする。
首を回して声の出所を探す。
屋根の端から顔を覗かせている男が一人。
そして通りの真ん中で何の気負いも無く、自然体で片手に剣を持って突っ立っている若い男が一人。
どんな部隊に囲まれたのかと思った。
それが、実質、たった一人。
一人だけだった。
「ふざけるなあっ!」
≪カズヤ≫
蹄の音が聞こえる。
「おい、チューイ、そろそろ来るぞ」
「ハンソロ」
民家の屋根に上って騒ぎを聞きつけた傭兵達が押っ取り刀で駆けつけてくるのを待っていた。
「しつこいな、ただのコードネームなんだから気にすんなよ。それに、ハンソロって格好良すぎだろ」
「それじゃあカズヤもボバフェットとかにしろよ」
「やだ、俺はルーク。なぜなら格好良いから。おっと、音が近づいて来た。じゃあ頼んだぞ」
不満そうにしているコジロウを残し、家と家の間を飛び越え、槍を投擲しやすい場所に移動する。
民家の屋根に身を伏せ顔だけを上げて覗き見る。
騎乗した傭兵の集団が泥を跳ね飛ばしながら近づいて来る。
俺は傭兵の転生者を見た事は無いが、ソフィから聞いた背格好と人相からして、先頭を走っている男がそれらしい。
コードネームチューバッカに手を振って合図する。
むすっとした顔のまま煙玉と破裂玉を投げ始めた。
破裂玉とはこちらの世界における爆竹の様な物。
主に畑に来る鳥を脅かして散らすのに農民が使っているので鳥おどしとも呼ばれている。
突然の煙と音に驚いて前足を跳ね上げた馬から傭兵が落ちる。
考えなしで煙玉を投げ込むコジロウのせいで街の通りは白煙で埋まってしまった。
うっすらと見える人影にだいたいのカンで狙いを付け投擲する。
ぼちぼちの手応えはあったが、傭兵達が物陰に隠れはじめたので白兵戦に切り替えて屋根から地上に飛び降りた。
煙の渦から逃げ出してきた傭兵を出会いがしらに切り捨てる。
飛び上がって民家の軒先に片手をかける。
そのまま体を振って屋根の上に戻った。
屋根伝いに移動し、反対側で煙の下を這っている男の真上に飛び降りる。
そのまま白煙の切れ間を縫いながら咳と涙にむせる傭兵を始末した。
通りを埋めていた煙が風に流されていく。
残ったのは転生者の傭兵ただ一人。
「ふざけるなあっ!」
意図的にラスボスを残したつもりは無いが、フラフラと無防備な奴から片付けていたらこうなった。
足元に転がっている煙玉から噴きでた残りカスが、風に吹かれて糸の様に細く伸びている。
仁王立ちで俺を睨みつける男。
煙のせいか、怒りのせいか、眼が真っ赤に充血している。
腰を落とした傭兵が、地を這うような足運びで距離を詰めてきた。
下からの突き上げを躱し、上から戻って来た剣を払う。
返す刃で左肩を狙ったが背面取りの応用で逃げられた。
思った以上に対人慣れしている。
転生者特有のスキルの連発をしてこないし、今のバックスタブも視界から外すための脱出手段として使い捨てていた。
激高して動きが雑になるかと思いきや冷静に技を選んでいる。
再度、卓球の高速ラリーのような気の抜けない剣の応酬が続いたが、傭兵の攻めはボリス教官より甘く、早さはクリスさんに遠く及ばなかった。
徐々に動作は大きくなり、巻き返しを狙った強打が増えてきた。
やがて、空振りした剣の重さに足を取られ、僅かに転生者の体が流れる。
肘と肩の動きだけを使った喉元への陽動に嵌り、足をもつれさせ大きく後ろに仰け反る。
剣を両手で握り直し、大股で距離を詰め、思い切り胴を薙ぎ払った。
倒れながらもその目は最後まで俺を凝視していた。
「終わった?」
文字通り屋根の上から高みの見物を決め込んでいたコジロウが駆け寄って来た。
「コジロウ、ちょっとくらいは援護したらどうなの?」
「これで?」
残った破裂玉を麻袋から取り出した。
「ふざけんな。薔薇組を回収してソフィ達と合流するぞ」
未だ白煙が漂い、火薬の匂いが残る街の通りを背にして走った。




