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空の在り処  作者: ぺの
契約と約束
8/8

飴屋のテオ

 ふあぁ、と小さな客は大きなあくびをした。

「レノン、どうした、そんなに膨れて。おてんとさんが逃げちまうぞ」

苦笑混じりに飴屋の店主テオが言うと、子供はあくびで浮いた涙を拭きとりながら、やるせなく息を吐いた。半年ぶりにその姿を見たのはついさっきのことだ。お互い流れ者で、幾度となく偶然の再会を繰り返した仲である。背も伸びたし、体つきもしっかりしてきて、以前のようなひょろひょろしたイメージからは脱却したようだが、相変わらず変わらないもののほうが多い。商売柄いろいろな人間と会話をするが、こういう風に変わらないでいてくれる友人というのは安心する。雫を拭き取った指先を、小さな友人は恨みがましく見た。

「だって、あの人酷いんだもん……。なんだよ、鬱陶しいって。そりゃしつこく付いて回ったけどさ。僕だって理由があって付きまとってんだし、それなりの見返りは付けてるはずなのにさ。そんな直球で言うことないのに」

テオはおや、と思った。この台詞は、この表情は……?時折客の中にも見かける。特に若い年頃の娘に多い。テオはそばかすの浮いた顔で笑いながら子供を肘でつついた。

「お前、もしかして恋煩いかぁ?なんだよ、スミに置けねえなぁ。……あ、でもその様子じゃ振られたみたいだな。ははは、そうかそうか。ま、元気出せよ。ほら、これタダにしてやるからよ」

傷心の時にはちょっと甘酸っぱい果物の飴が一番効く。子供は差し出された棒付きの飴を、しょげて尖らせた口に含ませた。

「ちょっと早合点だよ。まあ、振られたっちゃ振られたんだけど、別に恋のお相手って訳じゃない。第一、テオくらいの歳の男だよ。幾つ違うと思ってるの」

テオは開放的に笑った。

「何言ってるんだよ、俺と同じくらいなら、せいぜい五つか六つ違うくらいだろ。お前が二十歳になりゃ、向こうは二十五くらいか?別に珍しい年齢差じゃねえよ。しょげてないで当たって砕けちまえよ。……あ?男か……」

一人で思案を始めたテオに子供は苦笑する。

「砕けたばっかだってば。それに話聞いてた?恋の相手じゃないんだよ」

テオは顔をあげて、垂れ目のくっきりした瞳を見開いた。

「だって、振られたんだろ?」

「あのなぁ……」

子供はますます呆れた風に笑った。

「旅に付いて行かせてくれって頼んだんだ。路銀を払うことで了承を貰ったんだけど、全然一緒に歩いてくれないんだよ。これ、一方的に僕が金出してるだけじゃないか」

ははぁ、とテオは全てを理解したように相槌を打った。

「なるほどなぁ。お前のことだから、金を払うのを惜しんでるんじゃなくて、相手の理解が貰えないのが寂しいんだろ」

テオが言うと、子供はちょっと顔を顰めて手を振った。

「別に、寂しがっちゃいないけどさ……。だってそんなの酷いじゃないか」

うへ、と子供は苦々しい顔を作ってみせる。それを見てテオが大声で笑い始めた。レノンは恨めしげに目の前の青年を見上げる。

「そこまで笑わなくてもいいだろ。なんだよ、もう…」

「だって、お前らしいと思ってさ。いや、何も悪くねえよ」

ひとしきり笑ってから、テオの目は子供の背後に留まる。涙まで浮かせていた笑顔が凍りついた。ちょっと震えながらも笑顔を作りなおす。これは、これはとんでもない客が来た。

「い、いらっしゃい。こんな小さな店に来て下さるなんて、光栄です。あ、あの、どんな飴をお求め、ですか、…『黒龍』さん」

え、と子供が振り返る。黒龍は苦々しげな表情で子供を睨みつけている。うわ、どうしよう、黒龍が来てしまった。一度見かけたことはあったが、話したことはない。噂の黒龍だ。機嫌を損ねずにうまくやり過ごせるか。いや、やり過ごさなきゃだめだ。まずはレノンをどかせて、謝ろう、よし。

 息を吸い込んだ時、レノンがぱっと顔を輝かせた。

「あ、ロイ兄!どこ行ってたのさ。どうしたの?」

テオは揉み手しかけていた両手を強張らせた。子供と黒龍を何度も見比べて、テオは子供の肩を掴んだ。

「レっ、レノン…どういうことだ!?まさか、あの『黒龍』と旅してんのか?」

子供は嬉しそうに笑って頷いた。

「そうだよ。もう、酷いじゃないか。何、もう行く?」

呆然自失するテオをよそ目に、子供はロイにじゃれかかる。

「お前って……。どこまで怖いもの知らずなんだ……」

呟いたテオの言葉も意に介さず、子供は嬉しげに笑っている。それを邪険に追い払いながら、ロイは顔を顰めた。

「悪い評判ばっか広めんじゃねぇ。ますます仕事が取れなくなる」

言ってからテオに向き直った。無表情で並べられた飴を見回し、無機質な声で問う。

「手土産に持っていくのにちょうどいい飴はありますか」

テオははっと我に返って、飴の並んだ台の上を見回した。表情はすっかり商人のそれに戻っている。

「渡す人にもよりますね。どんな方に渡されるんです?」

台の上に顔を向けたままテオが目線を投げると、黒龍も同じようにして顎に拳を当てる。

「親しい武器屋があって、いつもお世話になっているので。二十二の女が経営しています」

「女性……」

テオは呟いて、頭の中でいくつか候補を選び出す。

「野暮なことを聞きますが、ご勘弁くださいね。恋仲ですか?」

「いえ。ただ付き合いは長いです」

そうですか、とテオは顎に当てた人差し指で小刻みに顎を叩きながら考え込んだ。

「ああ、これなんかどうです?武器屋の店主なら、殺伐とした客も多いでしょう。柑橘類の果汁を混ぜてあるので香りで落ち着きますし、疲れも取れますよ」

黒龍はひとつ頷くと、差し出した瓶をじっくり見た。これはテオも、女性客によく勧める飴だった。説明した通り、柑橘類の味が豊かだ。小さく作ってあるので、仕事の合間に舐めることも可能だし、食べていても目立たない。テオが工夫して編み出した飴だった。黒龍はもう一度問う。

「これはいつくらいまでに食べきらなければなりませんか」

テオはそうですね、と露店の旗に目をやった。

「基本的にはいつまででも大丈夫です。ええと、五年も六年も放っておくんでなければ問題はないです。ただ、蓋を閉めておかないと虫が湧いたり風味が落ちるかもしれないので、そこだけ注意してもらえれば」

黒龍は頷き、子供に向かって顎をしゃくる。レノンが愛想よく銭袋を取り出して、二瓶買っていった。一瓶に百粒は入っているはずだから、結構な量だ。レノンがじゃれかかりながら喋っているのを聞けば、なかなか行かないから、多少多いほうがいいのだという。

それにしても、たまたま出会っただけの黒龍に旅の同行を頼むレノンはつくづくすごい。テオは商人だからまだしも、怖くはなかったのだろうか。

「本当に、『黒龍』さんだもんなぁ。すごいや」

レノンはやっと落ち着きを取り戻して笑う。誰に向ける笑顔も同じだ。黒龍にもテオにも同じように笑う。そういう子供だった。

「ロイ兄は、評判はいいんだか悪いんだかイマイチだけど、実際は言うほど悪い人じゃないみたいだよ。普段はともかく、根は結構いい人だし」

子供がからかう目つきで黒龍を見上げる。黒龍は舌打ちをして横目で子供を見下ろす。

「普段はともかくってどういう意味だ。…それに、評判はなかなか悪いんじゃねえのか」

レノンはロイを見上げて笑った。白い歯がちらっと覗く。

「まあ、敬遠はされてるけど。さっきのテオの感想、聞いただろう?すごいや、とか言ってたじゃないか」

あー……?と顎を落として考え込んだロイは、予想とは違って普通の反応だ。かなりの剣豪で、冷酷そうなイメージから恐れられているが、一方でその剣の腕や一匹狼的な性質に憧れを抱く者も多い。かく言うテオもそのひとりだ。そんな黒龍の、こういった一面を見ることができたのは、正直なところかなり嬉しい。

「あ、あのっ、『黒龍』さん」

「あ?」

いまだに考えていたロイが口をぽっかり開けた、ちょっと間抜けな顔でテオの方を見る。おっ、目が合った。すごい、噂に違わぬ深紅の瞳だ。

「ロイ、と言うのが本名、ですか?」

「そうですが」

また元のクールな感じに戻った。これもかっこいいが、噂でさんざん聞いているので、実をいえばさっきの阿呆面がもう一度見てみたい。テオは緊張しながら続けた。

「もし、ご迷惑じゃないなら、ロ……ロイさんと、お呼びしてもいいですか?」

黒龍が目を見開いた。あっ、やっぱりダメか。怒らせたか。どうしよう。

「それは……構いませんが」

テオは返ってきた答えを反芻する。構いませんが。ってことは……いいのか?でも、構いませんが。せんが。これってなんか続きがあるよな?思っていると、レノンが助け舟を出してくれる。

「ロイ兄もテオのこと名前で呼んであげたら?それに、せっかく同じくらいの歳なんだし、いっそのこと敬語も無しで話してみればいいじゃないか」

テオは慌てた。あたふたと手を振って遮ろうとする。それは行きすぎだ。いきなりそんなの、あまりに失礼だろ、怒らせちまうぞ。口を開けたり閉じたりしていると、黒龍もちょっとたじろいだ様子で顎を引くようにして子供を見返した。

「別に俺はいいが。この人が困るんじゃねえのか」

さすがだ。よく察してくれてる。あれ、俺はいい?それ本当か?それが本当なら、舞い上がりそうだぞ。

「大丈夫だよ。テオは商人やってるくらいだから、馴染むのは早いんだよ」

黒龍がこちらを向く。あの、と口の中で言っているのがなんとなく見えた。どうしたんだろう、黒龍さんが汗かいてる。何か……緊張してるように見える。気のせいだろうか。

「ええと、じゃあ、テオ……って呼んでいいのか?……その、よろしく」

「は、はいっ」

差し出された手を握る。うわ、剣ダコがすごい。やっぱ本物だ。でもやっぱり緊張はしてないみたいだ。ちゃんと乾いている。

「ロ、ロイさん」

「ロイでいい」

「えっ、じ、じゃあ、ロイ……。その、また、店に来てくれるか?今度は客じゃなくて、と、友達として」

ロイが再び目を見開いた。あれ、何かちょっと俺、手汗かいてる?いや、これって……。

思っていると、ロイがごくわずか、多分顔を凝視していたテオじゃなければ気づけないほど僅かに微笑った。

「友達と言ってくれるなら、いずれ必ず」

お、手汗引いてる。俺ならこんなに早く引かない。やっぱりこれロイの手汗だ。ロイって手汗かくんだ。すごい、新発見だらけだ。

「テオ、その……放せ。少し、急いでいるから」

テオは慌てて手を放した。

「どこまで行くんだ?女の人がやってる武器屋なんて、この辺になかったような」

レノンもちょっと首を傾げてロイを見ている。そっか、一緒に歩いてくれないのなら、行き先を言わないでいても不思議はないか。

「エテルク=ファイオンの裏街道だ。その西側の方にある」

テオは驚いた。そんな遠くまで今日中に行こうとするなんて無謀である。普通に行っても三日はかかる。

「エテルク=ファイオンまで?ロイ兄無理するなぁ」

苦笑いする子供をロイは素早くねめつける。うわ、やっぱちょっと怖い。

「嫌なら無理に付いてくることはねえぞ」

低い声には

「もちろんついて行くともさ」

暢気な返事。全くと言っていいほど意に介さないレノンには、感嘆を通り越して呆れてしまう。気にならないんだろうか。

「でも、裏街道の西側だろう?リシアから一番遠くないか?」

思案顔でテオが言うと、ロイは頷いた。

「こいつがいい馬を選んだから、行けるだろう。付いて来れないなら置いていくつもりだったんだが、あいにく俺の馬の方が遅い」

テオは、軽く笑った。レノンはいつもこうだ。ひ弱に見えて、いつもいい意味で予想を裏切っていく。

「やっぱりレノンだなぁ」

言うと、子供が照れたように笑う。一見飄々と笑っているだけのように見えて、褒められたり頼られたりすると、困惑してしまうところのあるレノンである。この笑顔が困惑した末の、とりあえずお愛想の照れ笑いであることを、テオは知っている。

「僕、ちょっと先に戻っているよ。馬のところで食べてる」

頬を掻きながら身を翻す。気のなさそうに曖昧な相槌を打つロイをよそ目に、テオは立ち上がった。

「レノン」

子供は振り返る。頼りなげな線の薄い容貌、その向こう側にある人間離れした強い心、その更に奥にある人間らしさを、小さな体に詰め込んで。

「気を付けて行ってこいよ。もっと頻繁に顔見せに来たっていいんだからよ」

レノンが白い歯を見せて、困ったように笑う。

「なんでみんな、僕のこと心配するかなぁ」

大きく破顔して手を振るので、早く行けよと手を振り返してやる。次も変わらずに戻ってきてくれるだろうか。それとも少しずつ、変わっていってしまうのだろうか。そのとき、変わってしまったレノンを受け入れることが、彼には出来るのだろうか。

 とりあえず今は、変わらないレノンを送り出そう。テオは思い、もう一度大きく手を振った。


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