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空の在り処  作者: ぺの
契約と約束
6/8

貸し馬屋

 ロイがまず向かったのは貸し馬屋だった。とても歩きでは間に合わない。いつも刀を頼んでいる鍛冶屋へ行くには、普通の馬で三日かかる。三日も鈍らの刀を使っていれば、いつ襲撃があってもしのげない。子供のおごりだ、一番高い馬を選ばせてもらおう。

「その馬かぇ」

白い顎髭をしごきながら小柄な老人は言って、ロイは明るい厩の中、首を伸ばした。何頭か先の馬の脇で、子供がにこにこと老人に向き合っている。子供が選んだのは薄い灰色の馬だった。体格が良く引き締まっており、均整のとれた体つきの美しい馬だった。

「ほぅ、良い目をしておるな。この馬は素晴らしいぞ。脚も速けりゃ体力もある」

誇らしげにそう言ってから、ふっさりと目に覆い被さった眉を上げて、じっと子供を見る。急に声を低くして、子供の方へ脅すように顔を近づけた。

「…だが、良い馬は御し難し。わし以外でこいつを御せた奴ぁ未だかつて一人もおらん。かく言うわしも、ものの数秒で振り落とされてしまったわ」

言いながら、老人はレノンを下から上へ、舐めるように観察した。額すれすれに近寄られて、レノンが困ったような顔でほんの少し身を引く。

「お主、馬の経験は?」

聞かれて子供は腕を組んだ。

「うーん、そうだなぁ…。物心ついたときには一人で乗り回していた気がするんだけど」

それもなかなかすごい話ではある。老人はなおも顎髭をしごく手を止めずに考え込んだ。

「ふぅむ…ならお主、今ここで御してみんさい。多少時間が掛かっても、乗れたら平均的な馬の半額にしてやろう」

老人が言うと子供は腕まくりした。いや、実際には半袖の衣だから腕をまくるフリをしたわけだが。やるやる、よおし、と気合を入れたものの、気負う様子なく、むしろ脱力した風で馬に向かって歩く。馬の首筋を軽く叩くと、馬は鬱陶しそうに首を振ったがレノンは気にしない。馬の鬣をかき分けるようにさっと一つ撫で、そうしていきなり鐙に足をかけて飛び乗る。馬が足踏みをして棹立ちそうになるのを、手綱を引いて一瞬で御してしまった。どうどう、とあの独特な声をかけることもせず、だ。何度か足を踏み変えた馬が、大人しく耳を揺らす。ロイが驚く前に、老人がいきなり笑い出した。

「良いのぅ。お主、良い御し方をするのぅ。気に入ったわぇ」

子供は照れ笑いをしながら鞍から降りる。馬がそわそわいそいそとレノンの背中に鼻面を押し付けた。

「…何か、結構あっさりだったな」

ロイが我知らず呟くと、老人は顎髭をこすりこすり、目を細めて馬の首筋を叩いた。

「ふほほ、こいつぁな、よく馴らした馬と主人の間柄というか、信頼関係というか、とにかくそんな類の関係性を一瞬で作ったんだぇ。時々おるんじゃ、会話するように馬を乗りこなす奴がの」

ふほほ、ふほほほと――本人には爆笑のつもりなのだろうが――薄気味悪い笑い声を立てながら、レノンの乗った馬の首筋を叩いて時折振り払われる老人の目は、まるで少年のようだ。喜びと驚きに満ちて煌々しく光っている。

「じいちゃん、いくら?半額だっけか、儲けたな」

「乗ってけ泥棒が。ふほほほ」

子供が目を見開く。詰めるようにして老人の顔を覗き込んだ。

「ちょっと、じいちゃん、何考えてるの。商売にならないよ。しかもさっき自分で」

「良い良い。あのなぁよく聞け坊主。馬ってのはな、一度乗らせりゃだんだんと心を開くもんなんじゃ。一人に心を開けば、いずれ他の者も乗せるようになる。無理やり乗るんとは訳が違う。お主はいわば、未来の商売の伝手を開いた開拓者なんじゃ。だから良い、乗って行け」

嬉しそうに笑う老人に、子供もつられて笑う。老人は笑いも納めずロイの方を振り返った。

「して、兄さんの方は?」

ロイは我に返って、無言で傍らの馬を示した。落ち着いた赤茶のすらりとした馬で、伸びやかな足先と鼻が染め抜いたように真っ白である。

「ほう、そいつかぇ。兄さんの方もこの坊主に負けず劣らず、良い目をしておるな。こいつは脚は速いし、おとなしくて辛抱強い、良い馬じゃ。体力が無くて息切れが早いのが、玉に瑕だがの。こいつは八十石」

子供が声を上げて笑った。

「じいちゃん、商売する気ないだろう。王都の貸し馬屋ならこんないい馬、軽く銅貨二枚は取れるよ。さては、馬を金に換えるのが嫌なんだね?」

老人が拗ねたようにそっぽをむいた。

「馬鹿言うでない。だったら端からこんな商売、出来るわけなかろうが」

老人は顎髭をしごく手を止めて腕組みし、軽く咳払いした。

「だがの、安くするにはそれなりに訳がある。高くすれば元をとってやろうと馬を酷使する輩が必ず出てきよる。使われすぎた馬は短命じゃ。その分、安ければ気軽に使えて、酷使する気にもならんじゃろ。長い目で見ればそのほうが利益になる。商売の基本じゃよ。坊主もよく覚えとけ、いつか役に立つでの」

ふうん、と子供は気の抜けた返事を返した。そして渋々と言った風情で銭袋を取り出す。

「じゃあ、本当に八十石でいいんだね?」

子供が気遣わしげに言うと、老人はふんと鼻を鳴らして石袋を突き出し、代金を求める。銅貨袋はボロボロで、銀貨袋もまた、前者ほどでないにしろ、ボロボロであった。石袋は綺麗だったが、恐らくほかの袋より先に使い潰して換えてしまったのだろう。この老人と付き合いのなかったロイにもそれくらいは想像がついた。ちなみに、『金貨』と刺繍の施されている袋には馬の飼葉がぎっしりと詰められて、戸口の横の方にかけられていた。

「これ、石袋に銀貨なぞ入れるでない。ああ、混じってしまったろうが」

老人の苛立った声にはっと物思いから覚めると、老人は石袋を懸命にかき混ぜているところだった。

「あれ?間違って入れちゃった。でもいいや、気にしないでよ」

暢気な声に、老人はぎろりとレノンを睨みつける。

「坊主、わざとか」

その目の殺気立った気配に、子供が引きつった笑みを浮かべ、取り繕うように言った。逃げ出したい気持ちを表して、足も二、三歩下がる。

「ま、まさか。たまたま間違えちゃっただけだよ」

「嘘をつくでない!」

干からびた喉からどうやって出すのかと思うほど裂帛の声に、びりりと皮膚が震える。

「嘘じゃないってば!」

杖を振り上げる老人を、レノンは両手で牽制しながら叫ぶ。

「痛、痛いってちょっと!殴ることないじゃないか。チップだと思えばいいだろ?」

「ふざけるなっ!馬を金に換えるなぞ、とんでもないわ!」

レノンは老人から逃げ出して馬に飛び乗った。一拍遅れて逃げ遅れたことに気付いたロイもハッとして馬に飛び乗り、子供を追って外に飛び出した。子供が森に飛び込みながら、後ろを振り返りつつ言う。

「やっぱ言ったとおりじゃないか。じいちゃんてば恐いなぁ」

言いながら軽く咳き込む。そのまま馬を走らせた。ロイも懸命に速度を上げて付いていくが、そもそもレノンが選んだ馬ほど体力はない。みるみるうちに引き離されて遠くなる。ロイは声を上げた。

「おい、ガキ!ちょっとはこっちのことも考えろ。付いてくるんじゃなかったのか」

子供がはるか先で、なんだい、と声を上げるのが聞こえた。振り返りもしない子供に苛立ちを覚えながらももう一度声を張り上げる。

「だからスピードを緩めろって…」

言葉を途切らせたのは、子供の様子が理由だった。妙に鞍の上を跳ねているように見える。馬に慣れていないただの子供ならいざしらず、これは奇妙なことではないだろうか。

 思っている間に、どうしたんだい、と子供が振り返った。その体がぐらりと傾ぎ、馬から投げ出される。丸めた毛布のように木の幹の根元に投げ出され、力なくしなった体が転げ落ちた。レノンの乗っていた薄灰色の馬が、そのまま走り去る様子もなく、慌てたように引き返した。彼も速度を上げて追いつく。木の根元に落ちた子供は、背中でも打ち付けたのか、何度か咳き込んだ。男の髪型としては長めの髪が、投げ出された勢いそのままに地面に散らばっていた。追いついたロイは馬上から手綱を引いたまま声を投げた。

「おい、いつまで寝てんだクソガキ。置いてくぞ」

返答はない。気でも失ったのか。だったら置いていこう。そう思っていると、子供がわずかに身じろぎした。呻いて起き上がる。

「頭痛ぇ…。もう一回」

俯いたまま言って、呼吸を整える。信じられない話ではあるが、今は至近距離にいるロイの存在に気づいていないらしい。ふわ、と何かの風が子供の髪を持ち上げ、子供が顔を上げる。

「あ…?ロイ兄、いたの?」

見上げてきた相貌には何も変わりはなかったが、汗の名残でか、髪が額に張り付いていた。

「早く乗れ。これ以上グズグズするなら取引きは破棄だ、いいな」

彼が凄むと子供は笑ってごまかした。馬の鼻先を叩いてやり、よじ登る。

「気が短いなぁ。ちょっとくらい、待っててくれてもいいだろ」

肩を竦めて笑って、酔ってきた馬の鼻先を撫でている。

「知るか。さっさと行かねえと夜までに着けねえぞ」

言い捨てて馬を走らせる。背後でちょっと待ってってば、と慌てる声が聞こえたが、そんなことに構っている暇はない。嫌味ではなく本当に時間も押しているし、遠いところなのだ。一刻も早くどうにかしなければ命が危うい。


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