夜中の襲撃
彼はゆっくりと薄目を開けた。寝起きのぼやけた目に、梁に沿って青く鋭利な筋が映った。ドアを閉め忘れたのかと首を動かしかけ、ふと思いとどまってやめた。何かの気配、ひっそりと動くこともなく――おそらく四人。毛布の中で抱き込んでいた大刀の柄に手を伸ばしかけたとき、不意に闇の中でくすりと笑う声がした。
「毎度深夜のお越し、痛み入るけどさ……。わざわざ相部屋の人がいるときに来なくてもいいじゃないか」
むくり、とソファのあたりから小さな気配が起きあがる。四つの気配のうち、一番戸口に近いところにいる気配が、咳払いのような、しかし若い声で嗤った。
「余人は巻き込むな、とのお達しです。それに、『黒龍』はそう簡単に他人を手助けしないのだと伺っておりますし、当の本人がそれを裏付けたとの話もございますが」
ふふ、と含み笑う声が答える。
「相変わらずあのおじいちゃんには逆らえないんだね。まあ、あの人はとても優しい方だし、恩もあるなら分からなくもないけどね」
しみじみと言って見せる子供の声に割り込む息がある。
「そんなことはどうでも良いのです」
と、別の若い声が痛みをこらえるような声で遮った。
「レノン様、今すぐここをお離れください」
落ち着いているようで、ひどく焦燥を掻き立てられる声だった。委細は分からないが、とにかくものすごく必死なのだと、そう思った。
「うーん……今回はちょっと……。この時期は他では仕事が取れないし……」
答える声はいかにもあどけない。渋っているのが丸見えだ。いや、丸聞こえと言うべきか。
「こちらにも手段がございますよ」
張りのある闊達な声が、少しばかり声を尖らせて言う。対する小さな気配にも、初めて苛立ちが宿った。
「自由に旅していいって、その約束は?」
親子喧嘩前に子供が見せるような態度だった。反抗的とでもいうべきか。しばしの沈黙の間、四人の気配に刺が混じる。
「逆らいますか、あの方の命に」
「そりゃもう。こっちだって理由もなく引き下がるのは癪だ」
四人の気配が殺気立って膨れ上がる。対する小さな気配は、苛立ちを募らせているものの、普段と変わらずへらへらしている。どちらに余裕があるのかは、顔を見ずとも分かる。武器を握り直したのだろう、かちゃ、と音がする。じゃらら、と床をこすったのは鎖鎌だろうか。
「レノン様は槍使いでございましょう?武器はよろしいので?」
いかにも挑発を誘う若い声に、小さな気配は含み笑う。
「にいさん達もご存知のとおり、室内で使うのには向かない武器だ。あんなもの自由に振り回したら、この部屋が恐ろしいことになるのは分かりきってる。――いくら子供だって、余りにも安い挑発じゃ乗る気にもならない。よく覚えておくんだね」
そうですかと若い声が笑って、ふっと静謐な空気が満ちる。
そこからは無声でかすかな音で、だがかなり激しく打ち合っているようだった。四人は代わる代わる実に素早く滑らかに攻撃しているが、小さな気配が防御している様子はない。かと言って攻撃が入った音もない。おそらく避けきっているのだ。小さな気配が仕掛ける攻撃には、重量よりもむしろスピードを感じさせる。回し蹴りを放つときなど、かすかではあるが風切り音がしていた。殴られる寸前に耳元で聞こえるものが、四、五歩離れたロイの耳に届くからには、相当速いのだ。
しばらくすると、音が絶えた。がくんと膝をつく音が重いから、四人の襲撃者たちの方が屈したのだろう。荒い息遣いのなか、闊達な声が呼びかける。
「いつも、仲間の話を聞いて、気になって、いました。…何故、殺さないのです。気絶すらさせないなど、あまりに、危険でございましょう」
息の上がらない声は平然と答える。
「自分の命が危険じゃないのに、殺す必要を感じないからだよ。それとも、叱責が怖いからいっそ殺して欲しい?」
首でも振ったのか、さらさらと衣ずれの音がした。
「いいや、……あの方は、そんなことを、叱責したりしない。あなた様が頑固なのは、もとより承知しておられるからな」
ふうんと気のない返事を返して、小さな気配はソファに潜り込む。
「だったらついでに襲撃は昼間にしてって言っといてよ。僕のこと分かってるんだったら、夜に起きていられないことも知ってるだろうに……」
その言葉は嘘ではないらしく、一息つく間に寝息が聞こえてきた。四人の大人が、ため息をついて退散する音が聞こえた。
どれくらい経っただろうか、乱すものがなくなって無音になった闇の中をロイがうとうとと漂っていると、こほっと小さく咳をするものがあった。
けほけほとむせてから、ずるっと洟を啜る音。ちょっと震えたあとに、また咳の音――今度は盛大に。
「うるせ……」
聞こえないように小さく呟いた声は、しかしきちんと子供の耳に届いてしまったらしい。すぐに苦笑した風の鼻声が、ごめん、と答えた。
「ちょっと今日は寒いね。半袖でベッドから出たからなおさらだ。……やだなぁ、風邪かな。熱出ないといいんだけど……」
とぶつぶつ呟く。先ほど襲撃者たちに聞かせた寝息は偽装だったのか、とロイが思いかけたとき、すうすうと音がした。見れば子供は眠っている。狸寝入りには見えないし、仮にそうだとしても、ロイ相手にそれをやる意味はない。おそらく本当に眠っているのだろう。
「意味分かんねぇ」
呟いた声に返答はなかった。