第十三話 「異世界ぱふぱふ」
「ねえ、ケンちゃん。サチコは大人になりたくないの」
「僕は、早く大人になりたい」
「どうして?」
「早く大人になってサチコと二人っきりになりたい。何者からも、自由になって、僕がサチコを守れるように、早く大人になりたい」
「ケンちゃんは好き♡ わたしも一緒にいたいもの。でも、大人になるのはいやだなあ……」
サーカス団同士というのは、接触することを好まない。サーカスというのは、一つの家族であり、文化であり、思想である。だから、異なるサーカス団が接触するとなると、様々な不幸を呼び寄せる。
俺個人に限っても最大の不幸は、俺自身の出生に関する母の不幸がもたらしたものだ。その原因は、言わずもながだが、他のサーカス団からのスカウトが原因である。
もっとも、このスカウトが無ければ俺は生まれて来なかったかも知れないが。
そして、俺が体験したもう一つの不幸が、サチコの失踪である。
俺達が六歳になったある日、その日は、前触れもなく訪れた。
ある日、興行をしていた俺たちのテントの隣に、別のサーカスのテントが立った。普通なら、絶対にありえない光景である。サーカス同士は、客の喰いあいになるのを避けるため少なくとも、半径30km以内は避けて通るのが常識である。それが、馬鹿みたいに隣同士にテントを構えるなどあり得ない話である。ところが、親父にしろ、他の団員にしろ、一向に気にした風が無い。 不思議に思った俺は、サチコを連れて夜中に敵のテントを偵察に行った。
そこでは、とても現実とは思えない演目が披露されていた。
ハンとサムと称する道化回しの兄弟が次々と現れる化け物たちに芸をさせているのだ。
「さ~てお立合い! 次の登場は、おおいたち! 体長2mに及ぶおおいたちにございます」
定番のギャグである。大きな板に血を塗りたくっておお板血、とかいうやつである。と、思っていたら、
「キシャァァァァッ!」
なんと、本当にでっかいイタチが登場してきた。その辺は序の口で、人魚であるとか、ハーピィとか、ミノタウロスなんかが次々と出てきて、観客席の子供たちが大喜びだった。
? 子供ばっかり? 大人が一人もいない。
そうして、演目が終わると、
「さて、お客様方には、これより毎日がカーニバルの夢の国にご招待申し上げます。大人になって苦しむこともない、永遠の子供たちの楽園に、どうぞ、皆様ご参加ください」
そう、道化回し達が言うと、次々と席を立った子供たちが魔獣たちが入ってきたステージ上の門の中に入っていく。その顔には、「許し」を得た安堵の表情を顔に張り付けたまま。
そして、俺の隣にいた「サチコ」も。
「待って、行っちゃ駄目だ!」
手を引っ張り、必死で引き留めようとする俺に向かって
「おやおや、わたし達の説得に応じてくれない悪い子がまじっていますねぇ」
そう、背中越しに言われて思わず手を放してしまったことが悔やまれる。恍惚とした表情で門から出ていくサチコを横目に、俺はただ一人テントから追い出され、投げ捨てられてしまった。
翌朝、外で両親に顔を叩かれて目を覚ました俺は、あったはずのテントが既に無いことに呆然としてしまった。
「大変だ! サチコが隣のサーカスに誘拐された!」
そう、両親や、サーカスの仲間に訴えたのだが、キョトンとした顔の後で、爆笑された。
「あら、やだ、この子ったら、変な夢でも見てたのね」
「我がサーカス団の隣にサーカスを持ってくるバカなど居る訳が無いだろう」
「うちに女の子ですか? そんな娘居るわけないじゃないですか?」
「まったくです。うちは、夫婦水入らずでやってきたんですから」
なんということだろう。誰もサチコを覚えていないのだ。口裏を合わせている訳でもない。
ただ、サチコが居たという形跡だけが跡形も無く消えていた。それは、サチコの私物が一つも無いという事実だけでも、徹底して消失していたのだ。ここまで徹底されると、三日目には俺自身サチコの実在を疑いかねなくなっていた。
しかし、たった一つだけ、サチコの居た証拠が残っていた。クローバーで編んだ指輪だ。俺が初めて貰ったギャラで買ったおもちゃの指輪をサチコにプレゼントした翌日、お返しにと、クローバーの指輪を貰ったのだ。大事におもちゃ箱の奥にしまってあったものだ。やはり、只事ではないと悟った俺は、その日からサチコの話をすることを止め、ただ、巡業先で人知れず、サチコとあのサーカスを探す毎日となったのだ。
それも、俺自身が死んでしまったら、もうおしまいかと思っていたが、最後に神が
(君の探していた人がこれから行く世界に居るかも知れない)
と、念話で語っていた。まあ、話半分でも、覚えておこうか。
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まどろみの中、まだ、寝ていたい欲求が俺の覚醒を邪魔していた。柔らかく、暖かい。いい匂いのするとても心地いい空間に俺はいた。柔らかい布団の中で女の人のおっぱいに吸い付いているような、そんな、この世の全ての幸せを独占したかのような……ん? なんで、こんな具体的なイメージが?
「あん!」
ん?
ぽよん、ぽよん、と手の中で跳ね返る手ごたえがすっげーリアリティを提供していた。
むにゅ! 思いっきり抱きしめられた。
「むぐぅ~! むぐぅ~!」
何とか逃れようと暴れ出したところで、ぷるんぷるんのおっぱいから脱出できた。
え、知らないおっぱいだ。知らないおっぱいが三人分あった。
「「「「誰?」」」」
俺と、三人のおっぱいさんがハモった。ところで、後ろから剣呑な声音の男が迫ってきた。
「てっめぇーっ! 俺様のかわいい子猫ちゃんたちに何してくれちゃってんだよ! おえっ!」
後ろにいたのは、おっかない顔したおっさんだった。