第1話 忘れてゆくもの
やけに眩しい夢を見た。真っ白な光の中で、私は体を動かしている。組み手の稽古だろう、滝の様に流れる汗を感じながら、私は見えない敵と訓練をしていた。
聞き覚えのある声がしている。懐かしい、と呟いた。しかしそれが現実ではないことに気づいてしまうと、夢は醒めていってしまった。
- 忘れてゆくもの -
名残惜しさと共に目を覚ました私は、宿のベッドから身を起こしてため息をつく。今の夢はいつの頃の記憶なのか。そんなことを考えながら、身支度を始めた。
顔を洗い、ベッドの横に置いていた荷物を確認する。テーブルの上に広げていた地図を仕舞い、宿の朝食に向かおうと立ち上がった。
「……ああ」
ふと、思い出す。あれは母と別れる少し前の記憶だ。そう呟いて、そして自嘲気味に笑う。不老不死とはいえども、記憶は消えてゆくものらしい。数年前までは、はっきりと覚えていたというのに。
そんなことを考えていると、部屋の扉を叩く音が聞こえた。おそらくフレイさんかクリフさんだろう。もうすぐ朝食の時間だ。
「先に行って下さい」
私はドアの向こうに返事をし、そして荷物からもう一度地図を引っ張りだした。現在地とある場所を確認し、再び荷の中に戻す。そして先に行ったフレイさん達を追って部屋を出た。
宿泊した宿は旅人達で賑わっていた。護衛業の紹介も行われるらしく、依頼者と護衛が話をつけている姿もあちこちで見ることができる。私は食堂の隅で先に朝食を食べている二人を見つけた。幸運にも、この混み合う中で向かいの席が1つ空いている。
「おはようございます」
「おー」
「あ、おはようございます」
挨拶を交わして、早々に注文をとると、私は椅子に腰を下ろした。向かいのクリフさんは近くで商談をしている護衛達を眺め、フレイさんは欠伸をしながら食事を口に運ぶ。珍しく少ない食事の量に、私はため息をついた。
「昨日も酒場ですか、フレイさん」
「うっせーなっ。昨日金入ったばっかなんだし、いいだろ別に」
明らかに二日酔いの顔をしているフレイさんは、いつもより覇気のない声で言い返す。私はフレイさんを一瞥したが、それ以上は言わないことにした。確かに、昨日は護衛の仕事である程度の額が稼げた。三人それぞれに分配しても懐に余裕が出来る。
私は注文された品が運ばれてきたのを確認して、そして口を開いた。
「……次の出立についてですが」
私の言葉に、キョロキョロしていたクリフさんがこちらに視線を戻す。フレイさんもまた、気怠そうに顔を上げた。
「なんだよ、随分早くねぇか?」
「ええ、丁度行きたい場所がありまして」
食事をしながらそう言うと、クリフさんが首を傾げた。珍しいですね、と問いかけられて私は頷く。確かに、いつも私達は仕事のあるなしを判断して場所を移動する。個人的に場所を決定することは少ない。
クリフさんはいつも通りの笑顔を浮かべて問いかけてきた。
「何処ですか?ここから遠いところなら、ルートを確認しないと……」
「船を使うことになりますが……片道1ヶ月半の距離です」
「1ヶ月半……い、1ヶ月半ですかっ!?」
クリフさんの驚愕の声は周りのざわめきにかき消された。フレイさんも驚いた様子でこちらを見る。
「船って……何処だよ、そこ。何かあるのか?」
「いえ、特に何も。周辺に数えるほどしか人が住んでいない僻地です」
私は肩をすくませ、そして続けた。
「……私が個人的に行きたい場所があるんです。ここから往復で三ヶ月というところでしょうか」
「個人的に、って」
「ええ。ですからしばらく自由行動、ということでどうでしょう」
思わぬ提案に言葉が出てこない二人。私は状況が飲み込めるようになるまで、食事に専念する。
考えてみれば、共に旅をするようになってから5年が経ったにも関わらず、今まで別行動をとったことがない。仕事がないときはそれぞれ自由な時間を過ごしているものの、別な場所へ向かうことはなかった。
ただただ驚いているクリフさんの向かいで、フレイさんは顔を顰める。
「……何か?」
「別に」
文句がありそうな顔をしているにも関わらず、問いかけるとフレイさんは視線をそらした。自由行動を言い渡した意味をフレイさんは感じ取ったのだろう。今回の私の旅路に、二人はついてきて欲しくはない。ついてくるな、と暗にそう言ったのだから。
二人の様子に私は反対なしと判断し、話を進める。
「お二人はどうしますか?」
「え、ええと……」
クリフさんは困った様に視線を彷徨わせる。フレイさんもそっぽを向きながら考えているようだった。
しばらく唸りながら考えていたクリフさんは、ぱっと何かを思いついた様に手を叩く。
「あっ、じゃあ、あの……僕も以前お世話になった所に顔を出しに行ってもいいですか?ちゃんとしたお別れもせずに出てきてしまったので」
「ええ。……フレイさんはどうですか?」
一応そう聞いたものの、フレイさんの行き先は見当がつく。私達3人の中で唯一帰る場所があるのは彼一人だけだ。
フレイさんはこちらに視線を向けずに、ふて腐れた様子で呟いた。
「……アンブロシア」
でしょうね、と言い返すと、珍しくフレイさんは皮肉に何も言い返さなかった。ネオ・オリの一件以来、フレイさんはこうゆう態度を取ることが多い。
私はあえて無視をして言う。
「では、私は今日の夜に出立します。次は三ヶ月後。集合はこの街の、この宿で」
☆
朝食の後から出発の準備を始める。一人分の荷はいつもより軽く、最低限のものだけ詰め込んだ。足りないものは街で買い足す。準備に追われていると、いつもより早く時間が過ぎてゆく。
すべてが完了した頃には、夕日が翳りだしていた。
「……」
部屋を出ると、廊下は夕日の名残で淡いオレンジに染まっていた。そして一人分の影が伸びている。
私は深く息を吐くと、そこにいる人物に声を投げた。
「異論はないはずでは?」
「別に、行くなとは言わねぇっつーの」
窓に背中を預けて立っていたフレイさんは、そう言い返してきた。言葉とは裏腹に顔が非常に不満げだ。
私はフレイさんの前を通り過ぎる。彼は何も言わず、ただそれを見ていた。変わった、と思う。出会った頃のフレイさんならば、おそらく言葉で不満の理由を表すはずだ。今はそれをしない。
いや、それをさせないのは私の方か。
「……フェオレ諸島です」
私は足を止め、振り向かずに呟く。それはあえて言わないでいた目的地だった。
「島の1つに、カタリナの墓があります」
墓。そう呼ぶのも躊躇われる。カタリナと別れたあの日、私が彼女を埋めた場所。
あの夢を見た時、そこへ行きたいという強い想いに駆られた。何故かは分からない。いや、何となくは分かる気もする。私はおそらく、あの場所に戻ることで見つけたいのだ。
今の、この苦しみから逃れる術を。
「……」
「……では、失礼します」
私は返事がないのを確認して歩き出した。階段に足をかけると、僅かにフレイさんの呟きが聞こえた。
「……ずるい奴……」
階段を下る。軋む床の音がやけに大きく響いてくる。私はフレイさんの姿が見えなくなったところで、やっと深いため息を吐いた。