くすり
まずいな、とみなみは思った。
さっきから具合が悪い。わずかに眩暈がする。できればいつも肌身離さず持っている薬を飲みたいが、あれはこんな人前で注目を集めて飲める薬ではないのだ。
実家を離れるとき、主治医から説明があった。僅かにでも体に変調を来たしたら、必ずあの薬を飲むこと。もしくはもう一つの方法を行うこと。
とりあえず、あの薬を飲まなければ。
教室を出ようとすると、話の最中だったこともあり、数人の女生徒が付いて来たがった。だが、やんわりとそれを断って、教室から抜け出す。
誰にも見咎められずにこっそりと薬が飲めるならどこがいいだろう、と考える。
校舎の造りは、もしもの時を考えて入学前に確認済みだ。とりあえず、一人になれる場所として研究室の集中する北校舎の男子トイレの個室に向かうことにした。
だが、渡り廊下を渡りきったところで眩暈が酷くなった。思わずしゃがみ込む。
一歩も動ける気がしなかった。幸い誰もいない。もうここでいい、と薬を出そうとしたが、入れていたはずのポケットに薬のケースは入っていなかった。
「あ、」
そうだ。今朝、マンションを出るときに薬を忘れそうになったみなみは、一度部屋に戻ると慌てて鞄の中に仕舞ったのだった。
思わず舌打ちが漏れそうになる。いつもは懐に入れているはずなのに。
あるものがないと思うと、ぎりぎりで踏ん張っていた精神が一気に緩みそうになった。
(ダメだ、倒れる)
そのとき、どこかで聞いたことのある声がみなみの耳に飛び込んできた。
「みなみくん!? 大丈夫!?」
なんとか顔を上げると和田司の自信のなさそうな顔があった。
「司くん・・・」
「具合が悪いの? 立てる? 立てなそうなら先生を呼んでくるよ」
それは困る。
今にも保健室に走り出しそうな司の腕を掴む。何故か司の頬にぱっと朱が散った。
「み、みなみくん」
みなみはそのまま相手を引き寄せた。そうでもしないと囁く程度にしか出せない声では聞こえないと思ったからだ。
みなみの形の良い唇が司の耳朶を掠った。
「北斗、を、つれて、きて」
気を失ったみなみを前に、司は顔を真っ赤にしたまま、今自分が言われて言葉を反復した。
『ほくとをつれてきて』
ほくと、ほくと、北斗。
教室で寝ていた目付きの悪い同級生の姿が思い浮かぶ。
「た、大変だ・・・っ」
司は慌てて教室に引き返していった。