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ひみつ

まだ青い葉をした紅葉の木を見た瞬間、彼はああこれは夢だなと思った。幸せなころの記憶が見せる懐かしい夢だ。

実際には紅葉の木はこんなに高くなかった。大人の背丈くらいしかない小さな木は、まだ子どもだった彼には実物以上に大きく見えていたのだろう。

 そびえ立つような紅葉の木を抜けて、彼は自分より少しだけ背の低い少年を追って夏の

庭に入っていった。

この先に何があるのかはわかっている。少年と彼だけの秘密の基地があるのだ。

 家の敷地をぐるっと囲ってた生垣には、外側の密度からは想像ができないほど内側にぽっかりと空洞があった。子どもしか入れない小さな空間だが、夏の日差しの下ではひんやりとして心地よく、見付けた二人の子どもはこっそりとここを秘密の基地にしよう定めたのだ。

 先に生垣に到着した少年が身を沈み込ませるように緑の壁に消えていくのが見えた。彼も後を追って緑の壁の中に入った。

しかし、彼の視界に広がったのはひんやりとした木陰でも、少年の悪戯っぽい表情でもなかった。

 いつ現われたのか、有無を言わせぬ大きな大人の手がさあ行こうかと彼の手を引いていく。厳めしい門扉が現われたとき、彼は思った。

あのとき、自分はどんな気持ちだったのだろうかと。




「北斗ーーーー、朝だぞ~~~」

 やけにうきうきとした声が北斗の眠りを妨げる。続いてシャッという音と共に強烈な光が彼の目蓋を刺激し、おまけに幸せのぬくもりが無情にも消え去った。

「・・・みなみ」

「北斗、朝だぞ。早く起きろ」

 先ほどまで北斗が被っていた布団を掲げ、みなみと呼ばれた少年が綺麗な顔ににっこりと笑みを浮かべた。

北斗はその顔をまるで天使の顔をした悪魔だと思った。

「北斗、今日は私たちの入学式だ」

「今どきの小学生だって、そんなにやる気のある新入生はいないぜ・・・」

 呆れる北斗を無視し、みなみはぐいぐいと彼の寝巻きの裾を引っ張る。

「おい、やめろって! 服が伸びる」

「もう伸びているじゃないか。その伸びきったジャージ、いつまで着るつもりだ? さっさと捨てろよ」

「この伸びている感が寝るのには丁度いいんだよっ。おい、引っ張るなって! 自分で脱ぐから!」

 北斗は寝巻きを脱ぐと、みなみがクローゼットの奥から引っ張り出してくれた真新しい制服に着替えた。

二人がこの春から通う私立花曇学園の制服は、グレーのブレザーに同色のネクタイ、桜色のシャツという春らしい色合いの制服をしている。

 一つ一つ制服を身に付けていた北斗は、じっと己を見つめる視線に耐えられなくて胡乱気に相手に問いかけた。

「何だよ」

「いや、その制服、見事に似合わないなと思って」

 桜色、つまりはピンクだが、北斗が着るには甘すぎる色合いだった。しかし、それは本人が一番わかっていることだ。

「うるせ! お前が絶対これじゃないと高校に行かないって駄々をこねたから着てんだろ! 俺は絶対嫌だって反対してたのに・・・」

 二人が選択できる学校は他にもいくつか候補があったのだ。候補の学校はどれも似たような条件だったが、地味な色合いの制服をもつ候補の学校はことごとくみなみによって却下されていた。

「だってこの制服似合っているだろう、私に」

同じくグレーと桜色の淡い制服を身に付けたみなみが、モデルのごとくポーズを決める。華やかな彼の容姿にはよく映える制服だ。

「お前な・・・。くそ、こんなの着てられるか」

 北斗は一度締めたグレーのネクタイを解いた。そのまま引き抜くとぺいっとベッドの上に放り投げる。

「つけていかないと学校で怒られるぞ」

「別にいいだろ。高校生にもなって、こんな堅苦しいの」

 締め付けのなくなった襟元を広げる。

「どっかの三流ホストみたいだな」

「俺にはお前みたいな甘ちゃん坊やスタイルよりこっちのほうがマシなんだよ」

 みなみは肩を竦めると隣の部屋に行ってしまう。北斗も上着を羽織ると彼に続いて部屋を出た。

北斗の部屋のすぐ隣は二人が共同で使っているリビングとダイニングキッチンだ。テーブルの上にはみなみが作ったと思しき出来上がったばかりの朝食が用意されている。

 朝のニュース番組を聞き流しつつ、バターとジャムをたっぷり塗ったトーストを齧りながら北斗は尋ねた。

「そういえば、今日の式に天文の爺ちゃんは来るのか」

 天文とはみなみの家の苗字だ。ついでに北斗が「爺ちゃん」と呼んでいるのはみなみの本当の祖父ではなく、昔から天文家にいるみなみの世話役をしている老人のことである。

「いや。爺やは来ない」

 北斗は驚いた。

「え、爺ちゃん来ないの? だってお前の入学式だぞ・・・。来たがっただろ、爺ちゃん」

「もう私も高校生だ。入学式くらいで家族が来る必要はない」

 涼しい顔でみなみは答える。しかし、北斗にはその本心がわかっていた。

「みなみ、そんなこと言って本当は爺ちゃんが入学式ではしゃぐのが恥ずかしいんだろ」

「・・・」

 図星を指さされ、みなみは気まずげに視線を逸らした。

天文家の老人は、それこそ本当に目の中に入れても痛くないほどみなみを大切にしている。天文家の巨大な棚には、老人が取り溜めたみなみの成長記録のDVDやアルバムが沢山あり、老人の手によってきっちり整理され大切に保管されていた。

「ハレの日くらい大目に見てやれよ。お前の成長を見守るのが年寄りの楽しみなんだから」

「べ、別に爺やの件が恥ずかしいわけじゃない。もう高校生なんだし、そろそろ自立の一歩をだな・・・」

 コーヒーを飲みながらみなみはもごもご言い訳をする。相棒のうろたえる姿なんてそうそう見られるものじゃない。相手が気付かないのをいいことに、北斗は意地の悪い気持ちでその姿をじっくりと堪能する。

 朝食を胃袋に仕舞いこみ、いざマンションを出ようとしたとき、「あ」とみなみが声を上げた。

「忘れていた。薬を持っていかなきゃ」

「おい!」

 珍しく本気で北斗が怒った顔をした。

「ごめん、ごめん。入学式だからって浮かれていたみたいだ」

 一度部屋に引っ込んだみなみはプラスチックのケースを手に戻ってくる。プラスチックのケースの中には数種類の錠剤が納められていて、常時みなみは複数の薬剤を服用しているのだ。

最寄りの駅までは、二人が住んでいるマンションから歩いて五分ほどだ。そこから十五分ほど電車に乗って、彼らが通うことになる花曇学園に辿り着く。

私立花曇学園は、都市近くの交通の便がよい郊外に位置する、緑豊かな学園だ。まだ歴史は浅いが、すでに著名な人物を数々世に送り出している、実績のある学校だ。そのため、新学校にも関わらず毎年定員を大幅に超える入学希望者が後を絶たず、グレーと桜色の制服は学生たちの憧れの的だ。

「ほら、北斗! 急がないと入学式に遅れるぞー!」

 すっかりテンションの上がったみなみが子どものように坂を駆け上がっていく。

「遅れるわけあるかっ、式が始まるまであと二時間もあるじゃねーか!」

 初め北斗は気が付かなかった。何故、同じ電車がこんなにも空いているのか。何故、登校中に同じ制服を着た学生と出会わないのか。気が付いたのは電車に乗り始めて五分ほど経過してからだ。

『・・・? みなみ、何かおかしくないか』

『お腹壊したのか? トイレなら後方の車両だけど』

『花曇の生徒って俺たちだけじゃないか? この電車、花曇が最寄りの筈だろ。それなら俺たちと同じような新入生がせめて何人かいるはずじゃないか。一人もいない。もしかして乗り間違えたんじゃ・・・』

『いや、間違ってないよ。ただ、時間帯がちょっとずれているからな』

『ずれている? 入学式って何時だっけ』

『十一時』

 そのとき、実にタイミングよく北斗の目に車窓越しにあった街の電子時計が飛び込んできた。

《九時五分》

 瞬きしてみたがやはり数字に変化はなかった。

『あの、みなみさん?』

『何かな、北斗くん』

『今、九時だよね? 式まであと二時間くらいあるよね?』

『北斗、人は何事も早目早目に行動するのが一番なんだぞ』

『うおーっ、マジかよ! 俺、あと一時間は余裕で眠れたじゃん!』

 という遣り取りが十数分前のことだ。北斗の機嫌はすこぶる悪い。眉間には深い皺が刻まれヤクザ者のような不穏なオーラが垂れ流されている。

「北斗! 見てみろ! 私たちの高校の校門だ」

 しかし、そんなことを一々気にするみなみではなかった。たとえ後ろの連れが自分のせいで機嫌が悪くともそんなのは今の彼にとって小さいことでしかない。それよりも一生に一度になるだろう今日という盛大な日に彼の心は躍っていた。

 なんて素晴らしい日だろうとみなみは思った。この自分が高校に通おうとしている。普通の人と同じように学校に。ずっと諦めていたことだ。いや、諦めることすら許されなかった。彼にはまったく無縁だったのだから。それがどうだろうか。今、彼はこうしてお気に入りの制服を着て、自分の足で校門まで向かっているではないか。

学校を取り囲む満開の桜の花びらはまるで自分たちの門出を祝福しているかのようだった。

後ろで北斗の叫ぶ声が聞こえる。

「みなみ、走るな。転ぶぞ!」

 自分のせいで機嫌が悪いくせに人を心配する男がおもしろくてみなみは晴れやかな笑い声を上げた。




 和田司の悩みは極度に気が弱いことだ。いつも自分のせいではないかとびくびくしてしまう。

 入学式では座席が一つ足りなかった。丁度、司の次の生徒の分がなくて「マジかよー、俺の席ねーじゃん」と言ったクラスメイトに、司は「すみません」と謝っていた。

もちろん司のせいであるはずはない。司は何も知らない新入生だし、座席が足りないのは学校側の用意が悪かっただけのことだ。

現に謝られたクラスメイトも怪訝な顔をしていた。それでも気弱な司は、自分のせいで座席が足りなかったのではないか、自分が人を差し置いて座っていいのかと思ってしまうのだ。

 入学式が終わり、生徒たちはこれから一年を迎えることになる教室に移動していく。

教室に入った司の目にやけにきらきらと眩しい人物が飛び込んできた。

「北斗、すぐ寝るな!」

 仁王立ちになって窓辺の席で机に突っ伏している生徒を怒っている姿に、このとき司の脳裏には人生で始めて「美形」という文字が浮んだ。

それほど綺麗な顔立ちの少年だった。くっきりとした華やかな目鼻立ちに、滑らかな頬、少し顔色が悪い気がしなくもないが、繊細な彼の美貌にはそのくらいが似合っているように思えた。

「だってさー、みなみが一時間も早く起こすからー」

 机に突っ伏していた生徒が顔を上げる。寝起きのせいかやけに目付きの悪い少年だった。おまけにぼさぼさの頭は寝癖としか思えない。

「式が始まるまでぐーすかと中庭のベンチで寝こけていたのはどこのどいつだ? プラス入学式だってずっと寝通していただろう! お前の睡眠時間は充分確保できている」

「俺はふかふかの布団で寝たかったの! それを無情にもお前が一時間も早く叩き起こすから・・・しくしく」

「くどい。もう過去の話をいつもでもぶり返すな」

「過去じゃねーよ! 事実と言うんだっ」

 くすりと笑いが漏れる。二人が同時に振る返って司は口元を押さえた。

「ご、ごめん。二人の遣り取りがおもしろかったから、つい・・・」

「確か君は和田司くんだよね」

 美形の彼が笑みを浮かべる。その表情が思いのほか人懐っこくて司はびっくりした。

「う、うん」

「私は天文みなみ」

 天文みなみと名乗った彼が隣を指す。

「こっちのだらしない奴が天文北斗」

 よろしくと天文みなみが手を差し出す。

司は握手なんて外国の映画でしか観たことがなかった。だが、天文みなみの笑顔に惹かれ思わずその手を握り返していた。

続いて、はたと気がつく。

「あれ・・・、同じ苗字?」

「私たちは親戚同士なんだ。北斗、和田くんにきちんとあいさつしろ。自己紹介は友達作りのために基本だぞ」

 みなみに諭され、目付きの悪い少年は面倒そうに片手を上げる。実に簡潔な自己紹介をした。

「俺、北斗。よろしく、和田」

「よ、よろしく」

 すると、それまで遠巻きにしていたクラスメイトたちがわっと集まった。主にみなみの周りに。

「みなみくんって言うんだ!?」

「どこの中学出身だったの!?」

「趣味は何!?」

 あっという間にみなみは取り囲まれる。輪の外にはじき出されて和田は無様にも尻餅をついてしまった。

「いって・・・っ」

「大丈夫か、和田」

 意外にも北斗の腕が司を助け起こしてくれた。

「あ、ありがとう。みなみくん、すごい人気だね・・・」

 クラスメイトたちに取り囲まれたみなみは困惑しつつも、うれしそうに皆に笑顔で答えている。その素敵な笑みがつい先ほどまで司にのみ向けられていたのかと思うとなんだか寂しい気持ちがした。

「気にするな。あいつは人の多いところに慣れていないから、うれしいだけなんだよ」

「え?」

 司は振り返ったが、北斗は教室から出て行くところだった。


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