小さなキューピッド
(あの子、もうかれこれ30分近く一人でいるんだけど、大丈夫かな?)
楓は手に持っていた文庫本から視線を逸らし、先程から何度も見かける子供を注意深く見る。黒のフードつきのトレーナーに、カーキー色の長ズボン。色素の薄い茶色い髪は人工的に染められたものではなく、地毛だと分かる自然な色。ふっくらとした子供らしい曲線を描く頬はうっすらピンクに染まっている。近くで見たわけではないので顔はわからないが、少なくとも身長から判断するにこんなところに一人で来れる年齢ではないだろうと考える。
ここは、駅やバス停からも離れているショッピングモール。しかし、その分かなり広い駐車場が併設されているため、車を持っている客層には利用しやすいお店だった。楓もその一人。元々お店には駐車場が付いているのが当り前な田舎から上京してきた楓にとって、アパートから距離は離れているが、車で来ればそこまで遠いとは思わない上に、お気に入りの雑貨屋と本屋と紅茶専門店が入っているとなれば、休日の外出先トップ3に入るのは必然。今日もいつものように茶葉を購入し、欲しいけど衝動買いだから我慢!と何度も手に取っては棚に戻したマグカップから涙を飲んで離れ、何か面白い本がないかと本屋で物色していればちらちらと目に入ってくる小さい影。
(迷子、かな?)
キョロキョロと周りを見渡しながら歩く子供の周囲に視線を走らせたが親らしき人は見当たらず、レジに視線を向けても店員は迷子の可能性がある子供に注意を払ってはいなそうだった。再度子供に視線を戻す。
(んー。転びそうで怖いなあ…)
周囲に気を配っているため、足元に向ける注意力が散漫になっているであろう上に、今日は休日で人も多い。そのうち躓いて転ぶか、人にぶつかって転びそうだ。
(…あーもう。私子供苦手なんだけどなあ…)
楓は小さくため息を吐くと、手にしていた文庫本を元の位置に戻し、子供に向かって歩き出した。歩きながら鞄から携帯を出し時間を確認すると、やはり楓がその子に気づいてから30分は経っていた。最初はちょっと逸れただけですぐ親と合流するかな?と思い、なんとなく心配で親が現れるまでは気にかけておこうと思ったのだが、10分経っても20分経っても一人ぼっちでいる子供に、楓の不安は高まっていった。そして30分が経った今、我慢は限界だった。楓も、その子供も。
「僕、どうしたの?」
キョロキョロ周りを見渡していた顔を俯かせ、両手をギュッと握りしめて立ち尽くしていたその子に、楓はしゃがんで顔を覗き込むようにして話しかけた。
「あっ……」
楓の声に反応してバッと顔を上げた子供は一瞬笑顔を浮かべたが、楓を見て自分が望んでいた人物でないことに気づくと、キュッと口を結び顔を歪ませた。
(うわー。お目目クリクリでかわいい子だなあ)
やはりかわいい子は素直にかわいいと思う。見ている分には。
このショッピングモールは家族連れも多く来るため、よく迷子らしき子供を見かける。子供が苦手だと思っている割には甥っ子がいるからなのか、性分なのか。楓は、子供が一人でいるのを見かけてしまうとどうしても気になってしまうのだった。いつもは暫く様子を窺っていると無事親と合流するのだが、どうも今日はそうはいかなかったようだ。
「お姉さんはねえ、今日一人で車を運転して来たんだけど、僕も今日は車で来たのかな?」
楓はなるべく怖がらせないようにゆっくりと質問をする。子供は目尻に涙を溜めながら、それでも泣くまいとしているのか、キュッと口を結んだまま頷いた。その仕草に再びかわいいなあと思った楓は、自然と笑みを浮かべて次の質問をする。
「そっかぁ。じゃあおうちの人と逸れちゃったのかな?」
「……」
「この本屋さんで逸れちゃったの?」
「……」
子供は楓の質問に無言で頷いて答える。
「んー、そうかぁ。じゃあ、お姉さんと一緒に本屋さんぐるっと回っておうちの人探してみようか」
「…んっ」
一生懸命返事をしようとしてくれているのだろう。今度は頷きと共に声が聞こえたことに楓は嬉しくなってまた笑った。その時、
「しのぶっ」
「あっ!パパ!」
焦燥と安堵が入り混じった表情で駆けてきた男性が子供を抱き締めた。
「ごめんなー!お仕事の電話がかかってきて、すぐに切ろうと思ったんだけど話が長引いちゃったんだよ~っ。良かったーまだ本屋に居てくれてっ」
「今ね、ちょうどこのおねえちゃんと一緒にパパのこと探しに行こうとしてたんだよ!」
しのぶの言葉に顔を上げた父親は、楓の方を見ると慌てて立ち上がり頭を下げた。
「すみませんっ。ご迷惑をおかけしてしまったようでっ」
「いえいえ。丁度お父様を探しに行こうとしていたところだったので、すれ違いにならなくて良かったです」
ご迷惑どころかはっきりいって何もしていないので謝られると逆に心苦しい楓は、立ち上がると片手を振って苦笑した。
「いやっ。本当に申し訳ありません。緊急の仕事の電話がかかってきてしまいまして…」
「お休みなのにお仕事の電話なんて、大変ですね。良かったね、しのぶ君パパが見つかって」
「うんっ!」
「いや、本当にありがとうございましたっ」
何度も頭を下げてお礼の言葉まで言われてしまうと、さらに心苦しい楓は、「本当に、探しに行こうとしていたところだったので、何もしてないんですよ」と言って、場をまとめると父親には会釈をし、しのぶには手を振ってその場を後にした。
(うーん。本当に私のしたこと無駄だったなあ…)
30分も気になっていた一人でいる子供にやっと声をかけたと思ったら、探す前に父親が迎えに来た上に、どうやら一連のやりとりを気になって見ていたらしい一部の客の注目を浴びてしまったようで、楓は買いたかった本も購入せずに本屋から出てきてしまった。
(でも…、うん。良かった)
エスカレーターに乗って横を見ると見える鏡に映った、耳まで真っ赤になっている自分を見て慌てて顔を俯かせると、髪で顔を隠して楓は少し笑った。
(んー、どうしようかなあ。新刊は帰り道にある本屋に寄って買えばいっか)
駐車場に停めてある車に向かいながら、楓はこの後の予定を立てる。
(本屋に寄った後、スーパー寄って…)
「あ、あのっ…」
(あー、でもこの時間だとまだ値引きされてないよなあ…)
「あのっ。すみませんっ」
(本だけ買って、一回帰った後また夜買い物に行く?…んー、それはそれで面倒だなあ…)
「すみませんっ!」
「え!?」
考え事をしながらバックの中から車の鍵を取り出そうとした手を取られ、楓は驚いて振り向いた。振り向いた先には自分の手を握ったまま顔を真っ赤にした知らない青年。
「…えっと…あの?」
「さっき、本屋さんで親と逸れた子供に話しかけているあなたを見て、素敵な人だなって思いました!僕と付き合ってください!」
「……………え!?」