君であるということ
この文を全ての人に贈る
世界中の人達は認め合って生きている
これは僕の座右の銘、というか信念である
どんなに嫌いな人間だろうと、確かに人には認められるものがあるのだ
ただ、それを認めようとしない――即ち嫉妬
認識しない――無関心
認め確かめようとする――闘争
なかでも、無関心とは最も忌むべきだろう
昔読んだ小説に、『究極の悪意』というものが書かれていた
ライトノベルスであったその物語には、『究極の悪意』として世界に致死性の高い毒を流そうとする敵役がいた。
しかし、そんな相手に主人公はこう言ったのだ
『そんなのが究極の悪意だと?』
正直、寒気がした
僕はこういう本で感情移入しやすいのだが、それとは違う。
知っていて、知らない事を突きつけられたきがした。
『究極の悪意とは、その相手に対する全否定をいうのだ』
そこで、物語に出てくる敵役に深い因縁を持つ少女が突如登場するのだ。ヒロインであるはずの少女が『鬼』として………
『あんたの存在なんか認めない!』
『消えろ!消えろ!!消えろぉぉお!!!!』
チェーンで殴りにかかる少女を、作者は残酷にも正確に描写していた
それは執念だった
それは悲しみだった
それは――憎しみだった
――恐らく、作者の伝えたかっただろう思いは、深く僕の心に刺さった。
『今、その少女がしているのが究極の悪意だ。存在を認めぬ。生まれてきた事も許さない』
そるはまさしく、『究極の悪意』だろう
まぁその後はライトノベルスらしく、魔術で『存で『存在』を消すとかするのだが
これを読んだ君は何を思うだろうか?
シカトと呼ばれる行為がこれに一番近いかもしれない
相手のなにかを認めないというのは、相手に対する全否定ではないだろうか?
なにより、『認める場所』すら見つけてもいないのに、その人の印象だけで、事実だろうと、嘘であろうと、その人をマイナスとする言葉を放つ事は許せれるのだろうか?
否
否だ
僕はそれを許さない。
たとえ神であろうとも、僕はそれを許しはしない
許していい道理がない
なぜならば、それこそが世界の『悪意』の根源の一つであると疑わないからだ
……しかし、なんでこんな話したんだろ?
君なら分かるだろ?
僕は君という人間を『認めて』いるからこそ怒りを覚えているんだ
君は君だ。
他人なんか関係ない
だれにも『認める場所』はあるんだから
実際は、現実の友人が彼をよく知りもしない先公に『マイナス』な事を言われて、激怒して書いた文です。
Mixiの日記に書いたんですがね?
――むしろ、これこそ人が知るべき事の一つではないだろうか?――
と考えてしまいました
えぇ、浅はかかもしれません
苦情、反論あるでしょう
しかし、少しでも疑問に思ってくださったならば
私は貴方に最大限の『ありがとう』を言わせて頂きます。
あと、他の作品もよろしくお願いいたします。