第七話
「……。なんだこの状況。」
意味が全く分かりません。
思わず眉間を揉みながら口にしてしまったが、僕は悪くないだろう。悪いのはこのお二人である。
主語を省いて会話をされると、いきなり試験的な事をさせられた僕には状況が掴めません。
ベーリッツ様とムニトゥ一等書記官はふふふと笑いあっているが、一体何だと言うのか。
「説明が必要かね?」
ベーリッツ様はニタニタという形容詞が相応しい笑みで僕の様子を伺っている。
「お願いします。」
ベーリッツ様がムニトゥ一等書記官に目配せをし、彼女はいつの間にか居た部屋の入り口からベーリッツ様の隣に移動した。
「では私から。ユウナ三等書記官、君には『王の見えざる手』である私たちの仕事を手伝って貰いたい。」
「はぁ。……はぁ!?今、『王の見えざる手』と仰いましたか?」
僕は頷きかけたが、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
『王の見えざる手』
一言で形容すれば、暗部組織を指す通称である。詳細な人員構成は不明。活動拠点も不明。当然のごとくその活動内容も不明であり、極端に言ってしまえば実在するのかどうかまで怪しい組織である。少なくともつい先ほどまでは。
なぜ僕が知っているのかと言えば、噂として市井でまことしやかに語られるからである。
僕の知っている知識とて噂程度のものでしかない。
曰く、『反同盟国家に対して諜報活動を行っている』『王に刃向かう勢力を暗殺している』『暗黒大陸出身者で構成されている』『市民に紛れて不穏分子を監視している』などなど、噂には事欠かない。
噂については、後ろ暗い所のある人間や組織に対する牽制としての情報操作の一環だと思っていたし、一国家であるからしてそういった組織があってもおかしくないと思っていたが、まさか僕に関わってこようとは。
胃が痛くなってきた。この痛みとは実に二週間ぶりの再会だ。
「腹を押さえてどうした?」
「いえ、これからの事を考えますと胃が痛くなってきまして。」
そんな僕を見て、珍しくムニトゥ一等書記官が笑った。
「はっはっは。大丈夫だ。協力して貰うからには職業訓練の一環として、きっちりと鍛えてやるから安心して欲しい。」
体質改善を訓練で行うなんて聞いた事が無いんですが。
「ちなみに断る、という選択肢は?」
僕の質問にベーリッツ様の笑みが一段と深くなったように見えたのは気のせいではあるまい。黒い、黒いですよベーリッツ様。
「断っても良いが、これだけの情報に触れたのだからその後の自由は無いぞ?監視を付けた上で、離島のクライア諸島の監視官に赴任させる形になるだろう。」
クライア諸島って極北の地ではないですか。冬は海さえ凍る極寒の地で多分一生を過ごす事になるんだろうな。
というか、本当にそんな場所を監視する役職などあるのだろうか。どこぞの業界用語で『抹殺』とか『適切な処理』とかを指す符丁では無いだろうな。
否定できる材料が無いのがヒドイ。
ムニトゥ一等書記官はどことなく気まずげな表情だが、どこまで本心なのかは不明だ。
今更だが、何で僕がこんな状況に巻き込まれる事になったのかと呻く。平々凡々で安定収入な公務員生活を送っていく人生設計が目茶苦茶だ。
「巻き込む形になってしまったことはすまなく思う。だが、そんなに悪い職場ではないぞ?君が実家というのか、出身の孤児院に仕送りしているのは知っている。給料が今より良くなるから仕送り額も増やせるだろう。それにスリリングだ。今よりも緊張感のある仕事だろうから、人生に張りが出ることは間違いない。何より美人の上司がいる!」
「別にスリルを求めて仕事をしている訳ではないのですが。で、僕が『王の見えざる手』に転職せねばならないとして、業務内容は何をすれば?自慢じゃありませんが、体力なんてそこらの八百屋にも負けますよ?」
ほぼ受諾を意味する返答をした僕に、彼らは破顔した。
エラくあっさりと受け入れたとは思われたくない。思われたくはないが、僕にも事情というものがある。
彼女の言うように、僕は生家と言っても差し支えない孤児院に仕送りを行っている。誰にも言っていないその情報を押さえているのは流石に暗部組織と言ったところか。身辺調査も終えた上でのこの勧誘なのだろう。
孤児院であるからして、養父母達の元には今も二十名を越す弟妹達が居るのだ。みんな食べ盛りの育ち盛り。彼らを飢えさせるのは、兄として何としても避けたいところである。その点で見れば、お給金が高いのは望ましい。自分一人の生活など何とでもなるので、正直なところ嬉しい。
後は仕送りを十分に行えるのと、自分の命を含めた健康問題を天秤に掛けるのみだ。
美人の上司云々はスルー。そんなの己の健康問題の前ではゴミだ、ゴミ。
いや、言い過ぎか。美人であることに越したことはないな。
「君も察しがついていることだろうが、それら資料はプリトン元子爵家のものだ。」
ムニトゥ一等書記官は僕が未だ持っている書類を指さす。
「君にして貰いたい仕事とは、君の言うところの『宙に浮いたお金』の追跡だ。ああ、君に戦闘部隊としての働きは期待していないから安心して欲しい。」
「安心しましたよ。」とそう言えば良いのか、この場合。喉元まで出掛かったが、痛烈な嫌味になりそうだから自重した。
「そう仰るからにはこの資料から掴める以外の、金銭の出入り、周辺所領の情報精査までは終わっていると考えて宜しいのですか?」
僕は彼女に資料を渡した。彼女は頷きながら、書類をパンパンと叩く。
「無論だ。というより、ある程度の疑惑の証拠固めは終わったのだが、敵もどうしてなかなか尻尾を見せなくてな。何とか話を聞けるところまで持って行きたかったのだが、正直手詰まりだったのだ。そこに君が報告してきた先日の『発注案件』があった。それを理由として彼らを捕縛した。」
この国って意外と強引な手法を取るんだというのが驚きだ。別件逮捕に拷問か。「話を聞く」って要は自白剤を投与しての拷問だろう。そうとしか思えない。情報を聞き出した後は処刑か。
「彼らから話を聞いたところで、どうにも人手が足りなくてな。ウチの組織は脳筋が多いせいか、数字を見ると体調不良を訴える人間が殆どで困っていたのだ。そこに丁度良く君が居たという訳だ。君を観察させて貰ったが口も十分堅いようだ。」
自分で言うのもなんだが、真面目に仕事をした結果がこれか。笑える。
そこからはベーリッツ様が説明を引き継ぐ。白い髭を扱きながら、彼は目を細めて僕を見た。
「大まかな流れとしては彼女から説明があった通りだ。お前にはムニトゥ一等書記官補佐の役職を与える。細かい実務的な部分については彼女に従え。国の為に役立ってくれることを期待する。」
「微力を尽くします。あの、一点だけ宜しいですか?」
ベーリッツ様は「何だ?」と言いながら、煙草を取り出した。
「僕も吸って良いですか?正直、一服しながら整理したいのです。」
「構わん。折角我らの組織に入ったのだ。煙草なら私のを吸え。ほら。」
ベーリッツ様はそう言って、紙巻き煙草を純金で出来ているらしいケースから出す。
「有り難く頂戴します。」
気づくと、ムニトゥ一等書記官も懐から煙草を出して火を点けている。この人も喫煙者だったか。吸い慣れているらしく、ぎこちなさは無い。
「まぁ、勤務時間中ゆえに酒で乾杯とはいかんが、な。煙草と茶で乾杯だ。」
「これから宜しく頼む。」
「どうにも変わった流れですが、こちらこそ。最大限実績を出します。」
「期待するよ。」
そう言って三人ともに軽く笑う。
ベーリッツ様の煙草は国内産ではなかった。僕の吸っている安物とは違い、本当に美味い煙草だった。銘柄もチェックしたし、たまの贅沢としてこれを買っても良いかも知れないと思った。
一服した後に、執務室を辞して二人して廊下を歩む。足取りはゆったりとしたものだ。なんとなく、今日の仕事が終わった気分になっている自分がいた。
頭を振って意図して気持ちを切り替える。まだ不明点は数多い。
「にしても、どうして僕を?」
そう言った僕に隣のムニトゥ一等書記官はちらりと視線を向けた。
「どうして、とは?理由は先ほど言った通りだが?」
「動機が弱いですよ。僕としても数字に強い、口が堅いと言われて悪い気はしません。ですが、それにしたって並外れたものではないと考えています。」
クスリと彼女は口の端を歪めた。なんだ気づかれていたかとでも言いたげな表情だった。
「存外に疑り深いのだな。それでは納得できないか。」
「僕としても自分が国の暗部に関わるとなると、脳天気に構えては居られません。」
間接的ではあるが、それでは心から仕事に邁進できない旨を伝える。せめて僕が納得できる、あるいはしたくなるような理由付けが欲しい。
「まぁ君の考えている通り、それらは補助的な理由だな。主たる採用理由の補強に過ぎない。」
「では何故か伺っても宜しいので?」
「王命さ。」
「……。どこか会議室に入りましょう。どんどん伺いたい事が増えてきています。」
「そんなところだろうと思ってな。既に取ってある。小声で話す必要のない部屋だ。そこへ行こう。ついてきてくれ。」
彼女は民族衣装を着ている。どこか柔らかい雰囲気を朝は受けたものだが、今となっては幻想だったのではと思える。それほどに彼女やベーリッツ様の思考に操られないようにするのは苦労する。
彼女の勧誘文句にあった言葉通り、確かにスリリングだと思った。