第五話
そういえば、と殿下がこちらを見るのへ僕も顔を上げた。
「ユーナは来月の休みはどうするのだ?」
「来月というと…、建国祭の四連休ですか。私の名前はユウナです。」
この国が初代陛下に建てられた事を記念する祭りだ。
毎年インリの月第三週に催され、その週は全休となる。たが今年は同盟国の国王方が集まる、その名も同盟会議が翌週にこの王都で開催されるために休日は例年より少ない。
それだけ準備に時間が掛かるということだ。
他国の王を招くとは、我が国の豊かさを見せつけるという外交的主張の場でもあり、各業界から個人に至るまでてんやわんやの様相を呈す。
無論、そんな国を挙げてのイベントに宮仕えの僕が他人事でいられるわけもない。
「勿論、出城です。下等文官でもやるべき仕事はたくさんありますし。」
「城勤めも大変だの。」
完全に他人事としてお茶を飲む殿下に僕は一言。
「殿下、他人事のように仰いますがそうではありませんよ。殿下には他国の王候
貴族のもてなしをして頂かなくてはならないのですから。」
「ふは!?」
ははは。お茶を噴きそうになるのは王女として頂けないが、鳩が豆鉄砲食らったような顔を見れたから満足だ。ささやかな復讐は成功か。
「ちょ、ちょっと待つのだ。」
殿下はぱたぱたと手を振るが、カップをその手に持ったままだ。ああほらお茶が飛ぶじゃないか。
「殿下、お茶が御召し物に飛んでしまいます。落ち着いて下さい。」
ひとまずカップを皿に置かせる。
彼女はそれでも落ち着かなさげに望遠鏡の周りをうろうろする。
「これが落ち着かずにいられるか。私は騎士団長として仕事をせねばならんのだ
ぞ。さらに…」
「ちょっと、あんまり動かないで下さい。御召し物を拭けないじゃないですか。
」
ようやく止まったか。あ~あ、お茶が白い上衣に…。あまり身体に触れないようにハンカチで拭くが、やっぱり落ちない。
彼女は引き続きブツブツ言っている。
「そういうのはセリアに任すと常々言っておるのに。父上は一体何をお考えなの
だ?」
いや、だから任す任せないの話ではないでしょうに。
「第一王位継承権を持つ者の責務ですよ、殿下。」
ぐわしぐわしと髪を手で弄るのは止めましょうね。
「私は自慢じゃないがもてなしなどできんぞ。決闘ならば大歓迎なのだが。」
「本当に自慢になりません。戦争を起こす気ですか。まぁ、陛下のご命令ですし
諦めるしかないのでは。あと二週間もありますし、みっちりダーナ先生に教えて
頂くのが良いと思います。」
僕は殿下から少し離れて煙草に火を点けた。
ダーナ先生とは宮中作法の生き字引とも言われる貴婦人である。ちなみに大変厳しい事でも知られ、殿下を目の敵にしている教授陣の一人である。
「ユーナは気楽だな。」
恨みがましい目で見ないで欲しい。僕は何もしていない。
「まさか。小役人には小役人の苦労があります。同じく殿下には殿下の苦労も。
お互いに他者の苦労は想像もできないでしょう。」
肩をすくめて煙草をふかす。あ~、なんで僕はこんな時間にこんな場所で王女とこんな話をしているんだろう。
「案ずるより産むが易し、ですよ。」
「なんだそれは。」
「異国の諺です。意味は、あれこれ思い悩むよりまず実行せよ。意外とすんなり
事が運ぶものだ、だそうです。」
「ユーナの癖に分かったような事を言う。」
殿下は口を尖らせてそう言うが、半分じゃれているようなものだ。
「なんですか、私の癖にって。それと私の名前はユウナです。」
大体こんな感じで話が進むのが常だ。彼女も嫌がっているのは本当だが、やるべきことをやらねばならないのは理解しているはず。
「なんとか避けられぬものか。戦でも起これば。」
やっぱり分かっていないかも知れないと思った。仮にも王族が軽々しく口にしても良い内容ではない。
「物騒な事を言わないで下さい。それは失言です。あまり気を抜きすぎませぬよ
う。」
「すまぬ。確かに失言であった。」
僕は煙草を吸いながらお茶を頂く。
殿下は変わらず月を見ている。
お互いにしばらくは無言で過ごす。風もなく、とても静かな夜だった。時折、警羅の者が纏う鎧の音がどこかから聞こえてくる。
「さて、そろそろ戻りましょう。」
どれ程経ったのか。僕はそう提案した。王女は薄着だ。あまり夜間に外にいるのは好ましくない。
「はいはい。片付けは手伝いが必要か?」
「はいは一回です。お気遣いありがとうございます。先に殿下をお送りしてから
片付けますから結構です。お気持ちだけ頂きます。」
「そうか。では戻るとしよう。」
殿下は頷き、先に階段を降りていく。僕も後ろをついていった。
だが、僕は忘れていた。王女はここに来た時、なんと言っていた?『近衛を撒いた』と言っていた。
つまるところ近衛隊長はたいそうお怒りなのだ。
城内を歩き、広間の中心に仁王立ちしているレイカン隊長を見た僕はその場で殿下に声を掛ける。
「では私はここで失礼致します。おやすみなさいませ。」
眉をつり上げている隊長の顔を見ないよう、殿下の返事を待たずに頭を下げたままUターン。流れるような動きとはこの事だろう。
後は隊長に任せて、僕は片付けと明日の準備だ。
「ほう。どちらへ行かれるのかな、ユーナ三等書記官殿?」
歩き出した僕の肩に置かれる厳つい手。重い。というか動けない。なんだこの力。
「いや、城壁通路に荷物を置きっぱなしなので撤収に。」
「こんな夜分にご苦労。して今まで殿下と一緒に何を?」
「いえ、まだまだ夜は浅いので大丈夫です。そこでお会いしたのでお送りしただ
けですが。」
ふん、僕は何もしちゃいない。そもそも誘ってもいないのだ。殿下が自ら来たのであれば、その責任は殿下自身が追うべきだ。その辺りの説教はする相手が違うでしょう。
「…。殿下をお送り頂き有り難く思う。が、殿下?夜間の独り歩きは例え城内で
も控えて頂きたい。どうも昨今…。いや、ともあれ殿下にはお部屋までお戻り頂きましょう。」
なんですか、レイカン隊長。言いかけたのを途中で打ち切らないで下さい。何か不穏な気配を感じるではないですか。殿下も心底面倒なヤツにつかまったと言いたげに…、こら本当に口に出す者がありますか。
おおう、殿下に正対しているレイカン隊長の背中が怒気で膨れあがったように見えたぞ。僕はさっさと退散するとしよう。
『エイドン、いるか?』
『どうした?』
試しにエイドンに念話を送ってみれば、すぐさま返事が来た。
『殿下は怖い隊長殿に捕まって自室で説教の流れだ。殿下の侵入検知を解除しておいてくれ。』
『分かった。後は宮廷組に任せておく。』
警備の引き継ぎもやってくれるとは有り難い。
当然の事ながら、この城には王族を護衛するための選りすぐりのエリート部隊が常駐している。先ほどのレイカン隊長は物理的な武を担当する近衛部隊の長である。そして、王族を魔術的な面から護衛するのが宮廷術師隊だ。エイドンは次席であって主席ではないので術師隊には組み込まれていないが、一時的に肩代わりは可能なぐらいの能力がある。
『たまになら手伝ってやるさ。』
エイドンに苦笑する気配がする。本来なら警護の者ではないエイドンに軽々しく魔術の施工を依頼したのは、命令系統と警護系統の面から好ましくはない。それでもお願いしてしまったのは僕の我が儘だ。
『すまん。今度飯でも行こう。』
城壁通路についた僕はそうして念話しながら天体望遠鏡を片付ける。よっと、重いんだよなコレ。
『そうだな。エレクレンシアで手を打とう。』
『高いよ!城下町で一番高級な店じゃないか!?僕を殺すつもりか?』
貴族でもそうそう行かないっての。思わず担ぎ上げていた天体望遠鏡を落としそうになった。