表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/7

第三話

 コーンと終業の鐘の音が鳴った。


 背伸びすると身体の節々から音が鳴るのが気持ちいい。


 今日も良く働いた、自分を褒める。


「ユウナ三等書記官」


 僕を呼ぶ声に、姿勢を元に戻して振り返る。


 あ、ムニトゥ一等書記官だ。腰まである銀髪と、髪と同色の瞳が印象的な先輩書記官である。


 あまり表情を動かさないが、時々ふっと緩めたりしたその表情に心を撃ち抜かれる男性同僚多数との噂あり。


「なんでしょうか?」


「先日の発注案件についてだが…」


 おおぅ。弛緩した心に渇を入れる。


 発注案件とは、ベーリッツ様と僕の間で取り決めた汚職事件を指す符丁である。


 そう言えば、ベーリッツ様が「補佐を付ける」みたいなことを仰っていたような。


「ベーリッツ様も別室でお待ちだ。行こうか。」


 僕はその問いに頷きで応える。手早く資料を――といっても僕が肌身離さず持ち歩いている分厚い手帳だが――持ってムニトゥ書記官の後を追う。



 執務室からそんなに離れていない所に、ベーリッツ様個人の部屋はある。いわゆる宰相の部屋である。


 彼は業務の効率を優先して、普段は大勢の書記官達と執務室で業務を行うことが多いのだが、当然の事ながら専用の部屋も割り当てられている。


 コンコン、とムニトゥ書記官がノックすると「入れ」と低い声が室内から聞こえた。


「失礼します」


 僕も彼女に倣って、室内へ入る。


 途端、得も言われぬ圧力のようなものにギシリと背骨が鳴る感じがした。のどが詰まる感じがするから嫌いだね、この感覚。


 この部屋は僕のような平民には重たいです。


 部屋の中には来客用のソファが二つ、向かい合わせに置かれている。


 そのソファに座った人間達を横から眺めるようにベーリッツ様の大きな机がある。僕の机の軽く5倍くらいは面積も重量もあるだろうな。


「座りなさい」


 ムニトゥ書記官は慣れたもので、さっさとソファに座った。


 僕は出来れば立ったままが良いのだが上司の言葉であることだし、仕方なくムニトゥ書記官とは反対側のソファに掛けた。


 書類を整理していたベーリッツ様はトントンと整えると、紙の束を机の隅へ置く。


「さて、呼び立ててすまなかったな。ムニトゥ一等書記官、そしてユウナ三等書記官」


 僕ともう一人は首を振る。


 ベーリッツ様はその色あせた髭を手で梳きながら、頷く。


「実はな、先日ユウナ書記官が見つけた不正の証拠固めが終わったのだ」


「彼の前任であるバイス二等書記官は捕縛されるので?」


 ムニトゥ書記官がちらりとこちらを見ながら問うのへ、ベーリッツ様はそうだと応じた。


「正確にはバイス二等書記官は罷免の後、逮捕・投獄だな。またその前任であり、今は領地に引っ込んでいるプリトン子爵も同罪となる。それ以前は記録が紛失しているせいで、訴追できんがな」


 王城から出る書類は機密事項の固まりと言える。あまり長期間保存しておくと、どこから情報が漏出するか分からないため、5年以上は保管することが少ない。


 プリトン子爵とは、4年前に定年退職した一等書記官まで勤めた方だ。


 あまり悪い噂は聞かなかったが…、僕の見つけた証拠から近衛隊がさらに容疑を固めたのだろう。爵位持ちまで投獄となると、ちょっとした大事だ。


 ああ、火の粉がこっちまで飛んで来ませんように。逆恨みとか、あると嫌だなぁ。


 そんな僕の半ば被害妄想に近い想像を断ち切るように、ベーリッツ様は微笑んだ。


「ムニトゥ書記官、さらなる証拠固めに良くやってくれた。それに、ユウナ三等書記官、最初に気づいたのはお前だ。良くやった」


 ベーリッツ様が他人を褒めるなど、大変珍しい事では無いだろうか。


 でもそう言って頂けるのは、すごく嬉しいものである。


「有り難う御座います」


 ムニトゥ書記官が頭を下げるのに、僕も慌てて倣う。


「お役に立てたのならば、嬉しいです」


「陛下からもお褒めの言葉を頂戴している。二人とも、特にユウナ、これからもきちん(・・・)と仕事に励むように」


「は、ははっ!」


 ちくりと嫌味ですね、ベーリッツ様。自分が完全に悪いので畏まる以外に選択肢が無い。



 退出する時に気づいたが、あの妙な威圧感は途中から気にならなくなっていた。


「そういえば、閣下は私から言うようにと仰っていたが、ユウナ三等書記官には褒美が与えられるらしい」


「は?」


 余りにも余りな僕の反応に、ムニトゥ書記官は小さく笑った。


「クスッ…。いや、失礼。6万デラとか何とか。…どうした、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているぞ」


「いやいや、そんなもの貰えませんよ」


 ぶんぶんと身体の前で手を振る僕に、彼女は首を傾げる。


「何故だ?汚職を発見する契機となったのは、君の功績だ。信賞必罰とはこの事じゃないか。ちなみに私も同じ額だけ貰えるようだ」


「ムニトゥ書記官、そんなの貰ったら何のために汚職を暴いたのか分からないじゃないですか。国庫からの無駄な出費を抑えるために役に立ったかと思えば、そんな所に金を出してちゃ…」


「何を言っている。国庫からは一銭も出ていない。明日中には没収されるであろう、バイス・プリトン両名の財産から出されるのだから」


 それは聞きたくない事実ですよ。


「そんな金を受け取ったら最期、死ぬまで二人に恨まれますよ…。逆恨みとかされたりして…。二人の派閥の人間から命を狙われるんだ…」


 ああ、ヤバイヤバイ。義父さん義母さん、息子が夜道で刺し殺されても後追いはしないで下さいね。


「君は随分と想像力豊かだな…。なかなかそこまで考える人間はいないぞ」


「素直に馬鹿と言ってくれて構いませんよ。自分でも小心者に過ぎるという自覚はありますから」


「なるほどなるほど。君は石橋を叩いて、壊して、さらに作り直してから渡るのだな」


 ムニトゥ書記官は小さく笑っている。ああ、なるほど。普段は物静かな美人がそうやって笑うと、男ってのは心を撃たれるんだね。同僚達の噂を実感したよ。


「とりあえず、下さると仰っているのに固辞しては失礼ですか。実家の義父母に送金するとします」


 彼女はそうすると良い、と頷いて去っていった。「また明日」とも。顔はまだ笑っていたけど。



「ほう、ユーナ。お前、いつの間にあんな美人と親密に話すまでになった?」


「……。エイドン、いきなり人の影から現れるな。心臓に悪い。それと僕の名前はユウナだ」


 口調こそ冷静に聞こえるかも知れないが、低い声がいきなり背後から聞こえるとかなり怖い。


 ムニトゥ書記官が曲がり角の向こうに行った後で良かった。引き攣った表情を見られたいとは思わない。僕だって男だ。


 視線を落とすと、エイドンが床に落ちた僕の影から首だけを出して喋っていた。


 傍目には床の上に生首が落ちているように見えなくも無い。しかもそれが喋るのだ。


 ちょっとした恐怖小説だ。


「今の女性は、一等書記官のムニトゥ・レイジアか。しかもあの若さ、あの美貌。俺ほどではないが、才能があるということか。フムフム…」


「何を考えてる…」


 大概ロクでも無いことであるのが、コイツの特徴なのだが。


「特に何も。強いて言えば、どれほどの魅了の術ならば堕とせるかと…」


 言い忘れていたが、今のエイドンの首は僕の足の真ん前にある。


 僕は何の遠慮もなく彼の頭を踏みつけた。全体重を掛けて影の中へ強制送還する。


 化け物退治は早いに越したことはない。かの英雄、クラウス・スードアも言っていた。


 

 ガチャリと扉が開く音に振り返ると、呆れたような表情のベーリッツ様が顔を覗かせた。


「ユウナ、宰相室の前で何をやっとる…。警備の者を呼ばれたいか?」


 ちょっと待って!僕が全部悪いのか!?


 あ、しかも誰も僕の周りにいないし!


 エイドンなんて影との接続すら切断してやがる!?


「ハァ、お前の行動が普段から奇矯でなければもっと誉めたい所も多いというのに…。残念なヤツだ」


「あの、ベーリッツ様…」


「良いからさっさと帰れ。さっさと帰って報償の使い途でも考えておれ」


 バタン、と無情にも宰相室の扉は閉まった。


 僕は何もしてないはずなのに…。


 なんだか遣る事為す事裏目に出ているような気がする。


 明日から一層頑張って、ベーリッツ様の評価を上げないとならないんだろうな。


 終わりが見えないよ…。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ