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エクニス  作者: くつべら
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第一章

稚拙な文章ですが、ご容赦願います。

 私の隣に先程から座っている青年は、難しそうな顔をして読書に耽っている。本には青色のブックカバーが掛かっていたので、どんな種類の本を読んでいるのか、文学なのか、評論なのか、さては自然科学の小難しい論文なのか、外から見ただけでは分からなかった。

 しばらくの間、青年は頭を垂れて熱心に黒色の文字群を目で追っていた。私は、感心したような満足げな笑みを浮かべて、青年の方を見て二三回、うんうんと頷いてみせたが、やがて視線を向かいのガラス窓へと向けた。

ガラス窓のさらに向こうでは、荒れた秋の田畑や薄灰色の煙を揚げた木造建ての民家などが、私の視界を横切って行った。そう、ここは京阪電車の車内なのである。

 青年の事など忘れて、疲れて目を閉じてうつらうつらしていると、車掌が次の停車駅の駅名を告げ知らせた。私は「出町柳」という車掌のしゃがれた鼻声に意識をハッとせられた。次は、終点である。急いで降りる準備をしようと電車の上棚に置いていたビジネスバックを降ろそうと立ち上がった時、私はまたしても意識をハッとせられた。さっきの青年が、いないのである。

 私は残念な面持ちであった。さっきの青年はきっと私が眠りに耽っている間に、丹波橋あたりで降りてしまっていたに違いない。私は、ああと深い溜息混じりの悔悟の小声を、二日酔いで荒くれている腹腔内から、若干の逆流してきた胃酸に交えて発した。残念であった。私はどうしてもさっきの本の中身が知りたかったからである。

 その日の夜、布団の中に入って木製の木板で作られた天井を見上げて考えた。あの青年はたぶん学生だろう。青年の読んでいた本はたぶん大きさからして文庫本だから、新潮文庫か講談社現代文庫であろう。いまどき、岩波文庫などの高尚な文庫を読む青年などいないだろうと勝手に決め付け、思案した。あれはたぶん小説だ。それも、至極難しそうな小説だった。文庫本の分厚さからして五百ページはある小説だ。たぶん海外の小説だろう。

ドストエフスキーだろうか?それとも「アンナ・カレーニナ」だろうか?いまどきの学生はそんな高等文学を読んでいないだろうからライトノベルの類だろうか?ああ、分からない。でも、どうしても知りたい!もう一度、あの青年は現れないであろうか!!


 私の夢の中で、青年は再び姿を現した。今日私が電車に乗っていた時とまるっきり同じ光景で、私の隣にはあの青年が座っていた。

もちろん、頭を垂れて文庫本を読みながら。

私は、決心した。聴こう!今しかない。ここで青年に聴かなければ一生後悔する事になる。

一生、その目の前にある分厚い文庫本の中身はベールに包まれてしまう事になる。私は勇気を出した。勿論、ここは夢の中であるので、ちゃんと声が出るのか不安だった。ア、ア、

大丈夫だ。声はちゃんと出る。それでは、早速聴いてみよう。夢の世界での言葉に信憑性がある事は、何時の時代にも信じられて来た

真実なのである。私は信じた。きっと青年は今日私に言い忘れた本の内容を夢の世界の私に隈なく説明してくれるだろうと。

「ねえ、君。何の本を読んでいるんだい?」

私は少しくなれなれしい自分の感じを後悔しつつ言った。

「えっ、ああ、ぶっ、文庫本です。小説です!」

青年は四十過ぎのサラリーマンにまさか夢の世界=個人のプライバシーむき出しの世界で声をかけられる等とは思ってもみないといった風で、驚きの表情を禁じ得なかった。

「誰が書いた小説?日本の作家かな?」

「いえ、海外の作家です。たぶんご存じなられないと思います。あまり、知られていない作家ですし。」

「それは、誰なんだい?」

なんだい、の「なん」の部分のアクセントを強くしてエロ親父ふうに言った。

「アルノルド・テン・ブルートスです。」

「あっ、アルノルド・デン・ブルーマスだって?」

「いえ、アルノルド・テン・ブルートスです。

ポルトガルの作家です。これは、「エクニス」というブルートスの処女小説です。恋愛小説なんですけど、結構面白いんです。」

「そんな作家がいるなんて知らなかったな。

おじさんも結構本をよく読む種類の人間なんだけれど、そんなブルートスなんていう作家、今まで一度も聴いたことがないぞ。何時の時代の作家なんだい?」

「2030年頃の作家ですね。ポルトガルで内乱があった時代の作家ですよ。もう、だいぶ前の作家ですけどね。」

「ああ、2030年頃の作家か。今からだとちょうど三十年前の作家だ。今が2050年だから。」

「二十年前ですよ。計算間違えています。」

私は、老いを感じた。

「ああ、そうだね、二十年前。私がちょうど学生だった時代だ。面白いの?それ。」

「面白いですよ。主人公が最後自殺を遂げる時の感じなんか何だか凄く切なくて泣けてきます。主人公の彼女だったテレサが病に倒れて先に逝ってしまうんですけれど、その後の主人公の自殺までの心の葛藤なんかが物凄く複雑でブルートスの描写力にはいつも乞驚せられます。」

「君は中々な読書家だね。感心するよ。」

私はブルートスと云う作家を知らなかった事に酷く自尊心を傷付けられた。

「もう、降りなきゃ。おじさん、また、どこかで。」

青年は足早に電車を降りた。そこにはどこか私を避けていると言った風の体があった。


 目を覚ますと、私は全身にべっとりと汗を掻いていた。季節は秋だからそこまで暑くはないけれど、私の着ていた長袖は特に胸の辺りが汗臭く、ポテトチップスのような臭いがした。恐らく、さっき見た夢のせいであろう。何だか嫌な予感がした。よくよく枕の下の辺りを注視してみると、そこには分厚い一冊の文庫本がおいてあった。私は暫し茫然とした。

 非現実的な物理現象、そう、私は文庫本など買った覚えはない。だとすれば、夢の中の青年が私の枕元に文庫本を置き忘れたとでも言うのであろうか。私はもしかすると夢遊病になって、近くのコンビニまで寝巻姿のまま文庫本を買いに行ったのかもしれない。それならば、財布の中身が減っているはずである。

しかし、確認してみたが、財布の中身は昨日会社から帰った時に確認した金額のままであった。私には会社から帰宅した際、財布の金額を確認するという奇習がある。では、この文庫本は何なのであろう。表紙は赤色で、その上の部分には白色インキで「エクニス」と書かれてあった。私は気味悪く思ったものの、すぐに身支度を始めた。今日はまだ平日なので、休日のようにゆっくりとした朝を過ごすわけにはいかないのだ。私はすぐに顔を洗い、髭を剃り、バーター入りレーズンパンを口に頬張りながらわずか三分でビジネススーツに着替え終えた。私は本の始末をどうするか迷ったものの、多少の気味悪さを感じながらも、その文庫本を会社鞄にしまって、家を後にした。

 会社へ向かう電車の車中、昨日の青年が再び現れないだろうかと、内心どきどきしていたが今日は現れなかった。その代わりに、私の隣には新興宗教の雑誌を熱心に読む五十過ぎのおばさんが座った。私は、なんだか無性にやるせない気分になった。

 会社に着くといつもどおり朝の仕事をこなし、休憩時間には会社の休憩所で煙草を吸った。その時である。同僚の山本が話かけて来たのだ。

「おう、元気か。」

私は至極脅えた。私は山本が苦手なのである。

「おっ、おう。元・・気?」

私は緊張気味に言った。

「なんか元気ねえな。最近なんかあったのか?」

山本がやけに馴れ馴れしかったので、少し警戒した。普段の山本は私などには話しかける事はなかったからである。

「山本君は、元気?君は確か人事部だったよね。大変?」

私は実は山本と話すのは今日でまだ二回目なのである。一度は新人研修の時で、もう二十年前だ。それ以来だから、私と山本は赤の他人も同様なのである。

「ああ、まあ、大変なほうだな。俺は面接官を任せられているんだけど、最近の学生は覇気がなくて嫌だな。何かこうハッとせられるものがないって言うか。自分の意見をはっきり言わないんだよ。なんかなよなよしくて嫌になってくるぜ。なぁ、田中!。」

私はビクついた。山本の目つきが尋常でないくらい怖かったからである。

「う、うん。そうだね。最近の若者は覇気がないよね。ぼ、僕も、そう思うよ。」

山本はふうんと云った風に眉間に皺を寄せて再び私を見て言った。

「ところでさ、お前、彼女出来たのか?内の同期でまだ独身なのお前くらいだぜ。」

私は吸っていたマイルドセブン8ミリを近くの銀製の灰皿に擦りつけ揉み消した。

「よけいな、御世話だよ!少なくとも、君に心配される筋合いはないね。」

私は急に込み上げて来る怒りに、声を荒げてしまった。山本は、酷く驚いた様子で目を大きく見開いたが、すぐに自分に歯向かった田中に怒りを覚え前歯をむき出しにして言った。

「お前ごときが、調子にのるなよ。せっかく彼女を紹介してやろうと思っていたこちらの善意をくみせず、一方的に俺を悪者扱いするお前の態度、気に食わないぜ。なぁ、お前、俺に喧嘩売っているのか?」

山本の目線が怖すぎて、私は小便をちびりそうになった。

「ご、ごめん。」

私は、しょんぼりして両手の人差し指を胸の前で合わせて、つんつんした。

「それ、可愛くないぞ。」

山本は、休憩室から立ち去る際、私の右の人差し指と左の人差し指の間に、絶妙なタイミングで白灰色の名刺のような紙を挟み、私の耳元で「まあ、電話でも掛けてみいや。」と言った。私は凍りついたまま丸三分の間ずっと、

両の人差し指で白灰色の四角い紙を挟み続けていた。


 家へと帰宅すると、真っ先に電話台の前に行った。名刺のような紙には、女性の名前と思われる市川彩香という名前と090で始まる携帯電話の番号が記されていた。恐らくこの電話番号はこの市川彩香という人の電話番号なのだろう。さっそく、電話を掛けてみようと思ったけれど躊躇った。どう考えても何の面識もない男からいきなり電話が掛かってきたら市川という女性も困惑するに違いない。下手をすれば、警察を呼ばれてしまうかもしれない。私は一人電話口の前に立ったままの姿勢で何度か首をかしげた。が、私はものの三分もしない間に電話番号を打ち、外線ボタンを押した。

 十数秒が経過して、突然女性の声が聞こえた。

「はい、もしもし、市川です。」

女性の声は、幾分はっきりとしていた。

「あ、あの、私は田中健三というものですが、

あの、山本に電話番号を教えてもらい、掛けてみたのですけれども。」

僕の心臓は今にも胸襟から飛び出しそうだった。

「あ、ああ!聞いていますよ。田中さんですね。明和銀行西日本支店の経理部で課長をしていらっしゃる。」

「そうです。詳しいですね。山本から聞いたのですか?」

「そう。山本さんが私に、なかなかイケメンのおじさんがいるんだけど、会って見る気はないかって。それで、私は是非にと思って山本さんに貴方に携帯の電話番号を教える事を許可したの。分かってくれたかしら。」

女性は、軽々しい口調で話し終えた。

「ええ、事の経緯は分かりました。それで、来週会うことは可能でしょうか?いきなりで急ですが、私は酷くせっかちなものでして。こう、待つ、という事が苦手なんです。」

「分かりました。では明日の夜七時頃に、光善寺駅で待っています。近くにローソンがあるからその辺りで待っています。私もせっかちなので、早く会いたいです。では、また明日。」

「あっ、はい。また明日。」

電話が切れるプツリという音が聞こえた時、私は床に倒れ落ちそうになった。なぜなら私は学生時代から女性とお付き合いをした事が今の今まで一度もなかったからである。女性とこうやって話をするのも、二十年ぶりくらいなのだ。会社では業務上の理由から、業務に必要な会話を女性に対してする事はあったけれど、こうやってプライベートの時間で電話越しに女性と話すなんて殆ど初めての事だった。

 私は、額から落ちて来る冷汗を右腕の袖で軽く拭うと、ふう、と溜息をつき、その場に尻もちをついた。明日の七時か。私はしばらくの間、ぼ~っとして、あてどなく動き続ける時計の秒針を目で追いかけたりしていた。


 あくる日の朝、私はひどい眠気を感じた。昨日の電話があってから私は心臓がドキドキして、なかなか寝付けなかったからそのせいかもしれない。今日は大事なデートの日だから万全の態勢で臨みたかったけれど、たぶん一時間か二時間しか眠れなかったから酷く疲れていて体調は最悪だった。でも、私は少しずつ体調を回復して行った。初めにオロナミンCを続いてチオビタドリンクを三本も飲んだからである。それからトイレで二回自慰行為をしてから、コーヒーを飲み、スーツに着替えて会社へ向かった。

 電車の吊り革に手を掛けて、前のめりになりながら気だるい眠気に揺られていると、私の目の前に座っていた青年が私の方へ向かってこう言った。

「あの、よだれ。垂れているんですけど。」

青年はいかにも迷惑といった風の顔をして、青のハンカチで地面についた私の涎を面倒くさそうな顔をして拭いていた。

「ああ、すみません!」

私はハッとせられた。一昨日の青年が目の前に現れたからである。

「君は、一昨日の!」

青年は(コノオジサンハナニヲイッテイルノダロウ)といった風に顔を左横に振ると、訝しそうな顔をして私の目を見て言った。

「誰ですか?僕はあなたの事を存じあげませんが。」

私は以前青年と話をしたのは夢の中であって、

現実の世界では私と青年との間には何の面識もない事を思い出して、顔を赤らめた。

「ああ、ごめん。人違いだ。凄く顔が似ていたものだから。あっ、それと、涎ごめんね。

立ったまま寝ちゃって。これ、ハンカチ代。好きに使って。」

私は財布から五千円札を取り出し青年に渡した。青年は素直に何の躊躇いもなく五千円札をジーパンのポケットにしまった。

「分かりました。許します。」

そう言って、青年は次の駅で電車を降りた。

私は、現実の世界では青年とは何の面識もないという事に、懐かしい夢の世界での優しい青年と現実の世界での冷たい青年を重ねて、夢と現実とはやはり何の繋がりもないのだと改めて思った。


 会社に着くと、社内はいつもよりざわついていた。同僚たちに聞いて回ると、昨日の夜、

山本が電車に撥ねられて死亡したという事だった。死因は自殺という事だった。私はひどく残念に思った。山本は普段は悪そうな面をしているが実際は、結構面倒見が良く優しい部分があったからだ。現に私に女性を紹介してくれたりもした。本当に残念であると同時に山本の事を可哀そうに思った。

「山本が死んだんだって?電車に撥ねられたらしいな。」

同僚から同僚にまわるこの死亡通知は私の業務を妨害した。私は仕事に集中する事が出来ずにじっと、机の上の小さい消しゴムのカスを摘まんでいろいろと眺め回していた。私と山本の間にはあまり面識はなかったのだけれども、いざ人が死ぬとなると一種独特の倦怠感のような物が体中を蝕んで、何を見ても何を聴いても私は反応しなくなった。それに今日は余り眠っていない事も相まって、余計私の業務を遅らせる要因となってしまった。

 仕事が全く捗らないまま昼休憩の時間が来たので、私はタバコを吸いに休憩所へ行った。

昨日、ここで山本が私に突然話しかけて来たシーンを思い返してみて、不思議に思った。「あの時なぜ山本は私に女性を紹介しようなどと思ったのだろう?」私はこれまでにほとんど山本と話をした事さえなかったのである。

「これには何か理由があるのだろうか?」

「山本が自殺する前にわざわざ私に紹介しようとした女性とは一体どのような女性なのだろうか?」さまざまな疑問が私の脳裏を掠めた。私は思案した。今回の山本の自殺と市川という女性の間には何かしらの関係があるのではないだろうか?と。私は銜えていた煙草を強引に灰皿になすりつけると、自販機でパンと牛乳を買い、ものの三分で全て食べ終えた。今日はデートの日だ。私は山本に対して後ろめたい気持ちと、感謝の気持ちを同時に持ち、男子トイレに入って鏡を見て自分の前髪を綺麗に整えてから、ニヤリと笑った。


 

続きはまた今度書きます。

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