第9話 夜明けの寝顔に想いを馳せて
夜明け前の廊下をイルキュイエはこそこそと進む。
目的地は、奥に見える小さな部屋。そっと扉を開けて中へ進むと、麗しの姫がそこにいた。
(はあぁ、今日も愛らしい。できることなら、そのベッドの中に潜り込んでしまいたい。好きです、フィファニー)
そう、ここはフィファニーに与えられた一室だ。
柔らかな寝息を立てる彼女を起こさないよう膝をつき、イルキュイエは主の寝起きを待つ子犬のようにその美貌で見つめ続けている。
これは彼女が宮殿に招かれて以来、毎日している日課の安全確認、もとい寝顔観察。本人に知られたら怒られること請け合いの変態行為だが、そんなつもりなど微塵もないイルキュイエは、ただ彼女に想いを馳せる。
腰を上げた彼は、下手したら本当にベッドに潜り込んでしまいそうだ。
(ああ、愛らしい。一日でも早く、あなたが私の隣で目覚める日が来ればよいのに。そのためにも、早急に真犯人を捕らえねば。そうすればきっと……)
愛しさに強い想いを乗せ、彼は心の中でソワソワと妄想を爆発させる。
そうしているうちにカーテンを通し、朝日が二人を照らし始めた。
もうこれ以上長居はできないが、再会以来、この気持ちは募る一方だ――。
「フィファニー、こちらの資料などいかがでしょう?」
資料室にて。
早朝から変態行為に及んでいたことなどおくびにも出さず、イルキュイエはフィファニーに資料を差し出した。
王太子誘拐事件の調書を確認して以来、彼らは国内外の類似事件を確認すべく、資料室に通い詰めている。尤も、それで解決するとは思えないが、今は少しでも多くの情報と手がかりを集めるのが先決だった。
「ありがとう、イル。魔法による攫い……そもそも魔法を使う人たちって、そういう種族なのよね?」
「ええ。魔法を使う者たちは、この世界に数多存在する精霊たちと対話ができる種族だと聞きました。彼らは皆、身の内に魔力を有し、それが存在する限り生き続けるのだと」
すると、紙の香りが充満する室内で、フィファニーと肩を並べながら、イルキュイエは魔法についてそう語る。
氷壁の塔を有し、王家に雇われた本物の魔法使いが存在するこの国でさえ、魔法は未だ見慣れない代物だ。
彼らは東の地域を中心に存在し、魔力を持たない人間たちとも共生。生態事態はここ数年で凡そ明らかになりつつあるというが、忌避されやすい存在であることも間違いないだろう。
尤も、存在が露見した裏には、数年前に勃発した魔法族のある諍いが影響しているとのことだったが、魔法についての知識を持たないフィファニーは、戸惑った顔で話を聞くばかりだ。
実際に氷漬けと言う魔法を受けてなお、魔法族は遠い存在のように感じていた。
「そして、おそらくあなたの祖先である巫女も、本来はそちら側の種族でしょうし……」
だが、そんな彼女をまっすぐに見つめ、イルキュイエは少し間を空けた後で、驚くような言葉を口にした。
「えっ?」
確かにエスピアスの巫女は、森を渡る精霊に願い、碑石に血の証明をすることで、結界を保つことができる存在だ。しかしそれは巫女の特殊な血筋故だろう。
魔法は関係ないと思っていた。
「しかしプロフェンス殿の話では、最初にノクトリーの森の住人たちと契約を交わし、結界を形成した巫女は、白い竜を従えていたと聞きました。実際北の地には竜と生きる一族の存在が確認されていますし、白竜は、ルクストリア=ロード山脈の頂に巣を作るというルクストリアン・スノーホワイトのことで間違いないでしょう」
「……」
「尤も、当時魔法は恐れられるものだった故、この国では巫女と名乗っていたのでしょうね」
彼が齎した意外な発言に驚きを見せ、瞳を揺らす彼女に、イルキュイエは事実的根拠を踏まえながら、優しい口調で説明する。
もちろん、だからと言ってフィファニーに対する気持ちが変わるわけではないのだが、一方、巫女の血族と云われていたホワード家の真の姿に、彼女は肩を落とした。
「なら、私が「魔女」と呼ばれるのも、強ち間違いではないということね……」
「……!」
そして彼の視線から目を逸らしたフィファニーは、誰にともなく呟く。
攫いの魔女だなんて不名誉な呼び名は、この事件解決と共に忘れ去られればいいと、心のどこかで思っていた。だが、血筋が魔法族に由来しているとなれば、攫いでなくとも魔女と呼ばれてしまうのだろう。
魔法を悪だなんて決めつけるつもりはないが、特殊な血筋の正体に、なぜか悲しい思いが込み上がって来る。
あのとき魔法を受けた恐怖と憂いが、胸の内に残っているせいだろうか。
「フィファニー。魔女は決して悪いものではありませんよ」
すると、木椅子に座ったまま俯く彼女に、イルキュイエは手を伸ばして囁いた。
そして彼女を優しく抱きしめ、ウェーブを描く髪を撫でる。
「確かに魔法は、悪用すれば強大な力になるものです。しかし、現にあなたの力があったからこそ、この国の民は、今までノクトリーの森の魔物たちの被害に遭わず、安心して暮らすことができていたのです」
「……」
「だから自分を否定したりしないでください。どんなあなたでも、私は愛しいです。何なら私が、もっと相応しい通り名を考えますから」
力強く宣言する最中、彼女は大人しく髪を撫でられていた。
最近は慣れ故か、すぐに否定されることは少なくなってきた。だが我に返ったフィファニーは困ったように身じろぎをすると、そっと押し戻しながら彼を見上げる。
涼やかな目元に浮かぶ微笑みに、イルキュイエはどきりとした様子だ。
「……ありがとう、イル。でも「王太子妃」なんて名はいらないからね」
「しゅん……」
さりげない告白を笑顔で却下するフィファニーに、ときめきから一転落ち込みながら、イルキュイエはまた、彼女と共に情報収集へと戻っていった。
どうやら魔法の風は、魔法の中でもとりわけ利便性に富むものらしく、各国が挙げた事件には攫いをはじめ、鎌風による裂傷、空気中の酸素を消失させる拷問、空気の壁を作り内部に閉じ込める監禁など、様々あった。
だが、いずれの事件でも犯人たちは、力の誇示や金銭目的で犯行に及んでいる一方、王太子誘拐事件に関しては、未だに動悸が分からない。
犯人は一体、何の目的でイルキュイエを風に乗せ、フィファニーの元へ運んだのだろう。
恋のキューピッドのつもり……なんて冗談は口が裂けても言えないが、当時何の力も持たない末席の男爵令嬢だった彼女に、罪を着せるメリットなど、果たしてあったのだろうか。
巫女の血を狙うにしても、ならば長女であるフルーニーを狙って然るべきだ。
いくら考えても出てこない動機に、頭が痛くなる。
(いっそ当時の交友関係をすべて洗い、相関図でも作った方が良いだろうか? おそらく直接ではなくとも、彼女と私、双方に接点を持っていた者が重要参考人として挙げられる。私を王太子と知っていた者はわずかだった故、その方面から探して行けばきっと……)
うーんという唸り声と共に、彼らの情報収集は続く――。
「ねぇ、イル。今日はやけに給仕の往来が多いけれど、何かの催し中?」
それから二時間。時折会話を挟みながら情報収集にあたっていたフィファニーは、帰り際、イルキュイエに誘われて庭園を散策中、引っ切りなしに行き交う給仕を見つめ、不思議そうに呟いた。
流石宮殿ともなれば使用人の数が多いのは当然だが、あまりにも往来が多い気がする。
すると、小首をかしげる彼女の問いに、イルキュイエは笑って言った。
「あぁ、今日は母が中庭で茶会をすると言っていたので、その対応でしょう。ほら、円卓が見えてきましたよ。我々も戻ったらお茶にしますか」
「え、ならこの道は通らない方が良いんじゃ……」
だが、何気ない口調で、角を曲がった途端見えてきた円卓を指差す彼に、フィファニーは焦った顔で立ち止まる。
一応、解凍の件は、「特殊な役目を仰せつかった故」との理由付きで、先日貴族たちに知らされたと聞いている。しかし、結局は王家の体面上、冤罪であったことは伏せられている状況だ。
にも拘らず、攫いの犯人(仮)が攫った王太子と一緒にいるなんて、絶対によろしくない。
「まぁ、殿下だわ!」
「きゃーっ、お目に掛かれるなんて光栄ですわ~!」
「……っ」
とは言ったものの、既に円卓が見える位置まで来た以上、この美しき王太子殿下が人目に留まらないわけもなく。
不安を募らせた途端、ご令嬢方が上げる黄色い声に、フィファニーは思わずしゃがみ込んだ。
もちろんこれで誤魔化せるとは思っていないが、女性陣の興味がイルキュイエに向いている隙に移動をしてしまいたい。
優しい彼ならきっと、彼女たちを無下にはしないだろう。母が主催と言うことは王妃様も近くにいるのだろうし、このままどうか、フィファニーのことは察して捨て置いてもらいたい。
「えっ、どうされましたフィファニー。体調でも悪いのでしょうか? それはいけない、すぐにお部屋に戻りましょうね!」
だが、生垣に隠れようとしゃがみ込むフィファニーに、イルキュイエは驚くまま、全力でその名前を叫んでしまった。
そして、彼女が状況を説明する間もなく、さっと腕を引いて体を抱き上げる。
「……っ!」
途端、刺さるような視線にフィファニーから血の気が引いた。
解凍され数週間。一番のピンチだ。




