第7話 殿下、職権乱用はいけません
フィファニーが解凍され、二日が経った。
体力が回復するまで、充分に休息を取るよう指示された彼女は今、与えられた部屋で朝食をいただいている。
流石宮殿自慢のシェフたちが腕を振るう料理はどれをとっても絶品で、ふわふわのオムレツと焼きたてパンに、彼女は知らず頬を緩ませていた。
「フィファニー? 失礼しますよ」
すると、一人きりの朝食を楽しむフィファニーの元に、しばらくして執事を従えたイルキュイエが顔を出した。
大食堂で両親と共に食事を取っていたはずの彼は、ほんの少しでも多く彼女と共に過ごしたいのか、食後の紅茶だけ、なぜかここで飲んでいる。
だが、隙あらば求婚もしくは睦言を囁いて来る彼に、フィファニーはどこか警戒した様子だ。
「おはようございます、フィファニー。随分と体力も回復されたようで、安心しました」
「おはよう、イル。おかげさまで。今日からはもう、先日話をしていた誘拐事件の全容解明のため、動けると思うわ。まずは資料室だったかしら」
春先の太陽に負けないほどキラキラした笑顔で、すっと隣の椅子に腰かけるイルキュイエに、フィファニーは未だ慣れない様子で言葉を返す。
彼女には敬語禁止命令を出しておきながら、イルキュイエの口調は丁寧なままだ。
王太子に気軽な物言いをする自分はもちろん、王太子に敬語を使われる自分というのもまた、畏れ多いと感じてしまう。
だが、どうにか改めてもらうようお願いするフィファニーに彼は、「私は良いのです。年上の言うことは聞いておくものですよ」と言って譲らない。
正確にはフィファニーの方が一回り年上なのだが、彼としては冷凍中の十七年は無効で、フィファニーは十七歳からの再スタート。故に今年で二十二歳になる自分の方が年上なのだ、とよく分からない持論を展開していた。
「それは何より。資料室に当時の資料が保管されていますので、現状の把握には役立つかと思います。では食事を終えましたら一緒に向かいましょうね。序でに庭園などを散歩いたしましょう」
「イル。そんなことを言って、お仕事は大丈夫なの?」
それはさておき。フィファニーの心情などを知る由もなく、執事が淹れる紅茶に口を付けたイルキュイエは、弾んだ口調で言い出した。
だが、序でとお散歩デートまで提案する彼に、フィファニーはどこか心配そうだ。
王位継承者の王太子であるイルキュイエは、現状王都近郊、リズシュニアを領地に持つ公爵だ。そして父王の補佐もしている彼は、実際とても多忙なはず。
散歩だなんて、そんなことをしている時間があるのだろうか。
「もちろん。調整はしていますし、仕事などよりあなたのことが最優先。どうか一時でも多く、お傍にいさせてください。それに、もしあなたの身に何かあっては大変です。傍にいて、必要とあらば即座に王太子命令を……」
「イル。職権乱用はいけませんよ」
「きゅーん……」
折角の心配もどこ吹く風。フィファニーのためとあらば、平然と笑顔で王太子を乱用したがるイルキュイエに、彼女はバサリと言い切った。
そして食事を終え、しょげて子犬化する彼と共に、宮殿の西にある資料室へ向かい歩き出す。
春の日差しが差し込む宮殿は美しく、荘厳で優雅な空気に満ちていた。
「今日もまた、一段と暖かな良い日ですね。この辺りは地理的に春の訪れは遅いと言われていますが、もう十分に春の陽気と言えますよ」
「そうね。遠くに見えるルクストリア=ロード山脈は真っ白でも、他の山々は随分と雪解けも進んでいて……」
「ご歓談中失礼致します。フィファニー様にお客様がお見えです」
と、窓の外に見える景色を前に、他愛のない会話をしていた、そのとき。
二人の元へ音もなく、イルキュイエの執事が現れた。
先程、フィファニーの部屋で別れたはずの彼は、来訪者の存在を告げ、頭を垂れる。
「私にですか?」
一方、意外な話にフィファニーは驚き、つい反射的に聞き返してしまった。
攫いの魔女の元を訪れる物好きとは一体、誰なのだろう。
そうして資料室へ向う二人の出鼻を挫いた執事は、彼らを宮殿の談話室へ案内してくれた。
正確に呼ばれているのはフィファニーだけなのだが、イルキュイエがついて来ないわけもなく。軽く扉をノックし、赤を基調とした談話室に入ると、そこにいたのはフィファニーよりも随分年上に見える四人の客人たち。
彼らは皆、姿を見せたフィファニーを見つめ、大きく目を見開いている。
「ああ、フィファニー! 氷壁の塔から解凍を赦されたというのは本当だったのね!」
「……?」
すると、彼女の姿を認めた途端抱きついて来たのは、ブルーグレーのストレートヘアにフィファニーと同じ色の瞳をした女性だった。
心底安堵した様子で抱きしめてくる相貌は、母……いや。
「お姉様……。お久しぶりです。またお会いできるなんて夢のようですわ」
「ええ本当。それにしても変わらないわね。細胞凍結ってすごいわ!」
にこりと快活な笑みで彼女を離したのは、フィファニーの双子の姉・フルーニー。本来エスピアスの巫女の血を引いていたはずの、明るい姉君だ。
だが、十七年の月日が隔たれた今、フルーニーは年相応の淑女といった落ち着きある雰囲気で、本来、自分も共に進んでいたはずの年月に、また胸が苦しくなる。
しかし、どうにか堪えて奥を見遣ると、その場に同席していたのは、プロフェンス辺境伯と彼の息子・エドガー、そして……。
「……ヴェイリー様?」
「久しぶりだね、フィファニー。またきみに会えるなんて驚いたよ」
「わぁ、ええ。お会いできて嬉しいです」
そう言ってフィファニーに柔らかな笑みを向けたのは、かつての婚約者だった。
灰紫の髪と瞳が印象的なヴェイリーは、そっと彼女の手を取り、優しく声を掛けてくれる。
尤も、不名誉な冤罪のせいで、婚約の話はなかったことになっているだろうが、大人びてなお変わらない温厚な雰囲気の彼に、フィファニーは嬉しそうだ。
「……ねぇ、フィファニー。こちらはどなたなのですか」
一方、やけに親密な様子で言葉を交わす彼らに、イルキュイエはむすりとして問いかけた。
誰とも知れない男と言い、置いてきぼりの状況と言い、不機嫌要素の塊に、唇がどんどん尖り出す。
「えーっと、彼は当時私の婚約者だった、ロットン子爵家のヴェイリー様よ」
「こん、やくしゃ……?」
すると、そんな彼の姿に心情を悟りながら、フィファニーは一瞬迷った後で、正直に彼のことをそう告げた。
途端イルキュイエはショックでフリーズしてしまったけれど、二人が婚約していたのは事実だ。嘘を言うわけにもいかないだろう。
「……そう言えば、どうしてヴェイリー様がこちらに? もう我が家との縁はないものと思っていましたのに……」
そう思い、ショックで灰になるイルキュイエをしばらく見つめていたフィファニーは、ここでふと気になったように問いかけた。
十七年も前の縁が未だにあるとは思えないのだが、どうして彼がこの場にいるのだろう。
「もちろん、きみに会いに来たんだよ、フィファニー」
と、愛らしい仕草で小首をかしげる彼女に、ヴェイリーはもう一度微笑んだ。
そして、辺境伯らと共にやってきた理由を、愛おしそうに語り出す。
「確かに十七年前の一件で、婚約の話は一度流れてしまったね。本当に残念でならなかったけれど、僕も次期当主として、妻を娶らないわけにはいかなかった。でも、その女性とは昨年死別してしまってね。そんな折、きみが解凍を赦されたと聞いて同席させてもらったのさ」
「まぁ!」
「だからもし、きみさえよければ……」
「わああああ!」
彼女の手を取り、今にも愛を語ろうと口を開いた、途端。
ヴェイリーの声に被せるようにして、復活したイルキュイエの声が部屋中に鳴り響いた。
たとえ彼がフィファニーの婚約者だったのだとしても、今そうでないのなら、この虫をこれ以上、彼女に近付かせるわけにはいかない。
「ごほん。フィファニーは現在、解凍間もないため王家の監視下にある状況です。勝手におかしな提案は慎んでいただきたい。今後彼女に面会する際は私を通してください。勝手な真似をすれば王太子命令で……」
「イル、職権乱用はいけません。みんな驚いているでしょう?」
きりりと眉を吊り上げ、また王太子を乱用しようとするイルキュイエに、フィファニーは肩を竦めると、彼の口元に手を伸ばしてその言葉を制止した。
するとイルキュイエは悲しそうに眦を下げ、また垂れ耳が見えそうなほど落ち込んでいる。
だが、彼女が自分の傍に戻って来たのをいいことに、そのままフィファニーを抱きしめたイルキュイエは、部屋の者たちに見せつけるように言った。
「でもフィファニー、あなたは私のものだ。私の傍にいてください」
「……!」
「絶対に、誰にも渡しませんからね」
それはまさしく、愛の告白だった。
自分を抱き込むように包む彼の力強さといい、フィファニーは目を丸くすると、頬を朱に染め恥じ入ってしまう。
彼の睦言は、この二日で何度も聞いて来たものだが、姉と親代わりの辺境伯、そして、婚約者だった好きな人の前で言われるのは、比にならないくらい恥ずかしくて。
(私、また彼に翻弄されている……っ。求婚はお断りって何度も言ったのに!)
もういっそ、穴があったら埋めて欲しい気分になりながら、フィファニーは俯いた。




