第6話 その求婚、お断り
淹れ直した紅茶を手に執事が部屋を訪れると、部屋の隅でいじける王太子殿下と、机に伏せてそっぽを向くフィファニーの姿が目に入った。
「おや、これはどういう状況でしょう」
きっとまた、イルキュイエが突拍子もない発言をしたのだろう。
銀盆を机に置き、部屋の隅で蹲る主人に問うと、涙目でこちらを見上げたイルキュイエは、悲しそうに唇を尖らせる。
「……断られた」
「は?」
「私の求婚、フィファニーに断られたああ~」
「ああ、当然そうでしょうね」
だが、紺碧の瞳に涙を浮かべ、子供のように嘆くイルキュイエに、執事はにべもなく断言した。
この執事が王太子に対しても物怖じしないのは事実だが、当然と肩を竦める彼に、イルキュイエの眉が吊り上がる。
「なぜ当然そうなのだ。私は至極丁寧に申し入れをしたのに! ハッ、膝をついて愛を乞わなかったからいけないのか……!」
「絶対に違いますね。フィファニー様のこととなると、ポンコツすぎやしませんか、殿下」
「ポンコツ……」
部屋の隅で壁に向かい、膝を抱えたままこちらを見上げるイルキュイエに、彼はバッサリと言い放つ。
いくら何でも辛辣な物言いに、ポンコツイルキュイエはさらにいじけ、いっそカビでも生えてしまいそうなほど、ジメジメと俯いている。
すると、そんな彼に大きなため息を吐いた執事は、まっすぐに彼を見下ろした。
「殿下、少し考えればお分かりになるかと存じますが、フィファニー様は決して目覚めることが赦されない終身刑を受け、氷壁の塔で眠らされていたのです。突然の解凍にどれほど戸惑いを覚えたことでしょう。あなたを含め、人も世界も先へ進み、周りは知らぬものばかり。その状況で自身がエスピアスの巫女だと告げられただけでもショックでしょうに、求婚など、何を考えているのです」
「……うぅ」
「それに、彼女の冤罪は立証できても、あなたを攫った者の正体は未だに掴めていない。その状況では、彼女に対する「攫いの魔女」のレッテルは消えません。にも拘らず、そう呼ばれる元凶となったあなたの求婚に、頷くご令嬢がいると思いますか」
まるで、分かり切った事実を淡々と積み上げるような感覚で、執事はフィファニーの心情を告げる。
これはもう、乙女心というよりも人の心の問題だ。
尤も、イルキュイエが説明したように、彼女の冤罪が明らかなのは事実だろう。
なぜなら、この国で王族が役目を持ち公表されるのは、六歳の誕生日に行われる「披露目儀」だからだ。
それまで王族の子供たちは、これから来る重責を前にただの子供として生き、彼を「王太子」と判断できたのは、両親や世話役を含めたほんの僅か。もちろん、おそらくという疑念を持たれることはあっても、断言できたのが数名だったことは間違いない。
なのに、どうして宮殿に招かれたこともないフィファニーが、披露目儀前の王太子をそう判断し、誘拐などできただろう。
王家の者だからこその盲点とはいえ、少し考えればわかるそれに、イルキュイエはずっと心を痛め続けてきた。
「……では、あの攫いの犯人が見つかれば、彼女のレッテルは消え失せ、今度こそ私の求婚を受けてくれるということか……?」
「そこまで言っていませんが」
「いいや、ならば今一度、当時の状況を復習っていこう。フィファニーが目覚めたことにより、彼女側から何か分かることがあるかもしれない。フィファニー!」
と、ほぼお小言と言ってもいい執事の指摘に、ふと顔を上げたイルキュイエは、一転目を輝かせて宣言した。
確かにあの誘拐事件については、いくら警察が調べても真犯人は分からなかった。
正直イルキュイエとしては、彼女の冤罪さえ立証できれば犯人などどうでもよかったが、それが結婚に繋がるならば動かない手はない。
勢いよく立ち上がり、そっぽを向いたまま伏せるフィファニーに、もう一度アタックを試みる。
離れ離れだった十七年の片想いを思えば、ここで諦めるなどありえなかった。
「殿下、姫君はお疲れなのですよ。あまり大きな声は出されない方がよろしいかと」
「え? あ……お休みですか? フィファニー」
だが、彼の意気込みも一瞬。
また執事にいなされ、彼女の正面に回り込んだイルキュイエは、そっぽを向いているかと思いきや眠る彼女に目を瞬いた。
どうやら永い眠りから目覚めたばかりの彼女は、体力の回復に時間がかかるようだ。
「隣にお部屋を用意しておきましたので、お運びいたしましょう」
「分かった。でもそれは私がする。執事といえども、私の眠り姫に触れるのは許さないよ」
「左様ですか」
すると、無駄に睨みを利かせた笑顔で執事を制し、眠るフィファニーを見つめた彼は、彼女を抱き上げると、隣室に向かい歩き出した。
その表情は妙に嬉しそうで、執事の脳裏にまた嫌な予感が募る。
だが、諦めたように後ろ姿を見送った彼は、淡々と片づけを始めるのだった。
ふわふわとした温かさを感じる。
氷壁の塔に幽閉されて以降、もう二度と、こんなぬくもりは傍にないと思っていたのに。
どうせ目覚めることが赦されないなら、せめてもう少し、このぬくもりを感じていてもいいだろうか……。
「フフ」
「……?」
ごろんと寝返りを打ち、ふわふわのぬくもりに頬を寄せたフィファニーは、微睡みの中、頭上から聞こえてきた声に、何度か目を瞬いた。
気付くと自分を包むのは温かな何かで、冷たい寝台も、凍てつくような寒さも感じない。
だけど、ここは……?
(……ああ、そうだわ。私、巫女の血を理由に解凍されたのだったわね。詳しい事情を殿下からお聞きして、求婚はお断り。だけどその途中、意識が……)
「……」
すると、覚束ない意識の中、ようやく自分が解凍と共に宮殿へ招かれたことを思い出したフィファニーは、視界がはっきりしてきた途端、目の前にあるリボンタイにもう一度目を瞬いた。
さらさらの絹地に、金糸が施された美しいオールドローズのリボンタイ。
これは確か、殿下が身に着けていた……。
「お目覚めですか、フィファニー?」
「ひゃああっ……!」
その可能性を悟った途端、恐る恐る顔を上げたフィファニーは、間近に自分を覗き込むイルキュイエの美貌に、思わず変な悲鳴をあげてしまった。
微睡みと共にすり寄ったのは自分なのだろうが、そもそもどうして同じベッドに彼がいるのだろう。隣にいることといい、背中の辺りに回された大きな手といい、本当に、色んな意味で許容できない。
求婚は、ハッキリとお断りしたはずだ。
「え、あ、で、んか……!」
「おっと、まだ寝ていなくてはいけませんよ、フィファニー。体力を回復させるためにも、ゆっくりと休んでくださいね」
だが、慌てて起き上がろうとするフィファニーに、イルキュイエは首を振ると、半ば無理やり彼女をベッドに押し戻した。
そして、彼女を逃がさないようにするためか、上からぐいと相貌を覗き込んでくる。
これはもう、相手が誰であろうと危機感を覚える距離感だ。
「でっ、ででで殿下! この距離はよろしくないかと存じます……っ!」
「……」
(ち、近い! 近いわ殿下! 確かに彼が子供のときは一緒に寝たけれど! でもこれはダメ! 王家はどういう教育をされているのよぉ!)
間近に見える美しい紺碧の瞳と、薔薇色の頬。愛らしい王太子殿下の相貌と距離に、フィファニーは動転すると、懸命に傍を離れてくれるよう、言葉を尽くし説得を試みた。
二人の再会は十七年ぶりで、もしかしたらイルキュイエのフィファニーに対する距離感は、子供のころと同じなのかもしれない。
けれど、この美しき殿下を、あのときのイルと同じように扱えるかと言ったら否だった。
「……ねぇ、フィファニー。私のこと、昔のようにイルと呼んでいただけませんか?」
「えっ」
と、ひどく動転した顔で頬を染める彼女に、イルキュイエはふとそれを提示した。
殿下だなんて白々しい呼び方を、これ以上されるのは我慢ならなくて。
「で、ですが」
畏れ多いと否定する言葉を塞ぐように、そのまま甘く口づける。
「……っ」
氷壁の塔での口づけと違って、柔らかな唇はとても甘美なものだった。
突然のことでフィファニーが震えたのは分かったけれど、もう、構いやしない。
唇を触れ合わせ、静かに目を開けた彼は、やがて悪戯っぽく笑うと、
「否定は許さない。敬語も禁止。これは王太子命令です」
「……!」
あたりまえのように王太子を乱用してくる。
誰が何と言おうとイルキュイエは、彼女を自分のものにしたかったのだ。
「ねぇ、フィファニー。私の求婚があなたを混乱させてしまったのは理解しました。そして心情も。だからまずは、攫いのレッテルを完全に剥がすことから始めましょう。私と一緒に、攫いの犯人を見つけませんか」
すると、思わぬ口づけにショックを受けるフィファニーをよそに、イルキュイエは先程執事が提示した、事件解決について話し出した。
おそらくそれは彼女も望んでいることだろう。
もちろん否やを言わせるつもりはないが、じっと彼女を見つめ反応を窺っていると、顔を赤くしたフィファニーは、長い沈黙の後で何かを諦めたように息を吐く。
ここまでの調子を見るに、彼女はきっとこの提案から逃れられない。
本当は一刻も早く平和な日々が欲しいのに、彼が納得する形で決着がつかない限り、求婚も何もかも諦めてはくれないのだろう。
ならば、現状を打開するためにできることはひとつだ。
「……分かったわ、イル。あなたに従うから、まずはどいてもらえるかしら?」
覚悟を決めたフィファニーは、もう一度小さなため息を吐いた。




