第4話 解凍の理由
氷壁の塔を出て宮殿へと招かれたフィファニーは、湯殿に案内するというイルキュイエの言葉に目を見開いた。
「私と共に温まりましょうね」
「えっ。そ……っ、いけません」
宮殿まで抱っこで運ばれ、辿り着いたエントランスからお風呂の話。
まるで彼と初めて逢ったときのような、既視感のある流れだとは思っていた。
だが、以前汚れを落とすため一緒にお風呂に入ったのは事実でも、小さな男の子と美しき王太子殿下では心情的に大違いだ。
乙女としても王国の民としても、そんなもの許容できるわけがない。
「フフ、照れるあなたも愛おしい。でも大丈夫ですよ。あのときのことなら、私はすべて覚えています。なので、今さら照れる必要はありません」
「……!」
「さ、こちらへ」
「い、いけません。ダメです、殿下……!」
「くぅん……」
すると、一度目の拒否にもめげずそんなことを言い出したイルキュイエに、フィファニーは叫ぶのをどうにか堪えると、顔を真っ赤にして口ごもった。
当時の彼は小さな男の子だ。子供相手に何を思うこともなかったのだが、改めてそれを口にされると恥ずかしい。
一方、反射的にされた二度目の否定を受け、イルキュイエは子犬のように鳴いている。
フィファニーの目に、垂れた耳としっぽが映ったような気がした。
「……何をされているのです、お二人して」
と、湯殿を前にして言い合う二人の元に、しばらくして音もなくメイドを従えた、イルキュイエの執事が現れた。
主に対し、明らかに呆れを見せた執事は、氷色の瞳で二人を交互に見つめ、淡々と語り出す。
どうやから彼は、主に対しても物怖じをしない性格のようだ。
「お嬢様、ここから先は、メイドがお世話をさせていただきます。殿下には、今のうちに目を通していただきたい書類がいくつかありますので、参りますよ」
「しゅん……。一緒にお風呂……」
「何を仰っているのやら。お嬢様、ぬるめの薬湯で三十分ほど温まってくださいませ。体力の回復に良く効く薬を混ぜてございます。支度が整いましたら、ご事情を説明させていただきますので」
そう語る執事は感情の見えない平静とした口調と、氷のような無表情をしていた。
丁寧でありながら掴み処のない執事の言葉に頷いたフィファニーは、ようやくお姫様抱っこから解放されたと思った途端、首根っこ掴まれ退場するイルキュイエを見送ると、一人お風呂に入る。
全面白大理石でできた湯殿は大きく、水音が良く反響した。
湯舟には乳白色に、空色をほんの少し落としたようなミルキースカイのお湯が張られ、入った途端全身の緊張と強張りが解けていく。
(温かい……)
未だ自分の身に何が起きたのかもはっきりと分からない上、本当に目覚めたこの世界が現実なのかも不明瞭。説明はこのあとと分かっていても、やはり疑問は絶えることなく湧いて来る。
だけどこのお湯に、久方ぶりの癒しを感じるのは事実だった。
「フィファニー! お待ちしておりました」
ゆったりとお湯に浸かり、髪や手肌を整えられたフィファニーは、メイドの手伝いを受けながらゆるりとした室内着に着替えると、彼女の案内の下、イルキュイエの待つ部屋に通された。
事情の説明と休息が最優先とした執事の判断により用意された青の室内着は、優雅な三段フリルと編み上げリボンが愛らしいデザインではあるものの、王太子殿下の前に現れていいような恰好ではない気もして。
形容できない気恥しさを抱える彼女の前で、ソファから立ち上がったイルキュイエは、しかし嬉しそうに彼女の手を握ってくる。
「随分と顔色が良くなりましたね、フィファニー。少しは気分も落ち着きましたか?」
「は、はい。お気遣いありがとうございます」
「フフ。そう畏まらずともよろしいのに。それではこちらへ。お茶でも飲みながら、ゆっくり事情を説明させていただきます」
ほんの数歩にも拘わらず、エスコートをしてくる彼に連れられ、フィファニーはふかふかのソファに腰を落ち着けた。そして音もなく現れた執事が淹れる紅茶を前に、イルキュイエと向かい合う。
熱っぽい視線を向けてくるイルキュイエは、やはり美しい青年だ。
ペールグレーのスーツにオールドローズのリボンタイが良く似合っている。きっと、美しき王太子として引く手数多の貴公子なのだろう。
緊張する彼女をよそに、イルキュイエは渋みのあるダージリンを幾度か含むと、ようやく息を吐く。
そして、すらりとした指を立てた彼は、静かに事実を語り出した。
「さて、あなたが解放された理由は大きく分けて二つあります。ひとつは冤罪の立証。もうひとつは、あなたが「エスピアスの巫女」だったからです、フィファニー」
「え……」
罪の有無はさておき、一度終身刑を受けた者が解き放たれるなど本来はありえない事態だ。
どんな理由で王家が解凍を決め、フィファニーは今ここにいるのか。
抱いていた疑問が解消されることを願い、イルキュイエの言葉に耳を傾けたフィファニーはしかし、不意に告げられたその言葉に大きく目を見開いた。
エスピアスの巫女。
それは家族と辺境伯家当主しか知り得ないはずの、彼女の血筋に関わる秘密だ。
王家にさえ口を噤み、代々守られてきたはずの秘密を、なぜ彼が知っているのか。疑問が解消されるどころか余計な混乱を覚えながら、フィファニーは小さく首を振ると、静かに言葉を紡ぎ出す。
驚きのあまり、語尾がかすかに震えていた。
「……っ。何処でその名を聞き及んだのかは存じませんが、エスピアスの巫女は、代々我が家の長女に受け継がれる才能です。私には姉がおります故、巫女の血は……――」
「しかし実際に、巫女の血はあなたに宿っていたのですよ、フィファニー。姉上とは一卵性の双子だと聞きました。故にこのような事態になったのかと」
すると、せっかく温まった頬を青くするフィファニーに、イルキュイエは柔らかく笑った。
もう一度紅茶を含み、にこりと笑う彼の眼差しは穏やかで、優しいままだ。
しかし、突然の解凍に加え、突然血筋の話をされたフィファニーは、落ち着かない。
なぜなら巫女は――。
「ご安心ください。王家はその才能の必要性を非常に重要視しております。故にあなたの解凍を決めたのです。ともかく、順を追って説明させていただきますね。ゆっくり、お聞き願えますか?」
ついに手まで震え出したフィファニーににこりと微笑み、彼女が持つ不安や固定概念をやんわりと押しのけたイルキュイエは、そのまま続きを話し始めた。
発端は、今から六日前に遡る。




