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第3話 眠り姫の目覚めに口づけを

 過ぎ去った冬を彷彿とさせる氷壁(ひょうへき)の塔は、寒々しく凍りついていた。


 誘導を受け、内部に足を踏み入れた金髪の青年は、螺旋階段を上っていく。

 チェスのルークのような形をした塔は静かで、革靴を鳴らす音だけが、やけに大きく響いていた。


「本当に、あのころと変わらないままなのだね」

「細胞凍結ですから。成長も劣化も致しません」


 やがて、ファーを施した冬用コートの裾を揺らし、塔の中ほどまでやって来た青年は、鉄格子が()められた一室に眠る彼女を見つけると、花のように微笑んだ。

 氷を纏う少女は、ただ静かにそこにいる。


(ああようやく。ようやく逢えましたね、フィファニー)


 そう思うだけで胸の奥が熱くなり、青年は一層綻んだ。

 こうして彼女と(まみ)えるのは、あの日以来、十七年ぶりだ。

 変わらない姿に高鳴る胸を抑えきれず、青年は鉄格子を開けると、一目散に彼女の元へ駆け寄っていく。


「殿下。それではこれより凍結の解除を始めます。氷の精霊……――」

「助けに参りましたよ、フィファニー。私の眠り姫」


 さらに彼女が眠る冷たい寝台に膝をついた青年は、凍結解除を試みる彼の前で、少女に優しく口づけた。


 細胞ごと凍らされた彼女の唇は、とても冷たくて。頬に触れると、氷の表面のようなさらりとした感触が伝わってくる。

 早く、目覚めてくれまいか。願いが一層強くなる。


「……何をされているのですか、殿下」


 と、眠る彼女の唇を奪う青年に、気付いた執事は白い目で呟いた。

 十七年。彼がこのときをひたすら待ち侘びていたのは事実だが、大胆過ぎる行動に、ついため息が漏れる。

 だが、口元の黒子(ほくろ)が印象的な彼女の頬に触れたまま振り返った青年は、当たり前のように笑って。


「ん? 眠り姫の目覚めに口づけは必須だろう?」

「左様ですか」


 自信満々に、()もありなんと言う青年に、肩を(すく)めた執事はそっと目を伏せ、諦めた。

 一方その横で、少女――十七年前に氷漬けの終身刑を受け、凍らされたはずのフィファニーは、ゆっくりと解けて温度を取り戻していく。


 数分後。すべての細胞が機能を取り戻すと、彼女の長い睫毛が震え、すっと目が開いた。

 ふぅと吐き出した息は、白い。


「……」

「フィファニー! ご無事で何よりです……!」


 だが、解凍されたからと言って状況を把握できるわけもなく、フィファニーは何度も目を瞬いた。目の前には自分を覗き込む金髪碧眼の美しい青年がおり、その奥に太い氷柱(つらら)が何本も下がる凍てついた室内が見えている。


 この青年が何者なのかは知れないが、氷柱が下がる天井は、最期に見た景色とよく似ている。

 とは言えフィファニーはもう二度と、目覚めることが赦されないはずの存在だ。


 遂に細胞が瓦解(がかい)し、冥王の待つ地下の国へとやって来たのだろうか。青年はさしずめこの世界の住人。地下とは随分、寒い場所――。


「フィファニー。こんなにも長い時間、あなたを一人にして申し訳ありません。ようやくあなたの冤罪を立証できました。今こそ恩を返すときです。私と結婚してください!」

「……?」


 と、理解できない現状に戸惑いを覚え、目を瞬きながらあれこれ思案を巡らせていたフィファニーは、改めて告げる青年の言葉に大きく目を見開いた。

 さらに肩を抱かれ、ぎゅっと強く抱きしめられると、爽やかなシトラスの香りと温かなぬくもりがして、戸惑う気持ちが強くなる。


 この状況は一体、何なのだろう。

 夢か(うつつ)か。親しげにファーストネームを叫び、求婚までしてきたこの綺麗な青年は、一体どちら様……?


 驚きが度を越え、言葉は何も出てこない。


「……殿下、姫君が大混乱しております。まずは現状をご説明申し上げることが筋かと存じますが、何分この塔ではお体に障ります故、宮殿へお迎えしてはいかがでしょう」


 すると混乱故か、大人しく抱かれたまま沈黙するフィファニーの心情を察し、しばらく気配を失くしていた執事がそっと言い出した。

 粗末な白い、夜着のようなものを纏っただけの彼女は、塔内の冷気と不可解な現状に、小さく震えているようだ。


(殿下……?)


「そうだね。参りましょう、フィファニー。話したいことはたくさんあるのです」


(殿下って、まさか……)


 だが、執事の言葉に頷き、自分が着ていたコートを彼女に掛ける青年を見上げ、フィファニーはもう一度目を瞬いた。

 柔らかく透き通るような声音には聞き覚えがないものの、殿下と呼ばれ、金髪に紺碧の瞳を持つ白皙の姿には覚えがある。


 しかしまさか、この煌めくような美しい青年が、あのときのイルだというのか。


「……」

「いかがなされました、フィファニー? じっと見つめられると、こそばゆいです」


 過る可能性が事実として胸に落ち、夢でなければ長い時が過ぎたのだと悟りながら、フィファニーは、頬を薔薇色に染めてはにかむ青年――ウィングロード王国王太子・イルキュイエ・リーズロード・ケレスウィングその人を見つめた。


 あのとき四~五歳くらいだった彼は、今や二十歳を過ぎたあたりだろうか。

 時を経て、さらに磨きがかかった美貌に、やはり言葉は出てこない。柔らかく微笑むだけで花が舞うような天使が、そこにいた。


「フフ、しかし愛しい方の視線は良いものですね。さあ、お手を。この状況で眠り続けていたあなたに体力は残っていないでしょうし、失礼しますよ」

「……!」


 と、なにかひとつ情報を得るたび、驚きと混乱と疑問が溜まっていくフィファニーをよそに、イルキュイエは彼女をそっと抱き上げた。


 以前森で彼を助けた際は、フィファニーが彼を抱っこしたものだが、時を経た逆転のお姫様抱っこは、なんとなく許容できなくて。

 爽やかなシトラスの香りと逞しい手に、心臓がどきどきと脈を打つ。


(ど、どうしましょう……っ、こんなこと、()()()にもまだされたことはないのに……! それに一体、これはどういう状況なの? 私、生きているの?)


 淑女(レディ)としての矜持のおかげで、叫ぶようなはしたないことにはならなかったものの、溢れ出る疑問に羞恥が混じって、混乱は増すばかりだ。


 なぜ彼らはここにいて、なぜフィファニーは解凍を赦されたのだろう。

 事情が分からず、状況も掴めない。


 そんな彼女に、イルキュイエは微笑んだ。


「さあ参りましょう。まずはあなたを宮殿へご招待いたします」





 嬉しそうにはにかむイルキュイエに連れられ、フィファニーは氷壁の塔を脱出すると、豪奢な馬車に乗り、王都の中心に(そび)える宮殿へと招かれた。


 元々ホワード男爵家の令嬢であるフィファニーは、地位で言えば宮殿になど招かれるはずもない末席の貴族令嬢だ。初めて訪れる豪華絢爛な宮殿に、またしても思考が追いつかなくなる。

 だが、広大な庭園を抜け、宮殿のエントランスに辿り着いた彼女は、またお姫様抱っこをされながら運ばれる途中、イルキュイエの言葉に目を見張ることになった。


「さて、氷壁の塔は随分と寒い場所でしたね。まずはお風呂です。湯殿に案内しますので、私と共に温まりましょうね」

「えっ」


 爽やかな笑顔で宣言する彼は、本当に一体何を考えているのだろう。




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