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第16話 白竜と巫女の血

 杖をくるくると回し、小さな子犬をいなすかのようなヴェイリーの言葉に、それまでただ腕の中で泣いていたフィファニーは我へと返った。


(……っ、どうしましょう。泣いている場合ではないわ。このままではイルが!)


 彼の敵意がフィファニーに向いている以上、ここにいては彼を危険に曝してしまう。彼女と共にイルキュイエの未来まで奪わるなんて、絶対に許容できるわけがない。


「イル、逃げて! このままではあなたの身が危険だわ! 私のことはいいから!」

「よくありません! そう何度もあなたを傷つけさせるわけにはいかないのです。今度こそ必ず、あなたを守り抜く。大人しく縋っていてください」

「……っ」


 しかし、焦りの滲む眼差しで彼に願うと、イルキュイエは酷く傷ついた顔で断言した。

 その顔はどこか怒っているようにも見えて、視線を外す彼にフィファニーは何も言えなくなってしまう。だが、このまま自分と一緒にいては危ないのも事実だ。


(どうしたらいいの。ヴェイリー様は魔法を使える。このままじゃ絶対に敵わない。せめて私も、初代巫女のように魔法を使えれば……!)


 彼のジャケットをぎゅっと握り、解決策を見出そうとフィファニーは考える。

 彼女の祖先は北の魔法族だ。ならば、フィファニーも同じように魔法を使えれば、ヴェイリーと対峙ができるのに。そう思った途端、彼女の心臓がどくんと大きく鳴った気がした。


「共に死を希望とは。よほどご執心のようだ。王族は結界を壊してからじっくり殺そうと思っていたが、望み通りあの世へ送ってやろう」

「いいや。お前が望む結果にはならないよ。なぜなら私には奥の手があるからだ」


 すると、決して彼女の傍を離れようとしないイルキュイエを見下ろし、ヴェイリーは杖を掲げ攻撃を試みた。だが、なぜか自信満々に言い置いたか彼が、何かを呼ぼうと口を開いた瞬間。


「――!」


 突如(つんざ)くような鳴き声がして、その場に大きな風が吹いた。

 何事かと思い全員が空を見上げると、そこに現れたのは、翼をはためかせる白い竜。

 白竜はゆっくり高度を下げ、その場にふわりと舞い降りる。


「ルクストリアン・スノーホワイト!? なぜここに……!」


 全長三十センチほどという、決して大きくない体躯を持つスノーホワイトは、極寒の雪山で育ち、とりわけ人に懐かない種として知られていた。


 その竜がなぜ、今ここに現れたのか。

 凄まじいほどの風を纏い、指向性のある暴風をヴェイリーにだけ寄越しながら、白竜は呆気に取られるフィファニーの元へトコトコと歩いて行く。


「クルル」


 そして、小さく鳴いた後ですり寄ると、奴に傷つけられた大腿にそっと鼻元を押し付けた。


「……!」


 途端、白竜の持つ魔力が治癒力として行き渡り、みるみるうちに傷は癒えていった。

 時間にしてほんの数秒。血に染まっていた腿は今、滑らかな白さを湛えている。


「よかった、もうこれで……」

「チッ、余計な真似を! なぜフィファニーにスノーホワイトが懐く。これを従えられるのは北の魔法族の中でも選ばれた血族の者だけだと聞いたぞ! 忌々しい。まるで最初に我らを閉じ込めたあの女のようだ」


 すると、傷の完治と共に良くなっていく血色を見つめ、イルキュイエが安堵と共にさりげなく腿へ触れようとした、そのとき。

 ようやく暴風から逃れたヴェイリーは、気を取り直したように喚いた。灰紫の瞳を血走らせたその相貌にはもう、以前見せていた温厚さなど欠片もなく、心からの凶悪さが溢れるばかり。


 だが、イルキュイエとて同じ轍を踏むわけがなかった。


「……っ。そうはさせまい! ティレ!」

「御意に、殿下」


 そう言って、彼が奥の手としたのは、自身の執事のことだった。

 いつものようにシックなモーニングに身を包んだ彼は、細長い杖を手にしている。


(そうか、彼は……)


「ティレを甘く見るなよ。彼は氷壁(ひょうへき)の塔の管理者であり、精霊の加護を受けた特別な血を持つ魔法使いだ。お前など、瞬時に氷としてくれよう」


 彼らを庇うように歩み出て、ヴェイリーと対峙する執事を、イルキュイエは目に怒りを宿したまま説明する。


 執事――ティレストロ・シープスは王家に雇われた魔法使いであり、誘拐事件後、イルキュイエを守護せよとの命を受け、執事の姿に身を(やつ)していた青年だ。普段の辛辣さはご愛敬だが、能力には絶対の信頼を寄せている。


(だから彼は、解凍直後の私の状況を正確に把握し、色々と世話をしてくれたのね。あの薬湯もきっと、力が込められていたのだわ……)


 一方、その言葉を驚きのまま聞いていたフィファニーは、ようやく彼が、自分を凍らせた魔法使いだったことを思い出した。


 あのときは全身をローブで覆い、フードの隙間から見える氷色の瞳をぼんやりと見ていただけだったことに加え、自身の身に起きた事態に絶望しきっていた。気が回る状況ではなかったのも確かだが、それなら、気配もなくいつでもイルキュイエの傍にいたことにも納得だ。


「さて殿下、どの程度痛めつければ気が済みましょう? 契約上、殺しは範疇外なのですが」


 と、驚きに声も出せぬまま目を瞬くフィファニーの横で、彼は突然物騒なことを言い出した。

 相対している敵である以上、捕縛に多少の傷はつきものだが、それにしても聞き方がストレートだ。


 しかし、執事の言葉にコクリ頷いたイルキュイエは、一応冷静さを保ったままだったのか、やけに真剣な眼差しで答えた。


「分かっている。そもそも奴を誘拐事件の真犯人として、皆の眼前に出さねばならないからね。一先(ひとま)ず、手足を凍らせる程度で妥協しよう」

「承知いたしました。では」


 つまり、魔法を使えないよう、拘束せよとのことだろう。


 主の命にもう一度頷いた彼は、次の瞬間、一気にヴェイリーとの間合いを詰めた。

 そしてふわりと杖を回し、精霊たちに願いを語る。


 途端、その場に現れたのは氷の礫だ。

 春の陽気でなお融けないその氷の礫は、弾丸の速度で飛んだ。


「っ! 炎の精霊、すべて溶かせ!」

「そんな暇があるとでも? 仕上げだ」

「チッ舐めるな、王家の犬が!」


 襲い掛かる氷の弾丸に反撃をすべく炎を出現させるヴェイリー。

 執事が出す美しい氷色の礫と異なり、彼の魔力が生み出した礫と炎は随分と黒く染まっていた。


 その色に執事は一瞬目を見開き、すぐに怪訝な顔になる。

 足を止めた彼は、静かな声音で問うた。


「闇魔法の得手か。これは面倒だ」

「だから舐めるなと言ったんだ。僕はそこらの一般魔法使い(ザコ)とは違う。長い間巫女を、王家を恨み、負の感情は力になった。僕をそう簡単に拘束できると――」

「面倒だとは言ったが、拘束できないとは言っていない。余計ないおしゃべりは命取りになるぞ」


 だが、その怪訝も束の間。声高に語るヴェイリーをよそに再び杖を上げた執事は、再度魔法を重ねた。

 途端周囲を飛んでいた礫たちが動きを変え、ヴェイリーの手足に纏わりつく。


 まるで氷の鱗のように折り重なった礫は杖を手放させ、足を地面へと張り付けた。

 魔力・判断力共に、執事の方が数枚上手のようだ。





「……くっ、こんなことならミチェラをさっさと始末するんだった。あの女だろう。僕のことを言ったのは」


 執事による捕縛は、ものの数分足らずで済んでしまった。

 本来闇魔法は負の感情を身の内に取り込み、魔力に転換させると言う非常に厄介なものだ。

 威力はずば抜けて高く、執事ティレストロのような、精霊の加護を受けた魔法使いでさえ手を焼く存在と言われている。


 (もっと)も、闇魔法はコントロールも難しいと言うが、ヴェイリーはそれ以前に自分の力を過信し、隙が出来過ぎていたらしい。


 魔力を封じる力を籠めた特別な荒縄でぐるぐる巻きにされながら、彼は皮肉そうに呟く。


「ふーん。その言い草だと、ミチェラのことも本気ではないようだね。過去の恨みを晴らさんとフィファニーに近付いてきたことも腹立たしいが、女性の心を弄ぶなんて最低な男だ」


 すると、その言葉を耳にしたイルキュイエは、目を細めて問いかけた。

 吐き捨てるような声音には軽蔑と怒りが宿り、視線はいつになく刺々しい。


「当然。僕に好意を寄せてきた宮殿勤めの女。役に立つかと思って誑かしてみただけだ。尤も、用がなくなってからはハーブティーと称して毒草茶を差し入れ、反応を楽しんでいたんだが、遊んでないでさっさと殺せばよかったと後悔しているよ」

「……っ、もういい。ティレ、辺境伯から幌馬車でも借りて放り込んでおけ。王都に帰り次第、父上に報告して断罪させる」

「御意」


 にやりと口元を歪め、楽しげな笑みを浮かべるヴェイリーに、イルキュイエは顔を顰めると、執事に指示を出して話を打ち切った。

 やはり妥協したとはいえ、フィファニーを傷つけた彼のことが赦せないのだろう。

 珍しく本気で怒りを表す彼に、執事はやれやれと肩を落としている。


 だがこれで、王太子誘拐事件の方は解決となるはずだ。

 一連の流れを静かに見つめていたフィファニーは、碑石に目を向ける。


「血の証明をしなくっちゃ」


 彼女の役目は、まだこれからだ。




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