第11話 真実に手を伸ばそう
月明かりが美しい庭園を照らす。
風に乗って弦楽器の優雅な音色がかすかに響き、夜の庭園を彩った。
「綺麗ね……」
宮殿の大広間では現在、王家主催の舞踏会が催されており、周りに人の気配は見当たらない。
王妃主催のお茶会にうっかり顔を出して以来、フィファニーに鋭い視線を投げかけるご令嬢も、陰でこそこそと噂話をする使用人もいない庭園は静かで、とても心地よく感じてしまう。
だが、何度も頭の中をぐるぐる巡る考えだけは、このときも離れてはくれなくて。
「……っ」
スプランティネアの観察を勧めた存在が姉だと思い出して以降、落ち着かない心を抱えたフィファニーは、気晴らしに夜の庭園を散策していた。
当然、歓迎されるはずもない社交界になど、フィファニーはいかない。
シャンデリアに照らされる貴族たちと、月明かりの元にいるフィファニー。元は貴族令嬢だったはずのフィファニーにとって、最早社交界は遠い存在だ。
けれどそれでいい。
埋めきれない溝を思い知れば、イルキュイエもきっと、傍を離れていってくれるだろう。
攫いの魔女には、一人ぼっちの夜がお似合いなのだ。
「フィファニー! ここにおられましたか……!」
「!」
と、風に揺れる勿忘草を見つめ、感傷に浸っていたフィファニーは、不意に届いた彼の声に、大きく目を見開いた。
驚いて振り返ると、そこにいたのはテールコートを纏うイルキュイエ。
王太子として舞踏会に臨んでいたはずの彼はしかし、優しい視線で彼女のことを見つめている。
「イル……。どうしたの? 王太子が舞踏会を抜け出すなんて、心配されるわよ?」
「……」
「今日は大事な春の行事なのだし……」
「あなたより大事なものなど、私にはありませんよ、フィファニー」
「!」
だが、突如現れた理由が分からず、首を傾げるフィファニーに、イルキュイエは彼女の手を引いて宣言した。そして何を思ったのか、不意に強く抱きしめる。
ひしと背中に回った手を、フィファニーは拒むことができなくて。耳元に聞こえる柔らかな息遣いに、月明かりでも分かるほど一気に頬が赤くなる。
あまりにも唐突な抱擁に、フィファニーは動揺したまま問いかけた。
「いっ、イルっ、何を……!」
「ごめんなさい、フィファニー。でも、あなたのことが恋しくて」
「……?」
「舞踏会の最中、ご令嬢方が私に言うのです。殿下は魔女に誑かされているのだと。そんなことはない。それを、確かめたくて」
まるでひどく名誉を傷つけられたような顔で、イルキュイエは動揺する彼女をさらに強く抱きしめる。
どうやら先の茶会で、フィファニーが彼の寵愛を受けていると知ったご令嬢方は、心配の体を装って二人の仲を引き裂こうと、あれこれ手を回しているようだ。
尤も、社交界に出ない以上、すれ違いざまの視線以外に彼女が直接的な被害を受けることはなかったものの、彼の様子を見るに、よほど根も葉もないことを言われてきたのだろう。
苦しいほどに自分を抱く手が震えていることに気付いて、フィファニーは何も言えなくなってしまう。
「……突然、驚かせてしまってごめんなさい」
数分後。柔らかい微風に髪を靡かせ、黙りこくっていたイルキュイエは静かに呟いた。
いつになく悲壮感を漂わせた彼は、まっすぐにフィファニーを見つめている。
「でも、私にとってはどのご令嬢も、優しい方だと思っていたのです。しかし、いざというときにしか、人の本性とは出てこないものなのでしょう。強引に私を取り囲んでくる彼女たちが、怖くって……」
「それは仕方ないわ。あなたは誉れ高き王太子だもの。寵愛を願っていた女の子なら、攫いの魔女が傍にいたことに驚くのは当然。でもそれが世間の反応よ。私からは離れて……」
「それはイヤです」
どこか子供じみた表情で首を振り、どうにか落ち着いた様子のイルキュイエに、フィファニーは優しく微笑んだ。
普段はあれだけ自分の方が年上なのだと言い張る彼も、こういう姿を見てしまうと、やはり一回り歳の違う男の子なのだと思ってしまう。
もちろん、見た目と実際に歩んできた時間は、フィファニーの方が短いはずだが……。
「ところでフィファニー。あなたは夜の庭園で何をしていたのですか?」
「散策よ」
心の中で改めてそれを実感し、彼の様子を窺っていたフィファニーは、気を取り直した顔で目を瞬くイルキュイエに、視線を逸らして呟いた。
彼の登場と、不意を突く抱擁に、それまで蔓延っていたざわざわはどこかへ行ってしまったけれど、今は事実を伝えるときではないだろう。
そろそろ彼の不在を気にした執事が音もなく現れるころだろうし、陛下や王妃様に心配される前に、彼を舞踏会に返さなくては。
「ねぇ、フィファニー。私は、あなたにならいくらじらされても平気です。でも、それで悩む姿は見たくない。あなたをエスピアスの森へ誘った者の正体、そろそろ私にも教えていただけませんか」
「……!」
そう思い、あれこれ考えを巡らせながら、この時間の切り上げ方を模索するフィファニーに、イルキュイエはストレートに問いかけた。
未だ解決の兆しが見えないこともあり、攫いのレッテルを気にした彼女が、一人で宮殿内を出歩くことは滅多にない。
にも拘らず、人が集まる舞踏会の隙に散策を試みるなんて、考えられる可能性はひとつだ。
「大丈夫。父には一時退出を告げてあります。そして執事以外、周りには誰もいません。さぁ」
「え」
促すように彼女の頬に触れ、イルキュイエは心配を見透かしたようにそう告げる。
気付くと、生垣の向こうには彼の執事が立っていて、無表情のままにこちらを見つめていた。
「……分かったわ。でも話したら舞踏会に戻って? ご令嬢方の対応はさておき、王太子としての役目もあるでしょう」
「はい、フィファニー」
いつから自分たちのことを見ていたのだろう。という一抹の不安はさておき。彼の視線に根負けしたフィファニーは大きく息を吸い込んだ。
そして、思い切った顔で、事実を紡ぎ出す。
「あの日、私にスプランティネアの飛来を告げ、あの屋敷で過ごすよう勧めたのはお姉様よ。もちろん、それだけで決めつけることはできないけれど、お話を聞く必要性はあると思うわ」
「なんと、姉君が……。では、彼女も今宵の舞踏会に列席しておりますし、明日にでも宮殿へお呼びして、お話を聞いてみますか?」
「ええ」
「大丈夫、私が傍にいますからね」
フィファニーが告げた事実に目を丸くしながら、イルキュイエはそれでも気遣うように手を握ると、優しく彼女に囁いた。
状況と表情からフィファニーを誘ったのは、姉か辺境伯か旧婚約者の誰かだろうとは予想していた。
だが、フィファニーとの再会を喜んでいた姉君が重要参考人に挙がるなんて、確かに心が苦しくなる。それでも、こればかりは避けては通れない道だった。
「……ありがとう、イル。さ、私は戻るから、あなたも舞踏会、頑張っていらっしゃいな」
――翌日。
事情は伏せたうえで面会を希望すると、フルーニーは娘を連れて宮殿へやって来た。
どうやらママと離れたくないと泣かれてしまったらしく、幼い少女は今、目を赤くしてフィファニーの膝の上に座っている。
「ああ、子供と一緒のフィファニーも愛おしい。かわいい、私もそこに……」
「おかしなことを言っていないで、席に座ってね、イル」
フィファニーは姪っ子に懐かれたようだ。
一方、その様子を観察していたイルキュイエは、なぜか羨ましげ呟いた。
途端フィファニーは笑顔で彼を座るよう促し、フルーニーはそんな二人に優しい笑みを浮かべ、丁寧に口を開く。
「ふふ、二人は仲良しですねの。本日はお招き感謝いたしますわ、殿下」
「いえ、この度、大切なお話をさせていただきたく、お越しいただいた次第でして……」
「まぁ。結婚報告でもなさるおつもりで?」
と、いつもの雰囲気から一転、緊張感を露わにする二人に、フルーニーはさらりと呟いた。
実姉が応援してくれるのは嬉しいが、今回はまた別の話だ。
「それはまた追々させていただければと思いますが……」
「違います、お姉様」
そう思いイルキュイエが頷く一方、フィファニーは被せるように断固として否定した。
「しゅん……」
完膚なきまでの否定に、イルキュイエはショックで子犬化していたけれど、ここばかりは譲れない。老嬢は王太子に釣り合わないと、いい加減分かってほしいものだ。
「実は、十七年前のことで質問がありまして」
「……?」
心の中でそう付け足し、これ以上おかしな話が膨らむ前に本題へ入ることにしたフィファニーは、静かに口を開いた。
不思議顔の姉は状況を呑み込めていないようだが、聞きたいことはひとつだ。
「あの日、お姉様は森でスプランティネアを見かけたと言って、私にエスピアスの屋敷で過ごすよう、提案してくださいましたね。しかも今から行くようにと。……どうして、あの日だったのですか?」
たとえ意図が姉に伝わらなくても構わない。
どうしてあの日、森へと誘ったのか。
裏があったのか偶然か、知りたいのは、ただそこだけ。
「それは……」
願いを込め姉に問うと、彼女は少し間を開けた後で呟いた。
きっともうすぐ、真実は目の前だ――。




