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第10話 スプランティネアに生まれた疑念

 宮殿の中庭で開催中のお茶会会場は、しんと静まり返っていた。


 ほんの数秒前までは、美しき王太子殿下の登場にご令嬢方が色めき立ち、黄色い歓声が上がっていたというのに。何かに注視したと思った途端、彼がひとりのご令嬢を抱き上げるものだから、皆呆気に取られてしまう。


「……」


 なぜならこの国で皆に優しい王太子殿下は、誰のものでもないはずだった。

 爵位など気にせず、分け隔てなく接してくれる彼は、ご令嬢方垂涎(すいぜん)の憧れでありながら、特定の誰かと親密になることも、噂が立つこともない清廉潔白な貴公子。


 具体的に名が上がるご令嬢がいない以上、皆平等にチャンスがある。

 彼女たちは順番に声を掛けられるたび、そのチャンスをものにしようと懸命に接してきた。


「大丈夫ですか、フィファニー? 資料室に長居しすぎましたね。さあ、お部屋に参りますよ!」

「や、待って、イル……」


 なのにどうして、そこに攫いの魔女がいて、彼にお姫様抱っこなどされているのだろう。


(し、視線が痛いわ。当然よね。皆にとって私は「攫いの魔女」なのよ。また王太子を誑かしているとか、余計な噂が立ちかねない……! イル、もう早く下ろしてちょうだい!)


 その視線を受け止めたフィファニーは、自分の姿を見られないようしゃがみ込んだはずなのに、堂々たるお姫様抱っこで皆の眼前に引き出された現状を憂いていた。


 皆の王子様たる彼が誰か一人を選ぼうものなら、ご令嬢方がどんな感情を抱くのか、それはなんとなく分かる気がした。

 しかも、相手が高貴な姫君ならまだしも、彼が愛しげに抱き上げたのは、攫いの名を持つ老嬢(ろうじょう)の魔女。


 彼の誘拐に胸を痛め、何度も寝たきりを繰り返していたという王妃様もいる中、この対応は本当によろしくない。


「イル、下りる……」

「ダメです。大人しく抱かれていてください」


 そう思い、彼のリボンタイを握ってささやかな抵抗を見せると、イルキュイエはさらに強く抱きしめて来た。

 彼の意思は固く、どうにも曲がるとは思えない。


 ご令嬢方の視線がさらに鋭くなり、フィファニーは心の中で泣いた。


(はぁぅ……。もう嫌。私は見ての通り歓迎されざる人間なのよ。早く事件を解決して、領地に帰りたい……!)


「イルキュイエ」


 すると、内心滂沱の涙を流すフィファニーの耳に、涼やかな女性の声が聞こえてきた。

 ここで顔を上げる度胸は微塵もないが、彼を呼び捨てにできる女性など、そうはいない。


「母上。お茶会の邪魔をしてすみません。すぐに立ち去りますね」

「いいえ、それはいいのよ。ですが、その腕の者を下ろしなさい。あなたはこの国の未来を担う王太子なのですよ。腕に抱く相手はきちんと選びなさいと言っているでしょう?」


 案の定、彼の前に現れたのは、王妃であった。

 イルキュイエによく似た美しい金の髪を持つ彼女は、困った顔で息子を見つめている。


 彼女はフィファニーの冤罪を知っているはずだが、それでもやはり、攫いの犯人だと思っていたフィファニーに、思うところがあるのだろう。

 ちくちくと刺さる視線に、フィファニーは知らず震えてしまう。


 だが、ここまで言われれば、イルキュイエもフィファニーを離すはずだ。


「母上。私はきちんと選びましたよ。だから彼女を助け、こうして傍にいるのです。たとえあなたが何を言おうと、この気持ちを曲げるつもりはありません」


 しかし、フィファニーの予想とは裏腹に、イルキュイエは堂々と宣言した。

 王妃の後ろで様子を窺っていたご令嬢方がかすかに騒めき立ち、フィファニーへの視線がさらに鋭くなる。


「まったく、とんでもない魔女に引っ掛かったものだわ」

「フフ、愛らしいでしょう? 母上も先入観を捨てて接すれば、きっと気に入るはずです。では我々はこれで失礼しますね。良い時を」

「……」


 一方、殺気すら滲むご令嬢方の視線と、王妃の物言いに笑顔で言葉を返したイルキュイエは、まるで気にした様子もなくお茶会会場に背を向けた。

 そして彼女と共に宮殿内へ戻り、そのまま階段を上がっていく。


「さあフィファニー、お部屋に帰りましょう」

「うぅ……」


 見送るご令嬢方の間を、冷たい風が吹き抜けた。





「フィファニー、本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫だから下ろしてちょうだい、本当に……」

「それはダメです。あっ、フィファニー。スプランティネアがいますよ」


 イルキュイエによるお姫様抱っこは、部屋に入るまで続いた。

 王妃やご令嬢方から向けられた視線と、お姫様抱っこをされた現状に虚しさと羞恥と、あとよく分からない感情をごちゃ混ぜにしたフィファニーは、両手で顔を覆い、伏せている。


 すると、彼女をようやく下ろしたイルキュイエは、ふと窓の外を見つめ、表情を綻ばせた。

 彼の視線の先には桜色の羽に空色の瞳をした中型の鳥が羽ばたき、空を舞っている。


 どうやらエスピアスの森でスプランティネアを見て以来、彼はこの鳥を気に入ったらしい。

 子供のころと同じ、無邪気な笑みを見せるイルキュイエに、つい毒気を抜かれながらフィファニーも窓の外を見つめる。


 この国にもまた、春がやって来たようだ。


(スプランティネアは春と共に良縁と幸運を呼ぶ鳥……なんて言われていたけれど、結局、何も呼んでくれなかったわね。強いて言うなら、攫われた王太子殿下と屈強な騎士団、そして言われなき罪がきてしまった)


「そう言えばあの日、あなたは森にスプランティネアが来たと聞いて、観察に来たのだと言っていましたね。あなたにそう進言したのは、どなただったのですか?」


 と、フィファニーと並んでスプランティネアを見つめていたイルキュイエは、ふとここで思い出したように問いかけた。


 王太子誘拐事件における真犯人の動機や目的は未だ掴めないが、そもそもあの日、フィファニーがエスピアスの森にいたのは偶然だったのだろうか。

 もし彼女の行動自体が真犯人により操られていたのだとしたら。


「……!」


 そう思い何気なく問いかけると、フィファニーは瞳を大きく見開く。

 顔はひどく強張り、背中を冷たい汗が伝った。


 だけど、そうだ。

 あの日、フィファニーが森に行くと決めたのは、ある人の強い勧めからだった。


 春の時期は、これから本格化する社交時期を前に色々とやるべきことが控えていたし、婚約したヴェイリーとの仲を深めようと、あれこれ忙しくしていた。


 にも拘らずあの人は、森でゆっくりしてきなさいと笑っていた。

 いつもと変わらない優しい笑顔でフィファニーを見送り、先日再会したときも、嬉しそうに迎え入れてくれた。


 だから、あの人が関わっているとは思えない、思いたくない。けれど。


(スプランティネアの観察は、お姉様の提案だった。でも、まさか……)


「フィファニー?」

「……っ。大丈夫、何でもないわ。やっぱり少し疲れたのかしら。このまま休むことにするから、イルもお仕事に戻って平気よ。私は部屋からは出ないから」





 イルキュイエの何気ない質問にそのこと思い出したフィファニーは、彼に真実を告げられないまま、数日の時を過ごしていた。


 思いつめた表情で考え込む彼女に、イルキュイエはひどく心配を見せていたけれど、どうしても、フィファニー自身信じられない事実を、呑み込むことができなくて……。


 だがあの日、彼女をエスピアスの森へ(いざな)ったのは、他でもない双子の姉・フルーニー。今思えば、普段の彼女にしては強引なくらい、別荘への滞在とスプランティネアの観察を強く勧めていた。


 あのときは、鳥好きのフィファニーにスプランティネアを見せたくて仕方ないのだろうとしか考えていなかったけれど、もしそれが、妹を陥れるための計略だったとしたら。


(いいえ、あの事件は王太子誘拐事件なのよ。私は偶然、イルを助けてしまっただけ。お姉様だってイルとの面識はなかったし、誘拐を計画する道理はない。でも……)


 そうと分かっていて晴れない疑念。

 可能性として頭を過るのは、フルーニーが妹に宿るエスピアスの巫女の血に気付いていたかもしれないということ。


 幼い日、二人は双子だからと母に言われ、一緒に森の碑石へ血の証明を行った。

 フィファニーとしては姉の(つい)でだと理解していたけれど、もしどこかのタイミングで、あの結界を維持しているのがフルーニーではなく、フィファニーだと気付いてしまっていたら。


 長女に宿るはずの血を奪われたと嫉妬を抱き、重罪を着せる計画を立てた可能性もあるのではいだろうか。そのくらい、巫女の役目は特別なのだと、何度も聞かされてきた。


 もちろん、姉妹仲も良く、優しい姉がそんなことをするなんて考えられない。


 でも、でも……。


(そんなわけがない。そんなわけ、ない、わよね……?)


 落ち着かないまま、無情に時間だけが過ぎていった。




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