第1話 森の中で出逢った少年
昇り始めた太陽が、凍てついた塔を照らす。
陽の光さえ入らないそこは、永遠に溶けることのない氷に覆われていた。
鋼鉄製の内部には、涙をも凍らせた一人の少女が横たわり、静かな眠りに就いている。
かつて攫いの魔女と呼ばれた娘、フィファニー・ホワード。
彼女の眠りは永く、今はまだ覚めることを知らない――。
「――イル? それがあなたのお名前なのね?」
「うん」
十七年前。
ことの発端は、フィファニーが保護をした小さな男の子だった。
夕日が沈みゆく薄暗い森の中、男の子は裸足でひとり、泣いていた。
ここはプロフェンス辺境伯領の森・エスピアス。魔物が棲むとされるノクトリーの森に隣接した森だ。
子供が立ち入ることは滅多になく、近くにいるのは彼女を含め、皆、大人ばかり。
そんな場所に子供がいると言うだけでも異常なのだが、さらに周りには人の気配すらなくて。
散策の帰り道に彼を見つけたフィファニーは、アッシュブルーのウェーブヘアを揺らすと、驚いたように駆けつける。同じ色の瞳には困惑が宿り、愛らしい顔立ちを彩った。
「こんなところでどうしたのかしら?」
「……っ!」
出来るだけ相手を刺激しないよう、静かに声を掛けると、男の子はびくりと肩を震わせた。
おそらく年齢は四~五歳くらい。裸足であることが気がかりだが、顔を上げた男の子は、さらさらの金髪に紺碧の大きな瞳が印象的な、白皙の美少年だった。
服装がドレスであれば女の子と見間違えたであろう美貌に、フィファニーはほぅと息を吐いた後で、もう一度問いかける。
目線を合わせた男の子は、とても不安そうだ。
「お父様やお母様は一緒かしら? ぼうや、どうやってここに来たのか分かる?」
「うぅん。わからない。かぜがとんできたの……」
「風?」
すると、身を屈めて優しく問う彼女の笑顔に、男の子はしどろもどろで呟いた。
それがどういう意味なのかは分からないが、風なら常にこの森を吹き抜けている。
一先ず屋敷で保護をして、明日、辺境伯を訪ねてみれば何か手掛かりが掴めるだろうか?
ウィングロード王国の北東に位置する辺境には民家の数もそうはない。
悩みあぐねるフィファニーの肩に、ふと桜色の鳥がとまった。
「そう……。しばらくここで泣いていたのね。なら、ご両親が見つかるまで一先ずうちの屋敷へおいで。私はフィファニーよ。辺境伯家と共にこの地で暮らすホワード男爵家の娘。……なんて言っても分からないと思うけれど、あなたを怖がらせるようなことはしないわ」
「……んぅ。イル」
「イル? それがあなたのお名前なのね?」
「うん」
「フフ、かわいいお名前だわ。さ、おいで」
そうして悩みながらも保護を決めたフィファニーは、両手を伸ばすと、イルと名乗った男の子を抱っこした。
目的地となる屋敷は目と鼻の先だが、裸足の男の子を歩かせるわけにはいかないだろう。整った身なりからして、良家のご子息かもしれない以上、慎重に扱わなくてはと思う。
「……フィファニーは、どうしてこの森にきたの?」
と、彼が身に着ける上等な絹のシャツやタイを見遣り、心の中で思案していたフィファニーは、人のぬくもりにようやく泣き止んだイルの問いに、目を瞬いた。
彼女の肩には変わらず桜色の鳥が乗り、それを指差したフィファニーは嬉しそうに笑う。
「この子、春を告げるスプランティネアという渡り鳥が森に来たと聞いて、観察していたのよ。バードウォッチングとスケッチが私の趣味なの」
「かわいい鳥さん」
「ふふ、そうね。……あっ、見えて来たわ。あれが屋敷よ」
桜色の羽に空色の瞳が愛らしい鳥に手を伸ばし、イルは恐れを知らずに頬を突く。
だがスプランティネアは目を細めるだけで大人しく突かれていた。気性の穏やかな鳥は、この程度では動じないと言うことだろう。
その姿を微笑ましげに見ていたフィファニーは、一分ほど歩いてレンガ造りの小さな屋敷を紹介する。
辺境伯家が所有する保養地の別荘は、彼女にとって心落ち着く場所だった。
「テナ。今帰ったわ」
観音開きの玄関扉を開け、ぬくもりを感じるマホガニー調のエントランスに入ると、すぐに侍女が出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
テナはフィファニーが子供のころから仕えてくれている、面倒見の良い女性だ。
そんな彼女にフィファニーは、玄関を開けた途端、飛び去ってしまったスプランティネアを名残惜しそうに見つめるイルを見せ、困ったように話し出す。
「テナ、悪いけれどこの子、迷子みたいで……。今日屋敷に泊めてあげようと思うの。まずはお風呂のお湯を準備してくれるかしら?」
「まぁ大変。至急お湯を準備いたしますね」
「ええ。イル、まずはお風呂に入りましょう。汚れを綺麗にしてあげるわ」
未だに困惑を滲ませながら指示を出したフィファニーは、笑顔でイルに声を掛けると、そのまま彼を大理石の浴室へと連れて行った。
どういう経緯で森にいたのかは分からないが、彼の髪や手肌には、細かい葉や泥のようなものがついている。
一緒にお風呂に入り、それらを綺麗に落としていくと、イルの髪はさらにキラキラと金色に輝き、温まって上気した薔薇色の頬は愛らしい。
お世話され慣れている様子から、やはり街の子ではないだろうと予想しつつも甲斐甲斐しく手入れを行い、お風呂の後は服までちゃんと着せてあげると、イルは嬉しそうに笑った。
辺境伯家の長男が子供のころに着ていた服を引っ張り出してきたのだが、中々に似合っているようだ。
「フィファニー、すき」
「ありがとう、イル。はい、お食事よ」
「すき」
すると、甲斐甲斐しいお世話の結果、随分とフィファニーに懐いたイルは、食事も団欒も、果ては眠るその瞬間まで、彼女にぴったりとくっついた。
まるで金色の子犬に懐かれたような気分は悪くないものの、やはり、彼が一人で森にいたという事実は、腑に落ちなくて。
(……イルの身に何があったのかしらね。プロフェンス様に相談後、無事に素性が分かると良いのだけれど……)
ふかふかのベッドに入り、くっついて眠るイルの、柔らかな髪を撫でる。
月明かりがカーテンの隙間から差し込み、愛らしい寝顔を照らした。
だが、イルから具体的な事情を聞くことが叶わない以上、今はあれこれ考えても仕方がないだろう。ふと息を吐いたフィファニーは、彼を巡る謎に思いを馳せつつも、ゆっくりと目を閉じる。
辺境伯家の屋敷は、この別荘からそう遠くない。
そして当主はとても顔の広い人だ。きっと何か分かることだろう。
(必ず見つけてあげるからね。必ずお家に帰してあげる。あなたが撫でたスプランティネアは春を告げるだけじゃない。良縁と幸運を呼ぶ鳥なんだから……)
決意を胸に秘め、微睡む彼女もまた夢の中へと落ちていく。
これが人生の分かれ道であるとも知らずに。
――翌朝。この地を訪れたのは、王立騎士団だ。




