婚約破棄したいならどうぞ。私がいなくなれば領地経営が破綻するのはあなたですが?~氷の公爵様が「全て俺に任せて眠れ」と過保護に甘やかしてくるので、幸せになります~
シャンデリアが煌めく王城のパーティー会場。
その中心で響いた怒声が、私の灰色だった人生を鮮やかに塗り替える合図だった。
「レナ・アークライト! 貴様のような陰気な女との婚約は、今ここで破棄する!」
カイル・バートン子爵令息の声が会場を震わせる。彼の腕には、小柄で愛らしい男爵令嬢ミナがしがみついていた。
周囲からは嘲笑と憐れみの視線。けれど、私が感じたのは圧倒的な安堵だった。
(ああ……やっと、終わるんだ)
15歳からの5年間。私はバートン家の借金返済と領地経営のため、睡眠時間を削り、青春の全てを捧げてきた。
「可愛くない」「地味だ」と罵られながらも、それが義務だと信じて。
でも、もういいのですね?
「承知いたしました。婚約破棄、謹んでお受けします」
私は眼鏡の位置を直し、淡々と告げた。
カイル様が間の抜けた顔をする隙に、私は手早く条件を提示する。慰謝料は不要、ただし立て替えた私財と未払い賃金の請求は行うこと。
完璧な撤退戦。そう思って踵を返した瞬間、私の手首は熱を持った大きな手に掴まれた。
「待て」
振り返れば、そこにいたのは『氷の宰相』アレクセイ・ヴァン・ユークリッド公爵。
王族すら畏怖する冷徹な美貌の彼が、なぜか必死な形相で私を捕まえている。
「婚約は破棄された。間違いないな?」
「は、はい」
「ならば――レナ・アークライト嬢。私が、君を貰い受ける」
その場に跪いた公爵の姿に、会場から悲鳴が上がる。
呆然とする私に、彼は熱っぽい瞳で告げた。
「君の能力、勤勉さ、そして誠実さを、私はずっと見ていた。……我が公爵家に来てほしい。君が必要だ」
「事務官として、ですか?」
「いいや、妻としてだ。もう誰にも渡さない」
* * *
その日のうちに公爵邸へ連れ帰られた私は、驚くべき生活を強いられることになった。
「レナ、何をしている?」
「あ、あの、アレクセイ様。暇だったので、図書室の蔵書リストを年代別に整理しようかと……」
「没収だ」
私の手から羽ペンが取り上げられる。
公爵邸に来て一週間。アレクセイ様は私に「仕事」を一切させてくれない。
「君の今の仕事は『休むこと』だと言ったはずだ。顔色が良くなり、体重があと三キロ増えるまでは、ペンを持つことすら禁止する」
「で、でも、何もしていないと落ち着かなくて……」
長年の過重労働が染み付いた私は、何もしないことに罪悪感を覚えてしまうのだ。
するとアレクセイ様は、困ったように眉を下げ、私をソファごと抱きしめた。
「君は、私が与える食事を食べ、私が贈ったドレスを着て、ただ笑っていてくれればいい。……それとも、私のエスコートでは不満か?」
「そ、そんなことは!」
「なら、いい子にしていてくれ。……愛しているよ、レナ」
甘い口づけが、額に、頬に、そして唇に落とされる。
氷の宰相と呼ばれる彼が、屋敷では甘すぎる砂糖菓子のように私を溶かしていく。
十分な睡眠と栄養、そして何より愛される喜びを知った私の肌は、いつしか透き通るような桃色を取り戻し始めていた。
一方、風の噂で聞いたバートン子爵家は悲惨だったらしい。
私が去った翌日から領地経営は破綻。カイル様は「レナが書類を盗んだ!」と騒いだが、全ての引継書は机の上に揃っていた。単に彼が読めなかっただけだ。
借金取りに追われる日々が始まったと聞いても、今の私には遠い国の出来事のようにしか思えなかった。
* * *
一ヶ月後。
私はアレクセイ様の婚約者として、王主催の夜会に参加することになった。
かつて地味な色のドレスしか着せてもらえなかった私は、アレクセイ様が特注した夜空色のドレスを身に纏い、コンタクトレンズに変えた素顔で会場に入った。
「あれは……誰だ?」「なんと美しい……」「まさか、あのアークライト嬢か?」
ざわめきの中を、アレクセイ様にエスコートされて歩く。
その時だった。
「レナ! レナじゃないか!」
人混みを押し退けて現れたのは、酷くやつれたカイル様だった。
服はよれ、目の下には濃い隈がある。かつての尊大な態度は消え失せ、必死な形相で私に駆け寄ろうとする。
「レナ、探したぞ! 戻ってきてくれ! お前がいないと何も回らないんだ!」
「……近づかないでいただけますか」
アレクセイ様が私を背に隠し、氷点下の視線を放つ。
「私の婚約者に気安く触れるな、薄汚い」
「うっ……! 公爵閣下、しかしその女は私の婚約者で……!」
「先月、君自身が破棄したはずだが?」
カイル様は言葉に詰まり、それでも私に縋るように叫んだ。
「レナ、悪かった! ミナとは別れたんだ! あいつは『お金がないなら無理』と言って逃げ出した! やはり私にはお前しかいない。愛しているんだ、やり直そう!」
あまりに都合の良い言葉。
以前の私なら、情に絆されて揺らいだかもしれない。
でも、今の私は知っている。本当の愛が、どういうものかを。
私はアレクセイ様の背中から一歩踏み出し、カイル様を真っ直ぐに見据えた。
「カイル様。貴方が愛しているのは私ではなく、私の『労働力』でしょう?」
「なっ……」
「私はもう、誰かの付属品として生きるのは辞めました。私はアレクセイ様に愛され、一人の人間として大切にされています。……貴方に戻る理由は、一つもありません」
凛と言い放った私に、会場中から拍手が湧き起こる。
カイル様は顔を真っ赤にして立ち尽くし、やがて衛兵たちによって「騒乱罪」の名目で引きずり出されていった。
「……よく言った」
アレクセイ様が、皆の前で私を抱き寄せる。
その逞しい腕の中で、私はようやく過去の呪縛から完全に解き放たれたのだと実感した。
* * *
半年後、私たちは結婚式を挙げた。
国一番の大聖堂。ステンドグラスから降り注ぐ光の中、純白のドレスに身を包んだ私は、父と共にバージンロードを歩く。
祭壇の前で待つアレクセイ様は、いつにも増して眩しく、神々しいほどだった。
「……綺麗だ、レナ」
誓いの言葉の前に、彼が思わず漏らした言葉に、司祭様も参列者も苦笑する。
誓いの口づけは、式の進行を忘れるほど長く、甘いものだった。
「病める時も健やかなる時も、私は君を全力で甘やかし、守り抜くことを誓おう」
「ふふ、そんな誓いの言葉、聞いたことがありませんわ」
「私のオリジナルだ。……覚悟しておけ、一生離さないからな」
フラワーシャワーの中、私たちは馬車に乗り込み、領民たちの歓声に包まれる。
その中には、薄汚れた服を着て労働に従事するカイル様の姿が一瞬見えた気がしたが、すぐに光の中に消えていった。
* * *
あれから3年の月日が流れた。
公爵家の庭園では、柔らかな日差しの中、お茶会が開かれている。
「あなた、あーん」
「ああ、美味しいよ。レナが焼いたクッキーは世界一だ」
相変わらずアレクセイ様は私に甘い。
宰相としての激務をこなしながらも、定時になれば風のように帰宅し、私との時間を最優先にしてくれる。
私はといえば、完全に仕事から離れたわけではない。私の才能を惜しんだアレクセイ様にお願いされ、無理のない範囲で領地経営のアドバイザーをしている。
「1日1時間以内」という厳格なルール付きだが、私の提案によって公爵領の収益はさらに倍増し、周囲からは「幸運の女神」と呼ばれるようになっていた。
「パパ! ママ!」
庭の向こうから、銀色の髪の小さな男の子が駆けてくる。
私たちの息子、リオンだ。アレクセイ様譲りの美しい瞳を持つ彼は、私たちの宝物だ。
「リオン、転ばないようにね」
「パパ、ママのこと好きすぎー!」
リオンが笑い、アレクセイ様も破顔する。
彼は私と息子を同時に抱き上げ、幸せそうに目を細めた。
「ああ、そうだとも。ママは私の全てだ」
かつて、書類の山に埋もれて泣いていた私はもういない。
ここにあるのは、温かな家族と、溢れるほどの愛。
私はアレクセイ様の首に腕を回し、その頬にキスを贈る。
「私も愛しています。……世界で一番、幸せです」
この幸せな拘束からは、もう二度と逃げられそうにない。
もちろん、逃げるつもりなんてこれっぽっちもないけれど。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
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