9.飾り気のない言葉
シャルルは、結心が手にしていたビニール袋を見やる。
「朋子のおにぎり、食べたらどうだ?」
「そうだね」
ビニール袋からフードパックとお手拭きを取り出す。フードパックには油性マジックで「しょうゆアーモンドおにぎり」と書かれていた。ずいぶんと変わり種のよう。しょうゆアーモンドおにぎりはふたつ入っていた。
海苔が巻かれたおにぎりは、ほんのりしょう油色をしていた。具材は、細かく砕いたしょうゆ漬けのアーモンドと炒り卵のよう。かわいらしい見た目のおにぎりだ。
お手拭きで手を拭いて、おにぎりを口に運ぶ。ザクザクとしたアーモンドは香ばしく、食感も面白い。ふんわりした炒り卵はマヨネーズが入っているのか、コクがあってまろやかだった。
「おいしい」
自然に、思ったままの飾り気のない言葉が出た。
朋子のおにぎりは、いつも絶妙な握り具合。固すぎず柔らかすぎず、口に含むとほろりとお米がほどける。
「その言葉、素直に朋子に伝えればいいのに」
ひとつめのしょうゆアーモンドおにぎりを食べ終えると、シャルルがぽつりと言う。
「おいしいって? 家族ともなると、あんまり言わなくない?」
気恥ずかしいし、いちいち言っていたらきりがなくなる。
結心の反論に対し、シャルルは呆れた声色で話し始める。
「家族だろうがなんだろうが、口に出さなければ伝わらないだろう」
「そうだけど……」
お母さん、おいしいよ。なんて……何年口にしていないだろうか。記憶にない。子どもの頃は言っていた気がするけれど。
今更、そんなこと言えない。
「日本人は、言葉にしなさすぎる。それでよく国家が維持できるなと感心する」
「国家って」
大げさな物言いに、結心はくすりと笑う。
思ったことを言わないからこそ、絶妙なバランスでこの国の均衡が保たれている気がするけれど。言いたいことを言っていたら争いばかりになるのではないだろうか。
ふと、ひっかかりを覚える。日本人は、という言い方をしたということは、シャルルは日本人じゃないのだろうか。てっきり、外国名を名乗る日本人だと思っていたのだけど。
……そもそも、ぬいぐるみに日本人とかあるのか? いったい、シャルルの精神は何者なんだろうか。
せっかくふたりきりだし、これまで聞けなかったことを聞くチャンスかもしれない。
「ねえ……」
「あれ、シャルル!」
口を開いたと同時に聞こえた男性の声に、結心は体を震わせる。
ぬいぐるみと話しているところを見られた!
おそるおそる顔をあげて声の主を見ると……長屋カフェで「ティースタンド 風音」を営業している風間聡が、少し荒くなった呼吸をおさえながらこちらを見ていた。
シャルルのことを知っている人でホッとする。
聡はランニングをしていたようで、Tシャツにハーフパンツといういでたちだった。ウェーブがかった束間のある長めの黒髪に黒縁眼鏡。人の良さそうな笑顔で白い歯をこぼして結心とシャルルを見ている。
まとう空気が澄んでいてキラキラ輝いて見えるようだった。
「おはようございます、聡さん。営業の準備は終わったんですか?」
聡が経営する「ティースタンド 風音」は、緑茶や紅茶などさまざまなお茶と軽食を提供してくれるおしゃれなカフェ。営業開始時間は他の店舗と同様に8時だったはずだが……結心が腕時計を見ると、時刻はもうすぐ8時だ。
「準備が早く終わったから体を動かそうと思って出たら、思ったより時間がかかっちゃいました。ま、ウチが時間通りに開いていることなんて稀なので大丈夫です」
あはは、と聡は爽やかに笑う。それだけで、どんよりした曇り空が青空に変わったかのように錯覚してしまう。実際大丈夫ではないと思うけれど。
聡の笑顔を見ると、なんだかドキドキする。結心はドキドキを覆い隠すように、ふふっと笑う。
「聡さんらしいです」
自由を愛する人、というのが聡の印象だ。
長屋カフェでは最古参で、昨年10月から営業している。世界各国を旅し、お金がなくなったら日本に戻ってきて仕事をしているそうだ。
営業時間はきっちり守らないし、定休日じゃない日に店を休む、そんな人。けれど、なぜか憎めない印象がある。
年齢は聞いたことがないけれど、20代後半に見える。結心と同世代だろう。
「シャルルとお出かけなんて、いいな」
聡はしゃがみこむと、シャルルに目線を合わせる。人差し指でつんつんとシャルルの頬に触れた。
「やめないか。汗くさい男の指など気色悪くてかなわん」
丸っこい手で、聡の指を払う。
「つれないなぁ」
「あいにく、私は女性が好きなのでな」
「僕はシャルルが好きなのに」
聡は、ハンカチ越しにシャルルに触れ、ベンチの上を移動させて結心に近づける。そして空間のできたベンチの端っこに座った。
間にシャルルがいるとはいえ、聡と隣り合って座るとは。落ち着きをなくした結心を、シャルルがちらりと見る。何か意味ありげな視線だっだが、何も言わなかった。
聡は、結心のひざの上に置かれているおにぎりをじっと見つめた。無言のまま。
「あの……よかったら食べます?」
視線に気付いた結心が持ち上げると、聡は目を見開いて首を左右に振った。
「すみません、物欲しそうにしちゃって!」
「いえ、いいんです。これ母が作った試作品なので、ぜひ召し上がってください」
結心の言葉に、聡はぱっと笑顔を見せた。少年のように無邪気な、屈託のない笑み。透明感があって華やかで、見ているだけで温かい気持ちになる。
「じゃあ、お言葉に甘えて! うれしいな! 朋子さんのおにぎり大好きなんですよ」
聡はためらいなくしょうゆアーモンドおにぎりを手にすると、大きな口でぱくりと食べる。
「ん、しょうゆとアーモンドと……玉子ですね。今まで食べたことのない味だけど、おいしいなぁ」
微笑みを浮かべながら食べている姿は、心の底からおいしいと思ってくれているとわかる充足感を感じた。
「よかったら、母に感想言ってあげてください」
「はい、あとで伺いますね! そうだ、今日の分の発注してなかった」
お互いの店の商品をどれほど置くかについての発注時、聡は不在なことも多い。
「泉羽さんにまた怒られますね」
「ですね」
ふふふ、と結心と聡が笑い合う。
穏やかな時間だった。
他の人の前では緊張感を持ってしまうのに、なぜか聡とはリラックスして笑いあえる。時間にルーズだし、ふらりとどこかへ行ってしまうような自由人だからだろうか。
「ところで、結心さんもここにいていいんですか? モーニングの時間ですよね」
「今日は……ランチタイムからってことになっていて」
結心の不機嫌な様子を見かねてシャルルに連れ出されたとは言いたくなかったので、誤魔化した。
ちらりと、聡と結心の間に座るシャルルを見やる。相変わらず何か言いたそうにしているが、無言を貫いていた。
言いたい事があるなら言ってほしいような、言ってほしくないような……。
何でもかんでも言えばいいとは思わない。でも……気になる。結心もこうした態度をよくとっているが、周りの人をもやもやさせているのだと思うとちょっと申し訳ない気持ちになる。
「じゃあまだゆっくりできますね。僕は戻らないと」
すっと聡は立ち上がる。ああ、行ってしまうのか。もう少し話したかったのに。
「すみません、引き留めて」
「僕のほうが居座っただけですから! ごちそうさまでした!」
じゃあまた、と言って、聡は結心とシャルルに手を振って走って行った。走る姿さまになっている。聡はいつも走っているなと、風のような姿を見て思う。
聡と話せたことで心は満たされた。別に、同じ性格をしているわけでも人生観が似ているわけでもないのに。人付き合いとは不思議なものだ。
「……結心」
シャルルが久しぶりに口を開いた。
「なによ」
結心のつっけんどんな物言いに、シャルルはふんと鼻を鳴らした。
「雨が降りそうだ。そろそろ戻ろう」
「はいはい」
心の中では青空だったから気がつかなかったが、空を見あげると雲がどんよりを増してきていた。雨になると、飲食店はあからさまに客足が鈍る。今日はきっと、退屈な日になるだろう。
雇われであればラッキーな日だが、自営業だとそうも言っていられないのが、頭の痛いところだ。




