7.羨ましい人
「おはようございまーす!」
おにぎりころろに、元気な声が響いた。長屋カフェのうちの一軒「鉄板焼きワンブリッジ」の一橋泉羽が、赤いのれんをくぐってやってきた。
パーマをかけたふわふわの長い髪を、いつも高い位置で結んでいる。20代前半で、いつもキラキラとした笑顔を見せてくれる。同世代であろう夫である大輝とともに店を切り盛りしていた。
長屋カフェは、三店舗とも朝8時から営業している。朝食需要があるからだ。
営業開始前にはいつも、三店舗が協力する時間帯がある。店舗の商品を、他の店舗にも置く……つまり、おにぎりころろの商品を、鉄板焼きワンブリッジでも置くのだ。わざわざ複数店舗に行くのは面倒だけど、目の前にあるなら買おうかな、という相乗効果を狙ってのこと。仕入れの数は日によって違うため、毎朝確認しあうようになっている。
これを提案したのは、一番の新参者の朋子だそう。臆せず意見を言える母が恐ろしいまである。
「おはよう泉羽ちゃん。今日は焼きそばミニパックとたこ焼きパックをそれぞれ5個ずついい? 天気も良くないし、客足が鈍りそうで」
「そうですよね、うちも今日は仕込みを少な目にしてます。食品ロスは個人飲食店の大敵ですから!」
たくさん作っても、売れない分は損になる。残った食品を自分たちで消費するには限界があり、捨ててしまうことも多い。作った料理を捨てるのは心が痛む。
だから、おにぎりは作り置きをしない。徹底してやっていかないと、金銭的にも精神的にも潰れてしまいそうだ。
「うちは、塩おむすび5個と……今日はおかかチーズおにぎりを5個にしようかな。おかかチーズおにぎり、お子さんに人気なんですよ~」
泉羽はしゃべりながら、タブレットで共用の帳簿をつけていく。
おかかチーズおにぎり。結心はここに来てからいろいろなおにぎりを食べたけれど、なぜかおかかチーズおにぎりにはありつけていない。売れ残ったら、食べてあげなくもないんだけど……と、さっきまでとは真逆の願いを持っていた。
それにしても。結心は開店の準備をしながら、泉羽をじっと見る。かわいくて、スタイルがよくて、明るくて、元気で、若くて、かっこいい夫がいて。泉羽は、結心の持っていないものをすべてもっているんじゃないだろうか。
いいな、羨ましいな。
泉羽に会いたくて、鉄板焼きワンブリッジに通う客も多い。口コミを見ても、料理ではなく泉羽についてのコメントもよく見かける。朋子といい、やはり個人経営の店は店員のキャラクターも大事なのだろうか……。
「結心さん? 大丈夫ですか?」
ぼんやりしていたら、いつの間にか目の前に泉羽がいて結心を覗き込んでいた。大きくて愛らしい瞳が心配そうに揺れていた。
「あ……はい。大丈夫です」
「結心ったら、朝弱いからね! 子どもの頃なんて「朝起きるくらいなら死んでやる!」とか言ってたくらいよ。毎朝が戦いだったわね。まさかこの年でそのやり取りが復活するとは思いもよらなかったけど」
あはは、とカウンター内の朋子が笑い飛ばす。子どもの頃に「朝起きるくらいなら死んでやる」と言ったことは本当だけど、さすがに今は言っていない。
「え、じゃあモーニングの提供があるなんてつらいでしょう?」
心の底から心配そうに、泉羽が覗き込んでくる。
「ま、まあ気合で……」
あはは、と適当に答える。
一人暮らしのときは気合いでなんとかなっていたが……苦手が得意になるわけではない。実家に戻った今は、また気がゆるんだのか起きられなくなってしまった。朋子が毎朝叩き起こしてくれるから、どうにかなっている。
やっぱり、親と住んでいると甘えてしまうようだ。
「おはよう、泉羽」
いつの間にか、シャルルが奥の和室の障子を開いて、顔を覗かせた。
「シャルル~! おはよ! あんまりうちに来てくれないから寂しいよ~!」
「鉄板焼きはにおいがつきやすいのでな。許せ」
小さな手でようやく開いたのであろう障子のスキマに、ぽってりかわいいお腹とおしりを強引に通している。セリフはかっこいいけれど、やっていることは――。
「子犬みたいでかわいい」
結心にしては珍しく、思ったことがつい言葉に出てしまった。子犬みたいでかわいいと言われたシャルルは、むっとした表情を見せる。
「子犬でもなければかわいくもない。私は誇り高き紳士で……」
「はいわかりましたすみません」
めんどくさいことにならないよう、結心は手早く手短に謝罪した。そもそも猫用のペットドアを利用しているくせに、何が誇り高き紳士なんだか。
心のこもっていない謝罪にシャルルは憤ったようだけど、それ以上は会話を広げなかった。泉羽に抱きあげられ、ゴキゲンだからだ。
「今日も美しく輝いているな、泉羽」
「シャルルってほんと、お上手~」
上機嫌でシャルルの頭をなでる泉羽。シャルルはくすぐったそうにしているが、逃げることはしない。泉羽は昨年12月からこの長屋カフェに店を出していて、朋子よりも3ヶ月先輩。その分、シャルルとは親しい様子だ。
クマのぬいぐるみというビジュアルがなかったら、ただの気持ち悪いおじさんなのでは? それに、結心や朋子よりも泉羽に優しいというか甘い気がする。まったく、人間もぬいぐるみも、若くて見た目がいいと人生得だよね~と結心は鼻白む。
ああ、まったく。朋子にも泉羽にも嫉妬してしまう。
自分がうまくいっていないからって、手あたり次第嫉妬するなんてどうかしている。人生うまくいかないのは、誰かのせいじゃないって分かっているのに、それでも誰かをうらやんでしまう気持ちは止められなかった。
結心は鼻からゆっくりため息を吐く。それもこれも、今日は低気圧が近づいてきているから。苦手な早起きを頑張っているから。気まずい親子関係のまま、朋子と働いているから。
そうに違いない。
ぐるぐるとうずまく黒い渦が、結心の心を支配していた。
「なあ朋子」
泉羽に抱かれたままのシャルルは、朋子のほうを向く。
「なに?」
「朝の忙しい時間ではあるが、少し結心を借りてもいいか? 小一時間で戻る」
「え、わたし?」
急に、借りる宣言をされてその場にいた全員が驚く。これからオープンだというのに、なにを言っているのだ。
「どうしたのシャルル。ダメだよこれからが大変なんだから」
結心の言葉に、シャルルは耳を貸さずにじっと朋子を見ている。プラスチックの黒い瞳のはずが、曲げられない意思を持ったまなざしに見えるから不思議だ。
朋子は無言でシャルルと視線を交わすと、あっけなく「いいわよ」と答えた。
「2週間前までひとりでやってたし。べつに平気よ。ランチタイムにさえ戻ってきてくれたらいいから」
「え……」
「そういうわけだ。泉羽、失礼する」
そういって、シャルルは泉羽の腕からぴょんと飛び出し、結心に向かって飛んできた。慌ててキャッチすると、泉羽のぬくもりが残っているからか人肌にあたたかかった。
「どういうこと? シャルル」
「まあちょっと付き合ってくれ。結心、外に出よう。連れていってくれ」
自分勝手だなと思いつつ、いったん、朋子や泉羽と離れられると思うとホッとした。狭い長屋カフェにいたら、嫉妬に気持ちが押さえつけられて息が苦しくなってしまいそうだ。




