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東京下町の長屋カフェ~おにぎりとぬいぐるみで癒しと思いを結ぶ~  作者: 武田花梨


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6.堂々と生きていい

 理子が、再び口を開く。


「今日、ここに来たのは、私が元気を出さなきゃ、食べなくちゃって思ったからなんです。母のためにも私が倒れていたらいけないって。でもどうしても何も食べたくなくて……ここのおにぎりなら受け付けるんじゃないかと思って来ました」


 そう言って、豚汁に口をつける。

 少しずつ、理子の心を温かく解きほぐす豚汁。


 結心も、豚汁を口にする。長屋カフェに来て以来、残った豚汁を飲むことが多くなった。でもなぜか飽きのこない、それでいて懐かしい味がする。

 ちなみに、客から飽きのこない理由を聞かれたときに「日によって具材は違うし、味噌も目分量だから」という答えを返していた。朋子らしい理由だと結心は思う。


 世の中に美味しいものはいくらでもある。チェーン店にいけば、低価格で常に同じ味を楽しめる。そんな中で個人の飲食店が残るためには、いつも『違う』ドキドキ感が必要だ――と、シャルルも言っていた。家庭料理が飽きない理由と同じだそう。


 豚汁を飲み終えた理子は、そっとお椀と箸を置いて「ごちそうさまでした」と言葉をもらす。

 だいぶ、元気そうになった。赤みを取り戻した頬や唇と、輝きを取り戻した瞳がそれを物語っていた。


「まだあるけど。どうする?」


「あ、もうだいじょうぶです! ごちそうさまでした」


 無限に食事が出てきそうなことに焦ったのか、理子は慌てて首を振った。


「お気遣いありがとうございます。満腹になって元気が出てきました。母のことが心配だからって、私が倒れたら意味ないですもんね。しっかりしなくちゃ、元気でいなくちゃ。私から元気をとったら何も残らないもの」


 自分に言い聞かせるように、最後は小さな声でつぶやいた。真剣な瞳は、空になった皿やお椀を見ている。

 しかし朋子は、首をかしげた。


「いいのよ別に、元気じゃなくたって。メジャーリーガーになれなくたって野球をやっていいし、毎日元気じゃなくたって堂々と生きていていいのよ」


 いたって真面目な表情で、朋子は言う。はっきりきっぱりした物言いは、ただなぐさめるだけの言葉ではなく、経験に基づいたものだと分かる。いつもへらへら適当に生きているように見える朋子が真顔になっているだけでも、その真剣さが伝わる。

 理子は、はっとなって朋子を見る。しかし、すぐに視線をさまよわせた。


「で、でも私、仕事も休んでて……同僚にも患者さんにも迷惑かけてて申し訳なくて……」


 歯科衛生士の理子が受け持つ患者は、別の歯科衛生士に見てもらうか予約をキャンセルしてもらっているのだと言う。


「じゃあ、今度は理子さんが困っている同僚や患者さんを助けたらいいじゃない。助け合いを循環させたらいいのよ。長い人生なんだから、持ちつ持たれつでやっていったらいいだけよ」


 朋子の言葉に、理子はまた涙目になって、うんうんとうなずいた。

 母親のことだけでなく、仕事のことを考えて理子はいっぱいになってしまったようだ。

 けれど、朋子のおにぎりや豚汁、そして言葉を聞いて少しずつ自分を取り戻して言っているみたい。

 結心は、朋子には敵わないなと痛感する。

 人生を重ねてきたことによる言葉の重み、作る料理のあたたかみ……いずれをとっても、結心が一朝一夕で真似できるものではない。


 結心が理子にしてあげられたことと言えば、シャルルを手渡したことと、いっしょに食事をしたことぐらい。実際に理子をなぐさめたのは、シャルルと朋子だ。

 でも仕方ない。それが自分だというあきらめの境地でもある。結心には難しいことだ。


 そうは思っても……朋子が羨ましい。人を救えるなんて、結心がよく知る母と同じ人間だとは思えないほど、強く輝いていた。

 救われた理子とは対照的に、結心は気持ちが落ち込む。


「あの、おいくらですか」


 理子は手にしていたバッグから財布を取り出す。


「へ?」


 間抜けな声を発する朋子。「へ?」じゃないのよ、と結心は目を丸くして朋子を見る。


「あの、お金を……。お水と、おにぎりと、豚汁の」


 詳細を告げられても、朋子は「はぇ……?」とよくわからない言葉を発して首をかしげるのみ。


「お母さん、もうちょっとまともな日本語を言いなよ」


 さすがに黙っていられなかった結心の声に、朋子はまた首をかしげる。


「だって……私が勝手に食べさせただけなのにお金をとるの? ここは山賊の住処なの?」


 心底不思議そうに、眉間にシワを寄せる。すっとぼけ具合がなかなかひどい。山賊の住処が関東平野のど真ん中にあるわけがないだろうと言いたいところを、結心はガマンした。


「で、でも……」


「あーいやね、最近耳が遠いわ。歳は取りたくないものね」


 朋子はそう言うと、皿とお椀をトレイに載せてカウンター内のキッチンに戻っていった。

 助けを求めるように、理子は結心を見る。

 母の尻拭いはいつも結心だ。まったく、自分で始めたのだから最後まで面倒見てほしいのに。


「母は、自分がこうと決めたら考えを変えない人なので……どうぞ気にせずに。今起きたことは、店を出たら忘れていただけたら幸いです」


 SNSに「タダでおにぎりを食べさせてもらった」と書かれたら困る。理子はそんなことを書かないとは思うが、一応念押しの意味もこめて伝えた。

 とまどうように視線をさまよわせたあと、理子は財布をバッグにしまった。


「ありがとうございます、ごちそうさまでした! すごくすごく……おいしかったです!」


 理子は立ち上がるとぺこりと結心に頭をさげ、そして朋子にも深々と頭をさげた。


「これから、病院に行ってきます」


「いってらっしゃい。お腹がすいたら、またいつでも来て」


「はい!」


 笑顔を見せる朋子に見送られ、理子は「おにぎりころろ」を後にした。


 店内には、明るい曲調のBGMと、カチャカチャと皿を洗う音が響く。結心は布巾でテーブルを拭き、椅子を元の位置に戻す。母娘だけになったら、特別会話はない。

 結心もだけど、朋子も長らく別々に住んでいた娘と働くというのは、それなりに気まずいのかもしれない。朋子にそんな繊細な神経があるのなら、の話だけど。

 奥の和室に置いてきたシャルルを思いだし、障子をあけてみる。そこにはもう、シャルルの姿はなかった。ふらりと、長屋の中を移動しているのだろうか。

 いつか詳しい生態について聞かせてもらうんだから。


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