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東京下町の長屋カフェ~おにぎりとぬいぐるみで癒しと思いを結ぶ~  作者: 武田花梨


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34.ここでくじけちゃいけない

 聡と別れ自宅に戻った結心は、すぐにお米を炊き始めた。


「ふらっと出かけたかと思えば、どうしたの。夕飯作ってくれるの?」


 珍しく昼寝をしていたのか、パーマのかかったショートボブの髪をぼさぼさにした朋子がキッチンに来た。


「うん。おにぎりの練習する」


「はい?」


 帰宅前にスーパーに寄って買ってきた食材をエコバッグから取り出す結心を、朋子は不思議そうに見つめる。


「わたしがおいしいおにぎりを作る」


「え? なんで急に」


「いいから座ってて。今日の夕飯になるから」


 ヘンな子、とぶつぶつ言いつつ、朋子はリビングのソファに座る。父の与志光は、会社に行っていて不在だ。

 帰りの電車の中で、結心なりに考えた。どうすれば、朋子に伝わるか。

 言葉がだめなら、行動で伝える。だったら、母の助けになれる人間になろうと思った。

 おにぎりころろを手伝い始めてから、一度もキッチンに立とうとしなかった。自分にはできない、だってお母さんの仕事だから……って手を出さなかった。それは、家事も同じ。昔からお母さんは働いて忙しそうにしていたのに、手伝ったことがない。大人になって実家に帰ってきても、家事はお母さんがやるもんだと思ってほとんど手出しをしなかった。


 そのくせ、心配だから店を休めって?

 検査を受けろって?

 これまでこき使ってもエネルギーの切れないロボットのような扱いをしておいて、心配の言葉を素直に受け入れられないのも無理はない。

 だったら、物理的に休めるようにたくさんの仕事を結心が請け負えばいい。気遣われていると肌で感じてもらうには、結心が朋子の分まで働けばいい。


 それが結心の愛情表現だ。




 帰宅した父は、ダイニングテーブルに並ぶおにぎりを見て目を丸くした。


「これ、結心が?」


「うん。こっちがカレーそぼろおにぎり、これが焼き鮭おにぎり、これは野沢菜のおにぎり」


 朋子が倒れて「検査しない、店を休まないというなら離婚だ」以降はぎこちない食卓だったけれど、突如として巻き起こる結心主催のおにぎりバイキングに、朋子も与志光も顔を見合わせて不思議そうな顔をした。


「まあ、作ってくれたのはありがたいからいただきますけどね……これ、店で出す前提?」


「そう。だから厳しくお願いします」


「厳しくって言っても、別に私もプロじゃないからな……」


 めんどくさいことを押し付けられたように、しぶしぶといった様子でカレーおにぎりを口にする。


「どう?」


 カレーそぼろおにぎりは、生シイタケ、たまねぎ、にんじんを細かく刻み、ひき肉と一緒に炒めてカレー粉と和風だしで味付けし、ごはんの中に具材として入れる。三角ではなく丸く大きく握って海苔を巻く、わんぱくなおにぎりだ。

 レシピは、なんとなく覚えたもの。朋子自身がきちんとレシピとして残しているわけでもないから、勘と記憶に頼るしかない。

 もぐもぐと噛み、飲み込んだ朋子はうん、とうなずく。


「おいしいけど……」


 言ったそばから、おにぎりがぼろりと崩れて朋子の手にかかった。


「あ~あ~」


 朋子が手についたカレーを口に含む。


「カレーおにぎりは、具材の水分をこれでもかって飛ばさないとこうなるのよ」


「そっか」


 結心はスマホのメモアプリを起動し書き込んでいく。


「ずいぶん素直じゃない。前だったら「お母さんうるさい」って反抗的だったのに」


「……わたし、そんな感じ?」


「うん。ねえ?」


 朋子が同意を求めて与志光を見る。与志光も頷く。

 親から未だに反抗的だと思われているのもなんだか恥ずかしい。でも、事実だ。子どもの頃から積極的に口をきかなかったのだから。


「で、次。お父さんは……野沢菜のおにぎりを選んだんだね」


 無言でおにぎりにかぶりつく父。野沢菜のおにぎりは刻んだ野沢菜としらすを具材にし、ごま油で風味を足したものだ。


「悪くはないけど……モチモチしすぎているような。混ぜるときに米がつぶれてるんじゃないか?」


「具材混ぜ込み系は、均一に混ぜようとするとどうしてもそうなっちゃって……」


「だいたいでいいのよ。しっかり混ざってないのもそれはそれで食感に変化もでて面白いし」


 朋子の助言をスマホにメモしていく。


「最後は焼き鮭おにぎりね。これ、店の一番人気なの」


 朋子が与志光に話しかける。お互いがお互いに離婚を言い渡しているようには見えない、ほのぼのとした雰囲気だ。


「鮭、ほぐしすぎじゃない? これだと鮭フレークとの差別化が図れないしありがたみもないじゃない」


「でも、握り具合はちょうどいい。案外うまいもんだな」


 与志光は気に入ってくれたようで、ぱくぱくと食べてくれる。結心はスマホのメモに焼き鮭のほぐしについて記載した。

 自分でも食べてみる。なるほどたしかにふたりの言う通りだなと思う。これを店で買うかと聞かれると……微妙なところだ。

 このレベルのおにぎりに対して、コンビニより高いお金を払ってまで買いに来てくれるかというと、わからない。


「どうかな、食べるだけで、元気が湧いてくるとか癒されるとか、そういう気持ちになる?」

 結心の質問に、両親はまた顔を見合わせる。


「……癒し? なにそれ」


「お母さんのおにぎりを食べると、どんなに落ち込んでいるお客さんも元気になるじゃない。そういうの、感じる? てか、どうやってやるの?」


「どうって……そんな魔法みたいなことできるわけじゃいじゃない。ただのおばさんなんだから」


「でも、実際に理子さんとか、あんなに落ち込んでいたのに元気になってくれたじゃない」


 あ~……と朋子は頭をかく。


「そうは言われても特別なことはねぇ。しいていうなら、気持ちかな」


「気持ち?」


「そ。せっかくうちの店を選んできてくれた人には、いいことありますように、って思ってる。それだけ」


「そっか……」


「近道はないわよ。何事も修行! 経験! 実戦!」


 元気そうな朋子は大きな声を出し、えいえいおーとこぶしを突き上げる。与志光が顔をしかめたのを結心は見逃さない。そのあと、少しほっとした表情を浮かべたところも含めて。

 しかし、前途多難。まだまだおにぎりメニューはたくさんある。すべてにおいて朋子と同等レベルを求めようとすると、一体どれくらい先になるだろうか。その前にまた朋子が倒れてしまったら……。


 でも、ここでくじけちゃいけない。朋子に気持ちを伝えるにはやり続けるしかない。近道はない。修行、経験、実戦だ。


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