33.手を離すのは早い方がいい
吾妻橋は、真っ赤なアーチ状の橋。浅草とスカイツリーを結ぶ重要な橋だ。
橋を渡りながらちらりと右後ろを振り返ると、スカイツリーとビール会社の特徴的なビルが目に入る。このあたりになると、インバウンド客の割合がぐんと増える。
「平日でもすごい人出」
「昨日だったら、身動き取れなかったかもしれませんね」
外国語ばかりが飛び交う人混みの中を歩く。人力車の車夫たちが客引きにいそしむ中を素通りし、雷門へ。雷門前は写真撮影をする人だかりだった。
聡は、写真を撮る素振りもなく雷門をくぐる。撮らないんだ……と思いつつ、でもそれが聡らしいと思えた。思い出を振り返るような人ではなさそう。そういう人なのだ、自分が好きになってしまったのは。
雷門をくぐるとすぐに仲見商店街になり、お土産店やワンハンドで食べられる食べ物が出迎える。
「揚げまんじゅうおいしそうだな。食べません?」
聡はその中で揚げまんじゅうの店を指さす。
おにぎり2つでだいぶ満腹だったけれど、小さな揚げまんじゅうくらいなら食べられそう。手際のよい店員から紙に包まれた揚げまんじゅうを受け取り、歩きながら食べることに。
揚げまんじゅうは、言葉の通りあんこの入ったまんじゅうをあげたもの。外側は天ぷらのようなカリカリの衣に包まれ、中はアツアツのあんこがおいしい。
「ちょうど揚げたてだったみたいでおいしいですね」
「ラッキーでしたね」
聡が、眼鏡の奥の瞳を細める。
まるで、普通の浅草デート。こんなことができるなんて、思いもよらなかった。
店を覗きつつひたすらまっすぐに歩いてまずは浅草寺の本堂へお参りする。
ちらりと、目を閉じて手を合わせる聡の横顔を見る。
なにを思って手を合わせるのだろうか。想像もできない。結心は……何も言葉が浮かばず、ただ目を閉じた。
お参りを終えると、自然とおみくじに目が行く。無数に結ばれた白い紙が強い風に揺れていた。
「浅草寺のおみくじって、凶が多いらしいですね。三割くらいは凶だとか」
結心が言うと、聡はへぇ、と目を見開く。
「なんでも、昔から凶や大吉の配分を変えていないらしくて。最近のおみくじって、凶を減らしている傾向なんだそうです。やっぱり、凶が出ると気分が悪いですしね」
「結心さん、物知りですね」
「いえ……」
という話を朋子にしている客がいたため、覚えたというだけだ。それを知った顔で話したことが少し恥ずかしい。周囲には、おみくじを求める人々がたくさんいるというのに。
「じゃ、引いてみましょう」
ガラガラと、おみくじの入っている筒を振ってひっくり返し、出てきた木の棒に書かれた番号の書かれた引き出しから白い紙をするりと抜き取る。
「わ、凶だ」
結心の気持ちは一気に落ちる。待人は来ないとか、縁談はもう少し先とか、絶望的な言葉が並んでいる。
「僕は、大吉でした」
じゃーん、と笑顔で紙を見せてくれる。
「いいな……」
「旅行・早めがよい、って書いてありますね」
たびだち、という言葉に、結心は凶が出たことよりも気持ちが落ちる。聡が初めに見る項目は、商売でも縁談でもなく、旅のことなのだ。
「ちょうど、よかったな」
なにがよかったのか。結心は、聞きたくもない続きを催促するように聡をじっと見つめる。
結心に、というより独り言のように、聡は言葉をつむぐ。
「僕、遠くないうちにまた旅に出ようと思って」
凶で落ち込んだ気持ちが、さらに落ちていく。
この人は、ひととこころには留まれない人だ。わかっていても、いざ言われると、どうしようもなく寂しさが募る。
「長屋カフェは楽しくて、いつまでもいたいって思っちゃうんですけど」
じゃあ、ずっといてよ。どうしてわざわざ旅に出るの。
「いずれは必ず失うのなら、手を離すのは早ければ早い方がいいんです」
いつか、楽しくなくなる日が来るみたいな言い方。わからないじゃない。ずっとずっと失わず、楽しいままかもしれないじゃない。
意味が分からないよ。さっきからなにを言っているの。
聡を見ても、聡はずっと遠くを見ている。聡はいつだって、結心と目を合わせるよりも遠くを見ていることが多かった。
「聡さんは本当に、風のような人ですね」
とどめようとしても、とどまらない。きっと、結心が何をしても、ここにはいないのだろう。
木々を揺らす風の音が、うるさいくらいに本堂に響き渡る。
聡はようやく結心を見ると、眼鏡の奥の目を細めた。
「僕が風ではなく木のような男だったら、結心さんとずっと一緒にいられたかもしれません」
その言葉は、ただの言葉なのか、聡の本当の気持ちなのか。きっと、一生わからないままなのだろう。




