32.今だけでも、一瞬でも
作るおにぎりは、おかかチーズおにぎりになった。冷蔵庫にある材料ですぐにできるものがこれしかなかったから。
冷凍ご飯を電子レンジで解凍している間に、チーズは小さく角切りにする。あとはごはんとかつおぶしと混ぜて握ればいいはず味付けはめんつゆだ。
結心が悪戦苦闘しながらおかかチーズおにぎりを作っている間も、聡はたわいない話をしてくれた。おもに、旅先での出来事などだ。
しかし……朋子と違って上手におにぎりが握れないところを見せるのは、すごーくイヤだった。見栄を張っても仕方ないけれど、やっぱりいいところを見せたい。
「へぇ、おかかチーズおにぎりですか。初めてだな」
「母が、昔よく作ってくれたメニューなんです」
おにぎりを持って公園でも……ということは、聡も食べるってことだよね……と浮ついた気持ちと、不味く作ってがっかりされたくない気持ちで、とにかく落ち着かない中で完成させた。計4つを、かわいげのかけらもない実用性のみ重視の蓋つきタッパーにつめる。
おかかチーズおにぎりはそれなりの形にはなった。でも、朋子のおにぎりに比べると大きさは不ぞろいだし、きれいな三角でもない。家庭料理なら気にならないけれど、お金をもらうとなると途端にふさわしくないおにぎりに見えてしまった。
聡がこうして声をかけて、たわいない話をしてくれているのは、表情が暗かったことを心配してのことかもしれない。勘違いかもしれないけれどとてもありがたかった。
線路沿いにある大きな公園に向かって、並んで歩く。聡とふたりだけでゆっくり話すのははじめてかもしれない。
「すっかり夏ですね」
騒がしい大通りを歩きながら、聡が口を開く。朝は曇り空だったけれど、いつの間にか青空が広がっていた。
「そうですね。汗かいちゃいます」
「朋子さん、お元気ですか?」
「ご心配をおかけしました。一応大丈夫のようです。でも……詳しい検査を受けてほしいんですけど、どうしても受けたくないみたいで。やりたい事をやってきたから、ここで終わってもいいなんて言い出して……」
「朋子さんの気持ち、わからなくはないです」
結心は思わず歩みを止める。それに合わせて、聡も足を止めて結心を振り返る。
「……座ってゆっくり話しましょう」
聡は見えてきた公園を指さした。
公園に到着し、まずはベンチに座っておにぎりを食べることに。お茶は、聡が準備してくれた。水筒に入った冷えた紅茶をカップに注ぐ。
大きなスカイツリーが、ここからもよく見える。月曜日ということもあって、園内は小さな子どもを連れた人か、高齢者が多かったとても広い公園で、ひょうたん型の池もある。座ったベンチは、池を眺められるところだ。
「結心さんのおにぎり、はじめて食べるなぁ。いただきます」
緊張の一瞬。なんせ、おにぎりを作る練習はしてこなかった。朋子には敵わないと思っているから。朋子のおにぎりを想像していると、すごく、おいしくないかもしれない。聡の顔が歪むところは見たくない。
食べているところを直視できず、結心は手元の紅茶がゆらめくのを眺めた。感想を知りたい、でも苦言を呈されたくない。いくつになっても、他者からの攻撃には敏感だ。
「おいしいです! 握り具合もお上手ですね」
誉められた! 聡の手元を見ていても、おにぎりが崩れるほど緩く握られているわけではなさそうだし、おもちのようになってもいないようだ。
結心は浅くなっていた呼吸をすぅと吸って戻す。新鮮な水と緑の香りが体に入り込んでくる。
「はじめて食べたけど、なんだか懐かしい味がしますね。なんでだろう」
「たぶん、子どもってこういう味が好きなのかもしれません。同じおにぎりはなくても、似たような味付けのものはどの家庭でも一度は出されたことがあるのかも」
「たしかに。あと、冷凍のごはんでも案外おいしいですね」
「上手に保存すればおいしいまま食べられますよ」
「上手な保存?」
「温かいうちにラップにくるんで冷凍すると、風味を損なわず炊き立てに近い状態で保存できます。もちろん、炊き立てには敵いませんが、今回みたいに味付けをしてしまえばわかりませんよね」
炊き立てご飯を常に用意するのは難しい。でも冷凍ご飯があれば、数分でおいしいごはんが食べられる。今日みたいに、お米が炊けるまで小一時間も待てない日にぴったりだ。その時々で、好きな方を選んだらいいと思う。
結心も、おかかチーズおにぎりを口にする。うまくできたほうではある。けれど……母のおにぎりとはやはり違うようだ。何が違うのだろう。冷凍ご飯ではあるけれど、それ以外にも何か……分量か、握り方か。
聡が淹れてくれた紅茶を一口飲む。いつも頼んでいるアールグレイは、曇った心に爽やかな風を運んでくれる。
でも……おかかチーズおにぎりは、さえない味をしている。朋子の握ったおにぎりなら、落ち込んだ心を晴れさせてくれるはずだ。聡の紅茶だって、今の結心の心を癒してくれる。でも……。結心は自分で握ったおにぎりを見つめる。全然、癒されない。
「僕ももうひとつ」
結心の太ももの上に載せたランチボックスに手を伸ばし、おにぎりをひとつ持っていく。ふたつめを食べてくれるということは、本当においしいと思ってくれた、と思っていいのだろうか。さすがに超まずかったら食べないだろうし……。
「なんだかほっとする味です」
ぽつりと聡が放つ言葉に、結心は思わず勢いよく顔を向ける。急に視線を寄越されて、聡は目を見開く。
「ほっとしてくださってますか?」
「え、ええ……」
よかった。さえない味かもしれないけれど、食べることで少しでも癒しを得てくれていたらうれしい。
ふたつめのおにぎりを食べ終えたタイミングで、結心は口を開く。
「聡さん、さっき検査に行きたくない母のことがわかる、って仰いましたけど……。どういう気持ちなのか、参考までに聞いてもいいですか?」
「僕と朋子さんの考えは違うと思いますが……あくまで、僕の思想として捉えてくださいね」
「はい」
ウエットティッシュで手を拭いながら、そうだなぁと聡はひとりごちてから口を開く。
「僕って、今のことしか考えられないんですよね。近々の予定なら大丈夫ですけど、1年後何してるとか、10年後はこうなっていたいとか、全然見えなくて。将来のために検査して、貯蓄して、人生設計をして、というのが想像できないんですよ、普通の人みたいに」
普通、の部分に少しばかりの気持ちを乗せたような気がした。
「何年後かの幸せな人生のために、じゃあ今これをやりましょうと言われても、なんで? 今やりたくないんだけど? って思っちゃうんです。なので、大学も行かず会社勤めもせず今に至ります」
「な、なるほど……」
理解できるような、できないような。結心も先々のことを考えて行動するタイプでもないけれど、さすがに「将来のために健康でいたい、お金も貯めたい」くらいの思いはある。
朋子も、あまり先のことを考えているタイプではないのだろうか? でもお店をやるためにパートの給与を貯めていたのだから、聡と同じタイプではないのかも?
「じゃあ、たとえばなんて言われたら健康診断を受けようって気になりますか? がんばって言葉で伝えてみたんですけど、聞く耳持ってくれなくて」
「結心さん、言葉で伝えられたんですね」
驚いたように目を見張った。そんなに言葉にしない人だと思われているのかと思うと、少し恥ずかしくなる。
聡は、うーんと唸りながら、紅茶をごくりと飲む。
「結心さんは、なんでもかんでも言葉にしないところが、信用できる素晴らしい部分だと思います」
急にほめられて、結心は顔がかっと熱を持つのを感じた。信用、だって。
「そ、そうですか?」
「言葉の代わりに、結心さんは体を動かしているイメージです。三謝祭のときもそう。僕たちの代わりに体を動かして設営してくれました。それだけでなく、日頃から長屋カフェの前の道路を掃除してくれてますよね。そういう行動で、僕は結心さんを信用できる人だなって思いました」
ずっと、聡は遠くを見ていて自分のことなど見てもないと思っていた。でも聡は、いつも見てくれていた。地味な掃除も、元カレとのやりとりも。
「言葉で伝えたからって、本心まで伝わるとは限らないと思います。でも、言葉を使わなくても、気持ちを伝えることは可能なんじゃないでしょうか。僕が結心さんを公園にお誘いした意味、言葉にしてないけれどきっと伝わってますよね」
「多分……心配してくださったんですよね。世界の終わりみたいな顔をしているから」
聡は否定も肯定もしなかったが、満足そうな顔をしているところを見ると、きっと当たっているのだろう。
言葉にしても伝わらないこともある。でも、言葉にしなくても伝わることがある。
「行動することで朋子さんの気が変わるかは……補償できませんが」
「ありがとうございます。考えてみます」
少し、胸のつかえがとれた気がした。さっきよりも、池の水面はキラキラと輝いている気がした。
「あの、結心さん」
キラキラと輝く水面を揺らすように、カモがすいすいと泳いで波紋を作っていく。
ざぁっと、あたたかな風が一瞬、吹き付けた。
乱れた前髪を指先で整えながら、聡を見る。
「昨日の約束、果たしませんか?」
「約束……?」
なんだったか。ぽかんとしている結心を、聡は幼い子を見るかのような瞳で見つめる。
「三社祭に行こうって約束したじゃないですか。もうお祭りは終わってしまったけど、浅草観光しません?」
「え、あ……」
浅草観光に、誘われた!
「ぜ、ぜひ」
先のことが見えない人でもいい。この先の未来を共に生きられない人でもいい。
今だけでも、一瞬でも、この人と同じ時を生きられたらいいと思ってしまう。




