3.ぬいぐるみへの偏見?
淡いブラウンの毛並みをまとった、クマのぬいぐるみ。ぽってりした手足やふっくらしたお腹、大きなおしりをたずさえて、ぬいぐるみは店の奥にある四畳ほどの和室の畳の上にすっくと立っていた。「おにぎりころろ」ののれんと同じ、赤いリボンを首に巻いている。
「ありがと、シャルル。毎日楽しい!」
シャルルと呼ばれたクマのぬいぐるみは、ふふっと笑う。
「朋子の人格が素晴らしい故、かな。私も朋子を見ていると、とても気持ちが明るくなるよ」
「やぁねシャルルったら! キザなんだから」
目を見合わせて、笑いあうふたり。
なぜしゃべるのか。シャルルは何者なのか。どうして馴染んでいるのか。聞いてみたところで朋子からは「あんた、犬ってどうしてワンと鳴くのかっていちいち聞くの?」と言われてはぐらかされてしまった。そんな理屈ある? とは思うのだが、この長屋カフェにいる人々はすっかり受け入れているらしい。
「シャルルの言う通り顧客をターゲティング? していろいろメニューを考えたら、すぐ軌道に乗れたから感謝してる」
朋子は、少し離れたシャルルにうっとりとした視線を送った。その視線を受けて、シャルルはにこりと笑う。
「私もここは長いからね」
シャルルは、長屋カフェにずっといるらしい。客層もしっかり把握しているため、新規オープンした人にいろいろアドバイスをするコンサルタント的な役割でもあるそうだ。
……ぬいぐるみにコンサルされるって、どういうこと?
そう思っても、やはり口には出せない。疑問を口に出すほうがおかしいとでも言いたげな、不思議な雰囲気があるから。
長屋カフェは賃貸という形式で、毎月家賃を支払う方式だ。基本的には短期のお試しで入居する人が多く、お店の入れ替わりは激しい。ここで力をつけて自分の飲食店を開く者、飲食店をやるという夢を叶えて満足して去るものなどさまざま。
設備の整った場所で手軽に飲食店経営ができることがメリットのようで、入居希望者は絶えないそうだ。朋子も、ようやく自分の順番が回ってきたと話していた。
まさか、しゃべるぬいぐるみがついてくるとは思わなかったけど。
改めて考えると、どういうことなんだろう。どうしてぬいぐるみがしゃべるんだろう。じっと、シャルルを見つめてしまう。
その視線に気付いたのか、シャルルは結心を見て肩をすくめた。
「どうした結心。渋い顔をして。かわいい顔が台無しだぞ」
「かっ……!」
シャルルは、とにかくなんでも口にする。結心からしたら、思ってもないことを言っているようにしか見えないのだが、本人はいたって真面目に、思ったことを言っていると自称している。
「わたしがかわいいわけ……」
もごもごとはっきりしない口ぶりで言い返す。強く否定すると空気が悪くなるが、受け入れることは難しい。
かわいいなんて、言われるような人生じゃなかった。人から褒められるような顔の造作もしていない。
なにより、性格がかわいくない。愛嬌も愛想もなにも。かわいいところなんて、ないはずだ。
「なにを言っている。私からしたら、女性は等しく、すべて美しくかわいらしいものだ」
いったい、どこから湧いてくるのだろうか。その感情は。結心は呆れてしまう。
「……シャルルの前世は、イタリア男?」
結心の皮肉に、シャルルは丸い手をあげて、呆れたように首を振った。
「そういうのを、バイアスというのだ。偏見、といったほうが伝わるかな? いまどき、生まれや在住地によるラベリングは差別を助長し――」
よくしゃべるぬいぐるみだ。結心はつい顔をしかめる。
なぜぬいぐるみに叱られなくてはならないのだという気持ちはあるけれど、シャルルの言うことはもっともだ。結心は反省する……が、やっぱり目の前のかわいいぬいぐるみに叱られているという違和感は拭えない。
もふもふかわいい見た目に反し、中身は成熟した大人の男性のよう。ここへ来て1週間ちょっとの結心にとっては、まだ少々馴染むまでに時間がかかりそうだ。
せっかく客もいないし、シャルルのことを詳しく聞いてみたい。朋子はこちらの会話を聞いているのかいないのか、皿洗いなどを進めている。
「ねぇ、シャルル」
シャルルのいる奥の和室に近づくと……結心には反応することなくシャルルはすとんと力を抜き、畳に座った。そのまま微動だにせず、ぬいぐるみ然としている。元々ぬいぐるみなのだが。
シャルルがぬいぐるみ然としているということは。結心が出入り口の引き戸に視線を向けると、カラカラと音をたてて戸が引かれた。来店客だ。シャルルは、長屋カフェの住民以外に動いている所は見せないポリシーがあるそうだ。
「理子ちゃん、いらっしゃいませ!」
朋子の元気な声に迎えられたのは、近くの歯科クリニックの歯科衛生士をしている石川理子だった。結心と同世代の女性で、華やかな明るさのある人だ。
茶色く染められた髪をひとまとめにし、歯科クリニックの茶色いスクラブの上からカーディガンを羽織ったいつものスタイル……ではなく、今日は白いブラウスに紺のひざ丈スカートといういでたちだった。
「こんにちは……」
弱弱しい声。顔を見ると、なんだか泣きはらしたあとのような表情だった。見ているだけで、胸が締め付けられるような……。
「理子ちゃん? どうした?」
朋子が声をかけても理子はなにも答えない。じっと朋子の顔を見つめたあと、瞳に涙を浮かべていく。その涙が決壊してあふれると同時に、理子はひざから崩れ落ち、顔を覆って泣き始めた。




