26.待っていてくれる人
もうすぐ午前9時。そろそろ商品を長机に並べる時間だ。シャルルのことを聞きたかったけれど、時間切れ。
和室から降りて店に戻ると、朋子が狭いキッチンをウロウロしていた。
「ああもう、さすがの私も緊張するわね~。集まってくれるかしら~」
シャルルとの会話を聞いていたかわからないが、いつもの陽気な朋子の姿でほっとする。
「きっと、たくさん来てくれるよ」
「あら、珍しく前向きね」
なぜか鼻白んだ顔で結心をじっと見つめた。
らしくない、と思われたのだろうか。浮かれ気分が伝わっているかも、と思うと恥ずかしい。
「さ、外に出よう!」
透明で小さなフードパックに、小ぶりのおにぎりが2つ詰められている。焼き鮭とツナマヨのセットだ。それらが無数にコンテナに敷き詰められている。持ち上げると、ずっしりと重量を感じる。……こんな量、売れるだろうか。
外に出て、誰もいなかったら。お昼になっても、誰も来なかったら。
怖いけれど、外に出ないことにはなにも始まらない。
コンテナで両手が塞がった結心は、引き戸の前で立ち止まる。すりガラス越しに、赤いのれんが揺れて見えた。
「行こう。お母さん、引き戸を開けて」
「うん」
朋子の手で、ゆっくりと引き戸が開かれた。
太陽の光がまぶしくて、少し目を細める。太陽の光に慣れた頃合いで、目のピントを合わせてみると……。
「朋子ちゃん!」
女性の声。長机の向こうには、見覚えのある高齢女性がいた。
「相馬さん!」
朋子の声で、結心が予約を通しそこねてしまった人だったことを思いだす。たしか、その場で新人教育をされたような。
「朋子さーん!」
中年男性の声。この人も見覚えはあるが……。
「あらー! 私に求婚してきた身の程知らずな方!」
税理士事務の人だ。朋子にプロポーズ後即玉砕したものの、いい距離感で常連を続けてくれている。
わりとひどいことを言われた男性は、なぜかうれしそうに「てへ」と手の平を後頭部にあてた。
「名前覚えてくださいよ~」
ドッと笑いが起きる。
そう。ドッとというほどに、人がたくさんいた。
「名を名乗らず求婚する方が悪いんです~」
朋子は軽口を続けているが、視線は集まった人々に向けられている。
総勢10人以上はいるだろうか。まだ開店前だというのに人が集まってくれた。顔を見ると、半分は顔なじみ、もう半分は少なくともおにぎりころろでは見かけない顔だ。
よかった、待っていてくれる人がいた。
結心は安心して腰が抜けそうだったが、両手に抱えたコンテナを長机に置かない限りは倒れるわけにはいかない。長机の真ん中に置いた。ここでは実店舗の並びと同様に、右から鉄板焼きワンブリッジ、おにぎりころろ、ティースタンド風音の順に並べる。レジは鉄板焼きワンブリッジの隣で、小さなキャッシュボックスのみを置いていた。
泉羽と大輝、聡もコンテナを抱えて出てきて、集まった人の顔を見て嬉しそうに頬を緩めた。
「まだ9時になってないけど、始めちゃいましょう!」
朋子の掛け声で、三謝祭は10分前倒しでスタートした。
三謝祭の列は、途絶えることがなかった。
ただ商品を売るだけじゃなく、少なからずコミュニケーションもとりながら商品を売っていく。
泉羽、朋子、聡に話しかける人は多い。結心と大輝はもくもくと作業していたが、それでいい。人には人の役割がある。
結心は客から500円を受け取り、システムを説明していく係。完全に流れ作業になっているが、ここは足止めする場所ではないのでひたすらに列を流していく。
「結心さん、こんにちは」
機械的に働いていた結心に声をかける男性が。
「平松さん!」
高齢者施設の職員の平松が結心の前に立つ。施設でおにぎりバイキングを開催してくれる、おにぎりころろにとってはありがたい客だ。
「こんにちは。利用者さんが、ぜひ朋子さんに会いたいということで連れてきちゃいました」
平松の後ろに目をやると、元気そうな高齢者と、施設の人がずらりと並んでいた。中には車椅子だったり杖をついている人もいる。ざっと10人くらいだろうか。
「あなたが朋子ちゃん?」
平松のすぐ後ろにいた女性が、瞳を輝かせて結心を見る。
「いえ、わたしは娘の結心です。母は真ん中でおにぎりを配っています」
横に目線を向ける。
「あれま、どーりで若すぎると思った!」
「ま、私達からすれば60歳にもなってない朋子ちゃんなんて若者だけど、娘ちゃんは赤ちゃんみたいね!」
「お肌ツルツル!」
ワハハ、と一向が盛り上がる。赤ちゃん呼びはなんだかくすぐったかったけれど。
「朋子ちゃんのおにぎりがすっごくおいしくて、おにぎりバイキングの日は楽しみなのよね」
「あのおにぎりが食べたくて、俺は長生きがんばってる」
「がんばらなくても、あんたは図太いから死なないわよォ」
わいわいと、丁々発止のやりとりをしてる。会話のスピードが速い。どこが高齢者なのか。あっけにとられて口を挟むスキマもない。
「今日来ているのは、だいぶ元気な方たちなので」
結心の気持ちを察してか、平松が小声で言う。それにしても、このテンポは結心にはついていけそうもなかった。
「ここにいる全員分のお金です」
平松が、6000円を結心に差し出す。てことは、12人分か。
「ありがとうございます。では列になったまま、横に移動してください。12名様入りますー!」
横の人々に声をかける。大きな声で騒いでいるから、大人数が来ていることは把握済みのようで、みな覚悟の決まった目で頷く。
「三社祭は人が多すぎて怖くて行けなくなっちゃったけど、ここは並んでるだけで楽しいからいいわね」
頭の回転は速くても、それぞれの足取りはおぼつかない。施設の人の手を借りながら、ゆっくりと列が進む。
そうか、足腰の弱い人が、人の多いところでのんびり歩くのは難しいのか。お祭りムードなのに、お祭りに参加できない人も多いだろう。そんな人たちが、ちょっと気分のあがる催し物に参加してくれているとしたら。こんなに嬉しいことはない。
何人かの客からお金を受け取って列を流していると、また見知った顔が結心の前に現れた。
「結心さん、こんにちは」
「理子さん!」
歯科衛生士の理子だ。理子のうしろには年配の女性がいた。
結心の視線を察して、理子は「母です」と弾ける笑顔で言う。
「お元気そうで……!」
明るい表情の理子の母が、結心に向かって会釈した。上品な仕草に、結心も慌てて会釈を返す。
「その節はお世話になりました。娘に聞きました」
何度も、深々と頭を下げる理子の母。
「いえ、わたしはなにも……顔をあげてください」
大したことはしていないのに、とんでもない偉業を成し遂げたかのような扱いをされてしまう。人生で「顔をあげてください」なんて言う日が来るとは。
「ということでー、感謝の気持ちを込めて、今日は従妹も連れてきちゃいました!」
理子が後ろを見やると、理子と同世代の女性が赤ちゃんを抱いて立っていた。
「以前から来てみたかったんですけど、子連れでもいいのかな、って心配で素通りしていたんです。ちょうど良い機会で嬉しいです!」
「もちろん、大歓迎です! いつでもいらしてください。うれしいな」
口から抵抗なく「うれしい」という言葉が出たことに驚いた。でも、本当にうれしかったのだ。客が来るか不安で不安でたまらなかったのに、いざ三謝祭を始めてみたら多くのなじみ客や、新規の客が訪れてくれたのだから。愛されていると実感できたことが、幸せだった。
地域のみなさんに還元する……とは言ったものの、実際還元されているのは店側なのではないか、と感じた。




