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東京下町の長屋カフェ~おにぎりとぬいぐるみで癒しと思いを結ぶ~  作者: 武田花梨


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25.心はどこか遠くに

 三社祭最終日の日曜日がやってきた。


 三社祭の見どころは3日目だ。午前7時に「宮出し」が始まる。宮出しとは、浅草神社の本社神輿三基が境内より発進し、普段は観光客でにぎわう仲見世通りを通り、一日かけて浅草中を渡御する催し。浅草全体がお祭りムードに包まれる日だ。


 だから……隅田川を挟んだ向島で三謝祭なんてやっても、もしかしたら誰も来ないかもしれない。誰だって三社祭のほうに行きたいに決まっている。

 言いだしたのは結心だ。もちろん全員が賛同したのだけれど、それでも重圧は感じる。

 泉羽も大輝も喜んでくれたけれど、もし人が集まらなかったら……。考えても仕方のないことだとはわかっているが、不安が強くて落ち着かない。


 三謝祭は9時から。現在午前8時過ぎだ。長机を出して三謝祭の準備を進めよう。といっても、レンタルした長机を並べるだけの簡単なものだ。作業をすれば、不安を忘れられると思ったけど……。

 こういう時、シャルルに頼りたくなる。「結心、また険しい顔をしているぞ」と言ってほしい。あのふわふわでかわいい姿に癒されたい。しかしシャルルは、奥の和室にこもって出てこない。好奇心旺盛なシャルルが顔を出さないなんて珍しい。

 しゃべるぬいぐるみって……と思っていたのに、長屋カフェに来て2ヶ月。すっかり頼りにしていることに気付く。


 結局、未だにシャルルの謎について聞けていない。


 早くも汗をかいてきた。はぁ、と立ち止まって空を見上げる。

 5月も半ばとなると、朝早くても日差しが強くて暑い。今からこんなんじゃ、真夏はどうなるのかと思うと恐ろしいくらいだ。


「結心さん、おはようございます」


 振り返ると、ティースタンド風音から聡が出てきた。

 さっきまでの不安はどこへやら。結心の心臓は踊るように跳ねる。


「聡さん、おはようございます」


「いよいよですね~。あ、僕が運びますよ」


 長机をひょいと持ち上げ、聡が手早くレイアウトしてくれた。結心は手で額の汗を拭った。

 横一列に並べられた長机。ここに、各店舗の商品が並べられる。


「えと、今日は社食っぽい提供方法なんでしたっけ」


 屋台を出す、とは言いつつ、結局は質素な作りとなった。商品を安く提供するためだ。


「そうです。一列に並んでいただき、まずわたしがお金を受け取り、そのまま焼きそば、おにぎり、お茶を受け取って帰るという流れです」


 スムーズに提供するため、社食でよくあるパターンにした。結心にお金を払わないと、商品列に並べないようにしている。そして各店舗ごとにパックした商品をひとつずつ受け取る。ビニール袋や割りばしなどは、セルフで必要な分だけ持って行ってもらうことにした。


「いやぁ楽しみだな」


 聡は、にこにこと笑顔を見せて設置した長机を見つめる。


「聡さんも、このお祭り楽しんでくれてますか? 三社祭のほうに行きたかったとか……」


 今更、言っても仕方ないことを口にしてしまう。


「楽しんでますよ。三社祭は、ここに来る前に雷門の方に行ってちょっと見ました。人が多すぎてなんにも見えませんでしたが」


「あ、そうなんですね。いいな」


 そうか、開店前にいけば良かった。三社祭最終日、宮出しは7時から行われていたのだから。三謝祭で頭がいっぱいで、考えも及ばなかった。


「じゃあ、もし早く終わったら、一緒に行きません?」


 聡が、にこりと笑って提案する。

 一緒に? 聡と一緒に浅草散策?

 誘われたことに理解が及ばず、結心はぽかんとなる。その姿を不安に思って、聡は言い訳するように慌てた声をあげる。


「今日の三謝祭って、商品が無くなり次第終了ですよね? もしかしたら、お昼頃には終わって間に合うんじゃないかな……って」


 あってますよね? と聡が結心を覗き込む。

 聡と、じっくり目が合っている。こんなにも視線が合うことなんて、これまでなかったんじゃないだろうか。


「行きたいです!」


 このチャンスを逃してはならないと、本能が告げる。深く考える前に、言葉が出た。


「よかった、じゃあ行きましょう! お祭りって活気があっていいですよね。生きているって感じがします。世界中でお祭りがあるのって、やっぱりみんな、生きているって実感したいからなんだろうなって思いますよ」


 夢見るような顔つきで、聡は遠くを見た。

 いつだって、聡の心はどこか遠くにあるのだろう。目線はいつも、目の前にいる結心には注がれない……はずだった。でも今は。




 結心と聡は、一度店に戻って各々準備することにした。

 朋子は必死の形相でおにぎりを作り続けているが、結心にはもうやることがない。

 不安で落ち着きがなくなり、結心は奥の和室を覗いてみる。

 シャルルが座布団の上に座り、窓の方をじっと見ていた。障子が開けられたことに気付かず、ぼんやりしている。

 なんだか元気がない。ぬいぐるみなのに元気がない、というのもヘンな話だけれど、2ヶ月も一緒にいるとそう感じてしまう。


「シャルル?」


 結心の声掛けに、シャルルははっとして顔を向ける。


「すまない、ぼんやりしていた」


「ぬいぐるみもぼーっとするのね」


 両手でシャルルを持ち、目線の高さにあげる。いつもと変わらない姿にホッとする。


「いよいよだな、結心」


「うん」


「……そう緊張するな。私もここから見守っている」


「うん」


「結心ならできる。キミは真面目な人間だから、大きな失敗はしないさ。今回に限らず、これからも」


「ありがとう」


 やっぱり、シャルルといると癒される。シャルルと出会えて良かった。ふわふわの体をぎゅっと抱きしめる。

 ……でもねシャルル。わたし、結構大きな失敗してきたんだよ。


「話したっけ。わたしが、自分の気持ちを言えなくなった理由」


「……聞いてないな」


 結心は座布団の上にシャルルを座らせる。


「大きな失敗だった。わたしね、小学生の頃に自己主張をしてみようって思ったの。お母さんみたいに言いたいことを言った方が、人に好かれるんじゃないかって思って」


「朋子は昔からああなのだな」


 ふっ、とシャルルが愛おしそうに笑う。


「うん。でも……うまくできなかった。まず、言いたいことを言葉にするのも難しかったし、ようやく口にできたと思ったら方向性が間違っていて、空気を悪くすることもあった」


 この会話は、朋子も聞いているかもしれない。紙一枚で隔てただけだから。でも……聞いてもらっても構わないと思って、話を続ける。


「そんなことをしていたらさ……だんだんと、みんなに嫌われたよね。普段何も言わない子が急に意見するようになって、しかもそれが的外れで。あきらかにいじめられたり無視されたりはしなかったけど、居心地が悪くて、ひとりでいる時間が増えて。今思えば大したことじゃないんだけど、小学生のわたしには絶望的だった」


「そうだな。教室がすべてだものな」


「そこからかな、お母さんのことが苦手になって、必要なこと以外話さなくなったのは」


「しかし朋子は……」


「わかってる。逆恨みだよね。それにお母さんは言いたいことを言っているんじゃなくて、ちゃんと相手を見て、相手を気遣った上で言ってるんだって、ここで働き始めてわかったよ。お母さんは空気を読む天才。凡人が天才のマネをしたって同じにはならないよ」


 そんなことにも気付けなかった。朋子に八つ当たりして、自分の気持ちを隠すことでしか、小学生の幼い心は守れない。

 別に、ずっと八つ当たりをするつもりはなかった。数日ツンケンしていくうちに、自然に元通りになれると思った。心の整理に必要な時間が欲しかっただけなのだ。


 しかし、朋子はそれを許さなかった。


 朋子は「何が気に入らないの! 言ってみなさい!」としつこかった。無視していればそのうち放っておかれると思ったのに、毎日毎日、執拗に「言いたい事があるなら言いなさい!」と言われ続けた。1週間経つ頃には、結心は完全に心を閉ざした。

 少しの間放っておいてくれたら、元通りにもどれるはずだったのに。気持ちの整理がついたら、またお母さんと仲良くなれると思ったのに。


 お母さんは、自分のことばっかり。わたしのことよりも、自分が気になるからってしつこく聞いてくる。話したくないのに。言いたくないのに。


 もうなにも話すまいと、結心は朋子を完全に無視するようになった。学校生活において伝えなくてはならないことも、テーブルの上にプリントやメモを置くにとどまった。

 さすがの朋子も、結心に心を閉ざされたことに気がついてからは何も言わなくなった。でも、時すでに遅し。

 もう何も言わない。話したくない。相談したくない。

 そのまま時は過ぎ、朋子に相談することなく結心は一人暮らしを始めた。

 気が合わない。だったら一緒に生活しない方がいい。


「わたしはもう、そういう人生なんだよ。親とも仲良くできないし、わたしのことを好きになってくれる人も離れていっちゃう」


 自虐を言うのも良くないけれど、結心にとって妥当な自己評価だと思う。

 元カレの俊介は、そういう結心が好きじゃなくなったのだろう。話し下手で、思ったことを言わなくて、好きって気持ちも伝えない人と付き合っていても物足りなかったはずだ。

 しかし、シャルルは肯定せず、あからさまにむっとした表情を浮かべる。


「私は結心を好きだが、離れるつもりはない。前にも言ったが、1、2回嫌な事があったからって、人生すべてがそうであると決めつけるのは良くない。オセロの盤には白も黒もある。どちらの色にするかは自分次第だ」


 力強い言葉でシャルルが言ってくれる。シャルルはいつも、結心が前向きになれる言葉を言ってくれた。その言葉に救われてきた。

 かわいいクマのぬいぐるみで、茶色い毛がふわふわしていて、赤いリボンがかっこよくて。中身は、女性好きの紳士。そして、なぜかしゃべる。

 なにもかも不思議な存在だけれど、だからこそ、結心は本心を話せるし、受け入れられるのかもしれない。


「そうだね、シャルルがそう言うなら、信じる。ね、シャルル。ずっと一緒にいてくれるよね? なんなら、ウチに来てくれても……。夜にひとりでいるのは寂しいでしょ?」


 結心の言葉に、シャルルは少し首を傾げる。


「私はここの住人だ。世話になる訳にはいかないさ」


 突き放されたような言葉に感じたのは気のせいだろうか。ふと、先程の元気がない後ろ姿を思い出してしまった。


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