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東京下町の長屋カフェ~おにぎりとぬいぐるみで癒しと思いを結ぶ~  作者: 武田花梨


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23.あなたがいいです

 動きを止める結心に、悠飛はうるんだ瞳を向けてくる。


「話、聞いてもらえないですか」


 涙で瞳を濡らし懇願するイケメンの頼みを、誰が断れるというのか。しかし……。


「わたしじゃなくて、母を呼びましょうか」


 視線を店の方に向ける。悠飛は首を横に振った。


「あの……あなたがいいです。聞き上手そうだし、口も堅そうだし」


 あなたがいいです、だって。どうやら話し相手として求められているらしい。

 結心はすぐさま居住まいを正した。


「わたしでよければ」


 嬉しくないわけがない。必要とされて、心が幸せなもので満たされる気がした。

 朋子ではなく、自分が選ばれたのだ。

 悠飛は、恥ずかしそうに前髪をくしゃくしゃと触る。


「あと、言い訳も聞いてほしくて……。俺、ここに来たときに『俺が加賀悠飛だからサービスしてくれているんですよね』って言ったの、覚えてますか」


「はい。すみません、無知なもので……」


「いえ。ちょっと調子に乗りました。なんだか、全人類が良くも悪くも俺のことを知っているんじゃないかって勘違いしていました」


 良くも悪くも、という言葉に結心は引っかかる。

 何も言わず、続きを促す。言葉を探すように視線をさまよわせてから、悠飛は口を開いた。


「実は、とあるボーイズグループのメンバーを決めるオーディション番組に出演していまして。その番組を見て、俺のファンでいてくれているから、サービスしてくれるのかと思ったんです」


「ああ、通りで」


 かっこいいはずだ。

 オーディション番組全盛期。厳しいレッスンをしたりアイドルになる覚悟を語ったりして人となりを視聴者に伝え、熱狂的に推してもらう仕組みだ。

 結心も以前、興味本位で見たことはあった。ついつい熱中して、推しを見つけて、応援してしまう。


「まぁ、とにかく大変で。歌もダンスも未経験だから、他の人よりもレッスンがきついのはわかっていました。でも体力には自信があるし、強豪校のサッカー部にいたから大抵のことにはついて行けるって思ったんです。……でも大変なのはレッスンじゃなくて」


 ぎゅっと一度目を閉じてから、結心を見る。


「一番キツいのは……SNSで叩かれることで。俺を応援してくれるごく一部の人以外、全員敵なんじゃないかって」


 それだけ言うと、悠飛はまた押し黙る。


 オーディション番組の誹謗中傷については、度々問題になっている。多少は覚悟の上だろうけれど、それでも知らない人に悪口を言われるのは、想像以上につらいものがあるだろう。

 デスゲームのような仕組みのオーディション番組。回を追うごとに脱落者が増える構成のためか、デビュー前から熱狂的なファンはつくけれど、その反面熱狂的なアンチも生まれる。ネット上の誹謗中傷はひどいもののようで、公式サイト等では「誹謗中傷を控えるようお願いします」というコメントが掲載されるのも珍しくない。



 ――私が推している人は落選したのに、アイツは次の審査に進む? ふざけんな


 ――スキルがある人が落ちるなんて信じられない!


 ――ブサイクのくせに、運営のお気に入りだから残ってるだけじゃん



 これほどの熱のおかげで、グループ結成直後からCDが山ほど売れ、テレビに出演し、大きな会場でライブができる。売れるための切符を買うために、とんでもなく心をすり減らしているのは外野からでも見て取れる。


「わかります。わたしも飲食店をやっていて、匿名でイヤな口コミを書かれますから。もちろん、加賀さんはその比じゃないほど言われるでしょうから、共感するのもおこがましいですが」


 結心に共感され、悠飛は堪えていた涙を一筋流す。


「何を言っても、何もしなくても、全部叩かれる。俺がヘンなのかな、俺が悪いのかなって思うようになってきて……まだデビューもしていない一般人の俺なんかを好きになってくれたファンの人のためにもがんばろうって思う気持ちとはうらはらに、もう辞めようかと本気で悩んでいて……」


 ボロボロと涙を流しながら、言葉をつむぎだす。


「食事代はツケでいいなんて俺のファンじゃないと考えられないと思ったんです。でも違った。俺のファンじゃなくても、叩かないんだ、優しくしてくれるんだって思ったらうれしくて。おにぎりもからあげも味噌汁もぜんぶおいしい。最近上京したばかりでカップ麺ばかりを食べていた体にしみわたるっていうか……」


 ティッシュを取り、顔を拭く。もはや涙も鼻水も区別がつかないくらいだ。


「……どうして、この店に来ようと?」


 この辺の住人ではなさそうだが。


「SNSで流れてきて、写真がすごくおいしそうだなって思って、電車に乗って来ました。もともと、母の作るおにぎりが大好きだったから」


 まさかの、SNSからの新規! わたしの撮った写真がいいって!

 思わず喜びの声をあげそうになるが、泣いている客の前だ。結心は無関心を装う。


「そうでしたか、ありがとうございます」


「他の店の料理写真ってAIみたいっていうか、重加工しているっぽくて食欲をそそらなかったんですけど、この店はなんていうか……ありのままというか」


 あれ、褒められているわけじゃなかった。


「でもそれが、ほっとしたっていうか……。飾らないお店って、いいなって。俺、毎日飾ってばっかりだったから疲れていたのかも」


 悠飛は泣き疲れたのか、ぽわんとした顔をあげて窓の外を見た。5月の濃い青空を背景に、裏庭の木が揺れているのが見える。


「ぜったい、お金支払いに来ます。明日から合宿が始まってしまうので、少し遅くなるかもしれませんが、必ず」


 力強い光を瞳に宿し、悠飛は正面から結心を見た。


「お待ちしています」




 結心は出入口まで行って悠飛を見送った。

 スマホを手にした朋子がすすっと近寄ってきた。


「へぇ、あの子の出ているオーディション番組、今5次審査の途中まで配信されているらしいよ。でも、明日から合宿最終審査ってことは……5次は受かって次は最終に進むってことね。世間の人より先に知っちゃった!」


「調べるの、早いね」


「ま、全部聞こえてたし? それにしても結心、ちょっとは接客うまくなったんじゃない?」


 ほほほ、とわざとらしく笑うと、朋子はカウンターの中に戻っていった。

 結心は奥の和室へ。シャルルが疲れ切った様子で畳の上に寝転がっていた。


「ようやく帰ったか」


「感謝してよね、泣いている男性をなぐさめるためにシャルルを使わなかったことを」


「感謝もなにも、当然だろう。私はマスコットじゃない」


 つん、とシャルルはそっぽを向く。

 相変わらずだなと苦笑いしていると、店のほうから金属がぶつかる大きな音が聞こえてきた。

 何事かと思って見に行くと、朋子がシンクのフチに両手をついて、頭を俯けていた。

 調理器具が、朋子の足元に散らばっている。ぐわんぐわんと不安定に揺れる金属製のボウルが目障りだった。


「お母さん?」


 調理器具を落としたというのに、朋子は拾うどころかずっとシンクのフチに手を置いたまま動かない。ぎゅっと目をつぶり、嵐が収まるのを待っているかのよう。結心の声掛けにも返事をしない。


「どうしたの? 具合悪い?」


 もう一度、声をかける。その声は少し震えていた。


「なんでもない、ただの立ちくらみ」


 朋子はゆっくりと頭をもたげる。少し疲れたような顔を見せた。


「いやね、年かしら。もう還暦だものね。仕方ない」


 さ、仕事仕事! そう元気な声を出して、朋子は床に落ちたボウルやバットを拾って、シンクの中に放り込んだ。


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