21.言われる側
ピークタイムが過ぎた午後2時。食器を洗ったり明日の仕込みをしたりといった、ゆるやかな時間が流れる。
結心の心はまだささくれ立っていた。口コミの件が、未だにスッキリ流れていかない。朋子のように「わたしって人目を引いちゃうから」とか「注目されてる」とか、いい風に変換できない。別に、注目なんてされたくない。
奥の和室の障子が開き、シャルルが顔を出す。
「結心、まだ気にしているのか」
「なにを」
「……その怖い顔をやめろと言っている」
「失礼いたしましたぁ!」
「こら結心、シャルルに当たらないの! 一体なにがあったの?」
「何もないですが」
口コミサイトに悪口めいた内容を書かれたなんて、言いたくない。ただでさえ甘えた30間近の娘が「えーん、ひどいこと書かれたよ~」なんて母に言うなんて馬鹿らしい。
「あ、そ」
朋子はそれ以上詮索せず、明日のからあげのために鶏もも肉に下味をつける作業に戻る。
しかし……悪口めいた口コミとはいえ、嘘を書かれたわけではない。事実である。だからこそ、苛立ちはするが反省すべきだとも思う。けれど……もやもやは晴れない。
芸能人やアスリートなんかは、これの比じゃないほどに色々書かれているのをよく見る。大変だろうなぁ……と、言われる側になったことでより実感を持って共感してしまう。
店の入り口の引き戸のガラスに人影がうつる。客だ、と意識を引き締めると同時にカラカラと戸が引かれた。
「いらっしゃいませー!」
明るく元気な朋子の声に迎えられたのは、ニット帽を目深に被り黒いマスクを着用した若い男性だった。
「いらっしゃいませ!」
もう、口コミサイトに悪いことを書かれてたまるかと、がんばって愛想よく声を発する。
ちらりと朋子が見たような気がしたが、無視。
いつの間にか奥の和室の障子は閉められていた。
「えっと……」
ニット帽と黒いマスクで顔を隠しているが、一般人とは違うオーラを感じる。背が高く、マスクが余るほど顔が小さいし、手足は長い。シルエットからして常人とは違う気がする。
「焼き鮭おにぎりと……からあげを3つ。店内で食べます」
「はーい、かしこまりました」
響き渡るような、低い声。発声が良く、聞きやすい声だ。どこか湿度を帯びた声に思わず「また聴きたい声」と思わせられる。
「先にお会計お願いします」
結心がレジ前に立ち、値段を打ち込んでいく。いつのまにか、店内メニューの価格をすべて暗記していた。
スマホを持ってレジ周りをきょろきょろ見る男性。
この様子は、定期的に見かける。キャッシュレス決済に対応していないかを確認している姿だ。
「すみません、現金のみなんです」
結心の言葉に、男性は半ば絶望したように目を見張った。
「えっ……と。どうしよう……」
すでに料理は作り始められていて、油の中に投入された鶏もも肉がしゅわわと音を立てている。おにぎり一個分に小さくカットした生鮭も、ミニフライパンの中で焼き目を付けている。
やっぱりいらないと言って帰るわけにはいかない。
どうすべきかわからず、男性は途方にくれた様子でじっと結心を見つめる。吸いこまれそうな透明感ある瞳だ。
「現金がないのなら、ツケでいいですよ」
まさかの言葉に、男性は「へ?」と気の抜けた声を出した。100人中100人が「彼は今驚いた」と分かる目の見ひらきっぷりだった。
「ツケって、お金はあとでいいってことですよね?」
「そうです」
「で、でも……俺、常連でもないのに」
「これを無駄にするほうがもったいないから! いいから座ってなさい!」
鮭を焼きながら朋子が言う。ピークタイムにはあらかじめたくさん焼いておくが、ピークタイム以外は都度焼くようにしている。
ツケOKであることをすぐには受け入れられない様子の男性は、助けを求めるように結心を見た。
「母もああ言ってますので。どうぞお気になさらず」
ここまで言えば、たいていの人は受け入れるし、ほとんどの人が後日お金を持ってきてくれる。
結心がおにぎりころろに来てから1ヶ月半、現金を所持しない人は数人いたが、後日全員がお金を持ってきてくれた。観光客相手の商売であれば難しいだろうけれど、ほとんどの人がご近所の人だからこそできることだろう。
しかし、男性は未だ納得できない顔をして、マスクの中でもごもごと何かを言っていた。
するとおもむろに、すっとニット帽をとり、マスクをはずす。結心がぽかんと眺めていると……美しい顔立ちの男性が、気まずそうに顔をあらわにした。乱れた髪すら、彼を彩る豪華な額縁のようだ。
気まずそうに目線を動かした男性は、少し恥ずかしそうに俯いて言った。
「サービスしてくれるのは、俺が加賀悠飛だからですよね?」
「え? 誰だって?」
間髪入れず、朋子が大きな声を出した。
予想外の答えだったのだろう、悠飛は目をしばたたかせた。また救いを求めるように結心を見る。
「えっと……ごめんなさいちょっとわからなくて……」
ここは「お母さん知らないの!?」って言うべき場面だったような気がするが、知らないものは知らない。見たことあるかも、という次元でもなく、まったく知らない。これだけ美しい顔立ちであれば、芸能人だとは思うけれど……。
2人に困惑された悠飛は、一瞬店の出入口を見たが、もうおにぎりは作り始められ、からあげは油の中に投入されている。ツケでいいとも言われている。
帰るに帰れない状況となってしまい、結心は申し訳ない気持ちになる。
しんとした店内。
どうフォローしたらいいかわからず、結心は固まってしまう。いい男が所在なさげに立っている姿は、見ていられない。
「加賀悠飛さんね、名を名乗ってくれてありがたいわ! 名前を覚えておくから必ず支払いに来るように。620円ね!」
からあげを油の海から取り上げながら、朋子がありがたそうに言う。
「あ、はい……」
悠飛はははは、と薄ら笑いを浮かべる。
「では、お好きなお席へどうぞ」
律儀に名を名乗った人ということになった悠飛は、カウンターから一番見えにくい奥の席についた。シャルルのいる和室にほど近い。
会話を聞いて気になったのか、障子の隙間からシャルルが右目だけをのぞかせていた。
ミーハーなんだから、と軽く睨んでおく。
「コーン茶です」
「あ、ども」
冷たいコーン茶を提供すると、悠飛はぐいっと一気飲みした。テーブルの上に置かれたグレーのニット帽と黒いマスクが居心地悪そうに端に置かれている。
「コーン茶のお代わりをお持ちますね」
「あ、でも」
「無料サービスなので遠慮なさらず」
保冷ポットを持ち、グラスに注ぐ。淡い黄色のお茶がこぽぽと音をたてて注がれる。
「なんか、ほっとする味ですね。あの、本当にツケでいいんですか?」
「はい、もちろんです」
「……払いに来ないかも、って思わないんですか? 現金持ってこないなんて、バカなんじゃないかって思っていませんか?」
「キャッシュレス決済ができない当店が悪いので」
「でも俺は初見の客ですし」
疑うような瞳を向けられる。
結心自身、最初は疑った。
朋子は人が良すぎる。現金を忘れたふりをすれば、タダで食べられると考える不届きものがいるのではないかと。
しかし実際は違う。今のところ払いに来なかった人はいなかった。実績を積まれてしまった以上、おにぎりころろに来てくれた客を信用するほかない。
「みなさん、きちんとお支払いくださいますので。お客様もそうであると考えております」
「そう、なんですね。すごいな、人のことを信じられるって……」
じっとコーン茶を見つめながら悠飛がこぼす。なんだか力なく、疲れているような様子にも見えた。
人を信じられなくなるようなことがあったのだろうか。とはいえ、ここは客の悩みを聞く店ではない。
「……コーン茶、ノンカフェインなので、寝る前でも飲めますよ。おすすめです」
結心は「では失礼します」と頭を下げてカウンターに戻る。この気まずさで支払いに来てくれるかはわからないが、メモ用紙に「かがゆうひ様、620円ツケ」と書いた。カウンターの下に最近設置したコルクボードにピン止めしておく。




