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東京下町の長屋カフェ~おにぎりとぬいぐるみで癒しと思いを結ぶ~  作者: 武田花梨


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2.不思議ななもふもふ

 朋子がお店をオープンしたのは3月1日。

 どうやら、それなりに繁盛はしているらしい。

 東京都墨田区向島。最寄り駅はとうきょうスカイツリー駅。巨大な電波塔のふもとにあるものの観光地ではなく、住宅やオフィスが立ち並ぶ街の一画に朋子の店「おにぎりころろ」はあった。


 1週間ほど通勤し続けると、なんだか昔からなじみのある街並みに見えてくる。朋子の先導がなくても、寄り道をしても、店にたどり着けるようになっていた。

 満開の桜も散り始め、柔らかい春の陽が夏に向かって強くなっていく季節は心地よく、苦手な早起きもなんとかこなしている。


 飲食店経営ということで、結心は長い黒髪をしっかりめに結んで、黒・茶・グレーの動きやすい服装を心掛けていた。会社員時代はスーツを着て通勤していたから、こんなにカジュアルな服装で通勤電車に乗っていいものか不安になるほど。

 朋子が我が店にと選んだのは、昔ながらの長屋を改装して作られた長屋カフェだ。「おにぎりころろ」のほか、鉄板焼きと紅茶の店の計三店舗が収まっている。建物は相当古いけれど中はリフォームされていて、小綺麗な装いとなっていた。


 5年ほど続く長屋カフェは地元住民に愛されているようで、お昼時は常連客を中心に賑わっていた。新規オープンの店でも客には困らない様子。賃貸で入居する三店舗は入れ代わり立ち代わり店が変わる……というシステムだ。

 なるほど、固定客が付いている長屋カフェのうちの一店舗を担当するのであれば、飲食店経営のリスクはおさえられるだろうか。案外、母はちゃんと考えているんだなと結心は感心している。


 怒涛のランチタイ厶のピークが終わり、結心は内心ほっとしながらイートインスペースのテーブルを拭いていた。

 一方カウンターにいる朋子はというと……。


「おかみさん、独身? よかったら今度お茶でも」


 朋子と同世代の、真面目そうなスーツ姿の常連男性客が話しかけている。たしか、税理士事務所の人だったかなと結心は記憶をめぐらせる。


「残念、旦那がいるわ。もっと早く出会ってたらよかったのにね」


 平気な顔をして、本気か冗談か判断がつかないような軽口を叩いている。

 結心よりも、圧倒的にモテている58歳の母・朋子。カウンター越しの会話は、聞いている方が恥ずかしくなる。ガールズバーじゃないんだから。

 結心は聞いていないフリをして、イートインスペースのテーブルをひたすらに拭き掃除する。

 モテる母を見て結心も多少悔しい思いはあるが、別次元の話を聞いているようでどこか他人事のようだった。

 それに……もし結心が同じように声をかけられたところで、朋子のように明るくいなすことなどできない。よくて苦笑い、最悪の場合は不愉快な顔を客に見せることになるかもしれない。


「独身になる予定は?」


「うふふ、どうかしら」


 思わせぶりなことを……まぁ、離婚の話はでているけれど、あれは母が一方的に言っているだけで……。


「あ、もしかして娘さん?」


 男性客は、ふと結心を見る。

 注目を浴びたことに、結心はたじろいでしまう。こっちを見るなと念じておかなかったことを後悔するが、時すでに遅し。


「あ……そうです」


 へへへ、と笑って会釈する。

 初手でノリの悪さを感じ取られたのか、男性客は「そうなんだ」とつぶやき軽く会釈してすぐに結心から感心を失う。


「いい年して実家に戻ってきたの~。何歳になっても親を心配させるんだからまったくねぇ」


 ほほほ、と軽口をたたく朋子。


「そういうこと言わないで!」


 ……なんて言えない結心。へへへ、と苦笑いして掃除を継続する。

 だからイヤだったんだ、接客業をやるのは!

 いちいちイライラしない。腹を立てない。朋子はそういう親。気にしても仕方ない、仕方ない……。

 お腹に力を入れて、ぐぐぐと言いたいことを押し込める。結心が発言しなければ、朋子も男性客も機嫌よいままでいられるのだから。


「はい、お待たせしました~」


 パックにつめられたおにぎりをビニール袋に入れ、男性客に手渡す。これから、遅めのランチのようだ。

 おにぎりのほかにも朋子手製の豚汁を購入してくれた。おにぎり屋とはいえおにぎりだけを売るのではなく、豚汁やからあげなども用意している。おにぎりに並ぶ人気商品だ。


「おかみさんの料理はほんと、おいしくてびっくりするよ」


 商品を受け取った男性客は、ほくほくとした表情で朋子に告げる。


「やぁね、私のなんてただの家庭料理よ! でもお口に合ってなにより!」


 あっはっは、と朋子はうれしそうに笑う。謙遜はしつつも、表情で喜びをはっきりと伝えているから、褒めた男性客も満足そうにうなずいた。


「また来るから」


「旦那と離婚したらすぐに言うわね~!」


「待ってる!」


 どういうノリなんだよと結心は辟易しつつ、結心は「ありがとうございました」と声をかけた。

 店内にうっすらと流れていたおしゃれなボサノバ調の音楽が、結心の耳に届く。

 ようやく客が途切れた。結心は、張りつめていた心を一瞬解きほぐす。常に人に見られているというのは、やはり疲れる。

 この時代、口コミサイトやSNSになにが書かれるかわかったものではない。結心が傷つくだけならまだしも、朋子の店に悪い影響が出たらと思うと落ち着くことはできなかった。

 一方で疲れなど感じさせない朋子。充実した表情を浮かべていた。


「やっぱりいいわね、飲食店! がんばってお金を貯めたかいがある」


 ああそうですか、娘を巻き込まないでほしいものですけどねと結心が心の中で毒づいていると。


「楽しそうでなによりだよ、朋子」


 低くて渋い男性の声が聞こえてくる。

 この発言、結心のものでも客のものでもない。

 長屋カフェにいる……不思議なもふもふのものだ。


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