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東京下町の長屋カフェ~おにぎりとぬいぐるみで癒しと思いを結ぶ~  作者: 武田花梨


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19.微調整

「いいじゃないですか。三社祭にひっかけて三謝祭っていうのもキャッチーですし」


 朋子が店に戻ってからティースタンド風音に行くと、聡はすぐに受け入れてくれた。


「一時的に赤字になってしまうかもしれませんが……それでもよいでしょうか」


 数が売れたとしても、売値が安ければ黒字化できないかもしれない。そのあたりは試算してみるが、儲けるとはほど遠い売り上げになるのは間違いない。

 ニコニコ顔の聡を見ると、申し訳ない気持ちにもなる。でも、利益が出ないとなれば……資金が貯まらず、聡が旅に出る時期を遅らせることができるのかもしれない。

 ……それは、聡にとっての幸せじゃないだろう。ひどいことを考えている。


「かまいませんよ。僕は旅に限らず楽しいことが好きなので」


 だとしたら、この長屋カフェでの生活が楽しければ旅に行かなくなるのかもしれない。世界を旅する以上に楽しいことを聡に提供できる気はしないけれど。


「では、わたしはこれで。詳細はまた」


 店内に客はいなかったが、いつまでも居座るのは良くないと思いそのまま店を出ようとする。しかし、聡はすぐに結心を引き留めた。


「結心さん、喉渇いていませんか」


 振りかえると、聡がカウンターの中から声をかけてくる。

 呼び止められた、そして喉が渇いていないかと聞かれた。誘われていると理解した結心は、たったそれだけのことで顔が赤らんで行くのを感じた。


「夏に向けて新作を出したいなって思って試作したものがあるんで、飲んで感想聞かせてもらえませんか?」


 期待通りの言葉に、結心は頷いた。こんなチャンス、なかなかない。シャルルも朋子もいない中で聡と話せるのは稀だ。


「いただきます」


 そのタイミングで、ティースタンド風音に客が訪れた。結心は席について待機。聡は大学生くらいの女性2人の接客に回る。

 長屋カフェに若い女性客なんて珍しい。しかも地元民でもなさそうだ。都心からやってきた華やかな女性たち。淡いピンクやベージュのワンピースに、ミルクティー色のロングヘアが揺れている。露出されたハリのあるふとももは、同性ながらにまぶしくて目をそらしてしまった。

 結心は、黒いスキニーパンツに黒い無地のTシャツ。対して手入れのしていない黒髪をひとつに結んでいるだけで、黒子のようだ。


「お兄さん、すごくかっこいいですね!」


「噂を聞いてきちゃいました!」


 女性たちは甘く軽やかな声で聡と話している。

 話の内容的に、「お店の人がかっこいい」と聞いてやってきたようだ。

 聡は黒縁の眼鏡をくいっと押し上げる。


「いやいや、こんな男なのにそんな噂を聞いてくるなんて……」


「そんなことないですよー! もちろん、紅茶もおいしいって!」


 ねー、と女性2人は盛り上がっている。

 これはなんだ、推し活か?


「紅茶の味を聞きつけてくださり光栄です」


「彼女さんいるんですか?」


 結心にとって気になるトピックスではないか。聞いてないふりをしつつ、聡の返答を待った。

 聡はにこっと笑うと

「いませんよー」

 と最低限の言葉で返す。


 いないって!


 いないからといって自分にチャンスがあるとは思えない。でもやっぱり、彼女がいるよりいない方がテンションがあがる。

 いやでも、客に本当のことなど言うわけないか。

 その後いくつか雑談しつつ商品を提供し、女性たちは退店した。静けさの戻った結心の耳に、ジャズ風の音楽が届く。


「結心さん、今から作るので少しお待ちくださいね」


「はい」


 新しい紅茶を作る聡を、そっと見つめる。

 真剣な瞳で作業する聡。いつもニコニコしているから、真面目な顔つきを見るのはなかなか珍しい。シャルルにも朋子にも邪魔されない、穏やかで静かな2人だけの空間に、爽やかなオレンジの香りが漂い始める。


「そうだ、今度SNSに載せる用の写真を撮りに来ていいですか?」


 その言葉に、聡は「もちろん」と頷いた。


「助かります。僕はそういうことができないタイプなので」


 聡が顔出しすればもっと人気が出るのではないだろうか。

 ふと、その考えがもたげる。だって、口コミで若い女性が集まってくる程度にはかっこいい。紅茶だけを載せるよりもよっぽど集客効果を期待できるのではないだろうか。


 でも……その思いを結心は口にしなかった。


 聡が嫌がるかも、という気遣いではない。

 知らない女性たちに、これ以上かっこいいともてはやされる聡を見たくないだけ。

 聡が女性客に何と言われようが、彼女がいようがいまいが、結心に直接関係があるわけではない。でも、見たくなかった。


「結心さん、お待たせしました」


 テーブルに、コトンと軽やかな音をたてて淡い茶色の紅茶が置かれた。ふわっと柑橘系の香りが舞う。


「わぁ、おいしそう!」


 グラスに入ったアイスティーには、スライスされたオレンジがいくつも入っていた。鮮やかなオレンジ色は、見ているだけで元気になれる。


「湘南ゴールドを使ったオレンジティーです。旅先で知り合った湘南の農家さんと仲良くなって、大量に湘南ゴールドっていうオレンジを送ってもらったんです。保存もかねてオレンジのはちみつ漬けを作って、レモネードティーっぽいものを作ってみました」


 オレンジティーか。柑橘系の香りと紅茶の風味が鼻を抜けていく。


「いただきます」


 ストローに口をつける。吸い込むと、オレンジの酸味、はちみつの甘味、紅茶のすっきりした渋みが口の中に広がる。少し疲れた体に、甘い紅茶が染みわたる。おにぎりといっしょに……というよりも、歩き疲れてちょっと休憩したい時に飲むと元気になれる気がした。


「すごくおいしいです! 5月にぴったりの味わいというか……これからの夏が楽しみになるような、期待感を持たせてくれる味ですね」


「ありがとうございます。夏の新作と言いつつ、オレンジって春が旬なんですよ」


「そうなんですか? すごく夏っぽいのに」


「レモンも、意外なことに冬が旬なんです」


「知らなかったです」


 どちらも夏のイメージだった。世の中には知らないことがたくさんあるなと感心する。


「聡さん、行く先々でいろんな人と仲良くなれるんですね。羨ましいです。あ、物をもらえるってことについてではなくて、親しい人を作ることが上手なんだなっていう意味で」


 結心には、なかなか難しいことだ。努力が足りないと言えば、そうなのだろう。でも、誰しも努力したからといってサッカーがうまくなるわけでも東大に入れるわけでもない。ある程度の素養がある上で努力しないと、天井はすぐだ。

 聡、朋子、泉羽とつい比べてしまう。シャルルに「この世の終わりのような顔をするな」と注意されたし、そう思いつめないようにはしたいけれど……油断するとつい深みにハマってしまう。


「そうですかね。これはこれで、問題は起こりますが」


 ずっと立っていた聡が、結心の目の前に座る。驚いて顔を見ると、珍しく深刻そうな顔をした。

 なにか、気に障ることを言ってしまったか。結心はつい口数が多くなってしまった数秒前の自分に後悔した。しかし聡は、少し遠くに目をやると、ふぅと息をつく。


「女性から勘違いされることはよくありました。特に中学生くらいの時は。それで女子同士が揉めて、男子からも『女子みんなにいい顔してる』って言われて……。居心地が悪かったですね。僕はただ、普通に生きてきただけなのに」


 普通に生きてきた。結心もそうだ。ただ、自分らしく生きてきただけ。だけど、どんな性格であれ普通に生きているとどうやら社会に馴染むことが難しくなる人もいる。きっと、思うよりもたくさん。


「聡さんは、どうやって乗り越えましたか?」


「うーん、微調整、かな」


「微調整……?」


 すぐには腑に落ちない結心に、聡は笑顔を向ける。ぱっとオレンジの香りが弾けるような、見る人を夢中にさせるような笑顔だった。


「そうです。最初は、全然違う自分になったほうがいいのかもって考えていました。でも、そうじゃない。微調整でいいんです。少しだけ、時代や周囲の人に合わせてキャラを変えていく」

「なるほど……」


 聡が、つかみどころのない人だと感じたことはある。風のような人だといつも思う。それはきっと、固定されたイメージを作らないように微調整しているからかもしれない。

 でも、自分らしさが無くなってしまうんじゃないか?

 結心の懸念を察知したのか、聡は言葉を続けた。


「まあ、どっちがいいか、ですね。馴染めなくてもいいから自分らしさを貫くか、微調整して世間に馴染んでいくか」


「……自分らしいまま、じょうずにやろうとしてもダメってことですね……」


「世の中、自分が生きやすいようにデザインされているわけじゃないですからね。それが息苦しくて、僕は旅が好きになったわけですが。旅に出て、自分を知らない人と過ごして、深く知り合う前に別れる。関係を切るわけじゃないけど、でも物理的な距離を置けるから、旅はいい。ずっと自分らしくいられる」


 何も考えてないような自由な聡だと思っていた。でも実際は……傷つく経験をして、その上で自分が生きやすい道を模索していたんだ。

 そのとき、店の引き戸が開かれて客が入店してきた。この話、ここで終わると思うと結心は緊張が解けていくのを感じた。聞きたくないわけじゃないけれど、でも聡に心を開いてもらえてないということも分かってしまうのはつらい。

 聡は必ず、結心の前からいなくなる。


「ごゆっくり」


 優しい顔を近づけて小声でささやくと、聡は立ち上がって客を迎えた。

 あまりに自然に、聡の顔を間近で見た。

 ……肌、きれいだったな。

 男性の肌をきれいだと思ったのははじめてだった。

 客はまた若い女性たち。どうやら店内で紅茶を飲むらしく結心の隣のテーブルについた。会話の端々に「かっこいいね」なんて単語が聞こえる。

 オレンジティーを勢いよく飲み終えると、結心は「ごちそうさまでした」と立ち上がってティースタンド風音をあとにする。


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