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東京下町の長屋カフェ~おにぎりとぬいぐるみで癒しと思いを結ぶ~  作者: 武田花梨


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15.夫の思いやり

「物価高~!」


 自宅のダイニングテーブルで、パソコンを前にした朋子は頭を抱えた。


「どうしたの」


 お風呂上りにソファに座ってアイスを食べていた結心(ゆうみ)は、一応声をかける。物価高についてはほぼ毎日頭を抱えているから、またか、という気持ちでしかないが。


経木(きょうぎ)が値上げだって~!」


 経木とは、紙のように薄い木の板のこと。おにぎりはいつもプラスチックでできた透明のフードパックで包む際、経木を底に敷いていた。和の雰囲気も出るし、湿気調整もしてくれるし、殺菌力もある。メリットが多いため、おにぎりころろでは重宝していた。


「正直、なくても良いんじゃない? たまに『これなんですか? ゴミですか?』なんて聞かれちゃうくらいだし」


「それはそうなんだけど……やっぱ雰囲気というものが……」


 動かないマッサージチェアに座ってスマホを触っている父の与志光(よしみつ)は、無言だった。しかし、口を挟まないし視線も寄越さないけれど、全部聞いているタイプだ。

 ふたりの離婚騒動は、とりあえず鎮静化しているように見えていた。

 微妙な関係の親子3人が、同じ空間にいるというのはなんだか面白い。個人の部屋はあるのだからリビングにいる必要もないというのに。


「はーあ。どうしたもんかね」


 朋子はぶつぶつ言いつつ、パソコンを閉じて自室に向かった。風呂に入る準備をするのだろう。

 朋子のいなくなったリビングでは、無口な2人が残される。しばらくの沈黙ののち、与志光はスマホを自分のお腹の上に置いて、口を開く。


「どうだ結心、店は楽しいか」


 か細く漂いすぎて耳が補足できないような声をかけられた。なんだか懐かしい。子どもの頃から、与志光はいつも遠慮がちな言い方で学校が楽しいか聞いてきた。


「うん、まあ楽しいかな」


 そこで、会話は終わる。お互いに広げようという気がないわけではないけれど、それ以上なにを言ったらいいかわからない。

 少しの間をおいて、また与志光が口を開く。


「ならいい。ところで、その……聡ってやつとはどうなんだ」


 唐突に聡の名前を出される。「聡ってやつ」が長屋カフェの風間聡であると理解するまで少し時間を要したした。


「……どこでそれを」


「母さんが」


「ちょっと! 喧嘩してるんじゃないの? そんなことまで話しているなんて」


「喧嘩してようがしてまいが、母さんはよくしゃべる」


 苦虫をかみつぶしそうな中途半端な顔をする与志光。そうだった。微妙な関係でありながら結心と朋子がつつがなく仕事できるのは、朋子が気にせず話しかけてくるからだ。

 もしかしたら、両親がこれまで仲良くやってきたというのも、結心の思い込みかもしれない。この様子じゃ、喧嘩していてもなかなか気付けないだろう。

 しかし――聡のことを聞かれても、答えようがない。

 ただ、なんとなく、元カレの俊介とは違って結心のことを受け入れてくれて、なおかつ自由な生き方をしている聡に憧れを抱いているだけのような気もするから。


「そもそも聡さんのこと、わたしからお母さんに話したことないんだけど? 別に、普通にお隣さんっていうだけだし、わざわざ話題にあがるようなことじゃないよ。言うほど会話もしてないし。お父さんがどうこう思うような関係じゃなくて、ただわたしのことを否定しないから心が落ち着くっていうか……」


「急によくしゃべるなぁ」


 語るに落ちたと言わんばかりの、あきれた顔。しまった、しゃべりすぎた。結心はソファに座っていなければ、その場に崩れ落ちたかもしれないぐらい、自分のバカさ加減にうなだれた。


 ああもう、だから何も言いたくない。沈黙は金。黙っているのが一番。


 結心は念仏のように心の中で唱える。それと同時にアイスを食べ終えたので、容器を捨てがてら部屋に戻ることにした。


「結心」


 立ち上がった瞬間に与志光に呼び止められ、嫌々結心は振り返る。


「なに?」


「母さんのこと、頼むな」


 まさかの言葉だった。


「それって……もうお父さんは見放したってこと? 離婚するの?」


 まるで他人に戻るかのような言いぐさではないか。しかし与志光は首を振る。


「そうじゃない。俺は離婚する気なんてない。母さんが勝手に言ってるだけだ」


「あ、そうなんだ……」


 てっきり、2人とも別れる気満々なのだと思っていた。

 与志光は顔をしかめたあと、絞り出すように言葉をつむぐ。


「がんばりすぎないように見ててほしいってことだ」


 たしかに朋子は、月曜日の定休日以外はすべて店に出ている。結心も同じく出勤しているが、おにぎりを作り続ける朋子に比べたら負担は少ない。

 朋子は家でも店のことを考えていて、新メニューの試作も事欠かない。客との話題に事欠かないよう新聞・テレビ・SNSにも目を通し、流行りのアイドルの名前を覚えるなど「それは寝る間を惜しんでまでやる必要があるか?」ということまで一生懸命だ。


「でもお母さん、わたしより体力あるし大丈夫じゃない?」


「……まぁ、年だからな。飲食店は負担が大きい」


 与志光はそれだけ言うと、またスマホに視線を移した。

 夫の思いやりを、朋子はどれだけ感じ取っているのだろうか。

 自分のことは棚にあげて、もっと気持ちを伝えたらいいのにと歯がゆい思いに包まれた。


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